今話から三章になります。
楽しんでいただければ幸いです。
第19話 温かい場所
泊まりの客を見送った後。
朝食を食べ終えた“宵の艶花”の面々は、ひと眠りする前に一つのテーブルを囲んでいた。
「どうしようかしらね、これ」
「へー、結構支払ったわね」
「元とはいえ、さすが貴族だな」
金貨の詰まった革袋は、ずっしりと重かった。謝意金だ。互助会を通じて支払われた。元貴族としての矜持があったのか、類似の事件で支払われる相場よりも多かった。ただし、渡されたのはこの革袋ひとつのみ。他に何も無かった。
「こういうのはパッと使っちゃった方が良いのよね。フィオナ、何かあるかしら?」
「皆で分配しちゃえば?」
正直、見たくもない。シアラと店を脅した代償として寄越した金だ。だが、金は金。これに罪はない。
そんな思いを隠しながらフィオナが言うと、面々はブンブンと首を横に振っていた。グリゼルダは苦笑いを浮かべていた。
「さすがに大金だぞ。それに、店宛てに来たものを貰うのはな」
「でも、前みたいに皆に一時金として配るのは良いわね。他に何かある?」
「お店の錠の交換は、どうですか?」キースが遠慮がちに言った。「特に裏口の錠と閂を強くしたいですし、二階にも知らせられる呼び鈴があった方が良いです」
「そうね。確かにその通りだわ」
「夜なら、二階には客もいるからな」グリゼルダが言った。「客はギルドマンや衛兵が多いのだ。鈴さえ鳴らせば戦える者が何人も下りてくる」
「なら、取り付けた後で動きも決めておきましょう。誰が戸を閉めて、誰が鈴を鳴らすのか。それで良いかしら?」
反対する者はいなかった。フィオナも同じように頷いた。
これで店と皆を守れるなら、受け取った意味もあるのかもしれない。
全員の同意を確かめたシアラは端切れに「錠、閂、警報用の呼び鈴」と書き加えた。
「あとは、お店の拡張でしょうか?」
「それは、少し難しいと思うわ」リリーが答えた。「既に拡張しきってるもの。後は上階を追加するぐらいだけど、それなら新しい店舗を借りた方が早いわね」
確かに、“宵の艶花”のある建物は、既に建物いっぱいまで使っている。都市部によくある間口が狭く、奥行きが深くなっており、横に広げる余地は無い。
「大きくしたら今度は人手が足りなくなるわよ。さすがに時期尚早ね」
「あー、確かにそうですね……」
「拡張なら、厨房はどう?」
「んー、厨房設備は最初に良い奴を入れたからね。現状でも十分だよ。強いて言えば、食糧庫《パントリー》を拡張したいけど……。これは床下収納を作ろうと思ってたから、そこまでかからないよ?」
厨房は土間なので、一角を掘り下げれば簡単な地下貯蔵庫くらいは作れる。それで十分だった。
「後は、野菜を保管するための素焼きの壺とかが欲しいくらいかな」
「壺?」
「うん。中庭の日陰に置いておけば、野菜も少し長持ちするでしょ?」
井戸のそばには、日陰で風通しのいい場所がある。そこに素焼きの壺と砂を使えば、今よりも野菜を保存しやすくなるはずだ。
「……もうちょっと、こう。高いものを言ってほしいわ。欲が無いわね」
「失礼な。ちゃんとあるよ」
「アンタ、食欲とか性欲とかって言うんじゃないでしょうね?」
「……リリー、オチを言っちゃダメだよ?」
「はいはい。あとで相手するから、そこまでにしておきなさい」
シアラが真面目な表情で言うと、少し目を丸くしながらもフィオナは大人しく従った。
朝から本当に、とリリーがため息をついた。周りの面々も苦笑していた。
「まあ、真面目に考えるなら夏用の服やシーツ、肌掛けなんかを買うのに使ったら? 特に屋根裏部屋にはいるよ」
「ええっと、お給金がありますし、今でも十分なのですが」
ヘイゼルが代表して言った。同じ場所で寝ているシャーリーも頷いている。ただ、経験のあるシアラやリリー、グリゼルダは納得した表情を浮かべていた。
「福利厚生は大事。我慢すると暑さで茹って死ぬよ?」
冗談じゃない。以前、本当に危なかった子がいたのだ。それに、熱中症は場合によっては後遺症が残るのを知っている。
屋根裏部屋は夏になると熱と湿気が籠もる。夜働いて昼に眠る彼女たちにとって、かなり厳しい環境だ。
「湿気がね……。夜に冷気を入れてれば最初はマシだけど、結局しんどい」
「そうね。朝から暑すぎて眠れない時もあったわね……」
「レゴールだと炭を置いても服はカビるしな……」
「うわ……、どうにもならないんですか?」
「屋根に漆喰を塗ったり、濡らした麻布で冷やしたりしたけど、気休めにしかならなかった」
身も蓋も無いことを言えば、夏は暑いのだ。
「――そうだな。なら私は薄手のブランケットと、枕が欲しい」
場の空気を察して、グリゼルダが口を開いた。すると、遠慮していた面々も、次々と要望を口にし始めた。
「じゃあ、私は寝間着を頂戴。肌触りが良いのをね」
「あ、私も寝間着が欲しいです」
「僕もブランケットをお願いします」
「えっと、衣類用の乾燥剤をお願いします」
「ふふ。そうね、全員分買いましょう」
シアラがガラスペンを動かし、端切れに一つずつ書き込んでいく。
「あとは、プレイ用の服とか、ドレスに装飾品?」
制服は胸元が露出した女給服だが、客の要望に応じて個室でこれ以外の服に着替えたりする。
「プレイ用というのは?」シャーリーが聞いてきた。
「ランジェリーとか、ドレスとかね? ほら、洗濯物に一部だけ布が無かったり、透けてたりする奴あるでしょ?」
「……へ、へぇ」
「あー、ありますね。洗うのが少し大変なんですよね」
まだ年頃で慣れ切っていないキースやシャーリーは顔を赤らめていたが、ヘイゼルは平然としていた。以前はドロドロに汚れた洗濯物を見て動揺していたのに、すっかり染まってしまった。
「二人を染めようとするなエロ馬鹿」リリーが言った。「そういうのは自分で買うわよ。一時金も出るなら十分。それに、自分のお金で、自分で選んで買ってこそだもの」
「でも、欲しい服とかあったら言ってね。一、二着ぐらいは店で買うわよ」シアラが言った。「えーと、現状だと一時金に店の防犯対策、ブランケットや寝間着、服の乾燥剤。客室用のシーツや肌掛といった消耗品に、壺に床下収納の工事費ね」
シアラが端切れに書かれた文字をなぞり、頭の中で費用を軽く計算して一言呟いた。
「殆ど減らないわね」
「もう残った分は貯金でいいでしょ。そのうち使う時がくるわよ」
「まあ、そうだね。なんか後であるよ」
「……そうねえ、残りは銀行に預けておきましょうか。それでいいかしら?」
特に反対は無く、全員が頷いた。
「それじゃ、後は少し休んでて。フィオナ、銀行へ行くから付き合って頂戴」
「はいよ。着替えるからちょっと待ってね」
外はもうすっかり日が昇り、大通りは朝の賑わいが残っていた。そして銀行の窓口で預け入れを済ませると、シアラは小さく息をついた。
「これでひと安心ね」
「うん、お疲れさま」
店へ戻った二人は、先ほどの約束どおり寝台の上で少しじゃれ合った後、そのまま同じ掛け布に潜り込んだ。
夜通し働いていたこともあり、シアラはほどなく寝息を立て始めた。フィオナもその身体を抱き寄せ、目を閉じた。
* * *
――夢を見ている。
牢の中。固い地面の上に座っている。
寒い。腹が減った。喉が渇いた。
首が重い。身動ぎすると縄が擦れて金具が小さく鳴る。
足音が聞こえる。身体が強張った。嫌だ。来ないでほしい。
そう、思っていたはずだった。
木格子の向こうに人影が見えた。
扉が開く。立ち上がる。言われる前にそうするようになっていた。慣れた。
首輪を引っ張られる。今度は、身体が強張らなかった。
雨が降っている。歩いている。首が重い。足が重い。
どこへ行けばいいのか分からない。
腹が減った。寒い。それでも歩いた。
いつの間にか、一軒の店の前に立っていた。明るい。
軒先には雨に濡れた赤金の看板が掛かっている。
磨かれた表面には、白い大輪の花を象った細工が施されていた。
扉が開いた。
暖かな光の中で、妙齢の黒髪の美女が困ったような表情でこちらを見ていた。
綺麗な人だ。こんな時だというのに見惚れていた。
美女は小さくため息をついて、雨の中に出てきて身を屈めた。
「……風邪をひくわよ。これを羽織って、中に入りなさい」
美女は目線を合わせてから優しく微笑み、肩に服を掛けてくれた。
温かい。
* * *
温かい。
フィオナは目を開いた。寝汗が気持ち悪い。
薄暗い部屋だった。石壁も、鉄格子もない。すぐそばから、規則正しい寝息が聞こえる。目線を下げる。腕の中にはシアラがいた。フィオナの胸元に顔を埋めている。
あの人に、よく似ている。
まだ眠ってから時間は経っていなかった。シアラを抱く腕に少し力を込めた。温かい。でも、足りない。
無理やり、シアラを引き剝がす。
「……ん、フィオナ?」
まだ状況を分かっていないシアラに、フィオナは歯を剥き、荒い息を必死に押し殺しながら覆いかぶさった。
行為そのものはそれほど長く続かなかった。
部屋はひどく散らかった。シーツは皺だらけになり、枕は床に落ちている。はぎ取って捨てた寝間着や棚から引っ張り出した道具がそこらに転がっていた。
シアラは上気した顔と茫洋とした眼で天井を見ていた。力なく横たわる身体は汗に濡れ、赤く染まった肌には痕がいくつも残されている。
シアラの姿と荒い息を聞いて、フィオナもようやく我に返った。
「……シアラ」
「――落ち着いた?」
シアラは疲れたように微笑み、目線を合わせた。怯えた眼をするフィオナの頬をそっと撫で、そのまま胸の中に抱き寄せる。触れ合った肌は熱を帯び、柔らかく吸い付くようだった。まだ激しいシアラの鼓動が伝わってくる。
「また、怖い夢を見たの?」
「……うん」
「私は、ここにいるわ」
「うん」
「寝ましょう? 少し、疲れちゃった」
シアラの胸元に顔を埋める。温かかった。恐る恐る抱き返すと、頭を撫でながら子守唄を歌ってくれた。
今度は、それで十分だった。
「――本当に、フィオナは可愛いわぁ」
シアラは痛みの残る噛まれた首筋を、指先でそっとなぞった。
昼過ぎに目を覚ましたフィオナは、心地よい温かさと気怠さを感じた。自分を抱えるシアラの腕をそっと外して、ベッドの端に座り、薄暗い天井をぼうっと眺めた。
腹の奥にはまだ熱が残っている。吐きたくなるような嫌悪感も渦巻いている。喚き散らしたい。また止められなかった自分に嫌気が差した。
長く息を吐き、シアラの頬を軽く撫でてから起こさないよう立ち上がった。枕元に痕消し用の薄めたポーションを置き、身支度を整えて厨房へ向かう。
厨房では、ヘイゼルとキースが今日の仕込みをしていた。シャーリーは店内の掃除をしていた。
「おはよう、遅れてごめんね」
「あ、おはようございます」
「おはようございます。大丈夫ですよ。下ごしらえまでは殆ど終わってます」
「あ、こっちも確認お願いしまーす」
「……うん、ちゃんとできてる」
三人とも、本当に優秀だ。もう、何をするにも一つ一つ指示する必要がない。
「今日は私が賄い作るから、終わったら少し休んでね」
「はい、では終わったら食器を磨きますね」
「じゃあ、僕は中庭の草むしりしてきます」
「リリー様のお世話にいきます」
「……休んでて良いのに」
誰も休む気がないらしい。
フィオナは苦笑しながら、食糧庫から肉を持ってきた。モングレルが持ってきたクレイジーボアの肉だ。既に昨日のうちに部位ごとに切り分けられている。
「やっぱり、丸ごと生ハムにしてみたかったかな」
ハムなら作ったことはある。塩漬けして燻製したり、暖炉や竈の上に吊るして、じっくりと乾燥させればできる。ただ、暖かくなったこの季節に、これだけ大物だと中心まで塩が入る前に内部が腐る可能性がある。せっかく貰った肉は、美味しく食べたい。
「となれば、良いところを食べようか」
すね肉とシンタマは、今日食べてしまおう。皆で分けて食べれば丁度良い量になるだろう。
すね肉はエール煮だ。鍋に脂を溶かし、塩とスパイスをまぶしたすね肉の表面を焼く。肉を取り出し、脂を吸わせるようにニンニクや玉ねぎ、セロリなどの刻んだ香味野菜と、一口大に切った人参を炒める。人参はしっかり炒めた方が甘みが出て好みだ。甘い香りが立ってきたところで肉を戻す。朝の残りのスープと、樽に残っていたエールを注いでローリエを入れて蓋をし、弱火で煮込む。
煮込んでいる間に、シンタマをローストポークにする。塩と香草、少量の砂糖をまぶして焼き目をつけ、オーブンへ入れる。休ませている間に、スキレットへ残った肉汁へ蜂蜜、酢、マスタードを加えてソースにした。
さて、シチューだ。肉が柔らかくなったら芋を加え、煮えたら隠し味のガストリックを加える。あとは、塩で味を調えれば完成となる。
「……良い匂いがしますね」
磨いた皿を抱えたヘイゼルが、厨房の入口から鍋を覗き込んでいた。
「いいところに来たね。味を見てくれる?」
「はい」
味見用の小皿を受け取ったヘイゼルは表情を引き締め、匙ですくったシチューを口の中でゆっくりと味わった。
「……美味しいです。ただ、もう少し、塩が欲しいです」
その言葉に、フィオナも笑みを浮かべて頷いた。
「うん、私もそう思う」
フィオナは塩を加え、鍋底から静かに掻き混ぜた。再び味見用の皿に盛り、ヘイゼルに渡した。
シチューを飲み込むと、ヘイゼルの頬が自然と綻んだ。
「すごく、美味しいです」
「うん、いい感じ。次はハムかな。ヘイゼルも少しやってみる?」
「はい、是非!」
残ったもも肉は、ハムにすることにした。ヘイゼルに塩と香草を量ってもらい、それを水へ溶かしてソミュール液を作る。二人で肉を桶へ沈め、浮き上がらないよう蓋に重しを載せた。後日じっくりと燻製すれば、ひと月ほどで食べられるようになる。
「ハムは、モングレルさんに食べさせるか」
フィオナは桶に漬け込んだ肉を眺めた。このハムがうまくいけば冷えたエールと一緒に楽しめる。パスタやピザに載せるのも良いかもしれない。できあがりを想像しながら、フィオナは桶を食糧庫にしまった。
煮込みの鍋を保温のため竈の端へ寄せると、フィオナはキース、シャーリーも呼び寄せて、四人で夜の営業に向けた仕込みに取りかかった。
開店前になると、手伝いに来ている娼婦たちを交えて皆で食事になる。朝には革袋が置かれていた卓上を、今は湯気の立つ料理が埋めていた。
今日の賄いは、すね肉のエール煮とローストポーク、黒パン、ピクルスだ。九人で分けると、肉は慎ましい量になった。
それでも中々に豪勢だ。切り分けられ、大皿に盛られたローストポークと、人数分の陶器皿に入ったシチュー。料理からは湯気が立ち、焼いた肉と煮込んだ香味野菜の匂いが食堂いっぱいに広がっている。
「あら、今日は豪勢ね」
「いい匂いです」
「クレイジーボアのシチューとローストだよ。後ろ脚一本分を持ってきてくれた人がいてね」
「ええ、本当に?」
「私たちも食べて良いのかしら?」
「もちろん。皆で食べるために作ったんだから」
席に着き、食事前の祈りを捧げる。祈りが終わると、皆が一斉に匙やフォークを手に取った。
ローストポークはしっとりとして、ボア肉らしい弾力と力強い味があった。ソースを付ければ酸味と辛味が重なり、ボア肉の濃い旨味を引き締める。
エール煮は肉の旨味と野菜の甘み、僅かに残るエールの苦味、香草とスパイスの香りが重なり、濃厚で深いコクのある味わいだった。煮込んでほろほろになった肉が匙だけでほぐれ、人参や芋も旨味をたっぷり染み込んでいる。
「クレイジーボアのお肉なんて久々ね。今日来てよかった」
「このシチュー良いわね。くどくなくて食べやすいわ」
「スパイスは控えめで、野菜が多めだからね」
「パンに染み込ませても美味しいです」
皆の匙がいつもより早い調子でシチューをすくっていく。パンをちぎり、シチューの濃い煮汁を吸わせる。リリーが両隣に座るキースとシャーリーの皿が空いているのを見て、ローストを取り分けて一切れずつ載せた。口直しにピクルスを齧れば、肉の脂がさっぱりと流れていく。
大した話をしているわけではない。今日の料理が美味しいだとか、昨日は忙しかっただとか、開店したらどんな客が来るだろうとか。とりとめのない話ばかりだ。
それでも、湯気の立つ皿を囲んで交わされる、たわいない会話が心地よかった。
これから店が開けば忙しくなる。その前に、皆で食卓を囲む時間を過ごすのをフィオナは密かに気に入っていた。
食事を終えれば、仕事の時間だ。娼婦たちは歯を磨き、匂い消しのハーブ飴を一粒舐めながら化粧を施す。
フィオナの仕事も、いつも通りだった。
「いらっしゃいませ。“宵の艶花”へようこそ」
感想と評価、誤字脱字などがありましたらよろしくお願いします。
1か月間、遊んでました。IRON NESTたーのしー。
誰か多脚移動砲塔の架空戦記を書いてくれねーかなー…。