最近のフィオナは上機嫌だった。シアラとの初デートを終えて以来、ずっと。
毎朝、必ず
それが日課になっていた。
料理人としてはヘイゼルやキース相手に丁寧に教えつつ、自身も火の入れ方から味付け、仕上がりを細かく調整している。その甲斐あってか、常連客からも「最近はまた美味しくなった」と言われるほどだった。
ヘイゼルは盛り付けや味付けが随分と上達した。キースも火加減を覚えてきた。二人に任せられる仕事が増えたお陰で、フィオナにも新しい料理を試す余裕が生まれている。そうなれば、今度は別の仕事を始めてしまうのがフィオナだった。
娼婦の仕事も、いつも以上に愛想を振りまいて接客しており、閨事では一日に何人も客を相手にするほどだ。最近では道具も増えてプレイの幅も広がり、ディックバルトを筆頭に客からの評判も上々。充実した日々のお陰か、客の精気でも吸い取っているのか、肌艶まで良くなっていた。
そして朝の仕事終わりにはシアラと一緒に過ごし、軽く喋りながら眠りにつく。そしてまた料理を作り、客を迎える。
フィオナからしてみれば、毎日が楽しくて仕方がなかった。
「フィオナ、働きすぎ。明日から二日は休みね」
「ええー」
朝食を終えた食卓で、シアラは呆れた表情を浮かべていた。
「当たり前でしょう。一晩ずっと客を相手にして、仮眠をとったら料理の仕込み。開店後は料理人として働いて、落ち着いたら二階に上がって。昨日は客を何人取ったと思っているの?」
「……一晩買いを含めて四人だっけ?」
「七人よ。それもあれからほぼ毎日。
「いや、大半は行為買い*1だから……」
「それでもよ。このペースだと月百人どころじゃないわ」
“宵の艶花”は少々特殊な店だ。
そもそも店の建物は、前オーナーのアイリーンから譲り受けたものだ。持ち家なので家賃を支払う必要がなく、維持費程度しかかかっていない。また食堂や
従業員は食堂での給仕だけで他の飲食店と変わらない給料が出るので、積極的に二階へ上がらなくてもいい。また娼婦の料金設定も決して安くはない。
例えばリリーの場合。彼女は自由娼婦であり、給仕の給料は貯金し、娼婦として稼いだお金だけで生活を賄っていた。
娼婦として客を取るのは多くても一日に三、四人程度。短時間で終わる行為買いが中心で、一晩買い*2を含めても一月に四十人ほどだ。シアラやグリゼルダが月三十人前後であり、リリーは多い方だった。
稼ぎから生活費――屋根裏部屋の家賃と食事代、二階の使用料や服やシーツのクリーニング代、税金などを差し引いても、六割は手元に残る。リリーはこれをドレスや宝飾品、化粧品などに使っていた。お陰で屋根裏部屋の収納スペースはリリーの私物で満杯になっていた。
“宵の艶花”は余分なコストが掛からず、普通の食堂としても成功している。加えて、在籍する娼婦も売れっ子ばかりだからこそ、こうした待遇が可能なのだ。
一方、他の娼館ではこうはいかない。互助会の規約を守っているところが殆どだが、中には娼婦を強制的に店に住まわせ、家賃や食事、服などに手間賃と称して上乗せし、相場の三倍もの値段を請求するところもある。そうして稼ぎを取り上げ、無理にでも働かざるを得ない状況に追い込むのだ。
「私、過剰な請求をしているつもりも、そんな薄給で働かせているつもりはないのだけれど?」
シアラは腕を組み、険しい表情でフィオナを見据えた。いつもの柔らかな口調ではなかった。それでも、瞳にはどこか寂しげな色が浮かんでいた。
「いや、仕事が楽しくて楽しくて……あと性欲がちょっと収まらなくて……」
フィオナは照れくさそうに、両手の人差し指の先を何度も突き合わせていた。シアラはその仕草を可愛いと思いつつも、毅然とした態度で告げた。
「それなら私がいくらでも相手にするわよ」
「シアラ、その顔で言うもんじゃないわよ……」横で聞いていたリリーが呆れた。「こいつら、最近ポンコツ化していない?」
「いや、最初からこんな感じだったな」
「そうですねぇ……」
グリゼルダとヘイゼルは食後のハーブティーを楽しんでいた。近くではシャーリーがキースの沸かしたお湯を貰い、お代わりのハーブティーを淹れていた。
すっかり冷めた視線を向けられていることに、当の二人は気づいていなかった。
「でも、フィオナさんがお休みならお仕事はどうしましょうか? 最近、フィオナさん目当ての客が多いようですけど」
「料理はヘイゼルとキースで問題ないでしょ。接客は春で人が増えたのもあるし、ギルドでのバカ騒ぎにコイツが関わっていた所為ね」
「……アレは私、聞かれたから教えただけなんだけど?」
「実際にヤったなら原因はアンタでしょーが。男の性感帯とか前立腺とか……」
「いや前立腺ネタはモングレルさんのだから……」
何のことは無い。精霊祭のときの猥談バトルでまたフィオナの名前が出たので、ギルドマンたちが確認しに来たのだ。最近は噂を聞いた別の客にも伝わり、また妙な評判が広がっているのである。
そういう客からの指名が相次ぐので、フィオナも相手にする回数を増やすしかなかったのだ。
まあ、それはそれとして。フィオナもノリノリで対応していた。もっとも、客はそれで満足してしまうので、フィオナは若干欲求不満だった。
「はあ、そういうこと……」シアラは頭痛をこらえるような仕草を見せた。「道理で最近、二階で変な声を出す客が多いと思ったわ」
「モングレルさんも変なネタを広めないで欲しいわ……」
「ごめんね、なんか……」
フィオナは申し訳なさそうに肩を竦めた。もっとも、客から聞かれたことに娼婦が答えただけなのだから、本人としては少々理不尽な気もする。とはいえ、妙な客が増えたのも事実だった。
シアラは深いため息をついた。客が増えるのは商売としてありがたい。ありがたいのだが、そのためにフィオナが料理の仕事まで圧迫されているとなれば話は別だ。
そもそも、シアラとしてはフィオナに料理人として働いてほしいのである。本人が望む以上、娼婦の仕事を禁止するつもりはない。ないのだが、できれば厨房に専念してほしいというのが本音だった。
まして、最近になって客を増やしていた理由が欲求不満だというのだから、何とも複雑な気分になる。
「……まあ、その話はもういいわ」
シアラは気を取り直すように背筋を伸ばした。
「取りあえず、フィオナは休みね。お客さんも分かってくれるわ」
「はい」
返事だけは素直だった。しかし、その表情には少しばかり不満が残っている。仕事ができないならどうやって過ごそう。そんなことを考えているのが、シアラには手に取るように分かった。
……心配しているこちらの気も知らないで。
そう思うと、少しばかり腹が立った。同時に、腹の奥底で何かがチリチリと燻ぶっていた。嫉妬、独占欲なのかもしれない。
「……ねえ、フィオナ」
「うん?」
シアラは椅子から立ち上がり、フィオナを後ろから抱きしめた。フィオナの腹を擦りながら艶のある笑みを浮かべ、耳元で囁く。
「……欲求不満、なんでしょう? だったら、そんなこと言えなくなるぐらい相手してあげるわ」
「えっ、それは……」
シアラは少し意地悪そうに微笑んだ。真っ赤な舌がチロリと覗き、唇を湿らせた。
「今日はそういう気分なの。いい声で啼いてね?」
「え、ちょ、まだ朝っ……」
フィオナの抗議は最後まで続かなかった。シアラに手を引かれ、半ば引きずられるようにして二人の個室へと連れていかれる。
バタン、と扉が閉まる音が響いた。
残された面々は、しばらく無言で二人が歩いていった廊下とその扉を見つめていた。
「……元気ねぇ」
誰ともなく漏らした一言に、返事をする者はいなかった。雰囲気を変えるように、リリーはパン、と手を叩いた。
「さーて、私たちも寝ましょうか。屋根裏部屋に戻りましょう」
「そうするか……」
リリーの言葉にグリゼルダが頷いた。
二人とも一晩買いの客を相手にしたばかりである。ようやく仕事が終わったのだから昼まではぐっすり眠っていたかった。
「ヘイゼルとシャーリーは、しばらく屋根裏部屋にいなさい。掃除も洗濯も後でいいわ」
「え、でも仕込みが……」
「キースが起きてからでいいでしょ。今は一階に近づかないこと。いいわね?」
「……はい」
ヘイゼルはまだ何か言いたそうだったが、リリーの有無を言わせぬ口調に口を閉じた。
一方で、シャーリーは顔を真っ赤にして俯いている。何が始まるのか察してしまったらしい。
「せめて、二階の換気と掃除はしておきたいですね」ヘイゼルが遠慮がちに言った。
「それなら今からやりましょうか。換気とシーツの回収だけ済ませて、残りは起きてから手伝うわ」
「私も手伝おう。そのぐらいならできる」
「……では、お願いします」
そういうことになった。
「キースはどうする? 夜番だったでしょ」
リリーが振り返ると、キースは既に立ち上がっていた。
「あ、僕は中庭で寝てます。テントはまだあるので」
「あら、ベッドで寝なくて大丈夫なの?」
「いや、外で寝る方が落ち着くんですよね……」
曖昧に笑うキースに、リリーは申し訳なさが募った。誰も、それ以上は聞かなかった。
「……ごめんなさいね、本当に」
「いえ……」
寝具を持って中庭に向かうキースを見送り、リリーたちも階段を上がった。
幸い、仕事あがりの面々は昼までぐっすりと眠れた。
そして、昼過ぎ。
個室から這い出てきたフィオナは、文字通り抜け殻のようになっていた。まさに精魂尽き果てた、という姿だった。声はかすれ、潤んだ瞳は赤く腫れあがり、白のコックコートから僅かに見える首筋には刻まれた赤い痕が生々しく残っている。
対して、その後に出てきたシアラはまるでたっぷり栄養を吸い上げた花の様に肌艶が良く、どこか気だるげでありながらも底抜けに機嫌が良かった。
「……大丈夫?」
食堂の椅子にもたれ掛かっていたフィオナに、リリーは呆れたような、しかし憐れむような視線を向けた。
「うん。ちょっと疲れただけ……暫くは、良いかな……」
「そう。ならいいけど」
リリーはシアラをちらりと見た。当のシアラは涼しい顔でハーブティーを楽しんでいる。
フィオナの有様を見れば、あの個室でどれほど容赦なく、そして溺愛を含んだ「お仕置き」が行われたのかは言わずもがなだった。
「……何かしら?」
「別に。何でもないわ」
リリーはそれ以上、何も言わなかった。
とはいえ、軽い昼食を食べてテーブル席で少しゆっくりしたあと。
フィオナは皆と一緒に掃除と洗濯を行い、普段どおりに厨房に立って料理の仕込みを始めた。
「フィオナさん、今日は休んでいてもいいんですよ?」
「今日はちゃんと働くよ。休みは明日だし」
「でも、疲れているんじゃ……」
「偶にあるから大丈夫。そっちの野菜をお願いね」
ヘイゼルは少し心配そうだったが、フィオナの手際はいつもと変わらなかった。
野菜を刻み、肉に下味を付け、鍋の中身を確認する。途中でキースの作った料理を味見して、味がぼやけているから塩とスパイスを足すように伝えた。
開店後もいつも通りに料理を作り続け、いつも通りに皆に指示を出していた。
ただ、二階へ上がることはなく、厨房の仕事だけで一日を終えた。
そんな元気がなかったのだ。
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