あと挿入投稿を一度やってみたかった。
楽しんでいただければ幸いです。
日が落ち、夜の帳が街を覆う頃。色街はようやく仕事の時間を迎える。
“宵の艶花”は、今日も戦場と化していた。
「フィオナさーん! パエリアが鍋で一、ハッシュドポテト三に串焼き三!」
「はいよー! キース、新しい皿が無いから洗って。ヘイゼル、ポテトはお願い!」
「はい!」
「分かりましたー!」
暖炉では薪が赤々と燃え、席を埋めた客たちがジョッキを片手に料理を待っている。
厨房と客席の間を、ジョッキと料理を抱えた店員たちが忙しなく行き交う。客の笑い声にジョッキをぶつけ合う音、厨房からの調理の音と声。いくつもの音が重なって、店内を満たしていた。
「シャーリー、串焼き三つできたから持ってって!」
「はーい!」
早くて安くて旨い。そして美女揃い。
いつの間にかそう呼ばれるようになった“宵の艶花”には、娼婦目当てではなく、食事だけを楽しみに訪れる客も日に日に増えていた。
「ここ、流行ってるらしいな」
「おーう。ここで飯食ってから遊ぶ奴は多いな。飯だけ食いに来る奴も多いがな」
「へぇ、おすすめはあるか?」
「俺はパエリアを勧めるぞ。すぐ出てくるし、肉も入ってて一皿で腹いっぱいになる」
「じゃあ、俺もそれにするか」
「あとハッシュドポテトもいいぞ。エールに合う」
事前に焼いて準備していた料理は、開店と同時に次々と消えていった。
この時間は、とにかく数を出すことだけを考える。
パエリアは一度に大量に仕込めるが、炊き上がってから時間を置きすぎれば雑穀が水分を吸って重くなる。逆に注文が入ってから炊き始めれば、客を待たせる。
「ハッシュドポテト三、できあがりました!」
「はい、持っていきますー!」
「フィオナ! パエリアの鍋が一つ空いたわ!」リリーの声が飛んできた。
「分かった、今行く! キースは鍋持っていくからこれも洗って!」
「はぁい!」
身体強化を使って素早く動く。フィオナは新しい鍋を取り出してすぐに火にかけた。オリーブオイルを流し、ニンニクを入れて鞴を吹かす。
熱い。薪を追加してさらに火の勢いを強める。肉を放り込むと、脂がバチバチと弾ける。すぐに香ばしい匂いが立ちあがり、まんべんなく焼いていく。肉の焼ける音を聞きながらフィオナは野菜を刻み、鍋へ放り込む。続いて雑穀を加え、木べらでこそぐように全体を返した。
「フィオナ、十三番から串焼き二、追加!」
「今出すよ!」
グリゼルダに返事をしながら、鍋にスープを注いで木べらで整え、火を弱める。
辺りを見渡す。煮込みはまだ余裕がある。ブリトーは仕込み分が十分に残っている。ポテトはヘイゼルに任せて大丈夫。
なら、串焼きを作る。
頭の中で注文と鍋の状態を並べ替え、フィオナは迷いなく手を動かした。
串に刺した肉へ塩を振る。大量の肉串を赤々と熾った炭火の上へ並べると、
ジュッと脂が落ち、炎が舌を伸ばす。表面に香ばしい焼き色がついたところでタレへくぐらせ、もう一度火へ戻す。甘辛い香りが立ち上り、焦げ目がつく。肉は艶やかな照りを帯びていた。
「十三番の串焼き二、あがりー!」
「分かった、持っていく」
「十番、ブリトーが二と煮込みが四」
「はいはい! ちょっと待って」
フィオナは皿を取り出し、次々と料理を盛り付けていく。火を止める暇もない。
額に浮いた汗が頬を伝う。竈の熱気で喉は渇いている。それでも水を飲む暇さえ惜しく、フィオナは腕で汗を拭うと、すぐに次の鍋へ手を伸ばした。
注文が入る。料理を作る。皿が運ばれていく。空いた皿が戻ってくる。
その繰り返しに身体が勝手についていく。
「フィオナ、パエリア三皿追加!」
「いま炊いてるから、少し待って!」
返事をした自分の声が、少し掠れていることに気づいた。まずい、後で飴舐めておかないと。
そう頭の中で考えながら、フィオナは鍋の蓋を取った。湯気が一気に顔へ吹きつけ、汗が頬を伝って落ちる。
じりじりと焦げる音。肉の表面では脂が弾け、蒸らした雑穀はふっくらと炊き上がっていた。味見して、問題なし。木べらで豪快に皿に盛り付けていく。
「こっちは串焼き五、オルゾットが二ね!」
「キース、盛り付けお願い!」
「はい!」
忙しい。ああ忙しい。忙しい。
でも、自分が作った料理が減り、客の皿が空になっていくのを見ると、自然と頬が緩んだ。
厨房で竈の熱さと鍋から立ち上る湯気を浴び、脂の弾ける音を聞く。炭と脂、酒と香辛料。様々な匂いが入り混じった、むせ返るような空気の中でフィオナは笑みを浮かべて鍋をかき回し、肉を焼き、空いた皿へ料理を盛り付けていく。
同じ動作を何度も繰り返したところで、ようやく客席に空席が目立ち始めた。
「……ふぅ」
「少し落ち着いてきましたね」
「いやー、レゴールの人はホントによく食べますね」
フィオナは汗を拭って飴を舐め、ジョッキに入った麦茶を飲んでいた。ヘイゼルも息を吐いた。キースも少し疲れた表情を浮かべ、軽く膝を擦っている。
「まだ夜が始まったばかりなのに、凄く濃密ですね……」
「うん。でもキツい時間は終わったから。これから少しずつ客層が入れ替わるから、もうちょっと踏ん張って」
その言葉通りだった。食事を終えた男たちが、代金を置いて席を立っていく。
「ご馳走さん。美味かったよ」
「ありがとうございました。またどうぞ」
少しずつ、むさくるしい男たちの熱気が引いていく。
それと入れ替わるように、華やかで露出の多い服を着た女たちが店へ入ってきた。店内の喧騒が薄れるにつれ、玄関の向こうから聞こえてくる声がはっきりしてくる。客を引く女たちの甘い声。酔った男たちの怒号と笑い声。
さっきまでとは違う夜の気配が、少しずつ店の中へ入り込んできた。
「こんばんはー」
「あら、今日は早いわね」
「一人目が終わったからね。ちょっと飲んでから次を探そうと思って」
色街で働く娼婦だった。非番の者もいれば、これから客を探す者もいる。一仕事を終えて一杯飲みに来る者もいる。
「フィオナ、何か軽いものある?」
「カナッペとスープかな。スープはカップで出そうか?」
「じゃ、それとシードルをお願い」
酔った男たちの大声や笑い声に混じって、娼婦たちの姦しい笑い声と囁き声が増えていく。
厨房に立つフィオナの耳にも、それらがはっきり届くようになっていた。さっきまで食事の熱気に満ちていた店が、いつの間にか別の場所になりつつあった。
「今日、いい客いた?」
「全然。最悪よ。汗臭いわ汚いわ下手くそだったの」
「私は結構よかったわね。支払いもちゃんとしてたし、何より早かったわ」
そんな話を肴に、娼婦たちは酒を飲む。
中には男の隣へ座って食事を始める者もいれば、そのまま部屋代を払わせて二階へ向かう者もいる。
また、シアラやリリー、グリゼルダも、それぞれ客の隣に座っていた。
酒を勧め、笑顔を交わし、ときには男の耳元へ顔を寄せて何事かを囁く。客の方も銀貨を手に、値段や時間を相談している。
やがて交渉がまとまると、客は銀貨を渡し、シアラは胸元の白い花を渡した。
「じゃあ、行ってくるわね」
「うん。気をつけて」
「すぐ戻るわよ」
客と一緒にシアラが階段を上っていく。フィオナは手を止め、濡羽色の髪が揺れる後姿を眺めた。
止める理由も、することもない。
「フィオナさん、少し良いですか?」
「あ、ちょっと待ってね」
フィオナは我に返ったように視線を戻し、調理へ戻った。力強く手を動かしているうちに、先ほどまで胸に引っかかっていたものも、少しずつ薄れていった。
それからしばらくして、厨房の注文も途切れ途切れになってきた。シアラたちも一人目の相手が終わり、下りてきている。
ヘイゼルが額の汗を拭い、小さく息を吐く。
「すみません、私も少し休んできます」
「分かった。無理しないでね。キースとシャーリーも順番で休憩に入ってね」
店に残る人数は、少しずつ減っていった。
夜が更けるにつれて、食事を目的に訪れる客はさらに少なくなっていく。厨房の火も、少しずつ消えていった。
最後のパエリアを盛り付けたところで、フィオナは大きく息を吐いた。
「……今日のはこれで終わりかな」
客席を見る。まだ男たちと、何人かの女性たちが酒を飲んでいる。その中には、フィオナと目が合うと酒の入った顔で意味ありげに笑う男もいた。
その頃になると、店はもう食事をする場所というより、色街で夜を過ごすための待ち合わせ場所になっていた。
フィオナも溜まった皿を洗い、厨房を片付けていく。
「フィオナさん」鍋を洗っていたヘイゼルが顔を上げた。「もう大丈夫ですよ。あとは私たちでやりますから」
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
フィオナは一階の部屋に戻った。コックコートを脱ぐ。竈の熱で身体はまだ火照っている。
今夜の客は一人。汗ばんだ身体を、水と布で拭う。胸元の開いた制服へ着替え、白い造花を飾る。
手鏡で見る。サッと髪を整え、軽く化粧を施す。うなじに香油を塗り、甘い香りを纏う。
身嗜みを確認する。
――うん、これで良い。
一つ深呼吸を入れ、目を閉じる。料理人から、娼婦へ。
目を開き、静かに歩きだした。
フィオナは客席へ戻った。先ほどまで厨房で汗を流していた料理人の面影は、もうない。
そこにいるのは、客を迎える一人の娼婦だった。
「キース。大変だけど、今日の夜番をお願いね。シャーリーとヘイゼルは片づけが終わったら休んでね」
「分かりました」
「おやすみなさい」
後を三人に任せ、フィオナは今晩の客へ歩み寄った。
男には見覚えがあった。“大地の盾”のギルドマンだ。確か、ランディと名乗っていた。“大地の盾”はよくこの店に食事に来るので覚えている。
「お待たせしました」
「いやなに。美味い飯を食ってたからな」
いつもの人好きのする笑顔だった。ただ、顔は赤い。テーブルには空になったジョッキが三つ置いてある。
――だいぶ飲んでるな。
フィオナは内心で苦笑した。こうなると面倒なんだこの人。
ランディが差し出す銀貨を受け取り、指先で数える。胸元の白い花を抜き取った。
「どうぞ」
「おう」
ランディは嬉しそうに花を受け取った。それから花をしげしげと眺める。
「……なるほどな。白か。何って言った花だったか……」
「はい、月下美人ですよ」
「そう、それだ! “大地の盾”にもこの花の
また始まった。
フィオナは笑顔のまま聞き流す。
「――まあ、盾ってのは正面から受けるためだけのもんじゃない。敵の視線を引きつけて、その隙に騎兵が――」
「ふふ、ランディさん。折角ですから、お話は部屋で、聞かせてくださいね」
「おっ、そうだなぁ」
立ち上がった男は白い花を指先で弄びながら、もう片方の手を差し出した。まるで騎士が姫をエスコートするような、どこか芝居がかった仕草だった。
フィオナはおかしそうに笑みを浮かべた。手を重ね、自然な仕草で男の腕に身体を寄せた。
「おお、ずいぶん積極的だな……」
「お嫌い、でしたか?」
フィオナは男を上目遣いに見た。瞳は潤み、頬を僅かに赤らめている。相手の欲を受け止めるような、甘く艶のある笑みだった。
「いいや、大好きだ」顔が近づき、酒臭い吐息がかかる。
「噂を聞いてためてきたんだ。今日は、たっぷり楽しませてくれ」
たっぷり、か。なら、少しくらいサービスしてあげよう。泊まりだから、明日の仕込みにも影響はない。
「ふふ。退屈には、させませんよ……?」
「おう。楽しみだ」
ランディは上機嫌に笑った。フィオナは男に寄り添ったまま、階段へ向かった。
夜の“宵の艶花”は、まだ終わらない。
このあと一晩中、たっぷりサービスした。