「こんにちはー……」
カランカラン、とドアベルが鳴った。
声に気付いて入口へ目を向ければ、入ってきたのはウルリカだった。一人だけらしい。腰を絞った女物のレンジャー服に滑らかな革の胸当てを着け、スカートの下に野外用のブーツを履いている。いつものギルドマン姿だ。
手には仕留めたらしい鳥を提げていた。
「い、いらっしゃい。フィオナさんに御用ですか?」
店内を掃除していたキースは少しぎこちない笑みを浮かべていた。
「うん、呼んでくれるー?」
「はい、少々お待ちを……」
厨房から出てきたフィオナはウルリカを見るや、両手の人差し指を頬に添え、満面の笑みを浮かべてみせた。
「いらっしゃい。ご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも、わ・た・し?」
「えっ!?」
「──なんてね。冗談だよ」
「あ、あはは……、そうだよねー……」
キースはこちらを微妙な表情で見ている一方、ヘイゼルは黙々と下ごしらえを続けていた。
「それで、今日はどうしたの?」
「あ、えーと、パフ鳥を持って来たの」
ウルリカは手に提げていた獲物を持ち上げた。既に特徴的な綿毛は綺麗にむしられ、足を紐で一纏めに括られている。マルッコ鳩やサンセットコケッコに比べたら細身だが、十分な大きさだった。
「この前言ったやつだよー。羽は取っちゃってるけど、多めに獲れたから持って来たんだ」
「へぇ、良い大きさだね。三羽とも買い取っていいの?」
「うん。そのつもりで持って来たからねー」
「はいよ、ちょっと待っててね」
フィオナは三羽を受け取ると、重さと肉付きを確かめた。パフ鳥はどれも肥えている。また獲ってすぐに処理したのだろう、肉の品質もかなり良い。
さすがは“アルテミス”のシルバーランク。腕の良い狩人だ。
「──うん、形も良いし血抜きもちゃんとしてある。これなら──このぐらいかな」
「えっ、こんなに良いの? 多くない」
「多くないよ。この大きさで血抜きもちゃんとしてあるし、こっちで処理する手間も殆どない。むしろ店で買うより安い金額だよ」
「──じゃあ、この金額で」
フィオナは代金分の硬貨を数え、ウルリカに手渡した。
「まいど。せっかくだし、何か食べていく?」
「いいのー?」
「もちろん。いい鳥を獲ってきてくれたし。希望はある?」
「じゃあ、オルゾットと肉団子をお願いします」
「はいよー」
買い取ったパフ鳥を厨房の風通しの良い場所に吊るすと、ヘイゼルが声をかけた。
「フィオナさん、私が作りますよ」
「え、いいの?」
「はい。今の仕込みももう終わりますから」
「じゃあ、お願いしようかな」フィオナは振り返った。「キース、そっちはどう?」
「あ、大丈夫です。もう掃除も洗い物も終わりますね」
「ありゃ」
どうしよう。手持ち無沙汰になってしまった。パフ鳥の仕込みでもするか?
そう考えていると、何やら言いたげにこちらを見ていたウルリカと目が合った。口をもごもごとさせている。
「どうしたの?」
「あー、その、フィオナさん」
「ん?」
「その……、ちょっと相談したいことがあるんだけどぉ」
「相談? あー、二階の個室ならあるけど、そっちで大丈夫?」
「え、あっ、うん。大丈夫……」
「そう? ヘイゼル、少し上にいるから後はお願い」
「はーい」
「わー……」
フィオナはウルリカを連れて二階に上がった。一番手前の個室のプレートを使用中に変え、中に案内する。
二階の個室は、接客するためだけの部屋だった。
薄暗く、広さは四畳半程度。その大半をダブルベッドが占め、脇に小さなナイトテーブルと丸椅子が置かれている。
「うわぁ……」
「ごめんね、こんなところしか空いてなくて」
「えっと、どこに座れば……?」
「ベッドに座った方が良いかな。椅子は小さいし」
ナイトテーブルの照明に火を灯すと、フィオナは丸椅子に腰掛けた。肉付きの良い尻が椅子からはみ出ている。
ウルリカは少し迷ってから、ベッドに腰掛けた。見るからに緊張した様子だった。
「それで、相談ってなに?」
「あー……、えっとねー……」
「うん」
「…………その」
「言いづらいこと?」
「まあ……ちょっと……」
「もしかして、私を買いたいとか?」
「ち、違うよー!」
ウルリカは顔を赤くし、慌てて両腕を身体の前でぶんぶんと振った。
振ったのはこっちだが、そこまで全力で否定されるとちょっとショックである。
「そこまで否定しなくても……。じゃあ何?」
「えっと……身体のことで……」
「身体?」
「その……胸っていうか……」
ウルリカはしばらく言い淀んでいたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「乳首が、ちょっと、装備で擦れて痛くて……。抑える方法が、無いかなーって……」
フィオナは一瞬目を丸くしたあと、なんだそんなことかと表情を緩めた。
「ほーん、なんだそんなことね」
「そんなことって……」
「ごめんごめん。まあそれは男女関係なく、擦れて痛いのはよくある話だよ」
「そ、そうなの……?」
前世でも、運動する人の中には乳首が擦れないようにニップレスや絆創膏を貼る人がいた。何もしないと、服が動くたびに乳首が擦れ、強い痛みと出血で体力を削られるからだ。
「そもそも、軍の偵察兵も乳首に布を接着剤で貼って保護しているそうだよ。重い装具を身に着けて長時間動き回るし、行動中は清潔に保てないからね。余計な消耗と感染症を防ぐのに良いらしい」
「へぇ、詳しいんだね」
「上に乗って腰振ってるときに、本人から聞いたからね」
ウルリカは一瞬きょとんとしたあと、じわじわとなんとも言えない表情になった。
「だから、珍しいことじゃないよ」
「うわー、そうなんだ……」
「一応、どんな具合か見てもいい?」
「え、う、うん……」
了承はしたものの、実際に見せるとなると話は別らしい。ウルリカはしばらく胸元を押さえたまま迷っていたが、やがて意を決して胸当てを外した。そして、えい、と勢いよく服を捲り上げた。
フィオナは丸椅子から立ち上がり、露わになったウルリカの胸元を眺めた。
こうして見ると、白い肌で華奢だけどしっかりと男の子だ。
「な、なに?」
「いや、ちょっと見てるだけ」
「分かってるけど……、じっと見られると、ちょっと恥ずかしいねー……」
「ごめん。少し我慢してね」
素肌に息が触れそうなところまでフィオナは顔を近づける。乳首の周囲は赤みを帯び、ぷっくりと膨らんでいる。フィオナは状態を確かめるように、その縁を指先でそっとなぞった。
「ひゃ……、あっ、ん……」
フィオナは僅かに眉を上げた。
「少し腫れてるね。赤くなってる」
そのままもう一度じっくり確かめてから、フィオナは身体を離した。
「うん。今のところ酷くはなさそう。擦れてるところが治るまでは、なるべく刺激しない方が良いね」
「う、はい……」
「どうしたの?」
「なんでもないよー……」
ウルリカはどこか気まずそうに目を逸らし、捲り上げていた服を元に戻した。
「これなら保湿して、治ったら覆いをすれば問題無いかな。ちょっと待ってて」
そう言って、フィオナは個室を出た。暫くして、編み籠を持って戻ってきた。
そこから木製の小さなクリームジャーを取り出した。
「これが塗る奴。馬油だね。少し高いけど良いよ」
「馬油?」
「肌が乾いたり荒れたりしたときに使うの。小指でちょっと取って、薄く塗っておけばいいよ」
「えっと、どのくらい?」
「ほんの少しでいいよ。ほら、塗ってあげるからもう一回見せて」
「う、うん……」
ウルリカがもう一度服を捲り上げる。フィオナは指先に馬油を取り、赤くなった部分へ薄く塗り広げていく。
縁をなぞり、突起に指を滑らせる。そのたびにウルリカは小さく吐息を漏らし、肩が跳ねた。
「このくらい。べたべたになるほど塗らなくていいからね」
「分かったー……」
ウルリカの顔が赤くなっていた。熱い吐息も漏らしている。まあ、恥ずかしいのだろう。
続いて取り出したのは、柔らかな布で作られた小さな円形の覆いだった。
「……それは?」
「ニップレス。一番大事なものかな。これを飾り付けると連合諸国の踊り子とか、ショーに出る娼婦が使っているものになる」
フィオナたちも仕事で使うことがある。柔らかな布でできており、裏側に樹脂系の接着剤を塗って肌に貼り付けるものだ。
「これは私の普段使い用だから、上から肌着を着ても分からないよ。ただ、今みたいに赤くなってるときは使わない方がいいね」
「あ、接着剤が染みる?」
「それもあるし、剥がすときに余計に傷めるから。まずは馬油を塗って治す。治ったらこっちで保護する」
「なるほどー……」
「色街でも売ってるけど、ニップレスは自作した方が良いかな。使うのは、できるだけ柔らかく通気性の良い布ね。馬油は化粧品を扱っている店で買える。場所は分かる?」
ウルリカが小さく頷いた。フィオナはそれを返事と受け取り、ニップレスを数組まとめて差し出した。
「じゃあ、これはあげる。作るときの見本にして」
「いいのー?」
「うん。ただし、今は使っちゃ駄目だよ。赤みと痛みが引いてからね」
「分かった。ありがとう、フィオナさん」
ウルリカは受け取ったニップレスを珍しそうに眺めてから、鞄にしまった。
「とりあえずこれぐらいかな。他にある?」
「うん、大丈夫かなー」
そう答えながらも、ウルリカの視線はフィオナと床の間を落ち着きなく往復していた。
「──本当、に?」
「え?」
フィオナは立ち上がると、ずい、と顔を近づけた。
驚いたウルリカが後ずさる。背中が壁についたところで、フィオナはその横へドン、と手をついた。
「あ、ああっ……」
「わざわざ、二階まで上がったのにね……」
「な、なにがー……?」
顔を逸らしたウルリカを、フィオナはさらに覗き込む。顔には淫蕩な笑みが浮かび、金眼が妖しく光った。
「それとも──」
「フィオナさーん、食事の用意ができましたー」
階下から響いたヘイゼルの声に、フィオナは瞬きを数度行った。いかにも残念そうな表情で壁から手を離す。
「──はぁ、ごはんだし降りようか?」
「え、うん……」
釈然としない顔のウルリカを残し、フィオナはさっさと部屋を出ていった。
階段を下りる途中で、背後からぱたぱたと足音が追いかけてくる。
「もう、待ってよー」
振り返ると、ウルリカは僅かに頬を膨らませていた。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
「そう?」
何が不満なのだろう。手を出さなかったことか?
フィオナは首を傾げ、そのまま一階へ下りた。後ろから小さくため息が聞こえた。
食堂には肉の焼ける香りが漂っていた。
厨房ではヘイゼルがフライパンを握っている。鍋では麦が煮え、細かな泡を立てていた。こちらは注文されたオルゾットだろう。
「あ、フィオナさん。味見をお願いします」
「うん」
身嗜みを整えて手を洗う。味見用の小皿と匙を貰い、オルゾットの味を確かめる。チーズの風味と野菜と茸の出汁が重なっている。大麦の茹で加減も塩加減もちょうど良い。
「うん、うん。美味しいね」フィオナは笑みを浮かべた。「今度から私に味見させなくていいよ。ヘイゼルの判断で出して構わない」
「え、本当ですか?」
「うん。ウルリカさんに出してあげて」
ヘイゼルは嬉しそうにフライパンを傾け、焼き色のついた肉団子を皿へ移した。鍋から掬ったオルゾットも別の深皿へ盛り、最後に刻んだ香草を散らした。
手際はまだフィオナほど速くない。それでも以前のように、一つの作業を終えるたびこちらを窺うことはなくなっていた。
「お待たせしました。オルゾットと肉団子です」
「わぁ、美味しそう!」
ウルリカの前へお盆に載せた料理が並べられる。
湯気の立つオルゾットと照りのあるタレをまとった肉団子。そして冷ました麦茶。
ウルリカは嬉しそうにフォークを手に取った。まずはオルゾットを一口。
「んー!」
すぐに口角が上がり、細めた目はすっかり笑っていた。
「美味しい!」
「ありがとうございます」
ヘイゼルがほっと息を吐いた。それから少し誇らしげに笑みを浮かべた。続けて肉団子へフォークを入れた。表面にはしっかり焼き色がつき、中から肉汁が滲んでくる。それを一口で頬張り、何度か咀嚼した。
「これも美味しい。ヘイゼルちゃんが作ったんだよね?」
「はい」
「料理人なんだー」
「まだ見習いですけど」
照れ臭そうに笑って厨房へ戻っていく。本当に料理人らしくなった。
「フィオナさん、嬉しそうだねー」
「そりゃまあ、嬉しいよ」
自分が教えた相手が、自分の手を借りずに客へ料理を出せるようになったのだ。少し前までは、何をするにもこちらの指示を待っていたのに。
そのことにフィオナは嬉しい反面、寂しさを感じていた。心の奥底に何かが渦巻いているのは、気付かないようにした。
そのまま他愛無いお喋りをしながら、やがてウルリカは料理を綺麗に平らげた。最後に残った麦茶を飲み干す。
「はぁ、ヘイゼルちゃん、美味しかったー」
「はい、お粗末さまでした」
ヘイゼルが厨房から顔を出す。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
「あら、もう?」
「…………うん。ご飯も用事も終わったし」
途端に歯切れが悪くなった。それに気づいたフィオナは、ちょっかいをかけることにした。
「また困ったことがあったら来てね。私で分かることならね」
そこで一度言葉を切った。フィオナはひょい、と上体を伸ばして、唇をウルリカの耳元に近づけた。
「胸でも、お尻でも、他の場所でも、ね」
「──っ!」
ウルリカの肩が跳ねた。顔は一瞬で沸騰して真っ赤に染まっていた。その様子を見てフィオナはクツクツと喉を鳴らしながら娼婦の笑みを浮かべた。
「ふぃ、フィオナさん……!」
「いつでも来てね。何でも相談に乗りますから」
「な、なんでも……?」
ウルリカは生唾を飲み込んだ。何かを言いかけるように、唇が僅かに開いた。
「まっ、また今度で! さよならー!!」
「はいはい。気をつけてね」
ドアベルを勢いよく鳴らしながら、ウルリカは小走りに立ち去っていった。見送ったフィオナは、しばらく閉じた扉を眺めた。
「フィオナさん、からかい過ぎですよ」仕込みを終えたキースが言った。「別にお客さんとしてきたわけじゃないのに」
「そう? 娼婦はこんなもんだよ」
「いや、いまは普通の人でしょ……」
「あ、あー……」
言われて、フィオナはやっと自覚した。
そういえばそうだった。見境なさすぎかこれは。
「……やっぱ、おかしい?」
「最近はちょっと。何かありましたか?」
心当たりは、あった。久々にあの夢を見てからだ。あと最近、客を取っていない所為なのかもしれない。どうにも歯止めが緩くなっている気がする。
「……ちょっと欲求不満なのかもしれない」
「ええ……? それシアラさんに言ってくださいよ」
「だよねぇ」
キースの言う通りだ。シアラに相談しよう。あと今日から客を何人か取ろうか。またおかしくなったら嫌だ。
「フィオナさーん、ウルリカさんが持ってこられた鳥はどうしますかぁ?」
「ん? ああ、そうだった」
厨房からのヘイゼルの声に思考が途切れた。
フィオナは腕まくりをした。
「新鮮な丸鳥だし、一羽は今日食べちゃおうか。残りの二羽は塩を振って吊るしておこう」
大きさからして一人につき一切れぐらいになるだろうが、楽しむにはちょうど良い。残りの二羽も、早いうちにコンフィかスープにして食べるのが良い。
「どんな料理にするんですか?」
「そうだね。土鍋を使って蒸し焼きにしようか。本当は泥で包んで焼くんだけどね」
「泥で……?」
「元は野外料理だから。キース、桶に水をお願い」
「はぁい」
吊るしていたパフ鳥を作業台へ移す。
改めて手に取ってみれば、やはり良い鳥だった。
獲物を仕留めるだけなら難しくない。しかし、商品として持ち帰るとなれば話は別だ。肉付きのよい獲物を選び、できるだけ肉を傷めず、皮を破らず、処理を済ませなければならない。
これだけで、ウルリカが腕の良い狩人だと分かる。
せっかく持ってきてくれた、都市内では珍しい獲物だ。ならば料理する側も、それに応えなければならない。
「さて」
フィオナは包丁を手に取った。さあ、料理だ。
店の外では、春の精霊祭がもうすぐそこまで迫っていた。
感想と評価、誤字脱字などがありましたらお願いします。
遅くなりました。
これでいいのか、かなり悩みました……。これセーフだよね?