翌日。
休暇を言い渡されたフィオナは、装備を身に着けて朝早くからギルドに来ていた。
休みなのに仕事とはどういうことか。シアラにも問い詰められたが、これにはちゃんとした理由がある。
ギルドへの貢献度が、そろそろ危ないのだ。
最近は“宵の艶花”の仕事が忙しく、ギルドマンとしての依頼をほとんど受けていなかった。
アイアンの3なら普段はそれほど厳しく言われない。だが、依頼を受けずにいるといずれゴブリンの古巣の調査といった塩漬け依頼を押しつけられる。しかも、知らないギルドマンと臨時で組まされてしまう。
これがかなり面倒なのだ。
なので、ちょっとした散歩がてら都市清掃の依頼を受けることにした。危険度も低く、手際よく働けば昼過ぎには終わる。じっとしていられないフィオナにとっては貢献度も稼げる楽な仕事だった。
もちろん、シアラには話を通してある。休暇なのに仕事をするのかと、随分と疑わしげな目を向けられた。説得には少し時間がかかったものの、ギルドマンとしての義務だと説明すると、最後には渋々ながら許してもらえた。
ただし、終わったらなるべく早く、真っ直ぐに帰ってくること。勝手に別の依頼を受けないこと。知らない人にはついていかないこと、等々。そんな約束までさせられてしまった。
フィオナにとっては少々、いやかなり、子ども扱いするシアラに不満はあった。もっとも、フィオナも多少の自覚はあったので、結局は大人しく頷いた。
ともあれ、無事に外出の許可は得られたのである。
「さて、と……」
フィオナは依頼板の前に立ち、都市清掃の依頼票を探した。
レゴールの街でアイアン向けの依頼は、討伐や採取を除けば地味なものばかりだ。下水道の点検や資材運搬もあるが、フィオナは受付から止められている。娼婦を人目のない場所や男ばかりの現場へ送り込めば、余計な揉め事になりかねないからだ。
都市清掃も報酬が安くて新人やリハビリ中のギルドマンが受けるぐらいで人気が無い。それでも危険が少なく、貢献度もそれなりに稼げる。とある万年ブロンズの男も好んで受けている依頼だった。
「……あったあった」
目当ての依頼票を見つけ、フィオナは小さく頷いた。場所は街の東側、市場や屋台通りとその裏通りの清掃らしい。特に難しい仕事ではないし、時間も十分にある。
依頼票を取り、受付に渡す。今日はミレーヌさんがいた。
「お久しぶりですねフィオナさん。はい、都市清掃の依頼ですね。清掃用具の場所は分かりますか?」
「お久しぶりです。場所は大丈夫です」
「そうですか。――はい、承認されました。フィオナさんも、偶にはバロアの森で活動されてはいかがですか? おすすめの依頼がありますよ?」
「すみません、保護者に外に出ちゃダメだって言われてますので、また今度」
「ふふ、そうですか。ではお願いしますね」
フィオナはミレーヌに軽く頭を下げ、ギルドを後にした。そのまま裏手にある倉庫で箒と木桶を取り、現場へ向かう。
「さて、お仕事ですよっと」
休暇中の人間が口にする台詞ではないが、本人は至って上機嫌だった。
朝のレゴールはいつもの活気だった。荷車を引く商人や仕事へ向かう職人たちが通りを行き交い、露店からは温かいスープや串焼きの匂いが漂ってくる。
フィオナは人の流れを避けながら東へ向かった。
今回の担当の区画は三つ。そのうち市場周りと屋台通りはどうしても汚れやすい。人通りが多い上に、道端へのゴミの投げ捨ても珍しくない。そのため生ゴミや割れた安物の陶器、捨てられた竹串、割れた木箱の破片などが道端に溜まっている。これらは下水道に詰まってしまうため、その前に回収するのがこの仕事だ。
最初の路地に着くと、フィオナは通行の邪魔にならない場所に木桶を置き、箒を動かし始めた。ゴミは相変わらず多い。石畳の隙間に挟まった竹串を掻き出し、壁際に吹き寄せられた野菜屑を集める。割れた陶器は踏みつけると危ないので、破片を残さないように気をつけた。
しばらく掃いていると、背後から声がかかった。
「おや、フィオナちゃんじゃないか」
振り返ると、八百屋の女性が籠を抱えて立っていた。まん丸の顔に笑みが浮かんでいる。
「おはようございます。今日は仕入れですか?」
「そうだよ。あんたは……ああ、ギルドの仕事かい」
「ええ。今日は都市清掃です」
「珍しいねえ。いつもはお店にいるんだろう?」
「休暇をいただきまして」
「休暇?」
女性はフィオナの手にある箒と足元の木桶を見た。
「……休暇なのに掃除してるのかい?」
「ギルドの貢献度が足りなくなりそうなので」
「はあ、働き者だねえ」
感心しているのか呆れているのか、何とも判断しづらい声だった。
「そういえば、昨日はいい白アスパラガスが入ったんだよ。店で使うなら安くしておくけど、どうだい?」
「おや、それはありがたいですね」
フィオナは少し考えた。この時期に旬を迎えるアスパラガスは柔らかくて大振りだ。新鮮な白アスパラガスなら茹でて塩とオリーブオイル、または溶かしバターをかけて食べるのもいいし、少し贅沢にオランデーズソース*1をかけるのも美味い。そして残った茹で汁で作るリゾットも、この時期ならではだ。
もっとも、今日は休暇中である。勝手に買うのも悪いし、今回は縁が無かったのだろう。
「そうですね、取り置きをお願いしてもいいですか? 今は依頼中なので」
「あいよ、それじゃあ待ってるよ」
「ありがとうございます」
……まぁ、春のアスパラガスはシアラも好きだし許してくれるさ、きっと。
若干の後ろめたさを思いながら、軽く手を振って女性を見送ったフィオナは掃除を再開した。溜まったら指定の場所に捨てに行き、戻って掃除を繰り返す。
フィオナはこういう地味な作業が好きだった。手際を考えながら箒を動かすのは、料理の下ごしらえにも似ている。やがて呼吸が深くなり、身体を巡る強化の魔力が意識に浮かび上がってきた。いつしか周囲の喧騒も遠のき、ただ箒を動かすことに没頭していた。
「……ん?」
ふと顔を上げると、先ほどまで建物の陰に落ちていた日差しが路地の半ばまで伸びていた。いつの間にか随分と時間が経っていたらしい。道端には、搔き集めたゴミが小山になっていた。
「おっと、いけない」
掃くのに夢中になり過ぎた。フィオナは木桶に入るだけゴミを入れ、指定の場所に捨てに行った。これを繰り返して、ようやく一つ目の区画を片付けた。石畳はすっきりと見える。
うん、綺麗になった。後は二つだ。
フィオナは満足げに頷くと、次の区画へ急いだ。
* * *
清掃は昼前に終わった。楽なものである。
「はい、依頼の完了を確認しました。お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
ギルドで手続きを済ませると、ふと若いギルドマンたちの姿が目についた。皆、どこか落ち着かない様子で装備を確かめたり、仲間と話したりしている。
「そういえばフィオナさん、本日は昇級試験があるんですよ。ご興味はありませんか?」
「昇級ですか? 今のところは考えていないですね」
「そうですか。ですが、見学だけでもできますよ」
「へぇ……」
少しだけ興味があった。宿場町にあったギルドは派出所で最低限の機能しかなく、昇級試験などは近隣の都市まで行く必要があった。
「今から始まりますので、少しだけでも見ていかれては?」
「じゃあ、少しだけ……」
少しぐらいなら良いだろう。昇級する気はさらさらないが、試験そのものには興味がある。一度ぐらいは見てみたい。別の依頼を受けるわけでもないし、見学するだけなら約束を破ったことにはならない。多分、きっと。
フィオナはミレーヌにお礼を言い、試験会場へ向かった。
会場には受験者のほかにも、何人かのギルドマンが集まっていた。その中に見覚えのある男を見つけ、フィオナは口元を緩めた。
「こんにちは、モングレルさん」
近づいていくと、モングレルがこちらに気づいた。
「おー、お疲れさん。なんだ、フィオナも昇級試験受けるのか?」
「受けるわけ無いでしょうが、副業なのに。そういうモングレルさんはどうなんです? ついにピカピカの銀色ですか?」
互いの顔を見合わせると、どちらかともなく笑い始めた。
「……この話、止めるか」
「そうですねぇ」
大人しく、観客として試験を見学することになった。ライナがこちらを見て半眼になっていたのが気になった。
今日はアイアンクラスの若者が試験を受けている。近接役はゴリリアーナ相手に一対一で打ち合い。弓使いは試験官の前で、ライナが投げる的に当てていくようだ。
「やはり、みな若いですねー」
「お前も十分若いんじゃないか?」
「えぇー、フィオナ、ピチピチの十代に見えますぅ?」
「うわきっつ」
「酷いこと言いますね」
モングレルは露骨に顔をしかめたが、フィオナはケラケラと笑っていた。
「で、幾つなんだ? 三十歳か?」
「ひどいなー。二十五歳ですよ。多分」
「多分?」
「ええ。途中、ちょっと年月が分からない時期があったので」
フィオナは無意識に白い前髪を弄っていた。口元は笑みの形を作っていたが、その表情は無機質で人形めいていた。
モングレルもそれ以上は聞かなかった。
「まぁ、それはともかく。モングレルさんは幾つで?」
「……二十九歳」
「なんだ、まだ若いじゃないですか。男ならやっと脂が乗り始めた時期ですよ」
「最近、脂っこいものはキツくなってきたけどな」
「ふふっ」
そんな他愛もない話をしている間にも、昇級試験は進んでいた。
近接役は相変わらずゴリリアーナにしごかれているが、弓の方は随分と人数が減っている。どうやら、そろそろ終わるらしい。
最後の受験者が矢を放ち、試験官が何やら頷いていた。終了のようだ。ライナは手にしていた的を片づけ、こちらに足早に歩いてきた。
「……うっス、お疲れ様っス」
「お疲れ様です、ライナさん」フィオナは言った。「ごめんなさいね、モングレルさんを借りてて」
「う? っス」
「……妙な言葉だが、まぁいいや。ライナも試験官、お疲れさん」
「っス!」
ライナの昇級試験の手伝いは終わったようだ。近接役と比べても、弓は人が少ないから割と早く終わるらしい。
ライナを間に入れ、三人で残りの試験を眺めることになった。
「ゴリリアーナ先輩、容赦ないっス」
「あれぐらいで丁度いいぞ。ゴリリアーナさんは巧くやってるさ」
「えっ、アレでっスか……」
「凄い迫力だもんねぇ」
昇級試験が終わると、今度は追加試験だ。国からギルドに委託されている、対サングレール兵を想定した模擬戦だ。
アイアンクラスの若者の群れを相手に、ゴリリアーナがモーニングスターの二刀流で無双していた。木製の模造品とはいえ、豪快に振るわれる度に人が吹き飛ばされ、宙を舞っている。
その風貌と雄叫びが相まって、フィオナは前世で見た何かのバーサーカーを薄く思い出した。何だったのか、それ以外はもう覚えていないけど。
「俺は技量重視でやるけどな。実際のサングレールの星球兵はこんな感じだぞ」
「ええ……技量?」
「黙らっしゃい。もっと凄いのだと、これの三倍は野蛮だぞ。聖句を叫びながら特攻してくるしな」
「めちゃくちゃ怖いじゃないっスか!?」
少し引っかかる部分はあったが、サングレールの兵、特に信仰心の篤い兵ほどおっかないという話はフィオナも聞いたことがあった。出兵して生きて帰ってこれた人たちの話だ。神への祈りを叫びながら突っ込んできて、死ぬまで暴れ回るのだという。馴染み客も、何人かそれで来れなくなった。
そして、ゴリリアーナが荒い息を吐きながら模擬戦の終了を告げた。ほぼ蹂躙劇だったが、二人ほど柄に攻撃を当てることに成功したようだ。一人の少年が拳を突き上げ、隣の仲間と肩を叩き合っていた。まだ十代だろう。
フィオナはそれが少し嫌だった。
「……モングレル先輩は、戦争に巻き込まれたことあるんスか?」
「おー、あるよ。シュトルーベの方でな。ギルドの徴兵でも駆り出されたことがある」
フィオナは横目でモングレルを見た。普段と変わらない調子だ。あっさりと言うものだから、かえって妙な重みがあった。
「フィオナさんも、そういう話を聞いたことあるんスか?」
「ああ、私ですか?」フィオナは言った。「ありますよ。お客さんから色々とね」
フィオナは前髪を弄りながら答えた。戦争の時期になると、この髪は特に目立つ。だから特有の指名が増える時期でもあった。宿場町にいた時は前オーナーが抑えていたが、戦場帰りの客は手荒いことが多く、一人で来るとは限らなかった。
「行く前はあんなに元気だったのに、帰ってきたら別人みたいになっちゃった人もいましたしね」
「……そうなんスか」
「ええ。でも稼ぎ時なんですよ。お客さんも報酬を握りしめてやってきますからね」
「……なんか、フィオナさんらしいっスね」
「でしょう?」
フィオナは小さく笑った。けれど、その笑みは長く続かなかった。
「でもね、戦争は嫌ですよ。いつも来てくれた人が、ある日からぱったり来なくなりますから」
「……そう、っスね」
「まぁ、俺も戦争なんて起きない方がいいと思ってるよ」
モングレルが口を開いた。
「戦場で誰かを殺して、運が悪けりゃ自分も死ぬ。好き好んでやりたくねえだろ」
「でも、軍に入りたい人もいるっスよね」
「そりゃいるさ。平民にとっちゃ立派な出世だし、給料も出て食いっぱぐれは無いしな」
「望んで行く人もいれば、行きたくなくても駆り出される人もいますからねぇ」
「……戦争、起きなきゃいいんスけどね」
「そうだな」
三人はしばらく、喜び合う若者たちを眺めていた。
あの子たちもちゃんと帰って来て、店に遊びに来れるくらいになってくれればいいけど。
フィオナは胸の中でそっと祈りを捧げた。
「……そろそろ、私も帰りますね」
「おう、またな」
「っス、お疲れっした」
「ではまた」
フィオナは二人に手を振り、ギルドを後にした。
八百屋の軒先で受け取った旬の白アスパラガスは、みずみずしく、春の匂いがした。
シアラに叱られる覚悟を決めながら、フィオナは帰路を急いだ。
美味しいアスパラガスを食べれば、きっと許してくれるだろう。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
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