闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
朝一番の授業は闇の魔術に対する防衛術だった。
別に多くを語る程のものではないが、ロックハートの授業は兎に角ひどかった。
難しいとか、分かりにくいとか、そういう意味ではない。
あえて評すならば、恐ろしいほどに中身がないという他なかった。
黒板の前に立ったロックハートは、今日も満面の笑みを浮かべていた。
「さて諸君! 今日は、私がヴァンパイアの群れにたった一人で包囲された時の話をしよう!」
教室のあちこちから、女子生徒の小さな歓声が上がる。
「先生、それって『バンパイアとバッチリ船旅』に書いてあったお話ですか?」
「その通り! よく読んでいるね!」
ロックハートは白い歯を輝かせた。
「もっとも、本には紙幅の都合で書けなかったことも山ほどある。たとえば、あの時の私は杖を失っていてね――」
私は教科書から顔を上げた。
杖を失っていた状態でヴァンパイアの群れを追い払ったらしい。
どうやって?
そこが一番知りたい。
「まず、私は彼らの注意を引きつけるために、崖の上へと駆け上がった!そして月光を背にして、こう言ったのさ。『君たち、今夜は相手が悪かったね』と!」
女子生徒から笑い声が上がった。私は隣の席に小さく囁く。
「それで、何の呪文を使ったの?」
コリンが小声で答える。
「さあ、今のところ、吸血鬼とお遊戯をしただけ」
さらに十分。
結局、ロックハートは自分がどれほど勇敢だったか、ヴァンパイアたちがどれほど恐れおののいたか、村の女性たちがどれほど彼に感謝したかを語った。
使った呪文については、一言もなかった。
授業終了の鐘が鳴る。
「では次回までに、『雪男とゆっくり一年』の第五章から第八章まで! 特に、私が吹雪の中で三日間一睡もしなかった場面にはよく目を通しておくように!」
生徒たちが立ち上がる。私は机に額をつけた。
「……今日、何を習った?」
隣で鞄を片づけていたコリンが考え込む。
「ロックハート先生は、吹雪の中でも髪型が崩れない?」
「闇の魔術に対する防衛術の授業だよね?」
「時間割にはそう書いてあるけど、もしかして雪山での髪型の防衛について教えてくれるのかもしれない」
私は思わず吹き出した。最近は、授業が終わるたびに彼とこんな愚痴を言っている気がする。
廊下へ出ても、後ろでは女子生徒たちがまだ盛り上がっていた。
「ロックハート先生、今日も素敵だったわ!」
「ヴァンパイアに囲まれてもあんなに冷静だったなんて!」
私は振り返る。
「そこ、疑わないんだ」
コリンも振り返った。
「本に書いてあるからじゃない?」
「その本を書いたの本人だよ」
コリンは少し考えてから、
「じゃあ僕、将来本を書いて、ドラゴンを百匹倒したって言おうかな」
と言った。
「写真を要求する」
「セレフィナは厳しいなあ」
階段を下りながら、私はため息をついた。
「せめて一つくらい呪文を教えてほしいんだけど」
これでは何のための授業なのか分からない。
まあ……私としては、都合がいいのだけれど。
ホグワーツの『闇の魔術に対する防衛術』がこの有様なのは、むしろ素晴らしいことだった。
生徒にまともな対抗呪文を教えない。闇の魔術への対処法も教えない。実戦的な防御術にも触れない。
私が何か細工する必要すらない。勝手に授業が潰れてくれるのだから。こちらから手を下す真似もなく、防衛術の教育水準だけが綺麗に落ちていく。
これほど楽なことはない。
ただし一つだけ、困ったこともある。
「……闇の魔術そのものも出てこないんだよね」
「え?」
コリンが私を見る。
「ううん。なんでもない」
防衛術を教えないということは、当然、その対象についてもほとんど教えないということだ。
呪いの構造。人体への作用。精神干渉。長期間残留する術式。解除の難しい古い魔法。
そういったものに、授業を通して触れる機会までなくなってしまった。このままでは、闇の魔術そのものに興味を持つ機会が失われてしまう。ロックハートは、その入口にすら連れていってくれない。
ただ自分の本を開き、自分の冒険談を語り、自分の笑顔を見せて授業を終える。
「……やっぱり、つまらない先生だなあ」
私がそう呟くと、隣を歩いていたコリンがこちらを見た。
ロックハート先生のことかと聞かれたので、頷く。コリンは、女子にはかなり人気があるけどね、と苦笑した。
確かに、廊下でも授業でも先生の話をしている女子生徒は多い。けれど、私にはいまいち魅力が分からない。
「顔で呪いは解けないよ」
そう言うと、コリンは、それは本人には言わない方がいいと思う、と妙に真剣な顔で忠告してきた。
「どうして?」
「たぶん一時間くらい、自分の顔で解決した事件の話を聞かされるから」
私は足を止めた。
「……それは嫌だ」
ロックハートに対するコリンの意見に心から同意した。
夜のグリフィンドール談話室は、昼間とはまるで別の部屋に見えた。
暖炉の火はすっかり小さくなり、赤く沈んだ熾火だけが、ときどき思い出したようにぱちりと爆ぜる。
壁に掛けられた赤と金の旗も、昼間ほど鮮やかではない。窓の外は真っ暗で、古いガラスには談話室の灯りと、そこに残っている数人の姿だけがぼんやり映っていた。
ほとんどの生徒はもう寝室へ戻っている。
そんな中、談話室の隅にある小さな丸テーブルだけは、まだ妙に活気づいていた。
「つまりさ、塗った場所からそのまま髭が生えるだけじゃ、面白くないんだよ」
フレッドが身を乗り出しながら言うと、ジョージが当然のように続きを引き取った。
彼らが欲しいのは、塗った直後には何も起きず、本人が安心した頃になって突然効果を発揮するものらしい。
もっと具体的には、顔を洗った瞬間に一斉に髭が生えるのが理想とのことだった。
私は少し想像してから頷いた。
「うん。その方が絶対いい。面白い」
三人の間には、何冊もの本が無秩序に広げられている。
『日用品に使える簡易変身術』
『毛髪と体毛の魔法的性質』
『家庭でできる魔法薬――初級から中級まで』
そして、なぜか妙に年季の入った、
『ハゲとの戦い 半世紀の死闘』
まである。
最後の一冊だけ、著者の執念が題名から滲み出ていた。
その横には、厨房でもらってきた夜食が並んでいる。冷めかけたミートパイにパン、リンゴ、それから大きなポットに入った紅茶。
深夜の談話室で、三人の学生が本を積み上げて真剣な顔で議論している。
見ようによっては、とても勤勉な勉強会だった。
研究対象が、洗顔後に突然十五センチの髭を生やす方法でさえなければ。
私は片手でパンをちぎりながら、本のページをめくる。
「でも、普通にクリームとして塗るだけだと、その場で効いちゃうよね」
そこが現在の最大の問題だった。
フレッドとジョージの案は妙に細かい。
本人が寝ている間に塗っても気づかれないこと。起きても変化がないこと。
そして、顔を洗って「よし、何もない」と安心した直後に、鏡の中の自分が立派な髭面になっていること。
悪戯に対する要求仕様としては、かなり厳しい。
「塗った時点で皮膚に吸収されたら、そのまま毛根に作用しちゃう。洗うまで反応させたくないなら、薬効を一度どこかに閉じ込めておかないと」
そう説明すると、双子は揃ってこちらを見た。どうやら、そういう難しいところを考えるために私がいるらしい。
それを指摘すると、二人はたいへん心外そうな顔をした。
自分たちは私の才能を深く尊敬しているのであって、決して便利な技術者扱いしているわけではない。その証拠に夜食まで用意した、と主張する。
私はテーブルのミートパイを見る。
「厨房からもらってきただけでしょ」
ジョージは何食わぬ顔でリンゴをかじった。反論はなかった。
私はため息をついて、本へ視線を戻す。
「たとえば、髭を生やす成分そのものを油分の中に閉じ込めておくのはどうかな」
羽根ペンを取り、羊皮紙に簡単な断面図を描く。
薬効成分。それを包む薄い膜。皮膚。
フレッドとジョージが左右から覗き込んでくる。
「これはマグルの知識を借りると……普通の水じゃ壊れないけど、石鹸を使うと崩れる膜にできるかも」
要するに、薬効を一度油膜の内側へ閉じ込めておき、洗顔に使った石鹸でその膜だけを壊す。水だけなら発動しない。雨に濡れて突然髭面になる事故も減らせる。
そこまで説明すると、フレッドが少し残念そうな顔をした。どうやら彼としては、雨の日に校内のあちこちで突然髭が生える事故も捨てがたいらしい。
「そこは残念がるところじゃないと思う」
安全性という概念について、この二人とは一度ちゃんと話し合った方がいいかもしれない。
もっとも、私も人のことは言えない気がするので、今は黙っておく。
ジョージはそんなことより、石鹸を使ったときだけ発動するという仕組みが気に入ったらしい。
本人は顔に何か塗られていると気づく。慌てて洗面所へ行く。念入りに石鹸で洗う。綺麗に落ちたと思って鏡を見る。
そこで初めて、薬効が解放される。
三人とも、その光景をしばらく想像した。
かなりいい。
「しかも、ゆっくりじゃなくて、ぶわって伸びた方が面白いよね」
その案には、二人とも即座に食いついた。
ジョージは自分の顎を撫でながら、どうせなら立派なものがいいと言い出し、フレッドはさらに一歩進んで、ダンブルドア先生の髭に勝てるくらいの長さが理想だと主張した。
私は少し考え、羊皮紙の端に書き込む。
目標:洗顔後、三十秒以内に十五センチ程度の髭。
ジョージが横から覗き込んだ。
「妙に本格的だな」
「作るならちゃんと作りたいから」
その答えがよほど気に入ったらしく、フレッドとジョージは嬉しそうに笑った。
どうやら二人は、私が悪戯まで妙に真面目に研究するところを高く評価しているらしい。
褒められているのか微妙なところだけれど、悪い気はしない。
私は冷めかけた紅茶を一口飲んだ。
時計を見ると、もうかなり遅い時間だった。けれど、誰も寝ようとは言わない。
むしろ問題は、ここからだった。
ジョージが次に気にしたのは、肝心の「髭を生やす部分」だ。
そこは、私にとってはむしろ簡単だった。
「毛髪成長薬を少し弱くして、作用する場所を顔の下半分に限定すればいいと思う」
そう説明すると、フレッドが頭に髭が生えたりしないのかと聞いてきた。
それはもう髭ではなく髪だと思う。
すると今度は、額から髭が生える可能性を真剣に検討し始めた。
「絶対嫌」
「面白いのに」
美的感覚が根本的に違う。
私は手元の『ハゲとの戦い 半世紀の死闘』をめくる。
著者によれば、どういうわけか髪は髭よりはるかに再生させにくいらしい。
該当箇所には、魔法医学的な考察に混じって、
『これはあまりにも無慈悲な神の所業である』
とまで書いてあった。
この本の著者は、研究途中でかなり追い詰められていたのだと思う。
フレッドは椅子の背にもたれながら笑い、それなら技術的な問題はだいたい片づいたとして、今度は商品名を考え始めた。
ここから先の議論は、研究より難航した。
『びっくり髭クリーム』。
普通。
『ヒゲヒゲ・ウォッシュ』。
ださい。
その二つを即座に却下したところ、二人から注文が多いと文句を言われた。
仕方がないので私も考える。
「……『髭もじゃグレート』」
二人が黙った。
さっきまであれほど騒がしかったのに、妙に静かになる。
その沈黙だけで、評価は十分伝わった。
結局、私は魔法薬の才能と商品名をつける才能は別らしい、という不本意な結論を突きつけられた。
失礼な話だ。
そんなことを言い合いながらも、誰も本気で怒ってはいなかった。
夜中の談話室の隅で、三人で夜食を食べ、本を広げ、どうでもいい悪戯道具について真剣に考える。
それが最近、妙に楽しかった。
フレッドとジョージは魔法が好きだ。
ただし、先生に褒められるための魔法ではない。試験で点を取るためでも、将来立派な魔法使いになるためでもない。
こんなことができたら面白い。
たいてい、そこから全部が始まる。その感覚は、私にもよく分かった。役に立つかどうかなんて、そのあとで考えればいい。
そもそも、髭を突然十五センチ伸ばす技術に何の役があるのかと聞かれたら、今のところ誰も答えられない。
でも、できたら面白い。それで十分だった。
私はそろそろ今日のところは終わりにしようと、散らばった羊皮紙をまとめ始める。
そのとき、ジョージが思い出したように尋ねた。
「そういえば、被験者は?」
手が止まった。フレッドも黙る。
誰も示し合わせていない。それなのに、三人の視線はほとんど同時に、男子寝室へ続く階段へ向かった。
しばらくして、フレッドが代表するように名前を挙げた。
「パーシー」
ジョージも当然のように頷いた。どうやら、最初からそれ以外の候補はいなかったらしい。
「……怒られない?」
一応、確認する。
二人は顔を見合わせた。
怒る。間違いなく怒る。
そこについてだけは、双子の見解も完全に一致していた。
「じゃあ駄目じゃない?」
私がもっともなことを言うと、フレッドは心底不思議そうな顔をした。
「だから面白いんだろ?」
私は、笑って新しい羊皮紙を一枚取り出した。
「じゃあ、洗面台の石鹸に混ぜてもバレない匂いにしないと」
その瞬間、フレッドとジョージが同時に身を乗り出した。
どうやら、今日はまだ終わらないらしい。
暖炉の熾火が、また小さくぱちりと鳴った。
感想と評価よろしくお願いいたします。