闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
昼間は魔法使いで賑わっていたダイアゴン横丁も、夕方になると途端に人通りが少なくなる。
電灯なるものが普及してあらゆる場所が光らないと気が済まなくなったマグル界と違い、整備が進んでいない魔法界には暗闇が多い。闇の帝王を自称していた例のあの人がいたころには、闇というのは彼の代名詞であり、それゆえか未だに夜の外出を嫌う魔法族は少なくない。
夜というものの魔法効果を忘れた現代の魔法使いだろうと、夕方になるとそそくさとダイアゴン横丁を離れていくのだ。
そういうわけで、私も胡散臭い客を追い出して店を閉める。お母様から聞くような闇の魔術は減り、中途半端で手軽な物品だけが出回っているという指摘は正しいのだろう。
店の奥に置かれた藁で作られた簡素な人形を杖でつついて確認し、防犯グッズを起動する。ガラクタと大差がないものでも、こうして存在しているだけで多少は守ろうとしている感じが出るもので、だんだん可愛く思えてくる。
それから金庫を開け、中にしまってあった古びた鍵を取り出した。
鍵を強く握った瞬間、ぐるりと腹の底から身体を裏返されるような感覚に襲われる。次に足が地面についたときには、もう屋敷の玄関広間だった。
ポートキーと呼ばれるこの魔法は物体を転送用の鍵にし、触ることで双方向に発動する。ロンドン郊外の地下にあるこの屋敷から、ダイアゴン横丁にある店まで毎日行き来できるのはこれのおかげだ。
鍵を玄関の金庫に入れて、杖で合言葉を三度唱えて広間に入る。
銀色の髪を束ねていた紐を解いた。肩へ流れ落ちる髪に杖を向け、変身魔法を解除する。
銀髪は艶のある黒へ。紫だった瞳も、血のような赤へと戻っていく。お母様の高尚な趣味兼目くらましのために元気な看板娘を演じているものの、テンションを維持するのにはそれなりに精神をすり減らす気もする。いちいち解除するのも面倒だけど、ずっと変身したままだとあっちが本当の自分になりそうな気がしてくる。
とはいえ、看板娘も長くやりすぎて自分の一部にもなりつつあるし、来年からホグワーツに行けばそんなことも言っていられなくなる。
小さな薬品棚から軽めの元気魂ドリンクを取り出して一気に飲み干す。
「うーん、やっぱり美味しい。仕事終わりの一杯は格別」
あのお母様ご謹製の魔法薬だけあって、魂が回復していく感覚が体を滾らせる。普通の家で育ったら発狂しそうな闇の魔術に傾倒しているらしきお母様だが、その分こういう魔法薬を作らせればおそらく魔法界でも右に出るものはいないだろう。
私からすれば、ちょっと面倒な方法で作っているだけだが、決して口外しないようにとの言いつけからも察せられるものがある。それに、店に来る客からの情報によって魔法界でも問題になるらしいということは分かっている。
「あら、お帰りフィナ。今日も問題なく働いているようね」
お母様が言ったのは、店に残してきた私の形代のことだ。
魔法界を独裁的な権力によって支配し、魔法界に不和と混乱をもたらしてきた魔法省。彼らは魔法界でさらなる支配を進めるために、”匂い”という闇の魔術を生み出した。それは、未成年の周辺で魔法を使った場合、その魔法の種類まで魔法省が把握できるというものだ。明らかに魔法使いの自由を大幅に制限する魔法だけど、マグルから魔法界を隠すためという理由で正当化されてきたらしい。
そんなものがあっては、私がいる屋敷の中でちょっと服従の呪文を使う程度で魔法省にこの場所がばれてしまう。それを解決するために、お母様が開発したのが私の魂を一部分けて人形に入れて置くことで、”匂い”の魔法が感じる場所をダイアゴン横丁のミッドナイト魔法工房に偽装するという形代の魔法だ。
魂を扱う錬魂術の推定第一人者のお母様らしい魔法で、この十年間特に問題が起きたことはない。私を産むことになって、魔法省の悪辣な魔法に対抗するために一年を掛けて開発したそうだ。要するに、この魔法はお母様からの最初の贈り物なのだ。
そんなわけで魔法省から見れば、私は今も店の奥でおとなしく過ごしていることになっている。実際の私は、こっちの屋敷へ戻っているというのに。
「今日の注文分、私がやってもいい?」
私はお母様に尋ねる。検知不能拡大呪文で広げた鞄から注文書と加工前の品を取り出す。 今日の注文分はいずれも小さなもの、鍵とチェスの駒、玩具の不壊化と、いくつかの簡単な呪いで、そんなに難しくもない。金庫や家具になると、まだ不安が残るけど、この程度は私にも十分可能だ。
「あら、助かるわ。薬の調合で手が離せなくて」
お母様は大鍋をかき混ぜながら、棚の上を杖で示した。すっといくつかの箱が飛び出してくる。
「あと、上から三段目、黒い箱に入っている分もお願い。呪い避けの銀鎖が二本と、悪夢を吸い取る枕飾りが一つだったかしら」
そこでお母様は少し考え、何でもないことのように付け加えた。
「銀製のは気持ち強めに込めておいたほうが出来上がりはいいわ」
「はーい。」
箱を開けて確認すると、ゴブリン製らしき銀製品がいくつか収められている。精巧だけど丈夫そうなので、多少強めに掛けても大丈夫だろう。
お母様が少し上機嫌なこの状況を利用して、私はお母様に問いかける。
「そういえばお母様、今日、お店にハリー・ポッターが来ていました」
鍋をかき混ぜていたお母様の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「ああ、あのハリー・ポッターね」
お母様に驚いた様子はない。ただ、警戒するように言葉を発している。そのうち会うことを察していたのだろうか…………。
けれど、私はそれだけではない事を察していた。その程度のことならお母様の手が止まることはない。秘密主義のお母様の娘として、このあたりの観察には自信がある。
「知っているんですか?」
と問いかける。
「うーん、直接会ったことはないわ。でも、有名でしょう? 生き残った男の子。額に傷があって、両親を殺した魔法使いの呪いを跳ね返したという」
お母様は再び杖を動かした。鍋から上がる煙からすると、今度は流し込む魔力の加減を間違えているようだ。そして、だからこそ私が今日見たものが正しかったことが分かる。
お母様の作ったモノクルが、魂の状態を見誤ることなど、そうあるはずもない。それでも、あまりに奇妙で、あまりに興味深いものだったから、私は自分の目だけでは信じきれずにいた。
「ハリー・ポッターの魂。やっぱりお母様はあれについて知っていますよね?」
確信を持った私はお母様を正面から問いただした。
ハリー・ポッターの魂は、あまりにも奇妙だった。
中心にあるのは、傷一つない正常な魂。おそらく彼が生まれたときから持っている、本来の魂だ。
だが、その表面には、もう一つの小さな魂がへばりつくように存在していた。
二つの魂は混ざり合っていない。互いに反発している様子もない。まるで長い年月を共に過ごすうちに、互いの存在へ慣れてしまったかのような、不自然なほどの親和性があった。
それでいて、小さな魂はハリーの中だけで完結していなかった。
細い糸のような繋がりが、どこか遠くへ伸びている。
そして、その繋がりは彼の肉体のある一点……額の傷を通して結ばれていた。
人間は、生まれるときにただ一つの魂を持つ。
魂を肉体から抽出することはできる。別のものへ混ぜ込むことも、砕くことも、削り取ることもできる。
けれど、一つの肉体の中で、複数の魂を独立したまま両立させることはできない。少なくとも、それが、この一年近く研究を続けてきた私の現時点での結論だった。
無理に別の魂を埋め込もうとすれば、二つは混ざり合って別のものになるか、肉体に拒絶されて弾き出される。場合によっては、後から入れた魂が先にあった魂を押し出し、肉体を奪ってしまうことさえあった。
けれど、ハリー・ポッターは違う。両者の大きさは違うが、二つの魂がどちらも失われず、混ざりもせず、一つの肉体の中に収まっていた。
そんな形が、すでに存在していたなんて。
そこで、ようやく気づいた。お母様は最初から知っていたのだ。
私が生き物へ別の魂を入れる研究を始めたときも、難しいとは言いながら、一度も不可能だとは言わなかった。失敗が続いても、研究の方向そのものを疑おうとはしなかった。
私ならいつかできると、妙なほど確信していた。
それは、娘の才能を信じていたからだけではない。すでに成功例を知っていたからだ。ハリー・ポッターという、二つの魂を宿した生きた人間を。
「フィナ」
お母様は鍋をかき混ぜる手を止め、珍しく真剣な目で私を見た。
「あまり、あれに関わってはいけないわ」
「どうしてですか?」
「いつも言っているでしょう。世の中には、闇の魔術というだけで嫌悪する人が多いのよ。そして、闇の魔術に攻撃的な魔法も数多く存在するわ」
返ってきたのは、魂の仕組みについての答えではなかった。
「ハリー・ポッターは、あの人の闇の魔術を受けて生き残った。そんなことは、本来ならあり得ないわ」
お母様は杖を振り、鍋の火を少し弱めた。いつもの理路整然としたお母様ではなく、どこか話は要領を得ない。
「だから、あの子は、何か未知の力に守られている可能性が高い。どのような術が働いたのかも、その代償が何だったのかも、まだ分からない。だけど、闇の魔術に対抗し、その術者を殺すような何か悪質な魔術が込められているのは間違いないわ」
「でも、魂が二つあることは知っていたんですよね?」
「少しだけ見て…………そして推測していただけよ。あの夜に何が起きたのかを考えれば、魂に何らかの異常が残っていても不思議ではないもの。あの人が何をしていたかを考えればね……」
お母様はそう言ったが、やはり知っていたのだと思う。少なくとも、私よりずっと以前から、ハリー・ポッターの中に何かがある可能性を考えていた。
「あの人は、魔法族を相手にも容赦なく闇の魔術を使い、死を振りまいたわ」
お母様の声音には、嫌悪というより、出来の悪い研究者を評するような冷たさがあった。
「魂を傷つけること自体が悪いとは言わない。でも、目的も制御もなく、ただ殺すために闇の魔術を使い続けるのは、良い使い方とは思えないわね。それを倒すというのは分からなくはないわ」
少しだけ間を置いて、お母様は続けた。
「でも、それとハリー・ポッターの扱いは別の話よ」
「別?」
「あれには、ダンブルドアの目がついている。魔法省も見張っているでしょうし、例の残党が探している可能性もある」
お母様は私の額を指先で軽く押した。
「そんな子供の魂を調べ回っているところを見つかれば、何をしていたか説明する前に捕まるわよ。魔法省という組織を甘く見ちゃだめよ。隙あらば闇の魔術を独占することに執心しているのだから、ハリー・ポッターにもどんな魔法が使われたことか……」
自分の世界に入っていくお母様になぜか可笑しさを感じてしまう。
「とにかく、あれに宿されたものが何なのか、それが分かるまでは関わらないこと。いいわね?」
「はーい」
返事だけは素直にしておいた。お母様は再び鍋へ向き直ったが、薬液を混ぜながら、小さく呟くのが聞こえた。
「もっとも、あれほどの現象を起こしたのだから……何かの命か、魂そのものを犠牲にした魔法でしょうけれど」
私は思わず振り返った。
けれど、お母様はそれ以上何も言わなかった。
何かの命。あるいは、魂を犠牲にした魔法。
それによって、死の呪文が防がれ、同時に別の魂がハリー・ポッターへ入り込んだ。
そんなに面白いものを、何もせずに手放せるわけがない。やはり直感で監視用のネックレスを渡したのは間違いじゃなかった。
今すぐにでも考えをまとめたいけれど、お母様の近くにいると、すぐに考えを読まれてしまう。質問すれば止められるし、黙って考えていても、顔を見れば大体ばれる。
「そういえば、店に忘れ物をしてきました」
「何を?」
「あー、研究帳です」
これは本当だった。ただし、今すぐ必要というわけではない。私は闇の魔術と分からない程度のジョークグッズの開発を進めていて、そのアイディアを書き出していただけだった。
「すぐに取ってきます」
お母様の返事を待たず、私は玄関広間へ向かった。
台の上に置いていた古びた鍵を握る。腹の底から身体を裏返されるような感覚の後、私は再び、ダイアゴン横丁の店の奥に立っていた。
店内は暗く、表通りから差し込む夕暮れの光だけが、棚に並ぶ瓶や魔法道具の輪郭を浮かび上がらせている。
私は作業机に腰掛け、研究帳を引き寄せた。今日書き残したものを見ながら考えを進める。
正常な魂が一つ。
その表面に定着した、小さな魂が一つ。
両者は混ざらず、反発もせず、長い年月をかけて馴染んでいる。そして、小さな魂から額の傷を通して、どこか遠くへ続く繋がり。
羽根ペンを取る。
静かな店の中で、ようやく頭の中の考えが一つずつ形になり始めた。
ハリー・ポッターの中にあるものは、浮魂器に保存された魂とは違う。あれはそれなりに保存できるけど、品質も徐々に落ちるしそれだけだ。
いつも作る分霊箱のように、器そのものへ魂が固定されているわけでもない。
生きた肉体の中で、魂が独立したまま共存している。ならば、重要なのは魂を入れる方法ではない。
入れた魂を、元の魂と混ぜず、追い出されず、消えもせずに維持する仕組みだ。
私は研究帳の新しい頁に、大きく題名を書いた。
生体内における複数魂の共存について。
そのときだった。
胸の奥が、にわかにざわめいた。痛みではない。何かに呼ばれたような、遠くから細い糸を引かれたような感覚だった。続いて仕掛けておいた防犯グッズが騒ぎ始める。
私は羽根ペンを止め、顔を上げる。
店の中に異常はない。戸締まりもしたままだし、形代にも反応はない。
それでも、店の外に何かがいて、入ってこようとしている。
私は机の引き出しから小さな銀の留め具を取り出し、襟元につけた。触れると、あらかじめ込めておいた変身術が発動する。回数制限はあるけど、便利な魔法道具だ。何より、道具の使用なので検知されないのもいいところだ。
黒い髪が銀色へ変わり、赤い瞳も紫色に染まった。店にいるときの、セレフィナ・ミッドナイトの姿だ。
夕方を過ぎたダイアゴン横丁は、昼間の賑わいを完全に失っていた。閉店準備を始める店も多く、通りを歩く人の姿もまばらになっている。
その中に、一人だけ立ち止まっている男がいた。
頭には大きなターバンを巻き、身を隠すような長いローブを着ている。落ち着かなげに周囲を見回しながら、こちらの店内を窓越しに覗き込んでいた。
いかにも怪しい。
私が出てきたことに気づくと、男はびくりと肩を震わせた。それから、値踏みするように私の顔をじろじろと見る。
その視線を受けた瞬間、胸のざわめきが強くなった。知らない男のはずなのに、どこか懐かしい。以前に会ったことがあるという感覚ではない。
もっと曖昧で、もっと直接的な……魂の形を、どこかで見たことがあるような気がした。
「こ、この店の者かね?」
男が尋ねた。声はひどく小さく、言葉の端がわずかに震えている。
「そうですけど、ごめんなさい。もう閉店しましたよ。」
そういう私の言葉に被せて男が口を開く。
「ひ、昼間、大男がここへ来なかったか?」
「大男?」
私の脳裏には一人だけ候補が浮かぶ。
「ルビウス・ハグリッドだ」
やはり、ハグリッドさんのことらしい。
男は一歩近づき、声を潜めた。
「彼が、何か怪しいものを持ち込まなかったかね? 危険な品である疑いがある。彼には、危険生物から採取した禁制品を、許可なく持ち出す癖があるのでね」
随分と具体的な言い方だった。疑われるのも無理はないけど、恐らく今日に関しては冤罪だろう。
今日ハグリッドさんが店へ持ってきたものはない。以前注文していた、縮小済みの桶を引き取りに来ただけだ。
「何も持ち込んでいませんよ。注文していた品物を引き取りに来ただけです」
「注文の品?」
「お客様の注文内容は教えられませんよ」
男は何か言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じた。
「そ、そうか。ならばいい」
そう言いながらも、その目は私ではなく、私の背後にある店へ向けられている。店の棚や奥の作業場を、どうにかして見通そうとしているようだった。
「危険なものがあるなら、魔法省の人を連れてきたほうがいいんじゃないですか?」
私がそう言うと、男の顔が強張った。
「いや、その必要はない。こちらの勘違いだったようだ」
男は慌てて身を翻し、足早に通りを去っていった。
私はその背中を見送る。胸のざわめきは、男が遠ざかるにつれて少しずつ弱くなっていった。
やはり、あの男が原因だった。けれど、何が引っかかったのだろう。声でも、顔でも、魔力でもない。あの男の内側にある何かを、私は知っている。
つい先ほど、どこかで見たばかりのような気さえする。
私は店へ戻り、扉に鍵をかけた。
机の上には、開いたままの研究帳がある。
正常な魂が一つ。その表面にへばりついた、小さな魂が一つ。そして、どこか遠くへと伸びる繋がり。
私は羽根ペンを握り直した。
まさかと思いながら、研究帳の余白に、ターバンを巻いた男の特徴を書き加える。
もし、さっき感じた懐かしさが錯覚でないのなら。
ハリー・ポッターの中にある小さな魂が繋がっている先は、思っていたよりもずっと近くにいるのかもしれなかった。
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