店休日の“宵の艶花”に、朝から金槌の音が響いていた。
今日は予定していた防犯対策の工事の日だ。職人たちのがなり声が飛び交う中、裏口の錠前と閂を交換し、店内には新しく呼び鈴を取り付けている。
「おーう、できあがったぞ。これならちっとやそっとじゃ抜けねえよ」
「親方、わざわざありがとうね」
「なぁに、簡単なモンよ。お前さんらは金払いがいいから、こっちも気持ちよく仕事できらぁ」
親方が新しく取り付けた裏口の閂を二、三度動かしてみせる。以前のものより一回り太く、受け金も頑丈そうだ。
これで、予定していた防犯対策の工事は一通り終わった。
「様子を見に来たよー」
「なんだ来たのか。こっちはもう終わったぞ」
「ありゃそうなのかい。遅かったか」
扉の向こうには、二人の幼い子供を連れた作業服姿の女性が立っていた。中へは入らず、朗らかな笑顔で親方と話している。
「あれ、女性もいたんだ。娘さんか従業員さん?」
「カカァだよ。俺の奥さん」
「……え、ウソでしょ。若すぎない?」
「俺より二つ年上だぞ」
「ヤだもう、こんなオバさんを褒めても何もないよぉ」
奥さんは嬉しそうな表情で親方の背中をバシバシ叩いていた。かなり音がしている。親方は小さく呻き、そのたびに顔を歪めていた。
娘と言ったのは若干のお世辞も入っているが、なるほど。お弟子さんたちから姐さんとか姐御と言われているのがよく分かる。
「じゃあ、二人は親方の娘さん?」
「そうだな」
フィオナが手を振ると、二人の娘は恥ずかしそうに母親の後ろに隠れてしまった。
フィオナは少しだけ苦笑いした。
「そうだね、せっかく来たんだから奥さんたちも入って。昼食を食べてってよ」
「お、良いのか?」
「たっぷり用意してあるからね。ヘイゼルとキースが作った賄いは美味いよ。今日は野菜スープとパエリア、肉串だし」
「悪いねぇ、お言葉に甘えるよ。ほら、お姉さんにお礼を言いな」
「……ありがと」
「……あがと」
「どういたしまして。お礼はヘイゼルとキースにも言ってね」
作業後の片付けを終え、井戸水で手を洗ってから職人たちも昼食に加わった。奥さんも子供たちもいい食べっぷりだったが、いつもは気さくに話しかけてくる弟子たちだけが妙に礼儀正しい。聞けば、奥さんはマナーにうるさいらしい。決まりごとを守らせる人だからこそ、姐御と呼ばれるのだろう。
しっかりと完食して食事を終えると、職人たちは礼を言って店を出ていった。
「さて、と」
片づけをした後、フィオナは裏口へ向かった。新しくなった錠前を確かめる。鍵を回し、閂を落としてから戸を押した。以前とは違い、びくともしない。
「これなら簡単には破られないね」
「そうだな」
いつの間にか後ろに来ていたグリゼルダが、閂を指先で軽く叩いた。
「だが、これで終わりではないぞ」
「うん?」
「どれほど頑丈な戸でも、開いていれば意味がない。呼び鈴も同じだ。誰も鳴らさなければ、ただの飾りだ」
グリゼルダは壁際から垂れた鐘縄へ目を向けた。
「ちょうど全員いる。今のうちに決めておこう。襲われたとき、誰が何をするのかをな」
グリゼルダが問いかけると、真っ先にキースが手を挙げた。
「僕が侵入者を止めます」
「それは最後の手段だな」
「ですが――」
「まあ聞け。まず戸を塞ぐ。大声で叫べ。次に鈴を鳴らせ。戦うのはその後だ」
グリゼルダは、“宵の艶花”の特殊性を説明した。
「ここを普通の民家と一緒にするな。娼館だぞ。夜なら客室にギルドマンや衛兵がいる。呼び鈴一つで武器を扱える人間が何人も起きてくる」
「でも、その、接客中ですよ?」
「裸でも賊よりは戦える連中だ。先日、そこの娼婦が全裸で戦っただろ」
「呼んだ?」
「……いや、衛兵が強いのは分かってますけど。ぜってーフィオナさんは違うでしょ。あれだけの身体強化使えるなら最低でもシルバーですって」
「それは同意する。だが、現実として事実だからな」
「……それはそうかもしれませんけど」
そう言いつつも、キースはあまり納得した表情ではなかった。それでも周りを見渡してから口を開いた。
「でも、なぜ呼び鈴を鳴らすのです? 大声では足りませんか?」
ふむ、とグリゼルダは小さく頷いた。
「本来なら声だけでも十分だが、ここは色街だぞ。夜中に大声がしたところで、娼婦と客が盛っているか、酔っ払いが喧嘩していると思われるだけだ」
「ああ……」
「だから鐘を三度鳴らす。三度続けて鳴ったら何をしていようが緊急事態だ。そう決めておけば間違えん」
「ふぅん、確かにね。でも具体的にはどうするの?」
一通り話を聞いていたシアラが尋ねた。
「防犯訓練だ。こういうのは何度か実際にやってみた方が早い」
「なーるほど、そりゃそうだね」
他の面々からも反対はなく、一回目の訓練が始まる。
想定は、侵入者が裏口から入り込み、防衛側が物音から気付いて裏庭に出たところから始める。
審判はグリゼルダ。防衛はキースとシャーリー。侵入者役はフィオナで、店員および客役はシアラたちだ。防衛側の勝利条件は店員および客を守り、鐘を鳴らすこと。侵入者の勝利条件は店内に入り込んで店員役のシアラか客役のリリーとヘイゼルに触れることである。
「おっしゃ、やるかなー」
ギルドマンの装備に着替えたフィオナは、準備運動がてらにラジオ体操をして木剣をブンブン振るった。木剣を振る速度が速すぎて剣先が霞んで見えた。それを見たキースとシャーリーはドン引きした表情を浮かべていた。
「おいフィオナ。さすがに身体強化は使うな。死人が出る」
「えー? まあ、しょうがないか」
「本来なら侵入するところからやりたいが、それは別の日にしよう」
「とりあえず、初級編ってところかな」
身体が温まったフィオナは小さく息を吐くと、猫背になって顔をきょろきょろと動かした。
「へっへっへ、きれーなネーちゃんばっかじゃねーか……」
「……なんですかそれ」
「え、チンピラ役だからその真似。襲っちゃうぞー」
「あら怖い。ケダモノに襲われちゃうわー」
「……シアラ、嬉しそうな顔で言うもんじゃないわよ」
こいつらはホントに、と言いたげにリリーは呆れていた。
それらを無視してグリゼルダはまっすぐ手を上げた。
「はじめ!」
開始早々、キースは棒を構えてフィオナへ立ち向かった。シャーリーも援護しようと続く。
「おおォアァ!!」
突然の喊声。“
「ひッ……!」
大声と殺気を叩きつけられ、怖じ気ついた二人の動きが止まった。
「ひひ、ラッキー」
フィオナは二人に突進する。腰の入っていない、慌てて突き出された棒を木剣で打ち払うと、そのまま横をすり抜けた。
「しまっ!?」
「はっ、やい……!」
そのまま開けっ放しの扉を潜り抜けて店内へ入り込んだ。二人が追いかけた時点でグリゼルダが止めの合図を出した。
「そこまで。二人とも失格だ」
「まだ戦えます!」
「戦えるかどうかは聞いていない。呼び鈴は鳴ったか?」
「……いえ」
「扉は?」
「開いたままです」
「なら、お前たちがフィオナを倒すまでに、他の賊が何人でも入ってこられる」
見れば、フィオナは幸せな表情でシアラに抱き着いていた。シアラも満更でもない顔で頭を撫でている。
「それに、フィオナはもう店内だ。守るべき店員や客は既に襲われている。本当に賊だったらシアラたちは無事では済まん」
「………」
「お前たちの負けだ。フィオナに一太刀浴びせたかどうかなど関係ない」
キースは握っていた棒へ視線を落とした。
「……じゃあ、あの時も」
「ん?」
「あの時も僕は、戦わずに逃げるべきだったんですか?」
グリゼルダは顎に手を当てた。あの時――従士たちが襲撃してきた日の状況を思い出しながら目を細めている。
「いや。あのときは既に三人が中庭へ入っていた。お前が退けば、そのまま店内へ押し入られていた」
「…………」
「お前が三人を止め、シャーリーを衛兵のところへ走らせた。あの状況では正しい判断だ」
シャーリーは俯いた。何かを言いかけて、口を閉ざす。
「私は、逃げました」
「違う。逃げたのではない。応援を呼びに行ったんだ」
「でも……」
「シャーリーまで戦っていたら、誰が衛兵を呼んでいた?」
「……私は、役に立っていましたか?」
「二人とも自分の役目を果たした。だから店の者が全員無事だった。それは誇るべきことだ」
二人の目に力が戻っていた。キースは握っていた棒を改めて握り直し、シャーリーも顔を上げた。
グリゼルダは満足げに頷いて横を見た。不安げな表情だったリリーもヘイゼルも、顔を綻ばせていた。その隣で、フィオナがまだシアラに抱き着いたまますっかり甘えた様子で胸元に顔を埋めていた。
「……フィオナ、そろそろ二回目をするぞ」
「えぇー」
「ほら、行ってきなさい」
「はーい」
名残惜しそうにシアラから離れ、フィオナは木剣を肩に担いで中庭へ戻った。キースとシャーリーもそれぞれの位置へついた。
「んじゃま、次もサクッと勝っちゃおっかなー。ひっひっひ」
フィオナは木剣を振りながら少し煽ってみたが、二人とも先ほどと違って表情を崩さなかった。
悪くない。よく集中しているのが分かる。
「では、用意――はじめぇ!」
二回目が、始まった。
「しゃオラァ!!」
「シャーリー!」
「うん!」
シャーリーは振り返らず、真っすぐに扉へと向かった。
「逃がさな――」
「せい!」
「おっ?」
追いかけようとしたフィオナに、キースはステップを踏んで小刻みに後退しつつ、棒を振るった。コンパクトで鋭く、膝を狙った一撃だった。
木剣で防いだがフィオナの足が止まった。
「キース!」
「とぉっ!?」
シャーリーが振り向きざまに投じたのは
その隙に、キースは扉の中に後退していた。同時にシャーリーが扉を閉め、キースが閂を下ろす。
ドン、と扉が叩かれるも補強された扉はその程度では揺るがなかった。
カラン、カラン、カラン――。
三度続けて、けたたましい音が店内へ響いた。
「そこまで。今度は二人の勝ちだ」
「――おっし!」
「ふぅ……」
「いやー、やられたねー」
グリゼルダに扉を開けてもらい、フィオナは笑みを浮かべて入って来た。
「戸は閉じた。鈴も鳴った。あとは客室にいるギルドマンと衛兵が下りてくる。賊がフィオナほど強かったとしても、もう好きには動けん」
「だね。高レベルの強化が使える奴ならぶち抜けるだろうけど、それなら私かグリゼルダが飛び出すしね」
二人は閉ざされた扉と呼び鈴を見比べ、揃って頷いた。
訓練は、役割を入れ替えてもう一度行われた。
今度はシャーリーが足止め、キースが呼び鈴を鳴らす役だ。シャーリーも牽制しながら下がり、キースは脚に古傷があるため早く走れなかったが、棒を使いながらうまく身体を支えて呼び鈴まで最短経路で辿り着いた。
「シャーリーも動きは悪くないけど、そうだね。二人とも身体強化を覚えようか」
「え、そんな簡単に覚えられるものなんですか?」
「コツはいるけどね。二人とも下地はあるし、それにシアラもリリーも使えるよ」
「私たちのは簡単なものだけどね」
「え、何に使うんです?」
「身を守るためもあるけど、重い胸を支えるのに便利だし、垂れないんだよ」
「あー……」
フィオナがパシパシと胸を叩くと、キースは納得した表情で頷いた。その視線がフィオナからシアラ、リリーへと順番に動く。
「お兄ちゃんスケベね」
「いや、しょうがなくない!?」
「まあまあ」フィオナは言った。「あとは、投石紐を使うのもアリかな。目潰し玉もあるけど」
「はぁ、それは?」
「卵の殻の容器に毒虫や毒草、唐辛子なんかをすり潰して混ぜて詰めたものだね」
「……それ、目に入れて大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないから使うんだよ。獣にも虫にも効くよ」
「ほぉ、それは良いな。ただ毒が強いな。唐辛子と灰だけにして何個か置いておきたい」
他にも使えそうなものをいくつか挙げたところで、グリゼルダが手を叩いた。道具については後から揃えればいい。それよりも、最後に見せておきたいものがあるらしい。
「では、最後に私がやってみせよう」
「グリゼルダが?」
「不満か?」
「いや、流石にキツいから強化を使うよ?」
「構わん。その代わり私はスキルも使うぞ。あと攻撃はなるべく寸前で止めろ。まだ死にたくない」
配置につき、二人は相対した。フィオナは木剣を両手で右肩に担ぐような上段の構え。グリゼルダも木剣を片手持ちで突き出して構え、厨房へ通じる扉の前へ立った。
「始め!」
「おあァ!!」
身体強化を使ったフィオナが、気合と砂煙と共に一息に間合いを潰す。
「“
グリゼルダの片目に黒い魔力が灯る。姿が揺らめき、黒い影が滑るようにしてフィオナの正面に踏み込んだ。
上から叩きつけられるフィオナの剛剣へ、グリゼルダは鋭く相打つように振るう。打ち合った剣を受け流し、軌道を斜めに逸らす。
――ジャオン!
中庭に濁った音が響いた。
「ぬぐっ、馬鹿力だなッ!」
「いなして、それはないんじゃないかなッ!?」
フィオナは崩れた態勢から強引に足を踏み込み、下段から切り上げた。
「“
咄嗟にグリゼルダは両脚で地面を蹴った。無理をさせた左足から激痛が駆け上がる。それを歯を食いしばり、気合でねじ伏せた。フィオナの木剣は唸り声をあげて空を斬っただけだった。グリゼルダは左脚を庇いながら一息に厨房へ飛び退いた。
フィオナは息を変え、前傾姿勢になって本気で追う。
「“
「ッ、“
扉の向こうから放たれた無数の刺突がフィオナへ殺到する。フィオナは咄嗟に木剣を立て、“鉄壁”を発動した。そのまま木剣を盾に頑丈になった身体で強引に突きを弾きながら前へ出る。
だが、その数瞬でグリゼルダはさらに距離を稼いでいた。
グリゼルダは傍らに立てかけてあったつっかえ棒を蹴った。棒が床を滑り、フィオナの足元へ転がる。フィオナがそれを飛び越えた瞬間、今度は調理台から鍋が飛んできた。
「うわっ、ちょっ、鍋ぇ!?」
フィオナは反射的に木剣を投げ捨て、飛んできた鍋を両手で受け止めた。
その隙にグリゼルダは裏口の扉を蹴り閉め、閂を受け金へ落とした。直後、轟音とともに扉が軋んで建物が揺れた。フィオナが体当たりしたのだ。
だが、フィオナは間に合わなかった。グリゼルダは壁際から垂れていた鐘縄を掴んだ。
カラン、カラン、カラン――。
「そこまで!」
キースの声に、フィオナが動きを止めた。
「うわ、やられた……」
閉ざされた扉を前に、フィオナはしばらく呆然としていた。本気で追ったのに、あと一歩が届かなかった。かなり悔しい。
扉を開けてもらうと、グリゼルダは壁に寄りかかって痛みと疲労で顔から汗を滴らせていた。それでも、してやったりと笑みを浮かべた。
「すまない、椅子を頼む……」
ヘイゼルが持って来た椅子に座り、汗を拭って左脚を伸ばしながら一息ついた。
「見ただろう。私はまともに走れない。今は正面からやればフィオナにも勝てん」
「でも、呼び鈴は鳴らせた」キースが言った。
「そうだ。必要なのは賊に勝つことではない。戸を閉め、店の者を起こすまでの時間を作ることだ」
キースは自分の脚を見下ろし、それから壁の鐘縄を見上げた。
「……あそこまで、届けばいいんですよね」
「そうだ」
グリゼルダはそれ以上何も言わず、小さく鼻を鳴らした。シャーリーが、ほんの少し肩の力を抜いたのが見えた。
「しかし、フィオナを止めるとはねぇ。まだ現役でいけるんじゃないの?」
リリーの言葉にグリゼルダは苦笑いして首を振った。
「無茶をいうな。あの一回だけでもう足が動かん。バロアの森に潜ることもできんよ」
「これでも、本気で追ったんだけどねぇ」
「お前を倒す必要など最初からないからな」
惜しいな。フィオナは受け止めた鍋の重さを感じながら、そう思った。
正直、本気でやって負ける気はなかった。こちらは万全。グリゼルダは“猟犬”と謳われたギルドマンとはいえ、それは十年近く前の話だ。その異名を支えた機動力も、左足の腱の断裂で殆ど失われている。なのに届かなかった。ここまで強いとは思わなかった。
「繰り返しになるが、お前たちの仕事は賊を倒すことではない。戸を閉め、この鈴を鳴らすことだ。それができれば店は皆で守れる」
「はい!!」
二人の返事に迷いはなかった。グリゼルダは満足そうに頷いた。
「ところでグリゼルダ」
「なんだ?」
「どうして一番高い鍋を投げたの?」
フィオナは受け止めた鍋をひっくり返し、傷がないことを確かめた。目が笑っていない。
「……手近にあったからだ」
「二度と投げるなよ?」
「……ああ、わかった」
「……まぁ、いざという時なら良いけどね」
もっとも、その“いざという時”が来ないに越したことはない。新しい閂と呼び鈴が、ただの飾りであり続けてくれることをフィオナは願った。
感想と評価、誤字脱字などがありましたらお願いします。
さーてもう書き溜めなくなったぞ、どーすっかなー…