闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
「すまんなハリー、こっちの用事に付き合わせてな……これが最後だ」
「ううん、全然。ここ、すごいよ。もっと見ていたいくらいだ」
隣の大男、ハグリッドにハリーは心からそう答えた。
マグルの家庭……それもダーズリー家で、厄介者として虐げられながら育ったハリーにとって、突然現れたハグリッドが告げた「魔法界」という言葉は、あまりにも甘美だった。
自分には魔法使いだった両親がいたこと。自分が本当は魔法使いであること。両親が遺してくれた財産。そして、自分には帰るべき世界があったこと。
十一年間、何一つ知らされずに生きてきたハリーは、一日で人生そのものがひっくり返ってしまった。ハグリッドに連れられてやって来たダイアゴン横丁は、そのすべてを現実のものとして見せてくれる場所だった。
新学期まであとわずかとはいえ、ダーズリー家に帰らなくてはならない。その事実を思い出したハリーは、一秒でも長くここにいたかった。
石畳の通りには、人々の笑い声と店主たちの呼び込みが絶えず響いていた。
黒いローブをまとった魔法使いが、杖一本で荷物を宙に浮かせて歩いていく。その横を、フクロウが羽ばたき、奇妙な鳴き声を上げる生き物を乗せた籠が店先に並ぶ。甘い菓子の香りと、薬草の青臭い匂い、どこか焦げたような煙の臭いまで入り混じり、この通りだけが別世界の空気をまとっていた。
グリンゴッツ銀行では、鋭い目をしたゴブリンたちが忙しなく帳簿をめくっている。マダム・マルキンの洋装店では、自分と同じようにホグワーツへ入学する少年と出会った。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店には、本棚が天井まで積み上げられ、魔法薬学から呪文学、魔法生物まで見たこともない本が所狭しと並んでいた。
そして、オリバンダーの店では、魔法使いとしての杖と出会うことができた。
次はどんな店があるのだろう。次はどんな魔法に出会えるのだろう。ハリーは子どもらしい好奇心を隠すこともなく、ハグリッドの大きな背中を追いかけた。
「それで、どこに行くの?」
ハリーが尋ねると、ハグリッドは少し困ったように頭を掻いた。
「ああ、ちょいと引き取りにな。すぐそこだ」
そう言って指さした先には、小さな店が一軒建っていた。看板には、銀色の文字で『ミッドナイト魔法工房』と書かれている。
「営業時間が気まぐれでな。開いとる時間も短い。今日はやっちょるみたいだから、今のうちに用事を済ませんとな」
「僕も付いて行っていい?」
「あー、まあ……危ないことはあんまりないが、中のもんには触らんようにな」
「もちろんだよ」
店はダイアゴン横丁の賑わいから少し外れた場所にあった。
古めかしい黒い煉瓦造りで、何度も塗り直された扉は年月を感じさせる。大きなショーウインドウはなく、小さな窓から薄暗い店内がわずかに覗くだけだった。
軒先には奇妙な模様の何かが吊るされ、風もないのにゆっくりと揺れている。魔除けにしてはデザイン性が感じられ、飾りにしては禍々しさを隠せていない。
看板の文字は銀色に輝いているのに、不思議と店全体は昼間とは思えないほど影が濃い。
それでも不気味というよりは、長い年月を魔法とともに過ごしてきた職人の工房のような、静かな空気が漂っていた。
店の中には、左右の壁に沿って背の高い棚が並び、その中央に小さな机がひとつ置かれていた。
棚には、色とりどりの液体が入った小瓶や、用途の分からない金属器具、宝石の嵌め込まれた腕輪、古びた木箱などが、隙間なく収められている。奇妙な品ばかりだというのに、雑然としたところは少しもない。瓶の向きも箱の高さもきちんと揃えられ、まるで図書館の本棚のように整然としていた。
ハリーは目を輝かせながら棚を見回した。
青白い火花を絶えず散らしている指輪。中で黒い煙が渦巻いている小瓶。何も入っていないはずなのに、時折かすかな笑い声を漏らす銀の小箱。
どれも触れてみたくなるものばかりだったが、ハグリッドから念を押されたばかりだ。ハリーは後ろで手を組み、できるだけ棚から距離を取った。
「ここって、何のお店なの?」
ハグリッドは少しだけ言葉を選び、それから短く答えた。
「魔法道具を作っとる店だ。……ちょいと変わっとるが、腕は確かなんだ。」
ハグリッドは中央の机まで進むと、その上に置かれていた真鍮製の呼び鈴を、太い指先でそっと押した。
ちりん、と小さな音が鳴る。
すると、その音に応えるように、店の奥へ続く扉の上でいくつもの大きな鐘が震え始めた。
ひとつ目の鐘が低く鳴り、次いで隣の鐘が甲高い音を返す。まるで目に見えない糸でつながれているかのように、音は店の奥へ奥へと伝わっていった。
やがて鐘の音と入れ替わるように、軽快な足音が近づいてきた。
ぱたぱたと床板を叩く音が急に大きくなり、奥の扉が勢いよく開く。
現れたのは、ハリーとそう背丈の変わらない女の子だった。
後ろでひとつに束ねられた髪は、薄暗い店内でもはっきり分かるほど鮮やかな銀色をしていた。足取りに合わせて左右に揺れる髪は、冷たい月の光を束ねたように輝いている。
頭には、小さな白い三角帽子が載っていた。急いで駆けてきたためか、その先端がぴょこぴょこと元気よく跳ねている。
身にまとった同じ白色のプリーツスカートの短い裾の下からは、健康的な脚がのぞいていた。魔法道具に囲まれた薄暗い店には、少し似つかわしくないほど明るい姿だった。
少女は入ってくるなり店内を見回した。
紫色の瞳がハリーの上を通り過ぎ、棚と机の間をさまよい、それから店の半分ほどを塞いでいるハグリッドの姿を見つける。
そこまでに、ほとんど時間はかからなかった。
「あっ、ハグリッドさん!」
少女の顔がぱっと明るくなる。
「頼まれていたやつ、出来上がってますよ」
「おお、そうか。助かったぞ」
ハグリッドがほっとしたように笑うと、少女は胸を張って頷いた。
「それにしても、こんな大きな桶と作業机まで、何に使うんですか?」
少女は呆れたように笑いながら、机の下から手のひらほどの大きさになった木桶と作業机を取り出した。どちらも手のひらに載るほどの大きさだが、木目や金具、机の引き出しに至るまで精巧に作られており、まるでよくできた模型のようだった。
「うちじゃ精々、金庫くらいまでしか扱ったことがないんですから。運ぶのも加工するのも一苦労でしたよ。……まあ、何に使うのかは大体想像つきますけど」
そう言って意味ありげにハグリッドを見上げる。
「ま、まあ、ちょこっとな」
ハグリッドは視線を逸らしながら頭を掻いた。
「ダンブルドア先生にもちゃんと許可はもろうとる。森番の仕事の一環っちゅうわけだ。おまえさんが心配するようなことじゃ……」
語尾がだんだん小さくなっていく。
少女はそんなハグリッドを気にも留めず、懐から銀縁のモノクルを取り出した。片目に当てると、紫色の瞳が淡く光る。
木桶と作業机をぐるりと眺め、指先で何かを確かめるように軽く杖で叩く。
「……うん、問題なし」
モノクルを外し、満足そうに頷いた。
「最終確認も終わりましたよ。あ、それと縮小呪文を掛けてありますから、この薬を掛ければ元の大きさに戻ります」
少女は棚から透明な液体の入った小瓶を取り出した。瓶の口を確かめてから、木桶と机に添えてハグリッドへ差し出す。
「料金は前払いでいただいていますので大丈夫です。また何か必要になったら、いつでもお店まで来てください」
ハグリッドは太い指で乱雑に縮んだ桶と机をつまみ上げた。
「おお、悪いな。店番がおまえさんの母親だったら、そのまま持って帰れと言われるところだった」
ハグリッドがそう言った途端、壁に掛けられていた肖像画がぴくりと動いた。
絵の中に描かれているのは、銀色の髪を長く垂らした女性だった。銀の仮面が目元を覆っていて、素顔は見えない。深い色のローブをまとい、肘掛け椅子に腰掛けて本を読んでいる。
少女よりもずっと落ち着いた雰囲気をまとっているが、紫色の瞳や口元の顔立ちは驚くほどよく似ている。おそらく、少女の母親なのだろう。
肖像画の女性は読んでいた本から顔を上げると、ハグリッドをじろりと睨んだ。
「あはは……」
少女は気まずそうに背後を振り返り、曖昧な笑みを浮かべた。
ハグリッドは聞こえなかったふりをして、縮められた桶と机を大きな上着のポケットへ押し込んだ。
「おまえさんは母親と違って、しっかりしちょるな」
「それ、褒めてるんですか?」
少女はぎこちなく笑いながら背後を振り返った。 絵の中では机に積んでいた本の山が崩れてしまい、とてもこっちに目を向ける余裕はない。
「もちろんだ。そこでなんだが、おまえさんも今年からホグワーツじゃろ? ちょいと大きくて、ここまで持って来られんものがあってな――」ハグリッドはどこか期待するような目で少女を見た。
しかし、少女は間を置かずに首を横へ振る。首から下げた割れた円環 のネックレスが左右にゆらゆらと揺れる。
「私がホグワーツに入学するのは来年ですよ」
淡々と訂正すると、小さく息をついた。
「それに、うちは基本的に出張サービスはやってません」
ぴしゃりと言い切られ、ハグリッドは「うっ」と言葉に詰まる。
「悪い悪い。おまえさんがあんまりしっかりしちょるもんだからな」
少女はくすりと笑ってから、ふと視線をハグリッドの隣へ向けた。
「それで…………」
紫色の瞳が、初めてじっくりとハリーを見つめる。
「そろそろ、その子を紹介してくれてもいいんじゃないですか?」
ハグリッドは「あっ」という顔をした。
「おお、そうだった!」
手を叩いてハリーを押し出す。
「こいつはハリー。ハリー・ポッターだ」
大きな手でハリーの肩を軽く叩く。
「ハリー、こっちはセレフィナ。小さいが優秀な魔女だ。」
少女は裾をつまんで軽く一礼した。
「貴方が……はじめまして、セレフィナ・ミッドナイトです。まだ見習いですけど、お母様の工房で魔法道具の製作を手伝っています」
「僕はハリー・ポッター」
ハリーも少し緊張しながら頭を下げる。僅かに額の傷が痛むような気がする。
「よろしく」
「こちらこそ……」
そう言いかけたセレフィナは、不意に言葉を止めた。視線が一瞬ハグリッドに向き、得心いかなそうな顔でハリーに向き直る。
「あ、ちょっと失礼しますね」
懐から先ほど使っていた銀縁のモノクルを取り出し、右目に掛ける。
至近距離から目を合わせられたことにドギマギしているハリーの前で、紫色の瞳が淡く輝き始めた。
ハリーの周囲をぐるりと一周するように視線を動かし、額の傷、杖、服の裾まで、一つ一つ確認していく。
ハリーは少し居心地が悪くなり、思わずハグリッドを見る。なんだか、額の傷からも微かな刺激を感じたような気がして落ち着かなかった。
やがて少女、セレフィナはモノクルを外し、無言でハグリッドへ向き直った。
「ハグリッドさん。珍獣や危険生物だけじゃなく、人間まで手を伸ばすようになったんですか?」
呆れたような顔でセレフィナは口を開く。
「ホグワーツの森番なのに、怪しい生き物を勝手に飼ったりしてたって、お母様から聞いてるんですからね」
セレフィナは腕を組み、じっとハグリッドを見上げる。
「でも、よりによって、あのハリー・ポッターを連れてくるなんて……。きちんとした保護者に連絡しないと」
「ち、違うぞ!」
ハグリッドが慌てて両手を振る。
「誤解だ! ちゃんとダンブルドア先生に頼まれて連れてきとる! 今年からホグワーツに入学するんでな。魔法界のことも何も知らんのだから、案内してやらんといかん」
セレフィナはハグリッドをじっと見つめたまま、小さくため息をつく
「そんなわけありません。あの、ハリー・ポッターが魔法界を知らないなんて……」
ハリーは居心地悪そうに頭を掻く。
「あの……ハグリッドが言ってることは本当です」
二人の視線が一斉に向く。
「僕、今日初めて、自分が魔法使いだって知ったんです」
店の中が静かになった。
セレフィナは目を丸くし、しばらく何も言えなかった。
「ハリーはマグルの家で育ったからな」
ハグリッドがぽつりと言う。
「事情があって、今まで何も知らされとらんかったんだ」
「……そう、だったんですね」
セレフィナはゆっくりと目を伏せた。さっきまでの警戒した表情はすっかり消えている。
「ごめんなさい、ハリー」
申し訳なさそうに頭を下げた。
「ハグリッドさんが案内役に適任かどうかは、この際置いておくとして……」
「お、おい」
「いきなり知らない世界に放り込まれて、不安でしたよね」
「ううん、大丈夫」
ハリーは慌てて首を振った。
「びっくりはしたけど……すごく楽しいんだ」
その言葉に、セレフィナは少し安心したように微笑んだ。
「なら、これ」
くるりと棚へ向かうと、小さな木箱を取り出す。
蓋を開けると、中には銀色の細い鎖に、夜空の星のような青い石が一粒だけ付いたネックレスが収められていた。
「私が作ったものなんです」
大事そうに両手で持ち、ハリーへ差し出す。
「心を落ち着かせる魔法をかけてあります。不安になったり、眠れなくなったりした時に少しだけ気持ちが楽になるんですよ」
ハリーは思わず目を丸くした。
「えっ、でも……」
「見習いの練習作品ですから」
セレフィナは照れくさそうに笑う。
「もしよかったら、受け取ってください」
笑顔がハリーの心をくすぐった。