本格的な冬を目前に控えたころ。
レゴールの街は、少しずつ冬の色に染まり始めていた。
街の至る所で薪割りの音が響き、店先には冬越し用の薪が積まれ、行き交う人々も厚手の冬服を着こみ始めている。
“宵の艶花”は、予想もしなかった試練に直面していた。
「あ˝あ˝~」
「つ、疲れました……」
「…………」
「お疲れ様。無理しないで少し休んだ方がいいよー」
薪の爆ぜる音が響く暖炉のそばで、面々は椅子にもたれかかっていた。
人一倍体力のあるフィオナだけは元気だが、他の三人は完全に限界だった。特にシアラは普段の優雅さをかなぐり捨て、テーブルに突っ伏して無言で小さく手だけ挙げて答えた。
理由は、単純に人気になったからだ。なっちゃったのだ。
予想以上に。
“宵の艶花”は、かつて宿場町にあった店と同じく、一階が酒場兼食堂で二階が娼館のスタイル。これはレゴールではやや珍しく、酒とつまみは出すが、本格的な料理を食べたいなら食堂で食べてから来るのが基本である。
それが色街の入り口に近い場所で、安くて美味くて量もある店ができた。雑穀料理が主体だが、ゴロリとした肉も入っていて旨味が詰まっている。従業員もシアラを筆頭に美女揃いで、料理人もサングレール人──正確には外見だけ──だが男好きする見目。接客の愛想も良く、眺めているだけでも楽しい。
金を払えば、二階の個室で一夜の逢瀬を楽しめる。しかも、物凄く巧いと評判だった。
「──極上のひと時を過ごせた」
「──食事も、接客も、夜のプレイも。全てが良い……」
と、常連のギルドマン。ディックバルトの万感の思いの籠った言葉に「アンタほどの漢がそこまで言うなら」とギルドマンが群れを成して殺到。普通なら捌ききれない数の客を、四人しかいない店でどうにか回せているのも、周りの娼館と互助会所属の娼婦が手助けしてくれているからだった。
「いやぁ、“宵の艶花”が開店してからウチも助かってるよ。食事を終えた客が、そのまま女の子を買いに来てくれるから売り上げが伸びてるんだ」
「フィオナちゃんがレシピを教えてくれたお陰で、皆のやる気が前と違うんだよ。それが評判になってね」
「ここに男連れてくれば、夜の食事と寝床が安く借りられるんだもの。少しの手助けぐらいするわよ」
しかし、それで中心となる四人の負担が軽くなるわけではなく。
仕込み、接客、帳簿、そして夜の仕事。休みなく働く面々には、少しずつ疲れが溜まっていた。
特にシアラは毎晩何度も二階に上がっているため、その負担が大きくなっていた。
「あの人ね、支払いは凄く良いし、やるって答えたのは私なんだけど。流石に三日連続はアレだわ……」
「おつかれ。本当に、おつかれさま……」
前夜。件のギルドマンは、シアラはうまく隠していたが、疲れているの察して買うのを辞めようとした。無理をさせたくないからと。
しかし、それがシアラのプライドを刺激した。そしていつも以上に完璧な笑顔で黙らせた。
「プロを、舐めるなよ?」
「──イイ……──」
その夜、いつもより鞭でしばく音と男の雄叫びが酷かった。
朝になると客は大満足で帰っていったが、部屋から出て客を見送った彼女は、フィオナに支えられなければ歩けないほどに疲弊していた。
「シアラ、今日と明日は二階禁止ね」
「え?」
「顔色が悪すぎる。今朝だって歩けなくなってたんだからダメ」
「夜まで休めば大丈夫よ」
「ダメ、絶対にダメ」
「二階はどうするのよ。グリゼルダ一人では流石に」
「私が二階に上がる」
しばし、沈黙が下りた。
「……料理は?」シアラが言った。「この店は料理目的のお客様が多いわ」
「今回だけ、種類を少し減らす。スープとパエリア、ブリトーの具材は作り置きにする。串焼きとトルティーヤはヘイゼルさんが作れる。お客さんもわかってくれるよ」
「いや、そうでしょうけど……」
妙に渋るシアラに向けて、フィオナは苦笑した。
「シアラ、忘れていない?」
「え?」
「これでも前は、売れっ子の娼婦だったんだけど?」フィオナは肩を竦めた。「レゴールに来てからは料理ばっかりしてたけど、まだ閨事は忘れてないよ?」
「私は反対しないよ。人が足りないし、ヘイゼルにやらせる訳にはいかないしね」
「い、いえ。私も二階を──」
「まだダメ」
「う……」
シアラは言葉を濁した。
フィオナには料理をしていてほしい。自分が夢見た店で、一番大事な料理を作っていてほしい。
ただ、見たくない。
それがシアラの本音だった。
「それに」フィオナは、甘く艶然と微笑んでチロリと唇を舐めた。「私もそろそろ、身体が疼くしね」
「…………あっ」
「……うわぁ」
「…………あなた、そういうところが本当にずるいのよ」
絞り出すようなシアラの言葉に、フィオナはキョトンとした顔に戻った。
「だって、本当のことだし」
「余計に困るわ」
シアラは頭痛をこらえるような仕草で、フィオナは何かおかしかったかな、という表情を浮かべていた。グリゼルダはあーあという顔つきだったし、ヘイゼルは顔を赤くして手で鼻元を押えていた。
ただ、場の空気は変わっていた。
「……仕方ない、か」シアラは小さくため息をついた。
「わかったわ。今日はお願いするね」
「ん、任せて」
本日の方針が決定したところで、フィオナはパン、と両手を合わせた。
「じゃ、決まったことだし。シアラとグリゼルダさんは部屋で休まないと」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「そうね、っと」
立ち上がろうとして、足に力が入らなかったのか。バランスを崩したシアラにフィオナは咄嗟に身体を滑り込ませた。
「ほら、シアラ。気を付けないと」
「……本当、そういうところがずるいわね」
「え?」
「なんでもない」
「お姫様だっこの方が良い?」
「……恥ずかしいわよ、もう」
シアラは呆れたように息を吐いた。けれど、その顔は少しだけ嬉しそうだった。
そのままフィオナに横抱きにされ、シアラは寝室へと運ばれていった。
「……甘いですねぇ」
「見てるこっちが胸やけしそうだよ」グリゼルダは肩を竦めた。「……寝る前にタンポポ茶でも飲もうかな」
その後、フィオナが一階の部屋から出てくるのが少し遅かった。
日が沈み、レゴールの街に夜の帳が下りる。
色街が目覚めていく。店先の明かりが一つ、また一つと灯され、女たちの甘い呼び声が通りに響く。酒と香水が入り混じった香りが漂い、徐々に熱気が色街を満たしていった。
フィオナは鏡の前で最後に髪を整え、胸元の白い花を確認した。
久しぶりの仕事だ。今回はシアラの代役を務めるだけに、半端な姿を見せるつもりはなかった。
そして開店と同時に訪れた常連客たちは、いつものコックコートではない彼女の姿を見て、言葉を失った。
「え、フィオナちゃんも相手してくれるの!?」
「はい、勿論です。代わりに今日はシアラは休みになります」
フィオナのいつもより念入りな化粧と整えられた髪型を見て、次いで胸元に花のないシアラを見る。
連日の盛況ぶりを目にしていた常連客たちは、すぐに事情を理解した。
「そうか、まあしゃーないか……」
「客の入りが凄かったもんなぁ」
「今日こそは、と思ったんだが。ハァ」
「ふふ、それでしたら」
フィオナはそっと顔を寄せた。突然のことに驚く客と目線を合わせて小首を傾げ、淫靡な笑顔を作った。
「私を、指名していただけませんか? 時間は、あなたが満足するまで」
囁かれた甘い声に、客はたじろいだ。
「うわ、エッロ……」
「料理長だと思ってたのに、反則だろ、それ……」
頬を紅く染めながら視線を逸らす男に、フィオナはくすりと微笑む。
「ふふ。お返事は、ゆっくり考えていただいて構いませんよ」
そう言って一礼すると、何事もなかったかのように厨房へ戻り、料理と酒を運び始めた。
「……どうする?」
「……そりゃ、誘われたんだから、頼むしかねーだろ」
「はーい、エールと串焼き盛り合わせ、お待たせしました」
「お、ありがと……」
「──待ってますからね?」
すれ違いざまのその一言に、呆然とした表情で後ろ姿を見送った。
「……飯、食ってからにするか」
「そうだな……。折角だから新作メニューも頼むか」
「美味いもんな、ここの飯」
常連たちは苦笑しながら、ジョッキを掲げた。
「シアラちゃん、お皿洗い終わったわよー」
手伝いに来ている娼婦が、積み重ねた皿を抱えてやって来た。彼女は近くの娼館に所属しているのだが、すっかり店員のように馴染んでいた。
「ありがとうございます。いつもすみません」
「いいのいいの。お給料もご飯も出るし、好きでやってんだから」
頭を下げるシアラに向かって、娼婦は苦笑しながら小さく手を振った。
「でも、まあ。いつも思うんだけどね。変わった店だよね」
「そう、ですか?」
「そうだよ。普通、娼館はご飯食べるところじゃないよ」
そう言って、多くの客で埋まった店内を見渡した。
店内を埋める客は、男ばかりではなく、女性も混じっている。多くは非番や、男を探しに来た娼婦であるが、笑顔で食事を楽しんでいた。
厨房ではヘイゼルが慣れないながらも鍋を振るい、時おりフィオナが接客の合間を縫って厨房へ顔を出している。グリゼルダは酔っ払いや娼婦たちにちょっかいを出そうとする客をいなし、時には釘を刺して店の雰囲気を守っていた。
「ホントに、いい店だね」
娼婦は店内を見渡して穏やかな笑みを浮かべた。
「もしさ、今の店を辞めることがあったらさ、その時は私を正式に雇ってよ。ここなら毎日楽しそうだから」
「ええ、待っていますよ」
「ありがと。さて、接客に戻って働かないとね」
今夜も、“宵の艶花”は大盛況だった。
夜が深まるにつれて、フィオナも呼ばれて何度か二階へ上がった。
その夜、二階から聞こえる嬌声や入り混じった音は、いつもより少しだけ大きかった。久しぶりだったせいか、思った以上に張り切ってしまったと答えている。
翌朝、搾り取られたと言いつつも満足げな顔で帰っていく客を見送り、フィオナは小さく息を吐いた。
なお、次の日。
「── 一晩、特別フルコースで頼む」
「来たんですね……」
ディックバルトが、来た。
「──天国が見えた、と聞いてな……」
「……誰ですか、そんなことを言ったのは」
「──昨日、接客を受けた者だ。なすがまま、ただただ昇天していた……──そう聞いたら、な──」
「口コミが早すぎません?」
料金と内容を確認し、流石にアレな内容も含んでいてそれはどうなのかと思ったが、客の要望を聞くのも仕事のうちだ。
フィオナは、娼婦の笑みで彼を二階へと案内した。
……とはいえ、そもそもの話。シアラに夜の技術を教えたのは、他でもないフィオナ本人である。
前世の多種多様で豊富な知識と、それを基に今世で磨き上げた技。その全てを惜しみなく注ぎ込まれた。
百戦錬磨のギルドマンといえど、幾度も野太い悲鳴を響かせ、快楽の渦へと沈んでいった。
翌朝。
「──礼を言おう。更なる高みへ、昇れた──」
その一言だけを残して、ディックバルトは非常に満足そうな足取りで帰っていった。
フィオナの手には、予定よりかなり多い銀貨が詰まった小袋が残っていた。
「……フィオナ、大丈夫?」
「うん……。アレだ、確かにアレだね……」
「だから言ったじゃない。今日は大人しくしてなさい」
「ありゃベテランの技だよ。随分と喜んでたじゃないか」
「フィオナさん、今日は私が料理頑張りますよ!」
シアラは呆れたように。グリゼルダは感心したように。ヘイゼルは元気よく。
それぞれが笑いながらも、フィオナに温かい茶と言葉を差し出してくれた。
フィオナは茶とマッサージを貰い、そのまま昼まで寝込んだ。
「さーて、今日も頑張るかー」
「フィオナ。本当に、無理はしないでね?」
「わかってるよー」
案の定、ディックバルトがそれから二日連続で来た。
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明日、7/31 19:00に10話を投稿します。