闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
夕方の地下牢は、昼間の授業中とはまるで雰囲気が違った。
生徒たちの声が消え、冷えた石造りの廊下には、私の靴音だけが乾いて響いている。壁の燭台から落ちる光も弱く、昼間よりずっと地下らしい。静かで、薄暗くて、何かを隠しておくには実に都合がよさそうだった。
私は指定された時間ぴったりに、スネイプ先生の調合室の扉を叩いた。
今日は、スネイプ先生との調合会の初日だ。
中から短く「入れ」と声がして、扉を開ける。
そして、入った途端に少しだけ足が止まった。
……すごい。
壁一面が棚だった。
乾燥させた根に、色も粒の大きさも違う粉末。瓶詰めにされた昆虫、牙、角、何かの内臓らしきものまである。透明な液体もあれば、瓶の底がまったく見えないほど黒い液体もあり、それらが大小さまざまな容器へ収められて、ほとんど隙間なく並べられていた。
授業用の材料庫とは明らかに違う。
種類も、量も、保存状態も。
これは教材ではなく、個人のコレクションだ。
「何を見ている」
「いえ。ずいぶん揃っているなと思って」
スネイプ先生は私の視線の先を見る。
「当然だ」
短い。でも、確かに当然ではある。魔法薬の先生なのだから。
私はもう一度、棚を眺める。
いいなあ。今度、一部拝借できないだろうか。
見たことのない材料がかなりある。保存方法からして、簡単には手に入らないものも混じっているはずだ。
……いや。無理そう。
瓶には一つ一つ細かなラベルが貼られ、棚の配置にも明確な規則がある。植物、鉱物、動物性素材という単純な分類だけではなく、使用頻度や保存条件まで含めて並べられているようだった。
一本抜いただけでも、翌日には気づかれそうだ。
しかも何ヶ所かには物理的な鍵が掛かっているし、その上から魔法的な封印まで重ねてあるように見える。
盗むなら、かなり真面目に準備しないといけない。
そこまで考えたところで、名前を呼ばれた。
「ミッドナイト」
仕方なく棚への未練を断ち切り、作業台へ向かう。
近くで見ると、表に出されている材料は珍しくこそあるものの、そこまで露骨に危険そうではなかった。
闇の魔術でしか使わなさそうなもの。一匙で人間をどうにかできそうなもの。見るからに法律と仲が悪そうなもの。そういう類は、少なくとも見える範囲には置いていない。
……まあ、スネイプ先生だし。
持っているなら、もっと奥へ隠していそうだけど。
「今日は何を作るんですか?」
私が尋ねると、先生はすぐには答えず、まず私の基本的な技能を確認すると告げた。授業中に知識があることは十分分かった。しかし、知識と実際に正確な調合ができることは別だという。
それには素直に頷いた。もっと難しい薬をいきなり作らされるのかと思っていたので、少し意外だった。
「まず簡単なものからですか?」
「我輩は簡単だとは言っていない」
どうやら、そこは重要らしい。
スネイプ先生は棚からいくつかの材料を取り出し、作業台へ一つずつ並べていった。
薬というものは、材料が珍しければ高度というわけではない。工程が多ければ優れているわけでもない。温度管理、材料の切り方、投入間隔、攪拌、色と粘度の変化。そういう基本が崩れていれば、どれだけ高度な知識を持っていても意味がない。
かなりまともな話だった。
ロックハート先生の授業を受けたあとだから、なおさら感動する。先生というのは、本来こうやって具体的なことを教える職業だったらしい。
「今日はベルモントの緑毒中和薬を作ってもらう」
知っている名前だった。
植物毒用の中和薬かと確認すると、スネイプ先生は頷いた。特定の一種類だけを狙うものではなく、胃腸へ作用する比較的弱い植物毒を、ある程度まとめて中和するための薬だ。温室にも常備されていて、何の毒にやられたか分からない時にも使いやすい。
渡された羊皮紙には、材料と工程が簡潔に書かれていた。
私は一通り目を通す。記憶と殆ど一致していた。
確かに、ものすごく高度な薬ではない。でも、誤魔化しが利かない。
温度を少し外すだけで成分の抽出量が変わる。刻み方が粗ければ効きが弱くなるし、逆に細かすぎれば不要な成分まで出てしまう。途中では一度だけ火を落とし、余熱だけで反応を進める工程まである。
しかも完成時の見た目は、多少失敗してもほとんど変わらない。
基本を見るには、なかなか性格の悪い薬だった。
「これ、失敗しても見た目では分かりにくいですね」
スネイプ先生の眉がわずかに上がる。その反応を見て、たぶん正解なのだろうと思い、そのまま説明を続けた。
抽出しすぎれば中和作用そのものは残るが、副作用が強くなる。一方で温度が低すぎれば必要な成分が十分に出ず、見た目だけは完成していても肝心の毒を中和できない。
つまり、薬らしい色の液体を作るだけなら簡単。ちゃんと薬として使えるものを作るのは、少し難しい。
「……理解はしているようだな」
スネイプ先生はそれだけ言った。
「だから、これを選んだんですか?」
「黙って始めたまえ」
やっぱりそうらしい。私はローブの袖をまくった。
フレッドとジョージと作っている髭クリームとは、少し勝手が違う。洗顔した瞬間に髭が生えたら面白いとか。パーシーに使ったらもっと面白いとか。
そういう目的で作る薬ではない。これは、人が実際に飲むための薬だ。
これが本番なら、失敗した場合、治すどころか余計に体調を悪くする。
そういう調合は嫌いではない。失敗した薬がどうなるかについては、小さい頃に嫌というほど学んだ。
マグルが五人ほど爆発したこともある。……あれはいい教材だった。
包丁を取る。材料へ手を伸ばしたところで、作業台の向こうからスネイプ先生がこちらをじっと見ていることに気づいた。
ただ難しい薬を作らせるために呼ばれたわけではないらしい。先生は、私がどう材料を見るのか。どう切るのか。どの程度の温度で火を止めるのか。失敗しかけたとき、どう修正するのか。
そういうところまで見ようとしている。
なら、こちらも同じでいい。向こうが私を観察しているのなら、私もこの部屋と、この先生を少しずつ観察していけばいい。
棚の奥には何があるのか。スネイプ先生はどこまで魔法薬を知っているのか。授業では扱わない薬を、どれだけ作れるのか。
そして…………あの鍵の掛かった棚には、何を隠しているのか。
まあ、それはもう少し仲良くなってから考えよう。
今の段階で盗みに入るには、少し情報が足りない。私はそんなことを考えながら、最初の根を手に取った。
とりあえず今日は、目の前の調合を楽しむことにした。
飛行訓練の授業は、特に問題なく終わった。
というより、私にとっては授業というより確認に近かった。
箒の扱い方そのものは昔から知っているし、ホグワーツへ来てからも何度かグリフィンドールのクィディッチ練習を見に行っていた。そのたびにウッド先輩から飛ばされ、曲がらされ、急停止させられ、最後にはボールまで投げられていたので、もはや飛行訓練とはというレベルだ。
何はともあれ、マクゴナガル先生からも正式に許可が出て、私はグリフィンドールのクィディッチチームの練習へ参加することになった。
もちろん、まだ試合に出るわけではない。
今のところは上級生に混じって飛び、基礎的なパス回しに参加したり、相手役として追い回されたり、ときどき空いた位置へ飛び込んでクァッフルを受け取ったりするくらいだ。
それでも十分に楽しい。むしろ、かなり楽しい。
普段の飛行は、どちらかといえば逃げるためだったり、追いかけるためだったり、何か危ないものを避けるためだったりすることが多かった。単純に速く飛ぶことそのものを楽しめる機会は意外と少ない。
だから、クィディッチの練習は最近の予定の中でもかなり上位に入るくらい気に入っていた。
問題があるとすれば、一つだけだった。
「……忙しい」
最近、こればかり言っている気がする。
クィディッチの練習があり、ハーマイオニーとの図書館巡りがあり、フレッドとジョージとは悪戯用品の開発会議をしている。そのうえ週に一度はスネイプ先生との特別調合が入り、それとは別に自分で進めたい魔法の研究もある。
そこへ普通の授業と宿題まで、当然のようについてくる。
ホグワーツへ来れば好きなだけ魔法を研究できると思っていたけれど、どうやら魔法を研究するためにも時間が必要らしい。当たり前のことなのに、入学するまではあまり考えていなかった。
そんな生活をしているせいで、ジニーとも最近はあまり話せていなかった。
同じ寝室なのだから、朝晩には顔を合わせる。大広間でもよく見かける。
でも、それだけだ。
朝はこちらが寝坊して慌てて支度をしていたり、逆にジニーが先に出ていたりする。授業が終われば私はクィディッチへ行き、図書館へ行き、地下牢へ行く。
ようやく談話室へ戻ってきた頃には、今度はフレッドとジョージが待ち構えていたりする。
ジニーが何度かこちらへ話しかけようとしてくれていたのは覚えている。
でも、そのたびに、
「ごめん、あとで」
と言ってしまっていた気がする。
あとで。今度。時間ができたら。
便利な言葉だけれど、使っているうちにどんどん先延ばしになっていく。
この前も、ジニーが例の日記帳を抱えて窓際に座っていた。何となく話しかけようと思ったのに、その直後フレッドに呼ばれて、気がつけば夜まで髭の発生条件について議論していた。
さすがに少し悪い気がする。
今度、ちゃんと時間を作ろう。
そう思っているうちに、また次の予定が増える。そんな日が続いていた。
だからこそ、ハロウィンの日くらいは何もしないと決めた。
今日はハロウィンなのだから、それくらい許されるはずだ。
昼食を終えると、そのまま寮へ戻り、着替えることすらせずベッドへ倒れ込んだ。
柔らかい布団に身体が沈んだ瞬間、それだけで少し幸せになる。
今日は本も読まない。薬も作らない。新しい呪文も試さないし、箒にも乗らない。何かを研究しなければならないという義務も、誰かと約束した予定もない。
ただ眠ればいいというのは、思っていた以上に贅沢だった。
ベッドへ倒れ込む。
「……幸せ」
そんなことを考えているうちに、本当に眠ってしまったらしい。
次に目を開けたときには、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「……寝すぎた」
思った以上に疲れていたらしい。
身体を起こして時計を見ると、ハロウィンの宴会が始まる時間もかなり近づいていた。
けれど、不思議と焦りはなかった。むしろ頭は驚くほどすっきりしている。身体の奥に溜まっていた重さまで、かなり抜けていた。
ここまで何も考えずに眠ったのは久しぶりだった。
たまには本当に何もしない日も必要なのかもしれない。
そう思いながら髪を整え、少し乱れていたローブを直す。寝室を出ると、談話室にはもうほとんど人影がなかった。
普段なら誰かしら暖炉の前で宿題をしていたり、ソファで話していたりするのに、今日は椅子も机も妙に静かだった。
暖炉の火だけが赤々と燃えている。残っているのは数人だけ。
どうやら、みんなとっくに大広間へ向かったらしい。
「……急ごうかな」
せっかくのハロウィンだ。寝て終わるのも少しもったいない。
私は軽く伸びをしてから、人気の少ない談話室を抜け、大広間へ向かうことにした。
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