ガラス戸が開き、児玉が探索用のブーツを一足抱えて入ってきた。
「こんにちはー!」
くたびれた店内に、明るい声が響いた。
「点検か?」
「はい! そろそろ診てもらうころだったんで!」
左右を揃えてカウンターへ載せる。泥を落とし、乾かしてから持ってきたらしく、黒い表地にも靴底にも湿り気は残っていなさそうだった。
駆け出しの頃、泥の塊みたいなブーツを平然と持ち込んできたので一度追い返した。それからは、この手の下処理だけはきっちりしてくる。
「変なとこはあるか?」
「いえ、特には!」
片方を持ち上げ、表地を押す。つま先から踵まで縫い目を追い、履き口を広げて内張りを覗いた。
「……相変わらず目に沁みる臭いがして涙が出るぜ」
「お、女の子の靴につけるコメントじゃないですよね!?」
児玉は、探索者になりたての頃から何を言ってもこの調子だ。声がしぼんだところは見たことがない。
無視して、軽い確認を続ける。金具に緩みはなく、足首を支える部分にも目立ったへたりはない。中敷きを外して奥を確かめ、もう片方と並べる。
外底にも剥がれはなかった。溝はまだ深く、交換するほど減ってはいない。
ただ、踵と親指の付け根に当たる部分は、滑り止めのラバーの角が丸くなり始めている。踏み込むたびに押し潰され、へたりちびた形だ。
両方の靴底を親指で押し、戻りを比べる。硬さの偏りも沈み方も片方だけが違う、というようなこともない。
「悪いところ、あります?」
「ねぇな」
「よかったあ!」
「けど、底はいじる」
「あるじゃないですか」
「常識的な損耗だ。今ならすぐ戻せる」
「じゃあ、お願いします!」
受付票をカウンターへ滑らせる。児玉が連絡先と装備番号を書き込んだのを確かめ、ブーツを引き寄せた。
「配信しないんですか?」
「これっぽっちで配信つけてたら準備の方が長ぇよ。そこで待ってろ」
「見ていても?」
「好きにしろ」
ブーツを作業台へ運ぶ。中敷きを抜き、二枚を作業台の端へ置いた。脇に置いてある靴修理用の台金を引き寄せ、靴型の頭を片方のブーツの履き口に差し込み、靴底を上向きに据える。
溝に残った細かな砂をブラシで掻き出し、踵へ指を当てた。
踵のへたった部分を柔らかくし、踏み潰されて横へ広がったラバーを残った厚みの中で均していく。削れて失われた分は戻らない。新品の高さまでは起こさず、まだ残っている縁を溝へかからないところまで整える。親指の付け根、つま先へと指を移し、ちびた箇所に合わせて周囲の形と硬さを馴染ませた。最後に靴底全体を押し、一か所だけ深く沈まないよう固めた。
「相変わらず、何度見ても不思議ですね」
「毎回見るな」
「見えるところで始めたの、そっちじゃないですか」
ブーツを台金から外してもう片方へ替える。こちらは踵よりも、親指の付け根に近い部分の減りが大きかった。減り方の違いを見ながら残ったラバーを移し、接地する高さと沈み方が左右で揃うよう、踵からつま先まで整えていく。
台金から外して二つを並べ、親指で押して戻りを確かめてから、それぞれに中敷きを戻した。
「終わり。履け」
「もうですか?」
児玉はカウンター脇の椅子へ座り、履いてきた靴を脱いだ。探索用ブーツへ足を入れて紐を締め、立ち上がる。その場で踵を浮かせ、片足ずつ床へ押しつけた。
「正直、前との違いは分かりません!」
「分かるほど悪くなってねぇからな」
「じゃあ、大成功ですね」
「滑り止めは戻してある。次も同じ頃でいいが、滑る、沈む、どっか当たる。何か出たら時期を待たずに持ってこい」
「はい!」
児玉は履いてきた靴を片手にまとめ、財布を取り出した。
「おいくらですか?」
「点検費百万」
「えっ!? 高っ!? こんなに早く終わって百万円ですか!?」
「超特急料金だからな。早いなら高ぇだろ」
「無理です!」
「じゃあ、三千」
「下がり方が雑すぎません!?」
それでも声をしぼませることなく、児玉は三千円をカウンターへ置いた。領収書を受け取ると、探索用ブーツを履いたままガラス戸へ向かう。
「またお願いします!」
「今度は目に沁みねぇようにしてこい」
「泣いてなかったじゃないですか!」
「我慢した」
児玉は笑いながら空いた手を振り、店を出ていった。
ガラス戸が閉まる。カウンターの端に伏せていた端末が、続けて二度震えた。
受付票へ靴底の調整内容を書き足し、端末には触れなかった。