料理人と娼婦、時々ギルドマン   作:オシドリ

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これにて1章完結。


7.開店

 開店当日。

 軽食を終え、午後も半ばを過ぎた頃。店内はのんびりとした雰囲気が漂っていた。

 

 壁には木札の献立が掛けられ、窓際にはクレイサントの白い花瓶に活けられた待宵草がほのかな香りを漂わせていた。二階へ続く階段も客室へ向かう廊下も掃き清められ、夕方の営業を待つばかりだった。

 

 シアラはモップを滑らせるように床を拭き上げると、一歩下がって店内を見渡した。床板に窓からの光が綺麗に映るのを確かめ、小さく頷く。

 ちょうど風呂に入っていた二人が上がってきた。しっとりと濡れた髪に、上気した頬が赤く染まっている。

 

「しっかり洗った?」

「バッチリ」

 

 フィオナが答えると、ヘイゼルはまた顔を赤らめた。この歳になって人に洗われ、普段なら気にも留めないような細かなところまで、徹底的に手入れされたからだ。

 シアラはモップを片付けて手を洗うと、ヘイゼルを椅子へ座らせた。

 

「それじゃ、化粧……の前に、まずは顔のマッサージからね」

「え、化粧だけじゃないんですか……?」

「化粧はあくまで魅力を引き立てるものよ。まずは表情や肌の状態、そういう土台を整えないとね」

 

 シアラはヘイゼルの頬に手を添えた。

 

「少し力を抜いて。顔に力が入っているわ」

「え、あ……はい」

 

 緊張で強張った頬を、シアラは手のひらで優しく押し流すように揉んでいく。

 血色を整え、自然な笑顔を作りやすくする。娼婦としての基本の手入れだった。 

  

「私も、前の店では先代から教わったの。何年経っても、たまにこうして整えてもらっていたわ」

「私はもっと力強くグニグニ揉まれたけどねー」

「あなたは顔が硬すぎて、力を抜きなさいって怒られてたじゃない」

 

 昔の自分たちを思い出したのか、シアラは懐かしそうに微笑んだ。

 

「化粧をする前に、少し毛先も整えましょうか。フィオナ、鋏と櫛。お湯と香油もお願い」

「はい、ここの台車に置いておくよ」 

「ありがと」

 

 毛先を整え、髪を櫛で丁寧に梳いて緩くまとめる。仕上げに、うなじへ香油を垂らした。

 化粧水を肌へなじませ、薄く紅を差し、眉と目元を整える。最後に唇へ淡く色を乗せると、素朴だった印象が一気に華やいだ。

 

「はい、できたわよ」

 

 ヘイゼルは差し出された手鏡を受け取り、おそるおそる自分の顔を映した。

 整えられた髪、ほんのり色づいた唇、柔らかな表情。そこに映っていたのは、見慣れた自分でありながら、どこか別人のように洗練された女性だった。

 

「綺麗……、これが私なんですか……?」

「ええ、そうよ。やはり美人さんね」

「いや、凄いな。見間違えた」

 

 素直に感心するグリゼルダに、シアラはくすりと笑った。

 

「じゃ、次。グリゼルダね」

「え、私もか!?」

「当然でしょう。グリゼルダは二階にも上がるのだから、顔だけじゃなく身体から徹底的にやるわよ」

「お、お手柔らかに……」

「そんなに身構えなくても大丈夫よ。ただのマッサージ。身体のむくみを取るだけよ」

「安心したような、できないような話だな……」

 

 場所を移し、寝台(ベット)の上に寝そべってもらう。

 施術するべく背中を触ったシアラは顔を顰めた。

 

「硬いわね」

「……昔から剣ばかり振ってきたからな。身体を手入れしてもらうなんて初めてだ」

「なるほど。じゃあ今日は覚悟してもらうわね」

「……え?」

 

 肩甲骨の際へ指が入った瞬間、グリゼルダの身体がびくりと跳ねた。

 

 ――しばらくして。

 

「いっ、痛い痛い痛いッ!?」

「はいはい我慢してねー」

「や、ちょ、痛だだだッ!」

 

 力強く全身をゴリゴリと揉みほぐされたグリゼルダの悲鳴が、店中に響き渡った。

 

 

「ひどい目に遭った……」

「でも、調子いいでしょ。背筋もしっかり伸びてるし」

 

 カウンター席でぐったりとするグリゼルダの目線の先では、フィオナが黙々と仕込みを進めていた。

 特注の竈には寸胴鍋や鉄鍋が並び、シチューが静かに湯気を上げ、炒めた具材と一緒にスープで雑穀を炊いている。今は調理台で茹で上げた芋を潰し、香草を混ぜ合わせていた。

 

「自分でも別人みたいだよ」

 

 化粧を施し、真新しい制服に身を包んだグリゼルダは、普段の武骨な印象が嘘のようだった。伸びた背筋と整えられた髪が凛とした雰囲気を際立たせ、精悍さの中に女性らしい美しさが覗いている。

 

「普段から柔軟すると良いよ。身体も仕事道具なんだから、大切にしないとね」

「……耳が痛いな」グリゼルダは苦笑いした。「だが、確かにその通りだな。今日からやってみるよ」

「風呂上がりにやると良いよ」

 

 シアラも身支度を終えてたようだ。

 個室から出てきたシアラは丁寧にまとめられた髪に、控えめながらも顔立ちを引き立てる化粧。真新しい制服を纏った姿は、店の主人に相応しい落ち着きと気品を漂わせている。

 

「香水をつけるから、みな来て頂戴」

 

 三人が集まると、シアラは一人ひとりの身だしなみを見回した。その視線を受けながら、今度はフィオナもシアラの姿を見つめる。

 

「シアラ、ちょっと止まって」

「なに?」

 

 フィオナはシアラの頬へ指先を伸ばし、薄く残っていた化粧のムラを手早く馴染ませた。

 

「少しここにムラがあるね。これでいいよ」

「あら、ありがとう」

 

 続けて小瓶から香水を空中へ軽く吹き、全員がその下をゆっくりとくぐる。近づいた時だけ分かる、ほのかな花の香りを纏わせた。

 最後にシアラ、グリゼルダの二人は胸元へ白い造花を挿した。二階へ案内できる者だけが身につける、この店の印だった。

 

「私の分は?」フィオナが言った。

「今日は一階をお願いするわ。夜番する人がいないし、ヘイゼルを一人にするわけにはいかないもの」

「んー」

 

 理屈は分かる。それでも、二人が白い花を胸に飾る姿を見送るのは、少しだけ寂しかった。

 

「……気をつけてね」

「大丈夫よ。慣れてるもの」シアラは微笑んだ。「フィオナ、仕込みは?」

「問題なし。煮込みも焼き物も十分あるよ」

 

 シアラは店内をゆっくり見渡した。

 酒場としては小さく、娼館としても大手には及ばない。それでも、自分たちだけの店だ。

 

「では、開店します」シアラが穏やかに告げた。

「今日一日、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 

 全員の声が揃う。

 シアラが玄関の明かりを灯し、扉の札を『営業中』へと裏返した。

  

 

「来ない、ですね……」

 

 扉の方を見つめたヘイゼルが、小さく呟いた。

 

「始まったばかりだからね。こんなものだよ」

「そうね。やれることはやったんだし、ゆっくりと待つだけね」

 

 フィオナは厨房で丸めた芋を焼き、シアラはジョッキを磨きながら笑う。

 店内は静かだった。鍋から立ち上る湯気。薪の弾ける音。磨き終えたジョッキを棚へ戻す音だけが、ゆったりとした時間を刻んでいる。

 慌ただしく準備をしていた昼までが嘘のように、穏やかな時間が流れていた。その静けさが、かえってヘイゼルの緊張を誘っているようだった。

 

「少しお茶でも飲もうか。そろそろ麦茶が冷えた頃なんだ」

「あら、良いわね」

「私も貰えるか」

「ヘイゼルも飲んでおくといいよ。忙しくなったらその時間も無くなるからね」

 

 四人は麦茶を口にしながら、他愛のない話を交わして客を待った。

 

 そして――

 カラン、と入口の鐘が澄んだ音を鳴らした。

 

「「いらっしゃいませ」」

 

 四人の声が重なる。

 扉から姿を現したのは、見覚えのある女性だった。

 

「あ……」

 

 ヘイゼルが目を丸くする。

 昨日の竣工祝いに訪れていた娼婦が、一人の男性と腕を組んで店へ入ってきた。

 

「今日は仕事じゃなくてデートなの。昨日のお料理がまた食べたくなって」

 

 そう言って男を見上げると、男は照れくさそうに頭をかいた。

 

「この店の料理が食べたいって言われてな」

「ありがとうございます。どうぞ、お好きなお席へ」

 

 二人を席へ案内しながら、シアラが小さく微笑んだ。

 

「ね、来たでしょ?」

「はい」

「このあと、もっと忙しくなるといいなぁ」

 

 それから客はぽつぽつと訪れた。

 非番の娼婦に工事を担当した職人、ギルドマンたちだった。昨日の料理をまた食べたくなった者や、その話を聞いた仲間に連れられて来た者たちである。

 

「昨日は祝いだったからな。今日はちゃんと客として来たぞ」

「ありがとうございます。精一杯おもてなしさせていただきます」

「良いってことよ。エールとブリトー、ポテトを頼まぁ」

「おーい嬢ちゃん、竈はどうだー?」

「絶好調だよー。焼きたてを持っていくから待っててね」

「おーう、楽しみにしてるぜー」

 

「本当に美味いな。食べやすいし、肉に臭みが無い」

「でしょう? こっちのオルゾットも食べてみない?」

「お、良いのか?」

「はい、あーん」

「……これも美味いな」

「でしょ? 私、この味が忘れられなかったの」

 

 二人が楽しそうに料理を囲む傍ら、料理を運んでいたグリゼルダへ客席から驚いた声が上がった。

 

「カナッペとシードル、お待ちどう」

「……えっ、グリゼルダ?」

「すごく綺麗になったじゃない!」

「本当だ。何したの?」

「や、店長に身体をほぐしてもらって、化粧と髪を整えてもらっただけだが……」

「うそぉ! それだけでこんなに変わるの!?」

「私もやってほしい!」

「……すまない。店長、助けてくれ」

 

 笑い声の中、厨房から出来上がった料理が次々と運ばれていく。

 

「はーい、レゴール風パエリア、お待ちどう様です」

「来た来た。待ってたわヘイゼルちゃん」

「わぁ、すごーい。鍋ごと運ばれてくるのね」

「見たことが無い料理だわ」

「肉団子とベーコン、お野菜を雑穀と一緒にスープで炊いた料理です」

「え、雑穀なの?」

「まあまあ、食べてみなさい。美味しいから」

 

 取り分けられた皿を手に取り、匙でおそるおそる一口。

 

「……美味しい!」

「でしょ?」

「これなら毎日でも食べたいわ」

 

 料理を運ぶたび、そんな声が少しずつ増えていく。それにつれて席は一つ、また一つと埋まり始めていた。

 その一方で、すべてが順風満帆というわけでもなかった。扉を開けて店内を見回し、フィオナの姿を見つけるなり露骨に顔をしかめ、そのまま踵を返して出て行く男もいた。

 

「サングレール人の料理なんぞ食えるか」

 

 そんな悪態だけを残して去る者もいる。それ以上に厄介なのが来た。

 

「オイオイ、ここはサングレール人がやってるのかぁ?」

「毒でも入ってんのかぁ!」

 

 乱暴に扉を開け、酒臭い息を吐きながら酔ったギルドマン二人が入って来た。覚束ない足でカウンター席に近づき、ガンガンと拳を叩きつけた。

 

「おらー、出てこい!!」

「フィオナさん」

「大丈夫。ちょっと鍋を見てて」

 

 不安げなヘイゼルを抑え、フィオナは厨房から出てきた。

 

「何か御用でしょうか?」

「サングレール人が作る飯なんざ食えるかって言ってんだよォ!!」

「そうですか。でしたら、無理に召し上がらなくても結構ですよ」

 

 穏やかに返したフィオナへ、男はなおも肩をいからせる。

 

「おーい、それ以上はやめておけよ~」

「なんだとテメ――」

 

 止めに入った赤髪の男の胸元のワッペンが目に入った途端、その動きが止まった。

 

「しゅ、“収穫の剣”……!?」

「せっかくよぉ、美人もいるし飯が美味いって聞いて来たってのによぉ。ア? 何してやがんだ?」

「い、いや……」

「――なにやら騒がしいな――」

 

 カラン、と扉を開けて入って来たのは、巨漢のギルドマンだった。

 

「あ、ディックバルトさん。お疲れ様です」

「デ、ディックバルト……!」

「ゴールドランクの……!」

「――ふむ――」

 

 ディックバルトは猪首をゆっくり巡らせ、糸目で店内を見渡す。

 

「――ここは癒やしを求める者が集う店。騒がしくするのは感心せんな――」

 

 静かな一言だった。だが、その場の空気が一瞬で凍りつく。

 

「す、すみませ……」

「お、おい、帰るぞ……」

 

 すっかり酔いが醒めたのか、二人組のギルドマンは逃げるように店から飛び出した。

 

「ったく、情けねぇ奴だぜぇ~」

「ありがとうございます」

「――大したことはしていない――」

「いえ、お陰様で助かりました」

 

 シアラは小さく一礼すると、店内を見渡した。

 

「皆様、お騒がせいたしました。ほんのお口直しですが、エールとシードルを一杯ずつサービスいたします。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」

「おおーっ!」

「おっしゃ! 飲み直しだ、飲み直し!」

「美味い酒がまずくなるところだったぜぇ!」

 

 客たちは笑いながら杯を掲げる。

 先ほどまで張り詰めていた空気はすっかり消え、店内には再び笑い声と食器の触れ合う音が響く。

 

「フィオナさん、追加の注文です! パエリア3にオルゾット2、ブリトー1、カナッペ2お願いしまーす!」

「はいよー」

 

 厨房では次々と料理が仕上がっていた。

 竈は休むことなく火を吐き、鍋で料理を炊き続けている。鉄板ではトルティーアと肉が焼け、香草の香りが店内へ広がっていた。

 

「シードルをお持ちしました」

「ありがとう。ねえ、一つ聞きたいんだけど」娼婦は小声でシアラに話しかけた。「食事のあと、そのまま二階のお部屋って借りられる?」

「はい。部屋代をいただければ、どなたでもご利用いただけます」

「そう、ありがとう。じゃあ、一晩お願いするわ」

 

 そのまま料理の注文を聞き、厨房へ向かうとフィオナが近づいてきた。

 

「いいの?」注文を聞いた後、フィオナが言った。

「しょうがないわ。部屋の数に対して従業員が少ないもの。それに、ここは色街の入り口に近い。外からも部屋だけでも借りたいという人は少なくないはずよ」

「ああ、宿代が入るだけでも入るから?」

「ええ。所属の娘が増えるまでの間は、その方が店にとっても得だわ」

「ご飯付きのラブホになっちゃったなぁ……」

 

 客は少しづつ入れ替わっている。食事と酒で腹が膨れ、色街に繰り出す客も多い。

 また、客で来た娼婦がそのまま部屋代を払い、二階に上がっていった。

 

「フィオナ、ちょっといいかしら」

 

 空のジョッキと皿を運んでいたシアラが言った。振り向くと、胸の花が無くなっていた。

 

「先にグリゼルダが二階に上がった。私も誘われたから、もう少ししたら上に行くわ」

「ん、いってらっしゃい」

「ええ、お願いね。小一時間で戻ってくるわ」

 

 そのまま笑顔のシアラが客と階段を上がっていくのを見送り、フィオナは一度だけ息を吐いた。

 

「……仕事、しないとね」フィオナは言った。「ヘイゼルさん、これ、十二番のお客様にお願いね」

「はーい!」

 

 それからも、店内の時間は途切れることなく流れていった。

 シアラやグリゼルダは何度か二階と一階を往復した。そのたびに胸元の白い花を外し、また戻ってくる。

 

 一階では料理を運び、酒を注ぎ、客の笑い声が響く。二階ではまた別の時間が流れている。

 それぞれが、自分の役割を果たしていた。

 やがて夜も深まり、泊まり以外の客が帰る頃にはフィオナもヘイゼルも疲れ切っていた。

 

「……終わりましたぁ」

「うん、お疲れ様」

 

 フィオナは大きく伸びをした。

 

「とりあえず休もうか。今日は一階の部屋で寝てね」

「はい……」

 

 閉店後、フィオナとヘイゼルは一階の部屋に泊まることになった。

 フィオナは夜番もある。店内を巡回する役目があった。

 まだ店を任せられるほど人手はない。何かあった時、すぐ対応できる者が必要だったからだ。

 

 そして、朝。

 階段を降りてくる足音が聞こえたところで、仮眠をとっていたフィオナは目を覚ました。

 

「おはよう、フィオナ」

「おはよう、シアラ。お疲れ様」

 

 ローブを纏って降りてきたシアラは、少し疲れたように笑った。

 

「お湯をもらえるかしら。少し身体を流してから寝たいわ」

「大丈夫? なんか疲れてない?」

「ええ……、少し大変なお客様だったの」シアラは苦笑した。

「昨日のギルドマンの方だったんだけど、少し変わった趣味をお持ちでね」

「……あー」

 

 フィオナは何となく察した。夜番で二階を見回ったときに、周りの嬌声や寝台(ベット)の軋む音に混じって野太い男の雄叫びが聞こえてきたからだ。

 

「まあ、無事に終わったならいいけど」

「大丈夫よ。慣れているもの」

 

 そう答えるシアラは笑っていたが、どこか気力を使い果たしたような表情だった。

 初めての店は大変だった。それでも店の灯りを消すことなく、一晩を終えることができた。

 料理を求めて来る客がいる。酒を飲みに来る客がいる。そして、この場所を必要としてくれる人がいる。

 

「……お店、始まったね」

「ええ、やっとね」

 

 朝の光が差し込む店内で、二人は静かにその実感を噛み締めていた。

 

「とりあえず、人員増加しよっか」

「そうねぇ、流石に毎日これはしんどいわ」

 

 二人は顔を見合わせ、思わず苦笑した。

 感慨に浸る時間は短かった。店は始まったばかりなのだから。

 

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