「こ、こんにちはー……」
カランカラン、とドアベルが鳴った。
「あら、いらっしゃい」
「また可愛い子が来たわね」
「確か、“アルテミス”の」
「えへへ、お邪魔しまーす……」
遠慮がちに店へ入ってきたのは、ウルリカだった。珍しく一人のようだ。店内を掃除していたシアラたちから一斉に見られ、気恥ずかしそうに身を縮めている。
「すみませーん、フィオナさん、いますー?」
「はい、いますよ。厨房です。呼んできますね」
「そっかぁ。よかったー」
「フィオナー、ちょっと来て頂戴」
「はいよー」
シアラが厨房へ声を掛けると、奥からフィオナが顔を出した。手を洗ったのか、布で水気を拭きながら歩いてくる。
「ああ、ウルリカさん。今日は一人ですか?」
「うん、そうなのー。ちょっとお願いがあって来たんだぁ」
「お願い?」
「うん。前にも話していたクランハウスで料理を作って貰えないかっていう話、なんだけどー……」
「ああ、決まったのですか?」
「そうなの。もうすぐ春でしょ。これから忙しくなるから、みんなで狩猟前の食事会をしようという話になってねー」
ウルリカは少し照れたように笑いながら、話を続けた。
「そうそう。この間のパン、バタールって言ったっけ? シーナ団長やナスターシャさんも、ゴリリアーナさんも美味しいって言ってて……。やっぱり、ここの料理を一度食べてみたいって話になってー……」
「ふふ、ありがとうございます」
どうやら、思った以上に“アルテミス”の中で評判になっていたらしい。その事実が、フィオナには素直に嬉しかった。
「それでねー、フィオナさん。一度予算と内容を決めたいから、クランハウスで団長と話をしてくれないかなーって……」
「ああ、構いませんよ。今日は仕込みで離れられませんが」フィオナはそう言って振り返った。「シアラ、明日の昼に行っても良いかな?」
「こっちは大丈夫よ。厨房の方は?」
「ヘイゼルもキースもよくやってくれてるから、昼間なら半日くらい離れてても問題ないと思う」
シアラは小さく頷き、フィオナもそれに頷き返した。
「やった。じゃあさ、明日の昼にまた来るからさ、お願いしてもいーい?」
「はい。では、明日よろしくお願いします」
「うん、お願いしまーす」
ウルリカは店を出ようとして、ふと立ち止まった。
「あ、フィオナさん! あと……」
「うん?」
「……う、いや、その、なんでもないの!」
何か言いかけて、ウルリカは視線を逸らした。何かあったかとシアラ達も注目する。
「そうですか? まあ何かあれば言ってくださいね」
「うん、何かあれば……。じゃ、明日お願いねー!」
ウルリカはどこか恥ずかしそうに、小走りで店を後にした。
その姿を見送り、小首を傾げながらフィオナは厨房へ戻った。シアラたちも少し顔を見合わせていた。
「どうしたんでしょうか?」
気になったのか、下ごしらえをしていたキースが聞いてきた。大量の野菜をみじん切りにし、鍋へ放り込んでいるところだった。
「まあ、恥ずかしくなったんでしょ。昼でもここは娼館だし、男の子には刺激が強いのかもね」
「そういうもので――、……うん?」
「どうしたの?」
「……男?」
絞り出すような声でキースは言った。信じたくないという表情だった。
「うん」
「ウルリカさんが?」
「見ればわかるでしょ? 骨格が違うし」
キースの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「は……?」
次の瞬間、店の外にまで声にならない絶叫が響き渡った。
「うるさいわよ!」
何故か、フィオナも一緒にリリーに怒られた。
酷い。
* * *
翌日。
昼になると、約束通りにウルリカが“宵の艶花”まで迎えに来た。フィオナは彼と連れ立って、“アルテミス”のクランハウスへ向かっていた。
ただ、どういうわけか、ウルリカは今日も落ち着かなかった。
並んで歩いているというのに、妙に口数が少ない。何か話しかけようとしては口を閉じる。こちらをちらりと見ては、すぐに前へ視線を戻している。
「ウルリカさん?」
「ひゃいっ!?」
突然声を掛けられ、ウルリカの肩がびくりと跳ねた。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だよー。うん、全然大丈夫ー……」
そう言いながら、ウルリカは明らかに目を泳がせている。
「昨日も帰り際、何か言いかけていましたよね?」
「え˝っ」
「何か気になることでも?」
「……なんでもないのー」
どうにも歯切れが悪い。フィオナは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
「まあ、何かあればクランハウスに着いてからでも聞きますよ」
「う、うん……」
ウルリカはほっとしたような、それでいてどこか残念そうな顔をした。
やがて二人は、“アルテミス”のクランハウスへと辿り着いた。
「ここだよー」
「ああ、ここが……」
噂には聞いていたが、かなり大きい屋敷だ。代々引き継いで維持できているだけあって、立派な造りだった。
「じゃ、どうぞー」
「失礼します」
フィオナは少しだけ中を覗き込み、それからウルリカの後に続いて屋敷の中へ入った。
「こっちだよー」
ウルリカに案内され、フィオナは暖炉の前に置かれた席へと腰を下ろした。お茶を持ってくると言ったウルリカを待つ間、フィオナは辺りを見渡した。
クランハウスは外観通りに中も広い。そして華やかだった。
ホールには大きな暖炉があり、壁には“アルテミス”の紋章が飾られている。落ち着いた色合いの家具が並び、クレイサントの白い花瓶には花が活けられている。どれも質の良さが窺えるものばかりだ。
フィオナは待つ間、ウルリカの持って来たハーブティーを飲み、調度品についてあれこれ聞きながら歓談していた。
「待たせたわね」
暫くして、奥から一人の女性が姿を見せた。
フィオナは思わず目を見張った。美しかったのだ。
艶やかな黒髪を長く伸ばし、それを三つ編みにしている。整った顔立ちに、紺色の瞳。身に纏う狩人装束はドレスのように華美で仕立てがよく、彼女の立ち姿にはそれに相応しい品があった。
見とれていたフィオナは、すぐにカップを置いた。立ち上がると、丁寧に一礼した。
「フィオナさん、だったわね。私はシーナ。“アルテミス”の団長よ」
「はい。フィオナと申します。“宵の艶花”に所属しております。本日は料理の件でお伺いさせていただきました」
フィオナの丁寧な物腰に、シーナは少し意外そうな表情を浮かべた。
立ち居振る舞いは自然で、言葉遣いにも嫌味がない。柔らかな声の響きも相まって、どこか育ちの良さすら感じさせる。
シーナはフィオナを見つめ、それから微笑を浮かべた。
「ごめんなさい。退屈させていなかったかしら」
「いえ。ウルリカさんが相手をしてくれました。こうしてお茶までいただいておりますし、素敵なものを眺めながら過ごせました。十分、楽しませていただいております」
「そう?」
シーナは少し目を丸くした。ああ、たまにシアラもこんな顔をすることがある。それを思い出して、フィオナは小さく笑った。
「はい。それに、せっかくの機会ですので、見られるうちに見ておこうと思いました」
フィオナが笑みを浮かべたまま告げると、シーナは思わず、といった様子でおかしそうに笑った。
「なるほど。楽しんでくれて何よりだわ」
頷くと、フィオナにも着席を勧めて向かいの席に腰を下ろした。
「ウルリカ。悪いのだけれど、私にもお茶をお願い」
「はーい」
ウルリカは返事をすると、茶の用意へ引っ込んでいった。ところが、ほどなく戻ってきたのは本人ではなかった。
盆を手に、一人の女性が歩いてくる。青い長髪に怜悧な顔立ち。長身で、胸元は大胆に開いた魔法使いのローブを纏っている。綺麗な女性だった。ただし、それらを帳消しにするような鋭い眼差しがある。
女性はフィオナを一瞥すると、何事もなかったようにシーナの前へ盆を置いた。
「シーナ、頼まれていた茶を持って来た。これは茶請けの菓子だ」
女性はそう言って、シーナの前にカップと菓子を置いて離れた。
「ありがとう。でも、ウルリカはどうしたの?」
「私用だ。私が引き継いだ」
「そう……。ちょっと、挨拶ぐらいはしていかない?」
シーナが苦笑しながら呼び止める。女性は一度フィオナへ視線を向け、それから短く名乗った。
「そうか。ナスターシャだ」
あまりにも簡潔な挨拶に、シーナは渋面を作った。
「挨拶、ありがとうございます」フィオナは立ち上がり、一礼した。「フィオナです。本日はよろしくお願いいたします」
「うむ。私を気にせず話をしてくれ」
軽く頷くと、ナスターシャと名乗った女性はそのまま壁際に立った。
「――まあ、良いわ」
シーナは諦めたように息を吐いた。運ばれてきた茶を一口飲む。
フィオナは二人を交互に見た。
ナスターシャの態度は素っ気ない。ただ、頼みは当然のように聞き入れている。シーナのほうも、そんなナスターシャを咎めるでもなく、呆れたように笑っている。
フィオナは何となく、同類の匂いを感じた。
「それじゃあ、話をしましょうか」
「はい。その前に、ひとつだけ確認させてください」
「なにかしら?」
「私は娼婦です」フィオナは一度言葉を切った。「“アルテミス”は女性の多いパーティだと伺っております。私が、こちらで料理を作ることに、抵抗はありませんか?」
シーナは意外そうに目を瞬いた。ナスターシャも少し反応している。
「あら、そんなことを気にしていたの?」
「気にしますね。私の仕事を知って、態度を変える方もいますから」
「そうね。世の中には、そういう人もいるでしょうね」
言葉を区切り、シーナは穏やかに微笑んだ。まるで、それが自分にとっては何の問題でもないと言っているようだった。
「でも、私たちは料理を頼んでいるのよ。娼婦だから、ではない。ギルドマンだって街の人から見れば変わらないわ。乱暴者で、しかも女ってね」
「………」
「それに、ライナたちから聞いたのだけど。あなたの料理は美味しいのでしょう?」
「自信は、あります」
「なら、それで十分じゃないかしら」
あまりにもあっさりと言われ、フィオナは一瞬だけ目を丸くした。
「……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことではないわ。むしろ、こちらこそ美味しい料理を期待しているのだから」
シーナはそう言って、傍らからガラスペンを取り出すと、記録用の革紙を机の上へ広げた。
「では、ええと。まず、時間の確認から。予定は三日後の夕方。料理を出し始めるのは、だいたい日が落ちる頃でいいかしら」
「あ、はい。その日は店休日なので問題ありません」
「それで、人数なんだけど」そこで、ほんの少し言葉を濁した。「二十人前は欲しいわ。食べる子もいるし、その家族にも振る舞いたいの」
「なるほど、分かりました」
「あら。無理を言っていると思ったのだけれど」
「これくらいなら、普段と変わりませんよ」
フィオナは何でもないことのように答えた。“宵の艶花”では、それくらいの人数の食事を用意することなど珍しくない。
「ただ、料理の内容次第では必要な材料も変わります」
「それもそうね」シーナは言った。「希望としては、春の狩猟に向けた料理ね。豊猟を願う内容が良いわ」
「となれば、狩る獲物を料理に使いましょう。保存している肉はあります。今年も獲物に恵まれる、と願掛けになります」
「ええ。そういう意味よ」
フィオナは少し考えてから続けた。
「ただ、料理はどう提供しましょうか。一度に出して皆で取り分けて食べるか、一品ずつ順に出していくこともできますが」
「あら、それはどうやって?」
「そうですね。ウチではコース料理と呼んでいますが……」
フィオナは指を折りながら説明した。相談を受けてから悩んだが、無理に前世の流儀に合わせる必要もないだろう。
「まずは食前酒。酒のつまみに前菜を出して、そのあとに温かいスープ。次に肉料理を出して、最後に皆で取り分ける大皿料理を。それからデザートとお茶、という順番です」
「一品ずつ、順番に?」
「はい。その方が出来立てをすぐに食べられますから」
「――なるほど。それは良いわね」
シーナは感心したように頷いた。
「良いわね。ぜひお願いしたいわ。せっかくなら普段とは違う食事を楽しんでみたいもの」
「分かりました」
そこからはトントン拍子で決まった。前菜、スープ、肉料理。
ただ、次が少し揉めた。
「メイン料理は、ウチの定番のレゴール風パエリア。雑穀を炊いた料理です」
シーナの表情がわずかに止まった。小さく息を吐き、指先で机を軽く叩く。
「雑穀、ね。どんなものなのかしら?」
その声音には、隠しきれない疑念が混じっていた。
雑穀は、都市部ではあまり良い印象を持たれていない。麦が豊富に収穫できるハルペリア王国では、金のない貧民が、安価で不味い穀物で腹を満たすためだけに食べるものという考えが根強い。少なくとも、裕福な者がわざわざ金を払って楽しむ料理とは思われていなかった。
シーナもまた、そうした価値観を持っている。
ただ、フィオナは自信があった。店で出している定番で、客からも評判を得ている料理だった。
「雑穀をスープで炊きます。パエリアは肉や豆などの大きめの具材と一緒に炊いて、最後は少し焦げるくらいまで火を入れます」
「少し想像がつかないわね。肉は何を使うの?」
「ボア肉ですね。秋頃に作った塩漬け肉やソーセージを使います」
シーナはすぐには答えなかった。フィオナの説明を頭の中で反芻するように、しばらく黙って考えている。
雑穀料理という言葉から想像していたものとは、少し違ったらしい。
「――そうね。ライナたちも言っていたし」
シーナは落としていた視線を上げ、フィオナを見やった。
「パエリアをお願いするわ。一度、食べてみなければ分からないし」
「分かりました」
「美味しいものをお願いするわ」
その言葉に、フィオナは小さく頷いた。
「あとはデザートとお茶です。こちらは簡単なものになります」
「ええ。それも楽しみね」
シーナは楽しそうに笑いながら、予定を書き込んでいった。
「前菜、スープ、肉料理、メイン。最後にデザートとお茶……」
ガラスペンが止まる。シーナは書き終えた紙をしばらく眺めていた。
「良いわね」それから、少しだけ口元を緩める。「いつもとは違うけれど、うまくいけば楽しそうだわ」
「そう言っていただけるなら、こちらも助かります」
フィオナは頭を下げた。どうやら、少なくとも料理を始める前から失敗することはなさそうだった。
「そうだ、お酒はどうしましょうか?」
「そうね、食前酒だけ用意してくれないかしら。ナスターシャはどう思う?」
「それでよかろう。ウチは飲む者が多い」
「分かりました」
シーナは小さく笑みを浮かべた。
「そうね。そうなると、料金は大体このくらいかしら?」
シーナは何気なく、端切れに数字を書いて渡してきた。その数字を見て、フィオナの手が止まった。少し気になったのか、ナスターシャも見に来た。
「まあ、こんなものでは無いか?」
「……え、多いのでは?」
フィオナの言葉に、ナスターシャは腕を組み直した。その表情には、わずかな呆れが浮かんでいるように見えた。
「いや、こんなものだろう。料理人を事前に準備させ、半日は拘束するのだ。妥当だろう」
「そうね。これは“アルテミス”からの依頼だもの。安く頼んだとは言われるのは嫌だわ」
「……あー」
そう言われると、フィオナも反対しづらかった。ならば、金額に見合うだけの料理を作ればいい。それで「頼んでよかった」と思ってもらえるなら、それで十分だった。
「分かりました。ありがたく頂きます」
フィオナは頭を下げた。
「それじゃあ、次は実際に厨房を見てもらいましょうか。使える道具や火の数が分からないと、料理の段取りも決められないでしょう?」
「はい。ぜひお願いします」
案内されたクランハウスの厨房は十分な設備だった。竈はいわゆる暖炉型で、左右には鍋を仕掛けられる火床があり、中央には焚火のできるスペースがある。フィオナは竈や鍋の大きさ、調理器具を一通り確認した。
「これなら問題なさそうですね」
フィオナはほっとしたように息を吐いた。
「足りないものはある?」
「いえ、大丈夫です。足りない分はこちらから持ってきますので」
「そう。なら、これで一通り決まったわね」
シーナは頷くと、フィオナへ微笑んだ。
「今日はありがとう。とても楽しみになってきたわ」
「こちらこそ。美味しい料理を用意させていただきます」
三日後に予定された“アルテミス”の食事会について、ひとまずの打ち合わせは終わった。
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