闇の魔術大好き少女が認められるまで 作:闇の魔術連盟名誉会員
私はロンドンを離れ、南東の海岸へ向かった。
崖と海との間を縫うように、細い道路が続いている。夜になっても、ときおりマグルの車が二本の光を引きながら通り過ぎていった。
私は道路を見下ろせる丘の上に腰を下ろし、望遠暗視のレンズを入れる。
視界が一度暗くなり、すぐに青白く澄み渡る。
遠くを走る車の中まで、はっきりと見えるようになった。
「とりあえず、単純に事故でいいか」
私は折り畳んでいた小型の箒を開き、左手で柄を掴んだ。右手には杖を短く握る。
やがて、白い車が海岸道路を走ってきた。
運転手の他に助手席と後部座席に乗り込んでいるようだ。
「これにしよう」
私は丘を蹴り、箒に引かれるように夜空へ飛び出した。風を切りながら高度を下げ、白い車のすぐ横へ並ぶ。運転手は前だけを見ていて、窓の外を透明になって飛ぶ私には気づきようもない。
そのまま車の屋根へ足を下ろした。金属板がわずかにへこみ、鈍い音を立てる。
「さて、と」
私は杖先を足元へ向けた。
車体がふっと軽くなる。ほんの一瞬、地面との結びつきを失った白い車は、カーブに沿うことができず、道路の外へ滑り出した。
運転手が慌ててハンドルを切る。
けれど、浮いた車輪では何の意味もない。
車は低い柵を越え、そのまま暗い海へ向かって飛び出した。
「シレンシオ、ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
もちろん、そのまま海へ沈めてしまっては回収が面倒だ。車体を淡い光が包み、落下の勢いが緩む。同時に、沈黙呪文によって車内から音が消え去る。
私は車を海面すれすれで止めると、波の穏やかな小さな浜辺まで運び、砂の上へ静かに下ろした。
少し乱暴に揺れたけれど、窓も車体も壊れていない。ここからは時間との勝負だ。万が一誰かが見ていたら、すぐにマグルが捜索しに来るだろう。
私は箒を左手に掴んだまま車の屋根へ乗り、着地と同時に運転席の扉へ杖を向けた。
「アロホモラ」
鍵が外れる。
扉を開けると、運転手は座席に身体を押しつけたまま、何が起きたのか理解できない様子で息を荒くしていた。
四十歳くらいの男だ。
「アバダケダブラ」
緑の光が一閃し、男の命を刈り取る。
助手席の女が悲鳴にならない悲鳴を上げているのでついでに殺す。年齢も四十代だと需要は少ないので、持って帰るほうが手間だ。
二つの魂を処理して浮魂器へ詰め終えたところで、私はようやく後部座席の存在に気づいた。
そこには、恐怖に顔を引きつらせた二人の少女がいた。姉妹なのだろう。よく似た顔を寄せ合い、声にならない悲鳴を上げるように、口を何度も開閉している。
私が掛けた沈黙呪文のせいで声が出ないのか。それとも、恐怖のあまり本当に声を失っているのか。見ただけでは判別がつかなかった。
耳を澄ませてみるが、幸い、遠くからマグルのサイレンが近づいてくる気配はない。
二人とも十代後半くらいだろうか。何が起きたのか理解できないまま、ただ怯えきっているようだった。
マグルの衣服については詳しくないが、二人の服には、やけに手間のかかっていそうな細かなフリルや飾りが付いていた。少なくとも、ぞんざいに扱われて育った娘たちではない。
きっと、家ではずいぶん大切にされていたのだろう。
「クルーシオ」
私が選んだのは、磔の呪文だった。
工場の設備として人間を使うには、いくつか手順がある。
まず忘却呪文で余計な記憶を削り、それから磔の呪文で躾ける。服従の呪文を直接掛ける方法もあるが、私はあまり好まない。
服従の呪文は便利だ。命令すれば働くし、逃げろと言わない限り逃げない。けれど、元の人格が残っているせいで、ときどき妙な抵抗が起きる。
手が止まる。泣き出す。命令の隙間を探す。そして、こちらが忘れた頃に呪文が弱まり、急に自分が何をさせられているのか思い出す。
そうなると、また掛け直さなければならない。
面倒だ。
だから私は、先に磔の呪文を使う。
もちろん、一度や二度では足りない。名前を呼ばれても反応しなくなるまで。家族の顔を思い浮かべる余裕がなくなるまで。痛みが来る前から、自分で身体を丸めて震えるようになるまで。
そうして精神の形を崩しておけば、そのあとに掛ける忘却と服従の呪文は驚くほどよく馴染む。
何も考えず、命じられたことだけをする。
食事を与えれば食べる。作業台の前に立たせれば働く。壊れた仲間を運べと言えば運ぶ。そこまで仕上げて、ようやく設備と呼べる。
手間を惜しんで最初から服従の呪文だけで済ませると、あとになって何度も呪文を掛け直す羽目になる。挙げ句、作業中に正気を取り戻され、泣き叫ばれ、逃げられ、下手をすれば生産物まで壊される。せっかく育てた魂まで濁る。
だから、壊し方にも順序がいる。痛みで形を整え、記憶を薄くし、命令で中身を空にする。ひと手間惜しむべからず、というのはお母様の座右の銘だけど、意外と正鵠を射ている。
「クルーシオ」
杖先を向けると、二人の少女の身体が同時に跳ねた。
もちろん、常に最強の威力で掛ければいいというものではない。強すぎる痛みは、かえって意識を遠ざけてしまう。気絶されては意味がないし、肉体が先に壊れてしまっても困る。
弱く、長く。
ときには鋭く。
ときには身体の奥を焼くように。
痛みの強さと質を少しずつ変えながら、少女たちの心を丁寧に削っていく。
どちらが姉なのかは分からなかったが、片方が苦しむたびに、もう片方が必死に身を寄せようとしていた。互いを気遣う余裕が残っているのは、まだ壊れ方が足りないということだ。
もう少し続けようと杖を持ち上げた、そのときだった。
ポケットの中から振動が伝わってくる。危険を伝える信号だ。
私はすぐに振り返り、車体の陰へ身を沈めた。望遠暗視のレンズに切り替えて見回すと、崖の上の道路脇に二人の魔法使いらしき影が立っていた。
服装から見るに、恐らく闇祓いだろう。
魔法反応を探知したのか、それとも車が海へ落ちるところを偶然見られたのか。それは分からない。けれど、二人ともすでに杖を抜いていた。
「杖を捨てろ!」
男の闇払いが叫ぶ。
同時に、赤い閃光が飛んできた。
私は横へ身を投げ出して呪文をかわす。赤い光は背後の車体に直撃し、金属板を大きくへこませた。
「エクスペリアームス!」
もう一人の闇払いが、私の杖を狙ってくる。
「プロテゴ」
盾の呪文で弾き、そのまま杖を振り抜く。
「コンフリンゴ!」
呪文は闇払いの間を抜け、濡れた路面に着弾した。
爆発がアスファルトを抉る。砕けた舗装片が雨のように飛び散り、道路脇のガードレールが甲高い音を立てて折れ曲がった。
「やってくれたな!」
男の闇祓いが、破片を避けながら叫ぶ。
「グリンゴッツを襲ったのも貴様か!」
どうやら、グリンゴッツに入った強盗の捜索のために闇祓いがあちこちをうろついているんだろう。
二人が爆発から身を守っている隙に、私は縮小していた箒を取り出し、左手の中で元の大きさへ戻した。同時に、後部座席の少女たちへ杖を向ける。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
二人の身体が座席から浮かび上がった。
怯えた顔のまま、少女たちは私と闇祓いの間へ引き出される。片方が必死に首を振り、もう片方は声の出ない口を大きく開けていた。
「ステューピファイ!」
赤い閃光が飛んでくる。
私は少女の身体をわずかに横へ滑らせた。呪文はその胸元に直撃し、少女の身体から一瞬で力が抜ける。
失神しただけだ。
少女が盾になった一瞬、闇祓いの動きが止まった。その隙に私は箒を地面すれすれへ走らせ、右手の杖を振る。
「グラシウス」
濡れた路面が白く曇り、一瞬で凍りついた。
男の闇祓いが足を滑らせ、体勢を崩す。
もう一人は倒れた相棒を庇うように前へ出て、拘束呪文を放った。
光の縄が私のいた場所を薙ぐ。けれど、そこにはもう誰もいない。
私は箒を急加速させ、 一気に崖上まで駆け上る。
二人の視線が追いつくより早く、その背後へ回り込む。
「ペトリフィカス・トタルス」
まず一人。
男の両腕が脇へ張りつき、両脚が揃う。硬直した身体が、凍った路面へ横倒しになった。残った闇祓いが振り返る。
「貴様――」
「ペトリフィカス・トタルス」
二人目も同じように固まった。杖を握ったまま、棒のように地面へ倒れる。
私は箒から降り、倒れた二人の間を歩く。
どちらも目だけは動いていた。憎悪と焦りの入り混じった視線で、私の顔を必死に見つめている。
顔を覚えようとしているのだろうか。姿から身長、声まで全て変えてあるので意味はないけれど。
「オブリビエイト」
男の瞳から、鋭い光が消える。
「オブリビエイト」
もう一人の表情も、ぼんやりと緩んだ。
記憶を消されたことに後から気づかれても、別に困らない。それより、中途半端に残った断片から私の顔や戦い方を思い出される方が面倒だった。
私はもう一度、男の額へ杖を向ける。
ここへ来た理由。崖下へ落ちた車。少女たち。私の姿と声。使った呪文。そして、グリンゴッツの名を口にしたこと。
思い当たる範囲を、一つずつ念入りに削っていく。
完全に空白にする必要はない。巡回中に事故へ巻き込まれ、気がついたら路上に倒れていた。その程度の、曖昧で辻褄の合わない記憶が残れば十分だ。
もちろん、この二人を拷問するつもりはなかった。魔法族まで壊して工場へ運び込むのは、いくらなんでもやりすぎだ。相手はマグルではないのだから。
ただ、相手が魔法省である以上、多少強引な処置は仕方がない。
こっちは所詮マグルを穏便に殺していただけだ。
それをこちらが穏便に済ませようとしても、向こうは杖を捨てろだの、拘束されろだのと要求してくる。話し合いの余地がないのだから、記憶くらい消されても文句は言えないだろう。
車を爆破して海に沈めた私は二人の少女を再び浮かせ、箒の左右へ並べた。
意識を失っている方は、首が不自然に折れないように固定する。もう一人はまだ震えていたので、ついでに石にしておいた。空中で暴れられて海へ落とすと、回収が面倒になる。
「少し寒いけど、我慢してね」
当然ながら返事はない。
箒を浮かせ、折れ曲がったガードレールの向こうへ飛び出す。
崖を越えた途端、足元から地面が消えた。暗い海が遥か下に広がり、白い波頭だけが月明かりを反射している。私は高度を落とし、そのまま海上へ出た。
陸地から十分に離れたところで、箒を止める。
ポートキーは便利だけれど、使った場所を調べられる可能性がある。だから、目撃者の多い道路脇や、闇祓いを転がした場所から直接屋敷へ帰ることはできない。
私は鞄から、古びた銀のスプーンを取り出した。
最初のポートキーだ。
少女たちを浮遊呪文で自分のそばへ引き寄せ、三人分の身体が離れないよう、箒の柄へ固定する。私は二人の手を動かし、無理やりスプーンへ重ねた。
次の瞬間、臍の裏側を鉤で引っかけられたような感覚が走る。
海も月も消えた。
身体が細い穴を無理やり通り抜け、前後も上下も分からなくなる。少女の片方が、声の出ないまま激しくえずいた。
やがて足元に固い床が戻る。
最初のセーフハウスだった。
海沿いに放置された漁具倉庫で、窓は板で塞がれ、床には古い網と壊れた樽が積まれている。
私は周囲を確認した。人の気配はない。ここに長居はしない。
壁際の木箱から、次のポートキーを取り出す。錆びた蹄鉄だった。
最初のポートキーはその場で砕き、破片を炉へ放り込む。杖を振ると、古い油と一緒に燃え上がった。
「次」
少女たちの手を蹄鉄へ触れさせる。
また身体が引き伸ばされ、世界が裏返った。二つ目のセーフハウスは、誰も住んでいない農家の地下室だった。湿った土の匂いがする。
棚には保存食と薬、それから替えのローブが置いてある。ここで一度、追跡魔法が付着していないかを調べる。
反応はない。
闇祓いに直接触れられてはいないし、呪文もほとんど盾か少女で受けた。問題はなさそうだった。
私はようやく最後のポートキーを取り出す。黒い鍵。屋敷へ直接つながる、帰還用のものだ。
世界がもう一度ねじれる。次に足が床へ着いたとき、そこは屋敷の地下だった。
石壁に並んだランプが自動で灯り、帰還を知らせる鈴が上階で鳴る。
私は少女たちを床へ下ろし、服従の呪文を掛けてからハウスエルフに託した。あとは、地下の工場で製品を生み出すところまでやってくれるだろう。
予定外の戦闘はあったけれど、成果としては悪くなかった。
変身を何重にも解いていく。
「あっ」
その時、私は気が付いてしまった。地下室に、私の声だけが響いた。
今日の目的の一つを、ようやく思い出した。ハリーをいじめているマグルたちを、少し痛めつけておくつもりだったのだ。
それなのに、魂を回収して、車を海へ落として、少女たちを拾って、闇祓いと戦っているうちに、すっかり忘れてしまった。
「忘れてた……」
それにしても、妙だった。道順も覚えていた。住所も覚えていた。
なのに、彼らを痛めつけに行くという目的だけが、頭の中からきれいに抜け落ちていた。
まるで、その考えに近づくたび、別のことへ意識を逸らされていたみたいに。
少し不思議には思った。
けれど、予定外のことが重なれば、忘れ物くらいする。魂を回収し、闇祓いとまで戦ったのだから、注意が散っていてもおかしくはない。
私はそう納得してしまった。その不自然さを、もう少し深く考えるべきだったのかもしれない。けれど、そのときの私は、自分が疑問を抱いたことさえ、すぐに忘れていた。