鉄殻蜥蜴が、低い姿勢から太い首を振り上げた。
尾まで含めれば三メートル近い。鉄板のような鱗に覆われた胴は太いが、四つ足で立つ背は小峰の腰より低かった。鼻面には、サイを思わせる一本角が生えている。
その角が、小峰の脇腹を払う軌道で迫った。
小峰は剣を斜めに構え、刀身の腹を角へ合わせる。
ぶつかった瞬間に両肘を緩め、剣ごと衝撃を横へ流した。
それでも逃がしきれない力が腕の芯まで走る。靴が砂を削り、両腕が剣ごと大きく横へ弾かれた。
昨日は、同じ角に剣を受け止められたところで刀身が折れた。
今度は、柄を握る手に重い振動が残っただけだった。
刃はつながっている。
鉄殻蜥蜴の頭が、角を振り抜いた勢いのまま横を向いた。
前脚を踏み替え、小峰へ向き直ろうとする。
その付け根へ、盾役が横合いから盾を叩き込んだ。
鈍い音が響く。巨体そのものは止まらない。それでも踏み出しかけた前脚が砂を掻き、向き直る動きが一瞬遅れた。
小峰は滑った足を踏み直し、外へ流された剣を引き戻す。
柄を握り直すと、親指と人差し指が、擦れて薄くなった握り革の位置へ収まった。
重心はずれていない。
手首を返した時の重さも、昨日までと変わらなかった。
横を向いた頭の下で、顎から腹へ続く鱗の継ぎ目が開いている。
小峰はそのまま間合いへ踏み込み、低い位置から剣を斜めに振り上げた。
刃が鱗の隙間へ入り、太い首へ深く食い込む。
鉄殻蜥蜴が身をよじった。
盾役が素早く離れ、小峰も剣を抜いて後ろへ跳ぶ。
鉄殻蜥蜴は前へ出ようとした。片方の前脚が沈み、もう片方も続く。巨体が砂を押し潰しながら崩れ、短く滑って止まった。
弓手は矢をつがえたまま、倒れた魔物ではなく周囲へ視線を巡らせている。
盾役が側面から近づき、盾の縁で後脚を突いた。
動かない。
「終わった」
盾役がようやく盾を下ろした。
「剣は?」
小峰は答える前に、刀身を目の高さまで持ち上げた。
照明器具らしいものはどこにもない。それでも砂地には、傷や汚れを見落とさないだけの明るさが満ちている。ダンジョンの大半の階層では、探索や戦闘のために明かりを持ち込む必要がなかった。
刃には鉄殻蜥蜴の体液が残っている。
腰の布を抜いて拭うと、その下から滑らかな刀身が現れた。
折れていた場所へ目を凝らす。
見つからない。
角を受けた辺りにも、欠けや歪みはなかった。
修理屋は使えると言った。
それを信じたからこそ、今日の探索へ持ってきた。
それでも、昨日この剣を折った角をまともに受けて、何事もなかったように光を返しているところまでは想像していなかった。
小峰は刀身を下ろせずにいた。
「大丈夫です」
「角を受けて無傷か」
「……はい」
息を吐くと、胸の奥に残っていた力も少し抜けた。
「私も、ここまでとは思っていませんでした」
「昨日と同じ角を、よくまた剣で受けたな」
「避けきれなかっただけです」
「それを先に言え」
盾役が顔をしかめた。
昨日、小峰が鉄殻蜥蜴の首へ振り込んだ剣は、割り込んできた角に受け止められた。
刀身はその場で折れた。刃先が砂地へ飛び、小峰の手には半ばから先を失った剣だけが残った。
予備の短剣はあった。
だが、鉄殻蜥蜴の鱗の隙間へ十分な深さで刃を届かせるには短い。
盾役はすぐに撤退を決めた。
盾が正面を押さえ、弓が牽制する。その間に小峰は落ちた刃先を拾い、距離を取った。
三人とも動けるうちに、安全に離脱する。
討伐を続けることより、そちらを優先した。
だから三人とも、今日もう一度ここへ来られた。
弓手が矢を戻し、二人の間へ片手を出した。
「その話、まだ続ける? 配信も続いてるけど」
三人の後方では、小型の追従カメラが音もなく浮かんでいた。
パーティーとの距離を保ち、空中でわずかに傾きを変えながら、戦闘を終えた三人を画面へ収めている。
弓手が腰から補助端末を外した。
討伐を見届けた視聴者のコメントが、画面を流れていく。
《討伐おつ》
《リベンジ成功》
《角受けた瞬間また折れたかと思った》
《今度は無事だったな》
《その剣昨日と同じ?》
《さすがに買い替えたんじゃね》
弓手は端末から顔を上げ、小峰の剣を見た。
「そういえば、それ、新しく買った剣じゃないんだよね?」
「ええ」
「昨日折れたものを直してもらった?」
「はい」
盾役も剣へ目を向けた。
「昨日の夕方まで折れてたんだぞ。いつ直した?」
「昨夜、預けました」
「今朝受け取って、そのまま持ってきたのか?」
「ええ」
盾役の眉が上がる。
「ずいぶん早いな」
「試験結果も受け取りました。魔力を流して、曲げて、硬いものにも当てたと」
「紙で無事でも、実際に角を受けるまでは分からないだろ」
「今、分かりました」
「結果が良かったからいいようなもののな」
小峰には比べられる修理例がなかった。
昨日回った店では、そもそも修理を勧められていない。買い替える方が安く、安全だと言われた。
一晩で直せる店が普通でないことくらいは分かる。
「どこで直してもらったの?」
弓手が聞いた。
「ダンジョン前の脇道にある店です」
「名前は?」
「分かりません」
「分からない?」
「看板が擦れていて、ほとんど読めなかったので」
端末のコメントが、討伐から修理の話へ移っていく。
《一晩修理ってマ?》
《そんな早く戻るもんなの》
《特急料金えぐそう》
《店どこだよ》
《店名分からんのかい》
《まず看板を直せ》
その中に、一つだけ長いコメントが混じった。
《待って、昨夜片手剣修理の作業配信見たんだけど、時間合わない?》
《何それ》
《修理配信?》
《片手剣なんて珍しくないだろ》
《別の剣では?》
《偶然じゃね?》
弓手の指が止まった。
流れたコメントを戻し、読み直す。
「その店、修理作業を配信してた?」
「はい」
「小峰も見たの?」
「少しだけです。今日の探索があったので、最初の方しか」
昨夜は、受付でもらった控えから配信を開いた。
画面に映っていたのは、検査台へ運ばれた剣と、修理屋の手元だけだった。
柄頭の印も装備番号も隠されている。
自分の剣によく似ているとは思ったが、それを確かめるために眠る時間を削る気にはなれなかった。
《本人も見てたんか》
《じゃあ昨夜のやつ?》
《最初だけじゃ分からんだろ》
《番号とか映ってた?》
《見た人だけど隠してたぞ》
《ならまだ別物説ある》
弓手が小峰へ向き直った。
「昨夜の配信に映ってたの、この剣?」
「おそらく。配信に映っていたのも、折れた片手剣でしたから」
配信に映っていた情報だけでは、持ち主の小峰にも断定できない。万が一の確率で、もしもがある。
それでも、自分の剣は今ここにあり、昨日までと同じように使えている。
《おそらくかい》
《持ち主でも確定できないの草》
《特定対策はちゃんとしてるんだな》
《同じ配信なら昨日折れて今日実戦復帰》
《しかも折った角を受けて無傷》
《最初の人リンク頼む》
《あとで見てくる》
盾役が、もう一度剣を見た。
「昨日折れたものが、今これか」
「はい」
小峰は短く答えた。
それだけは間違いない。
弓手が補助端末を腰へ戻す。
「続きは帰ってから。先に回収しよう」
盾役が倒れた鉄殻蜥蜴へ向き直った。
「回収札を」
「はい」
弓手は腰のケースから一枚の札を抜き、鉄殻蜥蜴の背へ貼りつけた。
討伐済みの魔物だけを運ぶための札だ。
表面に刻まれた文字が淡く光る。
鉄殻蜥蜴の輪郭が揺らぎ、鼻先から尾へ向かって、巨体が薄くほどけていく。鱗も角も流れに巻き込まれ、札の文字へ吸い込まれた。
最後に尾の先が消える。
中身を収めた札が、砂の上へ落ちた。
弓手はそれを拾い、未使用の札とは別の区画へしまう。
小峰は手にしていた剣を鞘へ収めた。
刃は途中で引っかかることなく、最後まで滑り込む。
それでも、柄からすぐには手を離せなかった。
親指と人差し指が、握り慣れた場所へ収まっている。
重さも、形も、手に返る感触も変わっていない。
昨日、一度折れたはずなのに。