楽しんでいただければ幸いです。
穏やかな春の日が続いている。
ギルドマンにとっては小物が多い時期とはいえ、冬に比べれば仕事が多い。冬の間は遊びに来れなかった客たちも、依頼で稼いだ銀貨を握りしめてやって来るようになった。
一方で、食事目的の“若木の杖”は団長の気分次第でふらりと立ち寄ったり、“大地の盾”は節約のためかいつもパエリア鍋を頼んでいた。
“収穫の剣”もまた雪解けとともに高難度の依頼を受けて回り、精霊祭前になってレゴールの街に戻ってきていた。当然、娼館が寝床のディックバルトは稼いだ金を持って色街にやって来た。“宵の艶花”にも連日顔を出し、精力のつく料理を食べて、そのまま二階に泊まっていくこともある。流石のフィオナでもその接客で疲弊した――ただし意地でも表には出さなかった――が、それはさておき。
朝の食事を終え、宿泊客を送り出したあと。面々はゆったりと食後のお茶を楽しんでいた。
湯気の向こうでシアラが帳簿を閉じたのが見えた。フィオナは、カップを置いて何気なく口を開いた。
「ねぇシアラ。今度の休みにさ、デートに行かない?」
「――えっ?」
「ちょ、シアラ、カップから茶が零れてるわよ」
「え、あ……」
言われてシアラが慌ててカップを置く。幸い、零れたのは少量で帳簿には掛かっていなかった。テーブルを布巾で拭きながらフィオナは首を傾げる。
「そんなに驚くこと?」
「驚くわよ。だって……、で、デートでしょう?」
「うん」
また何か始めたよ、と周りの面々も会話を止めて二人を見ていた。
「どうして急に?」
「ほら、この間の精霊祭。モングレルさんとライナさんがデートしてたでしょ」
「え、ああ。そうね……」
「そこで気になって思ったんだけど。シアラと散歩はしても、デートはしたことないなって」
以前暮らしていた宿場町では、白髪が目立つフィオナは気軽に外を出歩けなかった。仲間に迷惑をかけるから、と早朝か夕暮れの、人通りの少ない時間帯でしか一緒に歩けなかったのだ。
そのことに不満はなかった。ただ、先日の二人は人混みの中でも気にせず、凄く楽しそうだった。
羨ましい、と気付いたのは店に戻ってからだった。
「だから行ってみたいな、って」
シアラはしばらくフィオナの顔を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……そうね。そういうところは貴女らしいわ」
「どういう意味?」
「何でもないわ」シアラは笑った。「それで、どこへ行くの?」
言われて、フィオナは人差し指を自分の頬に当てた。
「一応、考えてあるよ」
「そうなの?」
「うん。お昼過ぎぐらいに市場を見て回って、それからお茶しようかなって。夜はお店に戻って私がご飯を作る感じかな。シアラの好物を作りたいし」
「あら、本当に?」
「せっかくのデートだから、シアラに楽しんでほしいしね」
その言葉に、シアラは少しだけ目を伏せた。思わず茶器を持つ指に力が籠った。胸の奥がそっと撫でられたような疼きがあった。
「……そういうことを、さらっと言うのよね」
「え?」
「何でもないわ」
誤魔化すように、シアラは茶を一口飲んだ。心を落ち着かせるためにゆっくりと味わい、それから柔らかい笑みを浮かべた。
「デート、私も楽しみよ」
「じゃあ、決まりだね」
それだけの約束だ。けれどシアラにとっては、それだけではなかった。
これまで二人で過ごしてきた時間はそれなりに長い。娼婦として働き、同じ部屋で眠り、同じ食卓を囲み、同じ仕事をする。朝になれば二人で風呂に入る。
それでも。改めて「デートをしよう」と誘われたことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……フィオナ」
「ん?」
「その日は、ちゃんとお洒落して行くわね」
「本当に? 楽しみ」
フィオナは本当に嬉しそうだった。シアラの手を取り、頬を赤らめ、花がほころんだような笑みを浮かべている。普段は見せないそれを、シアラは間近で見てしまった。
「……あーあ」
「……本当にたらしですねぇ」
「これだから性質が悪いのよ、コイツは」
「……リリー様、前にもこんな事が?」
「あの顔を見ちゃった客が本気になったわ」
「怖いなぁ……」
周りの面々がぼそぼそと言い合う中、当のシアラは堪えきれず、俯いたまま顔を上げられなくなった。耳まで真っ赤に染まっていた。
「あれ、大丈夫?」
「……大丈夫よ、ええ、私は大丈夫」
「そう? ねぇ、どんな服を着てくるの?」
「当日までのお楽しみよ」
「そっか」
フィオナは深く考えず、皆のカップが空いているのを見て茶を注ぎ回った。その姿にシアラはため息をつきつつも、目はフィオナを追いかけていた。まだ顔は熱い。茶を一口飲み、頬を緩めた。
――今度の休みが、待ち遠しくなった。
* * *
連日の雨も止み、デート当日はいつも通りの昼食の席から始まった。
起きてきた順に皆で食卓を囲む。今日はキースが作った塩味のボリッジとカリカリに焼いたベーコンだった。いつもと違うのは、食べ終えたあとシアラが「先に支度をするわ」と二階へ消えたことだけだった。
そして、それが長かった。
待つこと小一時間。階段を下りてきたシアラを見て、フィオナはモップ掛けしたまま固まった。
濡羽色の髪はシニヨンにまとめられ、うなじが涼しげに晒されている。纏うのはフリルのついたトップスに、コルセットで腰を絞った淡い藍色のスカート。化粧は店で見るものより控えめだ。それがかえって、素の顔立ちの美しさを際立たせていた。
「……どうかしら」
「きれい」
考えるより先に言葉が出た。シアラは目を丸くして、それから「そう」とだけ小さく返し、視線を逸らした。その指がスカートの裾をつまんでいる。
「次は貴女の番よ。少しお洒落にしたいわ」
「えっ、私は――」
「さあ、こっちにいらっしゃい」
楽しそうに手を引くシアラに、フィオナは抵抗するのを諦めた。せっかくのデートで悲しませたくないし、こういう時の彼女はかなり頑固なのだ。
二人の個室に入ると、
「これが、私の服?」
「ええ、前に買っておいたの。いつか着てもらおうって思ってね」
「いつの間に……」
「ふふ、いいから着てみて」
促されるままに着替えると、次は髪だと
「……うん、やっぱり。凄く似合ってる」
「そう、かなぁ? 違和感があるけど」
「とても可愛いわぁ」
久しぶりのスカートが何となく落ち着かず、フィオナは何度も足元に目を落とした。
「いつもの髪飾りは、どうする?」
「……今日はつけない。リボンがあるし」
シアラは一瞬目を丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。あれは大事な髪飾りだが、今日ばかりは身に着けるのも違う。……よくよく考えたら、私は今の恋人の前で、あの人から贈られたものを平然と身につけていたのか。酷いわ。よく引っ叩かれなかったな。
笑顔のままのシアラを横目に、最後に持ち物を確認する。太ももにバンドを巻いてナイフを忍ばせ、小さな肩下げ鞄を持って部屋を出た。
食堂に戻ると、リリーたちが集まっていた。出てくるのを待っていたらしい。
「あら、二人とも素敵じゃない!」
「フィオナさん、可愛いです!」
「こりゃまた随分と雰囲気が違うな」
口々に褒められ、フィオナは思わず苦笑した。シアラはというと、満面の笑みでフィオナの腕を取っている。
「どう? 私が選んだのよ」
「ええ、とても似合っています」
ヘイゼルまで感心したように頷いている。キースとシャーリーもこちらを見て笑っていた。
「なんだか見世物になってない?」
「いいじゃない。皆、褒めてくれているんだから」
「それはそうだけどさぁ」
どうにも気恥ずかしい。ただ普段と違う格好をしているだけなのに。シアラはそんなフィオナを見て、ますます頬を緩めた。
「それじゃ、行ってくるわね」
「はいはい。楽しんできなさいな」
リリーに見送られ、二人は店を出た。
外はよく晴れていた。春の心地よい風が頬を撫で、緩く束ねた白髪が肩のあたりで揺れる。それが少しばかり新鮮だった。
「それじゃ、市場から見てみようか」
「そうね」
歩き出そうとすると、シアラは身体を離し、代わりに指を絡めてきた。
「……こうして歩くのも、久しぶりね」
「そうだっけ?」
「ええ。買い物か仕事の用事ばかりだし、いつも護衛だからって一歩離れているんだもの」
言われてみれば、その通りだった。同じ街を同じ相手と歩くだけなのに今日は少し違って見える。今日はデートだからか。そうか。
「じゃあ、のんびり行こうか」
「ええ」
フィオナはその手を握り直し、大通りへと足を向けた。
表通りは相変わらず賑わっている。馬車が行き交い、露店から呼び声が飛んでいる。
足取りが妙に軽い。いつもの道でも、隣のシアラと歩幅を合わせているだけで何だか楽しかった。
視線は感じる。髪を見て露骨に顔を顰める者もいれば、すれ違いざまに舌打ちする者もいる。それでも、今日は殆ど気にならなかった。
「まずは、どこから見るの?」
「市場の雑貨通り。まだちゃんと見たこと無いし」
「そうね、行ってみましょう」
市場は、冬前とは違う雰囲気だった。春になって連合国から来る商人が多くなったせいか、品物の種類だけでなく人種も様々だ。奥まった場所にある雑貨通りは、特にカラフルだった。
「あら、あそこ」
シアラが指差した先には、小さな装飾品を並べた露店があった。色鮮やかな石や金属細工が陽の光を受けて輝いている。
「見ていく?」
「ええ。せっかくだもの」
手を引かれるまま露店へ向かった。店主の中年の女性はこちらを見て人懐っこい笑みで出迎えてくれた。
「いらっしゃい。ピカピカの装飾品はいかが? どれも連合国からのものだよぉ」
「へぇ。ちょっと見ても」
「構わないよ。ああ、手に取るときは一声かけて頂戴」
シアラは礼を言うと、二人は早速品物を眺め始めた。銀や金の装飾台に色とりどりの宝石が埋め込まれている。宝石は玉髄や水晶が中心の様だ。他にも組紐や、木や骨を削って作った素朴な品もある。
その中で目についたものがあった。深みのある青い宝石が埋め込まれた銀の首飾りだ。銀の鎖が短く見えるが、並べられている中でも出来が良い。
「あら、良い色の
「それかい? 連合国のどこかじゃ短いチェーンが流行っているらしいんだよ。それで仕入れたんだが、さっぱり売れなくてね」
「ふぅん。良いわね……、これ頂戴」
「シアラ、それなら私が――」
「ダメ」
フィオナが財布を出す前にシアラは片手で制して、そのまま支払いを済ませてしまった。そして、受け取った首飾りを両手で広げた。
「さ、フィオナ。ちょっと来て」
「えっ、え?」
「ほら、少し俯いて……」
言われるがままにフィオナは顔を伏せると、シアラの手が首の後ろに回った。ひやりとした鎖が肌に触れ、留め具がかちりと鳴った。
「うん! 似合ってるわね」
「そう……? ちょっと見えないけど」
「へぇ似合うじゃないかい。肌が白いからよく映えているよ」
シアラは随分と上機嫌だった。いつもより少し浮かれている気がする。
ネックレスと言うより、チョーカーみたいなものか。首に何か着けるのは苦手だったが、これは首を動かしても締め付けは無い。それに、シアラからの贈り物だ。不思議と嫌な感じはしなかった。
「……あっ」シアラの表情がふっと曇った。「ごめんなさい。苦しくはない、かしら?」
「ううん、凄く気に入った。ありがとうね」
シアラは少し安堵したように息を吐いた。それでも表情には翳りが残ったままだ。
気を遣わせちゃったかな?
「気に入ったのかい? だったら相方にお返ししたらどうだい?」
「そうですね……」
フィオナは何かないか見渡すと、ブレスレットが目に入った。細い銀のバングルに一粒の
「すみません、これください」
「はいよぉ。直ぐつけるかい?」
「ええ」
店主は微笑ましそうに眺めながら代金を受け取ると、そのまま渡してくれた。
「シアラ、手を」
躊躇いがちに差し出された左手を受け取ると、細い手首をそっと支え、バングルを通した。
悪くないんじゃないかな。白い肌に銀と蜜色に光る宝石が煌めいている。
「……良いの?」
「そのために買ったんだ。よく似合っていると思う」
シアラの顔はゆっくりと赤みを帯びて、俯き加減に左手のバングルを眺めた。じわじわと笑みが浮かび、指でなぞって確かめている。
「……ありがとう。大事にするわ」
「うん。私も大事にするよ」
フィオナが首元の宝石に触れると、シアラは嬉しそうに微笑んだ。
「さて、そろそろ行こうか。店主さん、ありがとうね」
「ありがとうございました」
「あいよぉ。また寄ってくれよぉ」
店主に礼を言って露店を離れた。シアラは時折、左手のバングルを眺めている。普段持っている装飾品に比べればちゃちなものだが、そのたびに嬉しそうな顔をするのでフィオナまで頬が緩んだ。
「……フィオナ、次はどこへ?」
シアラの横顔を眺めていたら、気付かれたのか、つい、と顔を背けられてしまった。
見過ぎたかな。小さく謝って、手を繋いだ。
「お菓子を食べに行こう。ケンさんに頼んであるんだ」
「あら、楽しみね」
雑貨通りを抜け、市場の近くにある通りへ向かった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
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