闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
初日の授業は、一つを除いてどれも大した内容ではなかった。
フリットウィック先生の呪文学は、本格的に呪文を扱う前の基礎の基礎。杖の扱い方や、呪文を成立させるときに意識すべきことを軽く説明した程度だった。
天文学も似たようなものだ。
教科書や星図の使い方、望遠鏡の扱い、それから授業を受ける上での注意事項。
本格的な観測は次回からで、夜に天文塔へ集まることになるらしい。
初日ということもあって、どの先生もまずは説明から始めるつもりなのだろう。
その意味で、少し異質だったのが魔法史だ。
なにしろ、初回から何の前置きもなく、普通に授業が始まった。
教壇に立つというより、半分ほど教壇をすり抜けながら話しているのは、ゴーストのカスバート・ビンズ先生だ。
出席確認もない。自己紹介もない。「この授業では何を学ぶのか」という説明すらない。
教室へ入ってきたと思ったら、そのまま教科書の続きでも読むような調子で話し始めた。
「十七世紀末から十八世紀初頭にかけて、英国魔法社会では……」
そんな調子で、魔法界の歴史が淡々と語られていく。
ビンズ先生の声には、驚くほど抑揚がない。魔法使い同士の争いも、法律の制定も、何百人もの魔法使いが関わった事件も、昨日の天気を読み上げるような調子で説明していく。
私はさらさらと羽根ペンを走らせた。かなり真面目にノートを取っている。
今日扱っているのは魔法使い社会全体の概史なので、闇の魔術そのものについて特別詳しく説明されるわけではない。
それでも、ところどころにその歴史が顔を出す。ある魔術が危険だと認定される。使用に許可が必要になる。研究が制限される。やがて所持している文献まで取り締まりの対象になる。
そうして、闇の魔術が少しずつ表の世界から追放され、地下へ追いやられていった。
教科書では淡々と「危険な魔術の規制」と書かれているけれど、その裏には、それまで積み上げられてきた技術や研究を守ろうとした魔法使いたちがいたはずだ。
隠れて研究を続けた人。文献を残した人。国外へ逃げて術式を伝えた人。禁止されても、それを失わせなかった人。私はそういう先人たちのことを思いながら、かなり細かく書き取っていた。
ふと、横を見る。ジニーは寝ていた。コリンも半分寝ている。その向こうでは、誰かが羽根ペンを鼻の下に挟んでいた。こんなに面白い話なのに。もったいない。授業が終わるころには、ノートがかなりの量になっていた。
授業が終わると、私はなぜかやってきたハリーに連れられて、クィディッチ競技場へ向かった。
「ウッドに、フィナを連れてきてくれって頼まれたんだ」
二人で城を出て、芝生の道を競技場へ向かう。
途中、ハリーが少し懐かしそうに笑った。
「僕も去年、こんな感じだったんだ」
「こんな感じ?」
「いきなりマクゴナガル先生に呼ばれて、そのままウッドのところに連れていかれたんだ。何が始まるのか全然分からなかった」
そういえば、そうだった。
ハリーが一年生なのにグリフィンドールのシーカーをやっていることは知っていたけれど、どういう経緯でそうなったのかまでは聞いていなかった。
「それで、いつの間にかクィディッチを?」
「うん」
ようやく謎が解けた。ウッド先輩、一年前にも同じことをしている。そして、マクゴナガル先生も止めていない。むしろ積極的に協力しているらしい。
……昨日から少し気になっていたけれど、やっぱりクィディッチのことになると妙だ。
やがて競技場が見えてきた。
「やっぱり、広いなぁ」
ネックレス越しに一度か二度、競技場を見たことはある。けれど、映像で見るのと、実際にその場所へ立つのとでは全然違った。実際に芝生の上へ降りると、さらに広く感じる。
視界いっぱいに緑の芝生が広がり、その両端には三本ずつ、高いゴールポストが空へ伸びている。周囲を何段もの観客席が取り囲み、その上には寮の色をした旗が風にはためいていた。
遮るものがほとんどないせいか、城の中よりずっと風が強い。箒で飛ぶには気持ちがよさそうだ。
「来たな!」
フィールドの中央で、ウッド先輩が大きく手を振った。
既に箒やボールの入った木箱まで用意している。その隣にはアンジェリーナ先輩。
そして――。
「……マクゴナガル先生?」
なぜか先生までいた。黒いローブを風になびかせ、腕を組んでこちらを待っている。
「あなたを特例でチームに参加させる可能性があるのです。寮監である私が確認するのは当然でしょう」
「そういうものなんですか?」
「そういうものです」
言っていることはもっともだ。もっともなのだけれど。
私は先生の顔をじっと見る。いつものマクゴナガル先生と、ほとんど変わらない。背筋を伸ばし、口元をきゅっと結んでいる。だけど、眼鏡の奥の目が、ほんのわずかに楽しそうなのだ。
「とりあえず、普段どおり飛んでみてくれ」
「はい」
ウッド先輩に従って、クリーンスイープに跨って確かめる。
うん、完全に私に服してくれているみたいだ。ポンポンと叩いて確認を終えた。
箒というのは、案外わがままだ。
きちんと調教していない箒は、乗り手が進みたいと思っただけでは動いてくれない。身体の傾きや手の力を通して、いちいち「こっちへ行って」とお願いする必要がある。
それでは遅い。
だから私は、箒のようにある程度意志を持つ存在にも苦痛与えるように磔の呪文を応用している。命令に逆らえば痛い。従えば痛くない。それを何度か繰り返せば、箒は自分からこちらの意図を読んで動くようになる。
普段使っている箒ほど徹底的には躾けていないけれど、このクリーンスイープも十分だ。
「じゃあ、行きます」
柄を軽く叩く。
次の瞬間、箒が跳ねた。
最初から全力。自分の魔力まで削るような勢いで加速させ、一気にトップスピードへ持っていく。
身体を伏せる。同時に、前方の空気を薄く左右へ押し退ける。
風圧が消えた。さらに加速する。
観客席が線になって後ろへ流れていく。
気持ちいい。私はそのまま箒の頭を引き上げた。
急上昇。空しか見えなくなる。
そのまま上へ一回転。続けて頭を落とし、今度は下向きに二回転。
空。地面。空。地面。景色がぐるぐる入れ替わる。
それでも、箒は一度も私の身体から離れない。
「ふふっ」
思わず笑いが漏れた。
大空を統べるというのは、やっぱりいいものだ。こういう飛び方をするのは、本当に久しぶりだった。
競技場を一周。
二周目。
身体を右へ倒す。箒も右へ傾く。
腰を捻る。箒の柄まで同じ角度で回転する。右旋回と身体の回転をぴたりと合わせ、そのまま螺旋を描いて急降下。
地面へ向かって速度を上げる。
芝生が迫る。そこで身体を起こした。箒が瞬時に応じる。
急制動。
さっきまでの速度が嘘のように消え、地面すれすれでほとんど静止した。
「おい!」
下からウッド先輩の声が飛んでくる。何かまずかっただろうか。
「あまり無茶をしなくていいぞ」
「はーい!」
返事をして再び加速。
三本のゴールポストへ向かう。
右。左。中央。
一本目を横倒しになって抜け、その姿勢のまま身体を一回転させる。
箒もついてくる。
もう一回。風景が、空、観客席、地面、空と入れ替わる。
箒で飛ぶときに一番大事なのは、箒をただの乗り物だと思わないことだ。
しっかり支配する。
自分の身体の動きと、箒の動きを完全に同期させる。腕を動かせば曲がる。腰を捻れば回る。重心を移せば傾く。身体を止めれば、箒も止まる。
最終的には、考える必要すらない。右へ行きたいと思った瞬間には、もう右へ曲がっている。箒が自分の身体の一部になる。
そこまで従順になるよう、きちんと躾けておく。
この辺りは、魂の管理とよく似ている。強く押さえ込みすぎれば動かなくなる。自由にさせすぎれば勝手なことを始める。
どこまで拘束して、どこまで自由を残すか。そして最後には、自分の意思と相手の動きを一致させる。扱うものが魂か箒かという違いだけで、基本は同じだ。
最後に競技場を大きく一周してから、三人の前へ戻る。
速度を落とし、ふわりと着地。
「こんな感じです」
ウッド先輩が、ぽかんと口を開けている。アンジェリーナ先輩も目を丸くしている。
そして、マクゴナガル先生。腕を組んだまま、じっと私を見ている。でも眼鏡の奥の目が、ものすごく輝いていた。
「ウッド」
「はい!」
「見ましたね」
「もちろんです!」
二人とも、なんだか声が弾んでいる。
「ポジションは?」
マクゴナガル先生が、まだ空を見上げたまま尋ねた。
「ポジションは?」
「チェイサーがいいと思います」
ウッド先輩は迷わなかった。
「それも、速攻型で」
ウッド先輩が私を見る。
「相手のチェイサーに寄られても逃げられる。ブラッジャーを振られても、あの旋回なら躱せる。ボールを持ったまま一人で敵陣を切り裂けるようになれば、かなり厄介です」
「なるほど」
マクゴナガル先生が真剣に頷いている。
本当にクィディッチの話をしているときだけ、妙に楽しそうだ。
アンジェリーナ先輩も口を挟んだ。
「体が小さいから、相手にぶつかって押し切るようなタイプじゃないね。私たちと同じ飛び方をさせるより、捕まらないように飛ばしたほうがいいと思う」
「そうだな。そうと決まれば、次はボールの扱いの練習だ。」
ウッド先輩が腕を組む。いつの間にかどんどん話が進んでいく。
マクゴナガル先生が咳払いをした。
「もっとも、まだ不安は残ります」
ウッド先輩の表情が少しだけ真面目になる。どうやら、マクゴナガル先生は止めてくれそう……ではなさそうだ。
「はい」
「飛行技術とクィディッチの技術は同じものではありません。クアッフルを扱いながら同じ飛行ができるか、味方と連携できるかも見なければなりません」
「それは練習で見ます」
マクゴナガル先生がこちらへ向き直った。
「ミッドナイト」
「はい」
「特例です。飛行訓練の授業を終えたら、グリフィンドールのチームへの参加を許可します」
ウッド先輩が横で拳を握る。
「よし!」
マクゴナガル先生まで、満足そうに小さく頷いている。
私はそこでようやく完全に理解した。
厳格で規則にうるさく、例外など絶対に認めなさそうな副校長。
それが一年生を特例で競技場へ呼び出して、その場でチーム加入まで認める。その正体はかなり重度のクィディッチ狂いだったらしい。
まあ、それはそれで悪いことではない。
むしろ、マクゴナガル先生に近づけるのは都合がいい。
副校長で、グリフィンドールの寮監。ダンブルドア校長からの信頼も厚いらしいし、魔法省にもそれなりに顔が利くはずだ。
何より、規則をただ守るだけの人ではないということが分かった。
クィディッチのためなら、一年生を特例でチーム練習に参加させるくらいには柔軟なのだ。
これは大きい。
もちろん、いきなり闇の魔術の規制緩和について相談するつもりはない。
そんなことをすれば、さすがに警戒される。
まずは普通の生徒として授業を受ける。
クィディッチで活躍する。
少しずつ信用してもらう。
そのうち、魔法理論について話をして。
危険だからというだけで、一律に研究まで禁じるのはおかしいのではないか、と。
そういうところから始めればいい。
私は満足そうに頷いているマクゴナガル先生を見た。
寮の部屋に戻ると、ジニーはベッドから少し離れた長椅子に座って、何やら書いているようだった。
ずいぶん夢中になっている。羽根ペンを走らせては少し止まり、また何かを書き込む。
私は後ろからそっと近づいた。
「何書いてるの?」
「ひゃっ!?」
ジニーが飛び上がった。
慌てて閉じ、胸元へ抱え込む。顔が一気に赤くなった。
「フィ、フィナ! 帰ってきたなら言ってよ!」
「ただいま」
「今言っても遅い!」
そんなに見られたくないものだったらしい。
「ごめんごめん。そんなに夢中になってたから、何かなって」
「べ、別に何でもないの。日記よ、日記」
「ふうん」
まあ、日記なら見られたくないのも分かる。私はそれ以上追及せず、ジニーの隣へ腰を下ろした。すると彼女はほっとしたように日記を鞄へしまい、今度は逆に身を乗り出してきた。
「それより、クィディッチはどうだったの?」
「入ることになりそう……」
「ほんと!?」
また顔が明るくなる。
「すごいじゃない!」
「なんかチェイサーになるつもりみたい」
「じゃあ、ハリーと一緒に試合に出るかもしれないんだ」
「そうなりますね」
ジニーが少し羨ましそうに笑った。
「いいなあ。私もクィディッチやりたい」
「やればいいんじゃない」
「一年生だもの」
「私も一年生ですけど」
「フィナは特例でしょ!」
まあ、ジニーも飛ぶのは好きなので、そのうちチームに入るかもしれない。
そのあとも、ウッド先輩がどれだけクィディッチのことしか考えていなかったかとか、マクゴナガル先生が思っていた以上にクィディッチ好きだったとか、そんな話をしばらく続けた。
ジニーは何度も笑っていた。ただ、ときどき鞄の中の日記へ視線を落としていた。ずいぶん気に入っている日記らしい。
私はそのとき、それ以上のことは特に考えなかった。