いつも通り、昼時にモングレルがやって来た。
「ウース」
「いらっしゃい、モングレルさん。さぁこちらの席にどうぞ」
「お、おう……?」
フィオナは穏やかな表情で出迎えた。コックコート姿で丁寧にカウンター席へ案内するのがどうにも薄気味が悪い。いつもの逆セクハラが無いせいだな、とモングレルは内心ごちた。
今日の“宵の艶花”は静かだった。他の面々は休んでいるのか、もしくは出かけているのだろう。人の気配があまり感じられなかった。
「ああそうだ。これお土産。モーリナ村のスモークチーズね」
「あら……良いものをありがとうございます」
モーリナ村は酪農が盛んで、上質なミルクで作られたチーズは絶品だ。受け取ったチーズの包みを解く。その瞬間から、スモーキーで甘い蜜のような燻製香が漂ってきた。
「いやー、良い匂い。上等品ですね。ありがとうございます。私もシアラもこれ好きなんですよ」
「おう、皆で分けてくれな」
「ふふ、では遠慮なく。ちょっと待っててくださいね」
フィオナはチーズを持って厨房へ戻っていった。
暫くして、ジョッキに注がれたエールと、小皿が運ばれてきた。ジョッキは汗をかいており、皿には薄く切られた赤桃色のハムが盛り付けられている。
「ちょっと冷えたペールエールと、つまみですね。どうぞ」
「お、冷たくていいな。こっちはハムか」
「ほら、前にクレイジーボアの脚をくれたじゃないですか。殆どは食べましたけど、燻製ハムも作ったんですよ」
「へえ、あれをか」
「良い肉でしたからね。燻製の匂いも落ち着いて来たので、今が食べ頃ですよ」
「んじゃ、せっかくだしな」
添えてあった箸を手に取ると、モングレルは生ハムを一枚口に入れた。
「お、んまい。しょっぱくねぇんだな」
舌にしっとりとした赤身がなじみ、口いっぱいに柔らかな塩気が広がる。噛むほどに凝縮された肉の旨味が滲み出て、爽やかな香草と燻製の香りがふわりと鼻に抜けた。脂っこさはなく、後味にはほのかな甘味が残る。ついもう一枚と手を伸ばしたくなる味だった。
「モングレルさんなら、このぐらいの塩加減が舌に合うでしょ?」
「まぁな。マーゴットの婆さんのならともかく、他のハムはしょっぺぇからな」
言いながら片手に持ったエールを飲み、箸でまたハムを取って食べていた。
カウンターの内側で、フィオナはその様子を眺めていた。気に入ったようだ。
作ったハムは前世ではラックスシンケンと呼ばれるドイツ式のハムだ。穏やかな塩気がフィオナの好みに合ったし、他の長期熟成の生ハムほど手間も時間も掛からない。
燻製にはバロアの木とその下に生えるベリーの木を使ってみたが、中々の出来になった。今度から店の酒のつまみに出しても良いかもしれない。
「じゃあ、ちょっとエール飲んで待っててくださいね。いま昼食を持ってきますから」
「おお、ゆっくり飲んで待ってるぜー」
厨房へ戻り、今日の昼食に取り掛かる。
使うのは上質の小麦粉から作った生地と、タコス用のノマトソース、モーリナ村のミルクで作った自家製モッツァレラチーズ、中庭から鉢ごと持って来たバジル。
「さーて、ヤーマヤーっと」
打ち粉の上で生地を薄く伸ばし、たっぷりのノマトソースを塗る。その上に切り分けたチーズをのせ、むしったばかりのバジルを美しく並べる。
鉄板に乗せたら竈のオーブンの中に入れ、一気に焼き上げる。
薪の位置を調整しつつ、鉄板の向きを変えて焼きむらを防ぐ。ほんの数分で焼き上がりだ。木皿に載せ、仕上げにオリーブオイルを垂らす。これで完成だ。
「はーい、お待ちどうさま。マルゲリータピザです」
「おおっ!」
木皿に置かれたピザは耳がぷくりと膨らみ、ところどころに香ばしい焦げ目が浮かぶ。ノマトソースの上ではモッツァレラがとろりと溶けていた。
「ピザだ、久々だなぁ……」
「今日はちょっとお祝いでしてね。モングレルさんのために用意していたんですよ」
「あん、なんかあったっけ?」
「まぁ、先に食べてから話をしましょう。冷めたら美味しくないですし」
「そうだな、それもそうだな!」
促されて、モングレルもピザに視線を落とした。
赤と白と緑のコントラストが懐かしい。ピザの上ではソースとチーズがパチパチと音を立て、白い湯気と共に香ばしい香りが鼻を直撃してくる。エールとハムで小腹は満ちていたはずなのに、食欲が刺激されて腹が鳴るのが分かった。
「んじゃ、いっただきまーす」
モングレルはナイフとフォークでピザを大きく四つに切り分け、その一切れを手に取る。チーズが零れないように耳を持ち、大きく口を開けて豪快に頬張った。
「――うんまい」
「ふふっ」
本当に料理を美味そうに食べる人だ。顔が幸せそうにとろけている。ピザを食べ、エールを飲む。モッツァレラのまろやかなコクとノマトソースの酸味を、ペールエールの苦みがすっきりと流してくれるのだろう。そこにホップの爽やかな香りが重なるのだから次の一口が欲しくなるのも分かる。
モングレルはすっかり夢中になっていた。一切れを食べ終えると、すぐに次の一切れへ手が伸びる。熱そうに口を動かしながらも、食べる手は止まらない。時折エールをぐいっと飲んでは、また嬉しそうにピザへかぶりついている。
ピザは一人前の小ぶりなものだったのもあって、食べ終わるのも早い。
フィオナが厨房からおしぼりとぬるい麦茶を持ってきた時には、モングレルは名残惜しそうに最後の一口を食べ、残ったエールを飲み干していた。
今日も綺麗に完食である。
「あー、うまかった、ごちそうさん」
「お粗末様でした」
空になった皿を取り下げ、おしぼりと麦茶を置く。モングレルはありがたそうに手を拭いて茶を飲んだ。
この様子なら暫くおいてからの方が良いか。そんなすぐに聞かせる内容でもない。
厨房で皿を洗い、調理台を片付ける。ひと仕事終えてカウンターへ戻ると、モングレルは麦茶を飲みながらくつろいでいた。すっかり満足した様子である。
「ふふ、満足していただけました?」
「おう、大満足だ。やっぱお前の飯はうめぇな」
「それは何よりです」
フィオナは嬉しくなって頬を緩めた。こうして美味しそうに食べてもらえるのは、料理人冥利に尽きるというものだ。
「それで、モングレルさん。さっきのお祝いの話なんですけどね」
「ん? ああ、そういやそんなこと言ってたな」
先ほどまで穏やかだったフィオナが、いつの間にかニタニタと笑っていた。
「……おい、なんだよその顔」
「いえいえ、ちょっと聞きましたよ。モングレルさんが村を守るために単身でシルバーウルフに立ち向かい、死闘を繰り広げて討伐されたと」
「……何その話」
「しかも満身創痍になりながらも見事に討伐を果たしたとか。いやぁ、流石はモングレルさんですねぇ」
「ちょっと待って。どこから聞いたんだよ、それ」
「ギルドで噂になってましたよ? 包帯だらけで帰ってきた英雄がいるって」
モングレルは露骨に顔をしかめた。
「いや、まぁ……倒したのは事実だけどさ。シルバーウルフを罠にかけて、ちまちま削って倒しただけだぞ?」
「おや、そうなんですか?」
「そうそう。それに村を守るためってのが大げさなんだよ。ジェルドナさんからの依頼で行っただけだし」
「そうなんですか。お疲れさまでした」
フィオナには何となく察しがついていた。シルバーウルフは、普通ならシルバーランクが複数人で討伐する魔物だ。それを一人で倒したとなれば、嫌でも目立つ。
モングレルのことだから、きっと何か誤魔化そうとしたのだろう。それで余計に目立っちゃったのか。
「ところで、お怪我はもう大丈夫なんですか?」
「ああ、もう治ったよ。ポーションも貰ったしな」
「それは良かった」フィオナはほっと息をついた。「随分と派手に包帯を巻いていたそうですからね」
「……まぁな」
「ふふっ。大変でしたねぇ、色々と」
「……お前、なんか含みのある言い方するよな」
「おや、そんなつもりはありませんよ?」
フィオナはにっこりと微笑んだ。
「まぁ、それはさておき。お祝いというのはソレなんですよ。正確に言うと、その依頼の事情を私も少し知ってましてね」
「あん?」
「依頼主は、私たちもよぉく知っている人なんです」
依頼主の男は、あの没落貴族だった。シルバーウルフの毛皮、それも特有の背中の黒い縦線が無く、傷も無い完品を納品とかいうふざけた依頼を出していたのは、色街でも噂になっていた。しかも報酬が子供の小遣い程度!
その依頼はギルドでものらりくらりと先延ばしにされていたそうだが、先日、誰かが依頼を受けたという話を漏れ聞いていた。そして、傷だらけのシルバーウルフの生皮がギルドから貴族へ押し付けられたのも。
「ここ暫くはシルバーウルフの毛皮が出回っていませんし、そこにモングレルさんがシルバーウルフを討伐して帰って来たと聞きましてね。まぁそういう訳です」
「……ほーん、凄い偶然もあったんだな」
「ええ、偶然ですね。でも安全になったのでね、だからお祝い」
前回の一件で貴族としての再起は絶たれていたが、本人が健在である以上、また何か仕掛けてくる可能性はあった。だが、今回の騒動で家人たちに部屋へ押し込められたらしい。恥を晒すくらいなら出てくるな、ということだそうだ。
これで、もう会うこともないだろう。
「……で、お前はそれを祝ってたってわけか」
「悪趣味と言えば悪趣味ですけどね。でも、これで心配事が一つ減りましたから」
モングレルは少しだけ黙っていた。視線が僅かに宙を泳ぎ、口元が歪んでいる。
……もう少しやっとけばよかったかな、とでも言いたげな表情だった。やっぱりコイツか。
「そりゃ良かったな」
「はい。とっても」
フィオナは口の端を吊り上げた。モングレルは麦茶を一口飲むと、何とも言えない顔でこちらを見てきた。
「しかし、お前もよくそんな話を知ってんな」
「色街には色々な噂が集まるんですよ。お客さんはお喋りな方が多いですから」
「へぇ……」
「最近は色んな人が来ますからね」フィオナは露悪的に笑った。「特に、あのグッズが良いんですよ。大人気です」
「ぶっ……」
モングレルは思わず麦茶を吹きそうになり、慌てて口を押さえた。変なところに入ったらしく、激しくせき込む。
「大丈夫ですか?」
フィオナは小走りにモングレルの傍へ行くと、その背中を優しく擦った。しばらく咳が続いたが、徐々に落ち着いてきた。ようやく咳が収まり、モングレルはふぅ、と長く息を吐いた。それから涙の滲んだ目でフィオナを睨んだ。
「おま、っ、食後にそういう話すんなよ……!」
「いや、うん。ごめんなさい」
フィオナは申し訳なさそうに背中を擦っていたが、モングレルの呼吸が落ち着いたのを確かめると、ふと悪戯心が湧き上がってきた。
「……ところで、何のことだと思ったんです?」
「……そういうとこだぞ、お前」
フィオナは堪えきれずに笑った。口元を押さえてみたものの、肩が小刻みに震えてしまう。モングレルは呆れたようにため息をつき、そんなフィオナを半眼で見上げていた。
「ふふっ、ごめんなさい。でも、幾らかはモングレルさんの所為ですよ」
「あ? なんでだよ」
「前立腺ネタ」
「あ、あー……」
思い出したのか、モングレルは頭を抱えて項垂れた。
「私は娼婦ですし、そういう相手もできますけどね。でも同じ内容が続くとさすがに飽きます」
「……なんか、変な影響出てる?」
「出てますね。でも良いんじゃないですか? そういうサービスを始めた店もありますし。ギルドマンの方々は金払いが良いので収入が増えたって子もいますよ」
モングレルは何とも言えない顔をしていた。自分の発言が思わぬところで役に立っていると聞かされても、素直には喜べないらしい。
さすがに可哀想だし言わないが、ディックバルトもあれを使って喜んでいたと知ったらどうなるかと思った。
「まぁ、何にせよ。皆が喜んでいるなら良いことじゃないですか」
「……そういうもんかねぇ」
「そういうものですよ」
フィオナが笑って答えると、モングレルは諦めたように肩を竦めた。それからカップに残っていた麦茶を飲み干し、ふぅ、と息を吐く。
「んじゃ、そろそろ行くわ」
「ああ、そんな時間でしたか」
「おう。昼飯も食ったしな」
モングレルは席を立ち、軽く身体を伸ばした。食後は少し重たかった腹も、だいぶ落ち着いている。
「そういや、今日のピザとハムだけどよ」
「はい?」
「あれ、また作ってくれないか? あのハムはもっと食いたいし、ピザも美味かったしな」
「ええ、もちろんですよ。ハムは季節が移ってからですけど、ピザはそう難しくはないですからね。他の種類も作りましょうか」
「ありがてぇありがてぇ」
「拝まなくていいですって……」
両手を合わせて頭を下げるモングレルに、フィオナは呆れたように答えた。少しばかり恥ずかしかった。
ピザは生地さえ仕込んでおけば、それほど手間の掛かる料理ではない。具材の組み合わせも色々と考えられる。本格的にやるならピザ釜の問題はあるが、店の新しい料理として出してみるのも面白そうだ。
「ま、気が向いた時に作ってくれ。そんときは食いに来るからな」
モングレルは言いながら腰の剣を確かめた。
「んじゃ、ごちそうさん。今日はありがとな」
「こちらこそ。チーズ、ありがとうございました。皆で美味しくいただきますね」
「おう。シアラさんたちにもよろしくな」
「はい、伝えておきます」
フィオナはモングレルを店の入口まで見送った。
「じゃあ、またな」
「はい。またのお越しをお待ちしております」
モングレルは片手を上げて店を出ていった。
扉が閉まると、店内に静けさが戻った。今日は随分と喜んでもらえたし、用意した甲斐があったというものだ。
さて、片付けを済ませよう。そろそろリリー達は起きてくるだろうし、出かけたシアラたちも戻ってくるはずだ。
カウンター席に戻ってカップを手に取り、厨房へ運ぶ。綺麗に空になった皿はもう洗ってあるし、残るのはこれだけだ。ささっと洗ってしまう。
「さて、夕食の仕込みでも……」
フィオナは調理台に伸ばしかけた手を止めた。
そういえば、二階に誘うのを忘れてたな。
ライナさんにも悪いし、まぁ今日ぐらいはいいか。お祝いだし。
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