長江の古狼 ―― 孫呉異聞 作:無いなら作ればええねん
二十日で二十九村を回ると言ったのは俺だ。言ってから舟の上で計算し直した。川沿いの十七村は五日で回れる。舟で下って、村ごとに半日を使う勘定だ。残る十二日で蓮華さまと分かれ、あの人が内陸の十二村、俺が川から近い順に手伝いへ回る。紙の上では、それで成り立っていた。
紙の上で成り立つ話は、たいてい村に着いた時点で崩れる。最初の村で、俺は半日を使い切った。
去年、真っ先に米を受けてくれた村だった。年寄りが俺の顔を見るなり、何も聞かずに蔵の戸を開けた。三百石じゃろう、持っていきなされ、と言われて、俺は慌てて止めた。取りに来たと思っている相手に待てと言われれば、誰でも怪訝な顔をする。この年寄りもそうだった。
俺はその場に腰を下ろして、順に話した。今は九月で刈り入れ前だということ。預けた米は秋に返してもらう約束だが、今は秋ではないということ。今持ち出せば、この村は今年を越せないかもしれないということ。そして、それを承知で頼みに来たということ。
「……取りに来たのではないのか」
「取りに来たのではない。取ろうと思えば取れる。うちには四千人いる。……だが、取れば、あんたたちは二度とうちに何も預けん」
年寄りはしばらく黙って、それから蔵のほうを見た。三百石はもう二百二十石しかない、春に足りなくて食った、と言う。返せんぞ、それは。今年の刈り入れはまだ半月先じゃ。今持って行かれたら、その半月をどうする。
どうにもならん、と俺は正直に答えた。半分でいい、百十石でいい。だが、それでも足りんと言われた。
しばらく、二人とも黙っていた。その沈黙のあいだに、俺は村を見ていた。去年より家が二つ増えている。人が増えていれば、食う量も増える。断られて当然の話だった。
「……爺さん。去年の秋、この村は何石穫れた」
「三百四十石じゃ」
「今年は」
「わからん。見た感じでは、去年より少し多い」
三百五十石。俺はその数を頭の中に置いた。刈り入れは半月先だ。半月後に三百五十石入る村が、今、百十石を出せないか。そう聞くと、年寄りが顔を上げた。出せんことはない、じゃが半月食えん、と返ってくる。
「そこを頼んでいる。半月分の飯を、うちから出す。……ただし、米ではない。魚だ」
年寄りが目を細めた。うちの隊は水軍で、網がある。今、川に舟を四艘出している。四艘で網を打てば、一日に相当量が獲れる。半月分を先に届けて、届けてから米を受け取る。俺がそう説明すると、この人はしばらく考えてから、先に届けるのか、と念を押した。
「先に届ける」
「うちが受け取って、米を出さんかったら、どうする」
「そのときは、諦める」
即答したので、年寄りは面食らった顔をした。諦めるじゃと、と聞き返してくる。俺は頷いた。そういう村があっても驚かん、と。この人はしばらく俺の顔を見ていたが、やがて盛大に舌打ちをした。あんた、そういう言い方をするからこっちが断れんのじゃ、と。
魚を運ぶのに二日かかった。網を打つのは阿六に任せた。この男は俺が知る中で一番網が上手い。子供の頃から打っているので、打つ場所を見ただけで決められる。二日で十七村分が揃った。
揃ったが、問題があった。魚は腐る。四艘で十七村を回るあいだに、後半の村へ届く頃には食えなくなる。
塩をかけましょう、と言い出したのは思春だった。塩をして干せば十日は保つ、賊のときはそうしていた、と言う。塩はうちも足りんと返すと、この娘は指を折って計算してみせた。一村分で二斗ほど、十七村で三石四斗。四千人分の一日分と少しです、と。
俺はその数を天秤にかけた。一日分の塩を使って、十七村分の魚を保たせる。悪い取引ではなかった。頼む、と言うと、思春はもう歩き出していた。この娘は、決まったことに対して動くのが速い。
十七村を回るのに、結局七日かかった。
五日で回るつもりが二日超えたのには、理由が二つある。一つは、魚を届けてから米を受け取るまでに、村ごとに一晩置いたことだ。届けたその場で米をもらうと取引に見える。一晩置くと、村の側が「受けた」ことになる。
もう一つは、断られたからだった。
断られたのは五村目、去年、俺が三度通ってようやく頷いてもらった村だ。年寄りが代わっていた。去年の年寄りは冬に死んだという。今は息子が村を仕切っていて、四十がらみのその男は、俺の顔を知らなかった。
俺はいつも通りに話した。飯を食い、去年何が穫れたかを聞き、それから頼む。魚の話もした。男は最後まで聞いて、それからはっきりと断った。
「……お断りいたします」
「理由を聞かせてくれ」
「理由はございません。ただ、出したくないのです」
理由がないというのは、たいてい嘘だ。言いたくない理由があるということでもある。だが俺は、それ以上聞かずに立ち上がった。よろしいのですか、と男が驚いた顔をする。よくはない、だが断られたら引くと決めている。魚は置いていく、これは米と換えるものではない、うちが勝手に持ってきたものだ。受け取れませんと言われたが、持ち帰っても腐る、と押しつけた。男は困った顔をして、結局受け取った。
村を出るとき、俺は一度だけ振り返って蔵を見た。戸が新しくなっていた。去年は板が一枚外れていたのを、俺は覚えている。直したということは、この村には余裕があるということだ。余裕があるのに断った。
六村目へ向かう舟の上で、阿六が聞いてきた。あの村、なんで断ったんですかね、と。
「わからん。だが、怒ってはいない。怒っている者は理由を言う。……あの男は、言わなかった」
「じゃあ、なんです」
「たぶん、怖いんだ」
阿六が櫓を握る手を止めた。先月、北の村が焼かれた。あの話はこの辺りに全部広まっている。うちに米を出した村が焼かれた、という形で伝わっている。実際は違う。あの村が焼かれたのは米を出したからではない。だが村の者から見れば、そう見える。
「じゃあ、どうにもならないじゃないですか」
「どうにもならん。……これは、こちらが悪い。うちが預けたせいで、あの村は焼かれた」
十七村のうち、断られたのは三村。集まったのは四千三百石で、もともと預けた分の半分に少し足りなかった。
蓮華さまと合流したのは十四日目、寿春の南の陣だった。俺が着いたとき、この人はもう戻っていて、卓に帳面を広げて書き込んでいる最中だった。十二村は川沿いより近いので、と顔も上げずに言う。
何村断られた、と聞くと、筆が止まった。四村です、と返ってくる。
「……多いですね」
「多い。こちらは十七のうち三だ。合わせて七村。二十九のうち七だから、四分の一近い」
蓮華さまは帳面をめくり、指で数字を追った。私のほうが二千八百石、こちらが四千三百。合わせて七千百石。四千人が一日に食うのが四十石だから、百七十七日分――半年分ある。数の上では足ります、とこの人は言って、そこで筆を置いた。
俺はその言い方に引っかかった。足りるのか、と聞き返すと、蓮華さまはこちらを見た。
「足ります。ですが、これは村が食う分です。二十二村から七千百石を持ち出しました。この二十二村は、これから半月、米がありません」
「魚を届けた。半月分だ」
「半月分です。半月経ったら終わります。刈り入れが半月後です。……ちょうどです」
ちょうどなら、いいだろう。そう言うと、この人ははっきりと首を振った。ちょうどというのは余裕がないということです、と。雨が降れば刈り入れが遅れる。三日遅れれば三日足りない。三日、二十二村が飢えます。
祈るしかないな、と言うのが精一杯だった。祈っても降ります、と返ってきた。
俺は卓の上の帳面を見ながら、断られた四村がどこかを聞いた。北の三村と、東の一村。少し間があって、この人は付け足した。焼かれた村の近くです、と。
それでこちらの三村と繋がった。断られた三村のうち二つも北寄りだ。うちに預けた村が焼かれたという話が、北から順に広まっている。
蓮華さまはしばらく帳面を見てから、静かに書き足した。何を書いている、と聞くと、断られた村の名前です、と返ってくる。視線がこちらへ向いた。
「それと、理由を推測して書いておきます。『焼き討ちを恐れたためと思われる』と」
「推測を書くのか」
「書きます。ただし、推測だと明記します。十年後にこれを読む者が、なぜこの七村が断ったのかを知りたがるかもしれません。何も書いていないと、ただ断ったことになります」
この人はそこで筆を止めて、もう一つ書きます、と言った。この七村には来年も行く、と。断られたのにか、と聞くと、断られたから行きます、と返ってきた。今年断ったのは今年の理由があるからで、来年になれば理由が消えているかもしれない。
「あなたが去年、そう言いました」
「……言ったか」
「言いました。書いてあります」
その夜、公瑾どのに報告した。この人は俺と蓮華さまの帳面を並べてしばらく見ていたが、湯呑みを持ち上げ、飲まずにまた置いた。七千百石ね、と呟く。半年分。予定より少ないわ。
「二十九村で九千石あった。七千百しか集まらなかった」
「二割足りませんね」
公瑾どのは湯呑みを指で回し始めた。回して、しばらく黙ってから、指が止まった。楚航どの、一つ確かめさせて。七村で断られたのよね。引いたのね。
「引いた」
「……なぜ、取らなかったのですか」
「取ると決めていなかったからだ。二十日で足りるようにすると言った。足りなければ、あんたが取りに行かせる。そう決めた」
決めました、とこの人は認めた。では、あんたが決めればいい。俺は頼みに行った。頼んで、断られた。そこまでが俺の役だ。
公瑾どのはしばらく俺を見て、それから少し笑った。ずるいですね。自分は引いたことにして、汚れ役を私に回すのですか。回している、と俺は認めた。認めるのですか、と言われて、認める、と返した。
「――だが、一つだけ言っておく。あんたが取りに行かせるなら、俺は止めん。……止めんが、行くのは俺だ」
この人の指がまた止まった。あなたが行くのですか、なぜです、と。
「頼みに行った者と、取りに行く者が違うと、村が混乱する。頼みに来た男が引いて、次に別の男が取りに来る。……それは、うちが二枚舌を使っていることになる。同じ男が来て『済まんが取る』と言うほうが、まだましだ」
公瑾どのはしばらく何も言わなかった。言わないまま湯呑みを持ち上げて、今度は飲んだ。取りに行かせません、と置いてから言う。いいのか、と聞くと、よくありません、と即座に返ってきた。
「よくありませんが、七千百で足りるようにします。四千人を、三千五百に減らせばいい。……五百人、村へ帰します。ちょうど刈り入れです。うちの兵の半分は、どこかの村の出でしょう」
俺はその案にしばらく黙った。上手いな、と言うと、上手いでしょう、と返ってくる。兵が減るぞ。減ります、ですが囲みは三千五百でも保ちます。城には三千を切る兵しかいない。こちらが三千五百なら囲みとしては十分です。そして五百人分の飯が浮く。
それだけではなかった。公瑾どのはそこで初めてはっきり笑った。
「帰した五百人が、村で刈り入れを手伝います。刈り入れが早く終われば、二十二村の飢えも短くなるわ」
この人は糧の勘定だけを言っているのではなかった。そこまで考えていたのか、と聞くと、今考えました、と返ってくる。嘘だな。嘘です。即答だった。あなたが二十日で足りないと言ってきたときから、考えていました。
五百人を選ぶのに二日かかった。
選び方は単純にした。断られた七村を除く二十二村の出身者を名簿から拾い、その村の刈り入れの人手が足りているかを聞いて、足りていない村へ優先して帰す。名簿を繰るのは俺の仕事だった。四千百二十人分を頭から順に見ていく。出身の村が書いてあるのは、俺が去年から書き足したものだ。
二日目の夜、名簿を繰っていると思春が来た。一揆の頭の格好のまま、俺の向かいに座る。手伝います、と言うので、読めるのか、と聞いた。読めます、字は下手ですが読むのはできます、と返ってきた。
この娘は名簿の一冊を引き寄せて、しばらく黙って見ていた。それから、この名簿、私の隊の分だけ字が違いますね、と言った。
「違うな。あんたの字だ。三年前に貼った。書き写さずに、そのまま貼った」
「覚えています。……それで、一つ気づいたことがあります。私が書いた十四人には、出身の村が書いてありません」
言われてみればその通りだった。あの十四人は思春が賊だった頃に死んだ者で、出身どころか姓しかわからない者もいる。書けんかったな、と言うと、書けません、私も知りませんので、と返ってきた。
思春は名簿をめくりながら、ですがそれでよいと思っています、と続けた。出身がわからなくても名前は残る、名前だけでもいないよりましです、と。
俺はその言い方にしばらく黙った。あんた、変わったな。三年前は、名前を書いてくれとしか言わんかった。
「今も、そう思っています。ただ、書く側になってみて、わかったことがあります」
この娘はそこで少し目を伏せた。全部は書けません、と言う。私は今、六十三人分の名簿を作っています。隊長に言われて作り始めて、半年です。
「まだ、四十七人分しか書けていません」
「遅いな」
「遅いです。字が下手なので」
それだけか。俺が聞くと、この娘はしばらく黙った。黙ってから、いえ、それだけではありません、と答えた。
「書いていると、思い出すのです。名前を書くと、その者の顔が出てきます。顔が出てくると、そのときのことも出てきます。……一日に三人が限度だと申し上げました。字が下手だからだと言いましたが、本当は違います。三人以上書くと、その夜、眠れません」
俺は返す言葉を持たないまま、名簿に目を落とした。俺は四千百二十人分を毎晩読んでいる。眠れなくなったことはない。そうですか、と返ってくる。
「だが、それは俺が慣れたからだ。慣れるまでに二十年かかった。最初の年は眠れなかった。三人書くと、その夜は起きていた」
思春がそこで顔を上げた。隊長も、ですか。俺もだ。だから一日三人でいい。三人で二十日かければ六十人書ける。それで十分だ。この娘はしばらく名簿を見てから、小さく頷いた。
五百人が村へ発ったのは翌朝だった。選ばれた者たちは妙な顔をしていた。戦の最中に村へ帰れと言われて、喜んでいいのか悪いのかわからない顔だ。
俺はその五百人の前に立って、刈り入れを手伝ってこい、終わったら戻れ、と言った。誰も何も言わなかったので、言っておくがこれは休みではない、仕事だ、と続けた。あんたたちの村はうちに米を出した。出したぶん飯がない。その飯を作りに行け。
列の中から、若い男が一人手を挙げた。うちの村は出していません、と言う。
「知っている。断った村の出の者は、選んでいない」
「では、なぜ私が」
「あんたの村は、出した村の隣だ。隣の村が飢えていると、あんたの村も影響を受ける。……刈り入れを手伝えば、両方早く終わる」
男はしばらく黙ってから、頷いた。
五百人が発ったあと、陣は静かになった。三千六百人しか残っていない。四千を切ると、陣が広く見える。
その日の夕方、俺は陣の外れに座っていた。左脚が痛んだ。ここ数日、歩き回りすぎている。足音がして、雪蓮さまが来て、隣に座った。しばらく黙ってから、七村断られたんですって、と聞いてくる。
「断られた」
「引いたのね。……悔しくないの?」
「悔しい」
即答すると、じゃあなんで引いたのよ、と返ってきた。引くと決めていたからだ。決めていたことを、そのときの気分で変えると、次から誰も信じん。
雪蓮さまはしばらく黙って、それから膝を抱えた。私、決めるのが仕事でしょ、と言う。今日、冥琳が五百人帰しますって言ったのよ。私、それを聞いて、いいわねって言ったの。それだけよ。
それでいい、と言うと、よくないわよ、と返ってきた。私、何も決めてないもの。
俺はその言い方にしばらく考えてから、決めている、と答えた。
「あんたは、囲みを続けると決めた。二十日待つと決めたのも、あんただ。七千百で足りるかどうかを聞いて、足りると聞いて、続けると決めた」
「それ、冥琳が言ったから決めただけよ」
「そうだ。だが、聞いて決めるのが、あんたの仕事だ」
公瑾どのは案を出す。俺は村を回る。思春は頭をやる。全員、自分の役をやっている。あんたの役は、聞いて決めることだ。それを、何もしていないとは言わん。
雪蓮さまはしばらく黙ってから、あなた、それ、母様に言ったことある、と聞いた。ない、と俺は答えた。あの人は聞かなかったからだ。決めてから聞く人だった。順番が逆だ。
「そうよね。私、それが嫌だったの」
この人は膝に顎を乗せた。母様、決めてから聞くのよ。聞かれたほうは、もう決まってるって知ってるから、何も言えないの。私、そうならないようにしてるつもりなんだけど。なってるかしら。
「なっていない」
即答ね、と言われた。即答した。あんたは、聞いてから決める。それは、母上とは違う。
この人はしばらく黙ってから、そう、と小さく言った。声が少し湿っていた。俺はそれについては何も言わなかった。言うと、この人が困る。
三日後、寿春の城壁で動きがあった。見つけたのは明命だった。旗が減っています、と陣に駆け込んでくる。昨日まで城壁に旗が十二本立っていたのが、今朝は九本だという。
三本減ったか。なぜだと思う。俺が聞くと、この娘はわかりません、と正直に答えた。ですが旗は隊の印です、隊が三つ消えたということかもしれません。あるいは、動かしたか。
俺は公瑾どののところへ行った。この人はその話を聞いて湯呑みを回し、減らしているわね、と答えた。
「兵を減らしているのよ、城の中で。籠城で飯が足りなくなると、まず兵を減らすの。追い出すか、逃がすか」
「逃がすのか」
「逃がすでしょうね。追い出すとこちらに拾われる。逃がせば村へ帰る。……あちらも、稲刈りを使っているのよ」
同じことを、こちらもやっている。俺は少し感心した。では、あちらは何人になる。わかりません、と返ってくる。ですが三本減ったなら三隊分でしょう、一隊が二百なら六百。三千から六百減れば二千四百で、こちらは三千六百。差が開いた。
開きました、と公瑾どのは湯呑みを置いた。ですが、これは良い報せではありません。
「飯が足りないから減らしているのよ。つまり、あちらはもう限界に近い。限界に近い籠城は、二つに一つです。開くか、討って出るか」
「討って出るか」
「二千四百で三千六百に討って出るのは、無謀です。……ですが、飢えた者は無謀をやります。楚航どの、あなた、それを見たことがあるでしょう」
腹の底が冷えた。見たことがある。北の黄巾を囲んだとき、水を断たれた八千のうち五千が城から出てきた。あれは戦っている顔ではなかった。水を飲みに行く顔だった。
ある、と俺は答えた。では備えてください、と返ってくる。備える、ただし一つ言っておく。出てきたら、斬るなと言う。
全員をですか、と聞かれたので、全員ではない、武器を捨てた者だけだ、と答えた。捨てた者には飯をやってくれ。飯があるうちは、それで済む。
公瑾どのはしばらく黙ってから、七千百石のうちどれだけ使いますか、と聞いた。わからん。二千四百人が全部出てきたら二千四百人分だ。一日二十四石、十日で二百四十石。
「二百四十石なら、出せます。では、そうしましょう」
「即答だな」
「即答します。あなたがそう仰るのは、わかっていましたので」
城が開いたのは七日後だった。討って出ては、こなかった。
夜明け前に南の門が内側から開いた。開けたのは城の兵で、出てきたのは三百人ほど。武器は持っていなかった。
俺はその報せを受けて桟橋から陣へ戻った。戻る途中でまた左脚がもつれたが、今度は転ばずに済んだ。着いたとき、三百人は陣の外に座らされていた。誰も暴れていない。座って、地面を見ている。
俺はその前に立って飯を出せと命じ、それから一人ずつ名前を聞いた。三百人分で、半日かかった。途中で蓮華さまが横に来て、何も言わずに帳面を開き、俺が聞いた名前を書き始めた。俺が聞く。この人が書く。その形が、いつの間にか出来上がっていた。
「……子渡。なぜ、名前を聞くんですか。うちの兵ではありませんよ」
「うちの兵ではない。だが、この三百人はこれからどこかへ行く。村へ帰るか、うちに入るか、他所へ行くか。……どこへ行っても、この日、ここにいたことは残る。残しておけば、十年後に誰かが探せる」
蓮華さまは筆を動かしながら、誰が探すんですか、と聞いた。わからん、と俺は正直に答えた。わからんが、探す者がいるかもしれん。この人はそれきり何も聞かなかった。
三百人のうち、六十人が村へ帰り、二百十人がうちに入り、三十人がどこかへ行った。どこかへ行った三十人の名前も、蓮華さまは書いた。行き先の欄には、行方を告げず、と記した。
その日の夜、俺は陣の外れで川を見ていた。寿春の南の川で、長江の支流だ。水が細い。足音がして思春が来た。この娘は一揆の頭の格好をやめている。もう化ける必要がなくなったからだ。
隣、いいですか、と聞くので、座ってから聞け、と言った。座ってから聞くと順番が逆だと言われます、と返ってくる。言われたのか。言われました、前に。
思春は隣に座って、しばらく黙っていた。四十七人分、書き終わりました、と言う。六十三人分のうちか。はい、あと十六人です。
早いな、と言うと、早くありません、と返ってきた。半年で四十七人です。一日三人と申し上げましたが、実際は三日に一人です。
「では、遅いな」
「遅いです。……ですが隊長、一つわかったことがあります。書き終わったら、次を書きます。六十三人が七十人になれば、七人書きます。……終わりません」
終わらんな、と俺は答えた。終わりません、と返ってくる。そして、終わらないのがいいのだと思います、と続いた。
俺はしばらく黙ってから、そうだな、と答えた。終わったら、それは誰も増えていないということだ。誰も増えていないなら、うちは潰れている。
思春がその言い方に少し笑った。この娘が笑うのは珍しい。隊長、そういう言い方をなさいますね、と言う。祭どのも同じことを仰っていました、と。
「なんと」
「『あの男は、悪い話を良い話に読み替える癖がある』と」
返す言葉を持たないまま、俺は川を見た。
城が完全に開いたのは、その三日後だった。二千四百のうち千九百が出てきて、残る五百が城の中に残った。
残った五百の中に、袁術と七乃がいた。