シャッターを下ろそうと手を掛けたところで、路地の奥から駆けてくる足音がした。
「待ってください!」
平たい装備ケースを抱えた女が、俺の前で足を止めた。探索用の上着には白い砂がこびりつき、額に張りついた髪もまだ乾いていない。
「閉店」
「見るだけでもお願いします」
「明日にしろ」
「明日では遅いんです」
女は息を切らしたまま、ずり落ちかけたケースを抱え直した。
うちはダンジョン前の表通りから、脇道へ一本入ったところにある。ダンジョンから遠いわけじゃない。路地の入口が装備店の看板や幟に隠れていて、初見では見落としやすいだけだ。
閉店間際に偶然迷い込むような場所でもない。わざわざ探してきたらしい。
「……入れ」
シャッターから手を離して女を通し、俺はカウンターの内側へ戻った。
「で、物は?」
女がケースをカウンターへ載せる。引き寄せて留め具を外すと、鞘に収まった剣と、布に巻かれた細長い塊が入っていた。
剣を鞘から抜く。刀身は半ばから先を失っている。布の中身は折れた刃先だった。
「派手に折ったな」
二つを並べる。
折れたのは刀身の中央より少し先。断面は斜めに裂け、片側が潰れていた。中心近くには周囲より暗い筋が走っている。今日できた断面とは色が違う。折れる前から亀裂が入っていた可能性が高かった。
「何に当てた?」
「鉄殻蜥蜴の角です。首を狙ったんですが、角で受けられて」
「いつ?」
「今日の昼です」
「そのあと店を回ってたか」
「はい。ここで六軒目です」
「全部、買い替えろって?」
「同じ型がまだ売られているから、その方が安くて安全だと」
「正論だな」
女の眉が寄った。
残った刀身の柄を握り、軽く手首を返す。刃が短くなった分を差し引いても、重さが柄側へ寄りすぎていた。
柄頭には削り直した跡がある。握り革も巻き直され、指が当たるところだけ厚みが違う。鍔は片側がわずかに薄い。
「何年使ってる?」
「探索者になってから、ずっとです」
「柄もいじってるな」
「最初に太さを変えてもらいました。そのあと、滑りにくいように巻き直してもらって。重心も調整しています」
「鍔もか」
「手に当たるので、削ってもらいました」
同じ型の新品を買ったところで、この手触りにはならない。使いながら、剣の方を持ち主の手へ寄せてきたものだ。
折れた刃先を残った刀身へ合わせる。断面はぴたりと重ならない。押し潰されたところと、砕けて失われたところがある。亀裂が柄の奥まで届いていなければ、問題なく直せる。
「いつ使う?」
「無理を承知で、明日の朝に」
「……いくら出せる?」
「すぐ直るんですか?」
「金次第」
女は並んだ剣へ目を落とした。
「十五万円までなら」
「十八」
「……高くなってませんか?」
「今夜やるからな」
「……朝までに、直りますか?」
「直せるから金の話をしてんだよ」
女の指が柄のそばまで伸び、触れる前に止まった。
「お願い、します」
「なら預かる」
カウンター下の引き出しから受付票を出す。
「連絡先と装備番号。分かるところだけ書け」
女が書き終えた受付票を受け取り、記入漏れを確かめる。名字は小峰とあった。
受付票をしまってから、配信同意書を渡す。
「修理を配信に出していいか、駄目か。どっちかに丸」
「断ったら?」
「映さずに直す」
「修理内容は変わらないんですか?」
「変わらねぇ」
「配信に出した場合、値引きは?」
「ねぇよ」
小峰は俺を見たあと、同意書へ目を戻した。上から下まで読み、配信可へ丸をつけて署名する。
「装備番号と持ち主が分かる印は隠す。形や傷で気づかれた分までは知らねぇ」
「分かりました」
同意書をしまい、配信先と確認用コードが記載された控えを返す。
「明日、店が開いたら来い。九時以降な」
「はい。お願いします」
小峰は剣を一度見てから、店を出ていった。
俺はシャッターを最後まで下ろし、内開きのガラス戸を閉めて鍵をかける。表通りでは、周囲の店も看板の明かりを落とし始めていた。
カウンターから剣を持ち上げる。
「十八万分、働くか」
◆
髪を後ろでまとめ、首へタオルを掛ける。
作業場には、作業台、検査台、試験台、それぞれを映すカメラが置いてある。手元だけを撮り、俺の顔は映さない。
装備番号と柄頭の印へ覆いをつけ、配信タイトルに『折れた片手剣』と入れた。
開始を押すと、画面の端をコメントが流れ始める。読むつもりはない。普段の仕事を映して、いくらか入ればそれでいい。
柄頭の固定具を外し、握りと鍔を順に抜く。外した部品は作業台の端へ並べた。
刀身を検査台へ運び、露出した根元を洗って探傷液を塗る。柄の奥まで亀裂は来ていない。
「柄は生きてるな」
折れた二つの断面にも探傷液を塗った。
細い線が、表から見えていた暗い筋より長く浮かび上がる。残った刀身と刃先の両方へ伸びていた。
「折れたのは今日でも、壊れたのは今日じゃねぇな……」
探傷液を拭き取り、折れ口へ指を添える。
魔力を流すと、亀裂の周りだけが音も熱もなく形を崩した。銀色の液体へ変わった金属は、台へ落ちずに宙へ浮かぶ。亀裂を追って範囲を広げ、傷のないところを残したまま、傷んだ部分だけをほどいていった。
液体の中へ黒い筋が浮く。古い亀裂に入り込んだ汚れだ。汚れを含むところだけ分け、不要なものを気体へ変えて吸引口へ送る。
金属でも布でも食い物でも、俺の魔法には大した違いはない。固体、液体、気体のどれへでも変えられ、そのまま分けて動かし、形や硬さ、密度を変えられる。
だからといって、何をどう混ぜても武器になるわけじゃない。
傷んだ範囲を取り除くと、残した剣と刃先の間には、砕けて失われた分だけ隙間ができた。棚から元の刀身と性質の近い補修用の金属片を選び、必要な分だけを液体へ変える。
刀身の中には、柄から刃先まで魔力を通す細い導路が走っている。途切れた導路を先につなぎ、その周囲に液体にした金属を回した。断面の奥まで満たし、残った空気を追い出す。
二つだった刀身がつながる。
まだ固めない。
導路の形を整えてから、周囲を内側から固体へ戻していく。刀身の中心には粘りを残し、外側へ近づくほど硬くする。刃先は薄くても潰れないように締めた。
つないだところだけを硬くすれば、次はその隣が折れる。修理した範囲から前後へ少しずつ硬さをなじませ、力が刀身全体へ逃げるように整える。
すべて固体へ戻して検査台へ載せると、片側がわずかに盛り上がっていた。高いところだけを液体へ戻し、余った分を薄い側へ回す。刃線をそろえて固め直した。
裏返す。反りが残っている。
曲がったところの硬さを落とし、真っすぐな位置へ戻してから再び固める。
測り直す。
今度は問題ない。
表通りの声は、いつの間にか消えていた。換気扇の低い音だけが作業場に残っている。
刃へ指を滑らせ、接合した場所だけが重くなっていないか確かめる。偏った金属を刀身の前後へ薄く散らし、柄を仮組みした。
重心は、元より少し前へ寄っている。
柄頭の重りは形を変えず、密度だけを上げる。握って確かめ、まだ残ったずれを調整する。握り革の潰れ方と鍔の削れ方から拾った位置へ、ようやく重さが戻った。
鍔と柄を本組みし、固定具を締める。
試験台で低い出力の魔力を流すと、柄から入った淡い光が導路を走り、刃先まで抜けた。つないだ場所で乱れはない。出力を上げても同じだった。
刀身を固定し、横から圧をかける。剣はゆっくりしなり、圧を抜けば元の位置へ戻る。
硬質な試験材へ振り下ろす。刃を引き抜いて調べ、角度を変えて今度は硬い芯へわざと当てた。
鈍い衝撃が両腕へ返ったが、刃は欠けず、刀身にも歪みは残らない。もう一度探傷液を塗っても線は出なかった。
刃を拭き、薄く油を引く。柄を握って軽く振る。手の中へ返る重さにも引っかかりはない。
「終わり」
配信を止めた。
時計の日付は変わっていたが、朝まではまだ遠い。剣を鞘へ収め、ケースへ戻して預かり品用の棚へ置く。使った道具と作業台を片づける。
住宅側へ戻り、遅い夕食を腹へ入れて風呂を済ませた。目覚ましを合わせて布団へ入ると、すぐに眠りに落ちた。
◆
翌朝、目覚ましに起こされ、いつもどおり店を開けた。
小峰が来たのは、シャッターを上げて間もなくだった。
預かり品用の棚からケースを取り出し、試験結果と並べてカウンターへ置く。
「直った」
小峰がケースを引き寄せ、鞘に収まった剣を取り出す。
「抜いてもいいですか?」
「振るなよ」
刀身を半分ほど抜き、店内の明かりへ向ける。小峰の目が、折れていた辺りを何度も往復した。
「どこが折れていたか、分かりません」
「分かるように戻してどうすんだよ」
「元どおりですか?」
「折れる前のこいつを見てねぇから、元どおりかは知らねぇ。古い亀裂は消した。硬さも粘りも整えて、試験は通してある」
「使えるんですよね?」
「使えねぇもんを渡すかよ」
小峰は刀身を鞘へ戻し、柄を握り直した。親指と人差し指が、握り革の薄くなった位置へ収まる。
「持った感じも変わりません」
「重心も戻したからな」
「同じ型の新品を持たせてもらった時とは、全然違います」
「柄も鍔も、お前が使ってきたままだからな」
小峰は指の位置を確かめるように、もう一度握り直した。
俺は試験結果を指で叩く。
「細かい確認は外でやれ。店の中で振るな」
「分かっています」
「次は折れる前に持ってこい」
「折れる前に分かるものなんですか?」
「点検に出せばな」
「次から、そうします」
代金を受け取り、領収書を渡す。
小峰は剣をケースへ戻して背負い、入口へ向かう。ガラス戸へ手をかけたところで振り返った。
「ありがとうございました」
「次は閉店前に来い」
「努力します」
小峰が路地の向こうへ消える。
俺は欠伸を噛み殺し、カウンターの椅子へ腰を下ろした。