リリーが“宵の艶花”の一員になった。
それに伴い、彼女が面倒を見ていた兄妹、キースとシャーリーも店で働くことになった。
「リリーお姉さまへの恩を返すため、頑張ります!」
「正直、他に働く当てが無いので助かります……」
詳しく聞くと、キースの怪我は右足と左腕。山賊の襲撃時に膝に矢を受け、また防御した際に小盾ごと手首を切られてしまった。宿場町で直ぐにポーションが使えたため見かけこそ元通りになった。ただ以前のように走れなくなったうえ、左手の指に力が入らなくなってしまった。
「確かに、戦闘で咄嗟に動けないのは拙いな」グリゼルダが言った。「私がそうだった。無理すれば余計な怪我だけでなく、一歩遅れるだけで命取りなる」
「ですよねぇ」
キースは苦笑いした。元々、ギルドマンは食っていくために続けていた程度で、そこまで思い入れはないようだ。むしろ、これからどうやって生きていくかという現実の方が、彼の中では大きな問題だったのだろう。
「じゃあ、仕事だけど」フィオナは言った。「キースは、料理は好き?」
「それなり、だと思います。ただ自炊はしていたので、簡単なものなら作れます」
「うん。じゃ、キースは料理と、店番かな。男がいるだけで防犯にはなるし、配膳で動き回るよりは良いと思う」
「となると、シャーリーは配膳と調理の補助ね」
シアラが指を折りながら役割を決めていく。そうなると、今までヘイゼルがいた位置に兄妹が入ることになる。
「そうね。ヘイゼルはどうする? 二階の仕事は、やってみたい?」
突然話を振られ、ヘイゼルは目を丸くした。二階の仕事。それは、自分がこの店に必要とされている証のように思えた。嬉しくて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「……はい」
「どうして?」
「………えっと」
急に言葉が出なくなった。言われて初めて考えてみると、自分が本当に二階の仕事を望んでいるのか、それとも、皆に必要とされていることに応えたいだけなのか、急に分からなくなった。
頭の中で何度も問いかけて、迷って。ヘイゼルは、ゆっくりと答えた。
「正直なところ……、まだ、よく分かりません」ヘイゼルは率直な思いを口にした。
「それでも、ここで働くと決めた以上は、できることは増やしたい、です」
不安を押し隠し、徐々に声が小さくなりながらも、まっすぐシアラを見つめた。
「いま、決めることじゃないわ」シアラは穏やかに微笑んだ。「向き不向きもあるし、一階だけでも、あなたは十分に働いてくれてるわ」
「……はい」
「お店の役に立ちたい、って言うなら止めたけど。そうね、今度、私と一緒に二階に上がりましょう。そこでやり方を見せるから、それで判断しなさい」
「わ、分かりました」
一礼して頭を上げたヘイゼルは、ホッとした様子を見せた。肩から力が抜け、強張っていた表情がいつもの柔らかいものに戻っていく。その二人のやり取りを見て、フィオナは疑問の声を上げた。
「あれ、私じゃダメ?」
「あなたはやり過ぎるから駄目。妙なの教えられたら後が大変だもの」
「そうかなぁ……?」
「私は大変だったわ」
「そう言えば、アンタには変な客がついてたわね……」
「失礼だなぁ。普通だよ」
本人としては、前世で見れた内容をそのまま再現しただけ。客を赤ん坊のようにあやしたり、犬や猫になりきったりした程度で、トンチキなことはしていない。そんな認識だった。
「じゃあ、グリゼルダは?」
「危ないから私が見せるわ」リリーが言った。「変な客を増やされたら嫌だもの」
「えー」
「まあ、正直フィオナのは興味あるが。リリーさん、お願いします」
「リリーで良いわよ。ま、ちゃんと見せて教えるから、任せなさい」
フィオナだけは不満で頬を膨らませて抗議していたが、そういうことになった。
次に寝泊りする場所。これが少し厄介だった。
シアラとフィオナは一階の宿主人の部屋で、グリゼルダとヘイゼルは屋根裏部屋に寝泊まりしていた。屋根裏にはまだ空きがあり、衝立とカーテンで仕切っただけの簡素な個室が並んでいる。
ただ、屋根の傾斜のせいで天井は低く、歩くには腰を屈まないといけない。個室も
「大丈夫よ。昔は私も屋根裏部屋だったもの。どうせ夜は二階で過ごすことの方が多いでしょうし、荷物が置けて寝るだけなら十分よ」
「リリーお姉さまの近くでお世話ができるなら、どこでも構いません」
リリーは肩をすくめ、慣れたように笑った。
問題は、男であるキースだ。さすがに屋根裏部屋に入れるわけにはいかなかった。
「えっと、寝れればどこでも良いんですが」
「店の床に寝させるわけにもいかないし、屋根裏はしんどいよ。男がいようが裸でうろつくし、会話は生々しいし、夜は下から色々と聞こえるからね」
「……なんでそんなに実感籠ってるんですか?」
実体験だからだ、とは流石に言えない。フィオナは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「まあ、屋根裏は駄目ね」シアラが言った。「でも、空いてる場所は無いわ。どうしましょう」
「……階段下の収納スペースならあるけど」
言いながら、フィオナは心の中で申し訳なさが込みあげてきた。
殆ど使っていないとはいえ、備品を入れるための場所だ。
しかし、予想に反してキースは目を輝かしていた。
「え、個室くれるんですか!?」
「……狭いよ?」フィオナが気遣うように言った。
「家でも宿でも、ずっと藁に潜って雑魚寝だったんです。自分の個室で、しかも
「……なるべくいい布団、用意するからね」
「ありがとうございます!」
何度も頭を下げて喜んでいるのを見ると、階段下の小さな収納部屋まで立派な個室に思えてきた。いや、違うか。すっかり忘れていた。寝台も個室も、本来は贅沢なものだった。
苦笑いを浮かべると、シアラもリリーも、同じことを思い出したように顔を見合わせて笑っていた。とはいえ、これから先も人が増えることを考えれば、増築は必要になりそうだ。
それから幾日かが過ぎ、寒い季節がやって来た。
冷え込みも日ごとに厳しくなり、主な客であるギルドマンたちも依頼が減って、店を訪れる者は少しずつ減り始めていた。
ところが、前夜は“宵の艶花”に来る客が妙に多かった。また朝食を食べ終えた宿泊客が、なかなか腰を上げようとしなかった。その異様な雰囲気に、フィオナたちは朝から首を傾げていた。
「眠みぃ……」
「ヘイゼルちゃーん。もう一杯、スープくれー」
「あ、はーい」
「なあグリゼルダ、昼までここにいちゃ駄目か?」
「はやく帰れ」
なんだこの状況。いつからこの店は冬眠場所になったのだ?
フィオナが店の外へ目を向ければ、何故か朝から店の前でギルドマンがちらほらと集まり始めている。寒さを凌ぐため肩をすぼめながら、窓から中の様子をうかがっていた。
「あー、朝からすまねぇ。何でもいいから酒と飯食えねぇか?」
気になって外に出てみると、切羽詰まった様子のギルドマンに尋ねられた。先日、金が少なくなってきたからあんまり来れなくなるなぁと寂しそうに呟いていたはずだ。
「……なんかあったの?」
「いやな、そのよ」困った表情で、顔を近づけたギルドマンは小声で言った。「昨日、ギルドにな、貴族が来てよ。逃げて来た」
「あー……」
ああ、そういうことか。
貴族、すなわち最強。ギルドマンでは無礼者、というひと言で手打ちされても問題ないとされる種族である。例えゴールドランクであっても敵わない権力者が、突如として襲来したのだ。
フィオナが他の面々に顔を向けると、全員が首肯した。
「ありゃ近づいたらやべぇ」
「ああ、やべぇ」
「やべぇよやべぇよ」
「……ほかに特徴は? 言わないと店に入れないよ」
「ブリジットとかいう若い女だ。見るからに高そうなロングソードと全身鎧を着てたな」
「名前聞かれて庶民なら姓は持たないとか、剣の流派は言えないとか」
「冬のこの時期に討伐任務を受けたいとかミレーユさんに言ってたな。そんで後日くるってよ」
フィオナが軽く言っただけで、ギルドマンたちはペラペラと喋り始めた。それだけ店に入りたいのか、よほど鬱憤を溜め込んでいたのか。堰を切ったように情報が溢れ出してきた。
そして、その内容を察するに。
「うん、貴族だね。勢いで家出したっぽい感じの」
「だろ? だから中に入れてくれない? 入れてください」
「割増しでもいいからマジで入れてくれ。居座れそうな店どこも空いてねーんだよ」
「エールとつまみだけ頼むから、ダラダラさしてくれりゃいいぞ」
「嫌な客だなぁ……」
そう言いながらも、フィオナは追い返す気にはなれなかった。
「シアラー、どうするー?」
「仕方ないわねぇ。席を用意しましょう」
「マジか、ありがとうございますシアラさん」
「シアラさんマジ女神」
「暖かい部屋でのんびりできるぜー」
言うや、喜色満面の男どもはゾロゾロと入って暖かそうな場所を陣取った。席はあっという間に埋まり、店内は一気に賑やかになる。そのままいつもの調子で酒とつまみを要求してきた。
「後は私とキース、シャーリーでやるからさ。シアラとグリゼルダ、リリーも休憩に入って。ヘイゼルもキリが良いところで休んじゃって。どうせこの人たち居座るだけだし」
「ええー、そりゃねーぜー」
「美人さんたち眺めさせろよー」
不満の声を上げる客たちを無視し、苦笑いを浮かべるシアラ達を促して部屋に戻した。
「あー、折角の美女揃いだったのに……」
「私で我慢しときなさい。じゃ、キースとシャーリーは料理の練習をしてみようか」
「え、いきなりですか?」
「こういうのは実際にやった方が覚えるからね。失敗しても、今日は大丈夫」
暇を持て余した客たちがちょうどよく揃っているのだから、これほど都合の良い機会もない。フィオナはそう考えて、二人を厨房へと促した。
「おいおい、俺たちは実験台かよ」
「ちゃんと私が指示出して作らせるし、試食だからその分だけ安くしておくよ」
「今日は暇だからな、任せておけ」
「俺は肉が食いたいな」
「前に食ったもつ煮作ってくれー」
「パエリアもいいぞー」
「ホントに調子がいいね」フィオナが呆れたように言った。「あ、シャーリーにちょっかいを出したら出禁ね」
さらりと言われた言葉で、片づけを手伝うふりをしてシャーリーへ近づいていた何人かの男が、慌てて手を引っ込めた。
うん、素直でよろしい。前にヘイゼルにちょっかい出した客を出禁にしたのを覚えているようだ。
「それじゃ、二人ともやってみようか」
「はい!」
「じゃ、まずは手洗いからね」
「……え?」
期待と不安に満ちていた二人の表情が、揃って固まった。食べた料理はどれも美味しかった。だから、どんな料理を教えてくれるのかと楽しみにしていた二人にとって、「手洗い」は予想外の言葉だった。
「理由を説明するね」二人の様子に気付いたフィオナは答えた。
「料理で一番大事なのは清潔感。食中毒、腹を壊す原因となるからね。酷い場合は命に関わる。だからしっかりと手洗いをして、服も清潔でないといけない」
その言葉に、二人の顔つきが変わった。真剣な眼差しが向けられ、先ほどまでの浮ついた空気が引き締まっていく。
「あとは体調管理が大事。料理人も娼婦も同じ。体調を崩したまま仕事をすると雑になるし、お客さんに病気をうつすことがある。そうなればお店の信用は一気になくなっちゃう。だから、予防のためにも手洗いは大事」
「なるほど……」
フィオナが実演し、キースとシャーリーも見よう見まねで続けた。石鹸を使い、爪の間や指の股、手首まで丁寧に洗っていく。冷たい水に一瞬顔をしかめながらも、二人とも手を抜くことなく、隅々まで丁寧に洗い上げていた。
「うん、ちゃんと洗えている。料理する前は手洗いする、この習慣を覚えてね」
「はい、わかりました!」
「必ずやります」
本来なら厨房の立ち方から包丁の握り方と順にやっていくが、それでは二人も面白くないだろう。モチベーションも続かないし、まずは料理を作る楽しさを知ってもらう方が大切だ。
この店に長く残ってもらうためには、義務感だけでなく、楽しさを覚えてもらうことも同じくらい重要だと、フィオナは経験から理解していた。
「それじゃ、簡単なつまみを作ってみようか」
そういって、
「使うのは芋。これでハッシュドポテトと、ジャーマンポテトの二つを作ってみようか」
まず芋の皮を剥いて、大きく乱切りにする。これを水から茹でていく。その間にジャーマンポテトに使う玉ねぎ、ニンニクを薄切りにして、ベーコンを角切りにする。包丁が木のまな板に当たるリズミカルな音が、厨房に静かに響いていた。
「火が通ったらお湯を捨て、半分はハッシュドポテト用に粗く潰し、半分はそのまま使う」
まずはハッシュドポテト。
熱いうちに粗く潰した芋に塩と小麦粉を混ぜて、小判型に成形。浅鍋を火にかけて獣脂を溶かし、芋を揚げ焼きにする。表面に焦げ目がついたら出来上がり。
次、ジャーマンポテト。浅鍋を火にかけて獣脂を溶かし、ニンニクを入れる。匂いが出てきたら取り出し、ベーコン、玉ねぎ、芋を入れて炒める。ベーコンに焼き目がついて玉ねぎがしんなりしてきたら塩を振る。香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がり、店の奥で待つ客たちの間からも、期待するような声が漏れ聞こえてきた。
「これを皿に盛り付けて、最後に香草の粉末を散らしてやれば完成」
「……思ったより簡単ですね」
「工程はね。じゃ、味見して」
フォークを持ち、作りたての料理を食べる。すぐに感想を言うこともなく、ゆっくりと噛んで真剣な表情で味を覚えようとしている。
「火加減や塩加減で味は全然変わるよ。今度は二人がやってみて」
「は、はい!」
キースはぎこちなさはあるものの、刃物の扱いには慣れているおかげか、危なっかしさはない。左手の指に力が入りにくいというハンデを抱えながらも、右手を上手く使って工夫している様子が見て取れた。
一方、シャーリーは手先が器用で、丁寧かつこまめに確認しながら進めている。何度も鍋の中を覗き込み、火加減を気にする姿は、真面目な性格をそのまま表しているようだった。
「できました……」
「お願いします……」
二人は出来上がった料理を恐る恐る差し出した。緊張からか、皿を持つ手が微かに震えていた。
「ほら、試食の時間だよ」
「おーう、任せろー」
ギルドマンたちは遠慮なく頬張った。
「お、普通にうめぇ」
「坊主のはちょっと焦げてて脂っぽいな」
「そうか? こんなもんじゃないか」
「ハッシュドポテトは塩が少し薄いな」
「嬢ちゃんのジャーマンポテトは、味は良いけどなんかねっちょりしてる」
「最初でこれなら十分じゃねぇか」
続けて、フィオナが作った料理だ。最初に作ったため少し冷めている。それでも、皿の上に並んだ料理には無駄がなく、芋の大きさ、焼き色、盛り付けの位置まで整っていた。積み重ねてきた経験の差が、そこにははっきりと表れていた。
「フィオナちゃんのは、やっぱうめーわ」
「少し冷めてるのに芋がホクホクしてる」
「ザクザクしてて脂っぽくないし塩加減もいいわ」
「こうやって食べると結構違うんだな」
「やっぱこれよこれ」
コメントも食べる勢いも、二人とは全く違った。
「キースは火加減が強かったね。これは数をこなしていけば覚えていくよ。あとは塩加減だね」
「はい」
「シャーリーは丁寧にしすぎかな。まんべんなく火を入れようと芋を炒める際に動かし過ぎると、崩れて食感が悪くなる」
二人は真剣な表情で頷いた。悔しさと、それ以上に次はもっと上手くやりたいという意欲がその顔にはっきりと浮かんでいた。うん、良いね。こういう人ほど上手になる。
「……芋食ったら酒が飲みたくなったな」
「フィオナちゃーん、エールお代わりー」
「俺ももう一杯ー」
「はいはい、でも飲み過ぎだから半分までね」
「ええー」
「そんなー」
「シャーリー、エールは注ぎ方があるからやり方を覚えて」
「はい!」
この日以降も、暇を持て余したギルドマンたちは半ば強制的に試食係へと任命された。文句を言いながらも毎日のように顔を出し、二人の料理を味わっては好き勝手な感想を口にし、その上達ぶりを酒の肴にしていた。誰もあの貴族がいつギルドへ来るか分からなかったため、連日連夜、暖炉の周りは人で埋まり、店は普段とは違う賑わいを見せることとなった。
この騒ぎが落ち着いたのは、それから数日後のことだった。
女性だけのパーティである“アルテミス”が依頼を受け、件のブリジットという貴族を連れて冬のバロアの森を一日グルグルと周ったそうだ。何も無く、何もできず、ただ冬の寒さに凍えながら歩いて回ったことに酷く気落ちしたとかで、ブリジットは実家に帰っていったらしい。
「えぐい」
「鬼だな……」
話を聞いたギルドマンは“アルテミス”のやり方にそう零した。
一方で。
「家の決めた護衛騎士が気に入らねぇからって、ギルドマンになるのはなぁ……」
「ま、騎士になれるならそれが良いな」
「どうであれ、せっかく帰る家も仕事もあるんだから、そっちで頑張った方が良いわ」
「ええ。でも、あの子なりに必死だったんでしょうね」
概ね全員がギルドマンを選ぶ必要はない、その反応だった。貴族は来んなという拒絶もあったが、ギルドマンとして、娼婦として明日をも知れぬ過酷な稼業の厳しさを見て来たからこその言葉だった。
「なんで、ギルドマンになりたがったんですかね?」
下ごしらえ中に、ふとキースが尋ねた。
「まあ、自分で道を決めたかったのかもね。それで得意分野を探したら、たまたまギルドマンが目に付いただけで」
「そんなもんなんですかね? 騎士になって、やれなくなってからでも良いのに……」
「若いうちはそんなもんなんだよ」
「フィオナさんだって若いじゃないですか」
返す言葉が見つからず、フィオナは苦笑いで誤魔化した。
「もう居ねぇよな?」
「実家に帰ったらしいよ」
「よし、ギルドへ行くか」
「じゃあ、またなー」
その日、ようやくギルドマンたちは安心してギルドへ戻っていった。潮が引くように店から人が減っていく様子は、これまでの数日間の騒がしさが嘘のようだった。
また、ここ数日間は二階の営業を休み、朝から酒場だけを開けていたが、思いのほか繁盛していた。
「思わぬ臨時収入になったわね。中々の売り上げよ」
帳簿を見ながら、シアラが満足そうに笑う。数字を追う指先には、この店を長年切り盛りしてきた者の落ち着きが宿っていた。
「みんな頑張ってくれたし、明日一日休みにしましょう。一時金も出すわ」
「え、本当ですか!?」
「助かる。久しぶりにゆっくり寝られるな」
「お金貰って、やることが寝るってどういうことよ」
そう返すと、店内に笑いが広がった。
外では冬の風が木戸を揺らしている。それでも“宵の艶花”の中だけは、暖炉の火と料理の湯気、そして人の笑い声で満ちていた。
寒い季節は、まだ始まったばかりだ。
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