ガラス戸の鍵を開け、扉を開く。
戸口のすぐ外を、下りたシャッターが塞いでいた。
下端へ手をかけ、内側から持ち上げる。
膝の高さを越えたところで、すぐ向こうに靴先が見えた。
「危ねぇから下がれ」
「す、すみませんっ」
靴先が半歩分遠ざかった。
シャッターを最後まで上げる。
外に立っていたのは、平たい装備ケースを背負った女だった。
「開店前でしたか?」
「今、開けた」
女は入口の上へ顔を向けた。
擦れてほとんど読めなくなった看板を見上げ、それから手にしていた端末を俺へ向ける。
画面には、見覚えのある作業台と俺の手が映っていた。
『【なおし屋切り抜き】修理した剣の実戦結果を知る【平常運転】』
「あの、この動画の修理屋の店で、合ってますか……?」
「知らん。用があるなら入れ」
返事を待たず、店内へ戻った。
カウンターの内側へ回っても、女はすぐには入ってこない。開いたガラス戸の前で、端末の画面と店内を見比べている。
一歩出しかけた足を戻し、もう一度看板を見上げた。
しばらくして、ようやく敷居をまたぐ。
端末の画面を消してからガラス戸を閉め、背負ったケースを両手で支えながらカウンターの前まで来た。
「で、物は?」
女は装備ケースを背中から下ろし、カウンターへ載せる。
「こ、これです」
ケースを引き寄せ、留め具を外した。
中に畳まれていたのは、暗い灰色の外套だった。
襟元には金属製のフックと受け輪がついている。右肩から背中にかけて、黒い焼け跡が広がっていた。
外套を取り出した途端、焦げた布の臭いが鼻につく。
カウンターへ広げ、焼けた場所を指で押した。硬く縮んだ表地が崩れ、細かな欠片になって落ちる。
裏返す。
内張りにも熱の跡は残っていたが、変色した範囲は表より狭い。
「着てたのはお前か?」
「……はい」
「火傷は?」
「か、軽いものでした。治療は済んでいます」
「後ろから焼かれてるな」
女が肩をすぼめ、外套へ視線を落とした。
「……仲間の火炎魔法が逸れました」
「逸れた先にお前がいたと」
「……そうなります」
「下手くそだな」
女の眉が寄る。
「ほ、本人も反省しています!」
「どっちもだよ」
眉間の皺が深くなった。
女は口を開いて俺を見たが、何も出てこない。そのまま唇を結び、視線を外套へ戻した。
焼けて裂けた表地の端を持ち上げる。
外側の耐火布と内張りの間には、細い金属糸を編んだ層が挟まれていた。
炎をまともに受けた場所では、網目が潰れて一枚の板のように縮んでいる。
こいつが熱を周囲へ逃がしたから、内側の被害がこの程度で済んだらしい。
焼け跡から離れた内張りをつまむ。
まだ弾力は残っている。
表の穴だけ取り繕っても意味がない。金属糸が潰れたままなら、次に熱を受けた時には役に立たない。
「他の店には?」
「は、はい。持っていきました。中の層まで傷んでいるので、買い替えた方がいいと」
「正しいな。どれくらいかかるって?」
「同じものは、届くまで一か月以上と」
「いつ使う?」
「できれば、四日後までに直していただきたいです」
「何がある?」
「お、同じ階層へ、もう一度入る予定です」
「また焼かれるのか?」
「……今度は、立ち位置を変えます」
声は小さいままだった。
言い切ったあとも、女は外套を見下ろしている。
焼けた範囲を指でなぞった。
表地の損傷が一番広い。金属糸はそれより狭く、内張りはさらに小さい。
三層とも手を入れる必要はあるが、失われた素材は多くない。
内張りの布と金属糸は、店にある補修材で足りる。
問題は表地だ。
内側の端に縫いつけられた素材表示を引き出す。
札は焼けていない。規格番号も残っていた。
「ちょっと待て」
女が小さくうなずく。
端末を取り出し、馴染みの生地屋へ規格番号を送った。
返事を待つ間に、焼け跡の端をもう一度めくる。表地の裏側まで焦げているが、同じ布さえあればつなぎ直せる。
端末が震えた。
同じ規格の在庫があり、明日の便で送れるらしい。
これなら間に合う。
「いくら出せる?」
女はすぐには答えなかった。
焼けた外套を見下ろしたまま、ケースの縁へ置いた指をゆっくり動かす。
唇を何度か動かしたあと、顔を上げた。
「……八万円、までなら」
「十五万。急ぐんだろ?」
女の肩が強張る。
「じゅ、十五万円ですか……!?」
「嫌なら他を当たれ」
視線が俺から外套へ戻った。
黒く焼けた表地を見つめ、ケースの縁を指先でつかむ。
そのまましばらく動かない。
やがて指から力が抜け、女が小さく息を吐いた。
「……十五万円で、お願いします」
「なら預かる」
受付票をカウンターへ出す。
女が連絡先と装備番号を書き込んだ。
受け取って記入漏れを確かめる。名字は森下だった。
受付票をしまい、配信同意書を渡す。
「これも、配信するんですか?」
「お前が可に丸をつけたらな」
「断った場合は?」
「映さずに直す。条件は同じだ」
森下は用紙を受け取ると、配信可否の欄を探した。
選ぶ場所だけを確かめ、配信可へ丸をつけて署名する。
同意書を受付票と一緒にしまい、配信先と確認用コードが記載された控えを返した。
「あのっ、店を探すのに、少し時間がかかりました……」
返事はせず、引き出しを閉める。
森下は控えを持ったまま、ガラス戸越しに入口の上へ目を向けた。店内から看板を見上げるように、少し顎を上げる。
「看板は、直さないんですか?」
「困ってねぇ」
森下は一度口を閉じた。
それでも控えを握ったまま、小さな声で続ける。
「……探す方は、困ります」
「見つけた奴に言われたくねぇよ」
また眉が寄った。
森下は言い返さず、控えを鞄へしまう。カウンターに残った外套を一度見てから、頭を下げた。
「……お願いします」
「できたら連絡する」
森下が店を出ていく。
ガラス戸が閉まってから、外套を畳んでケースへ戻し、ケースごと預かり品用の棚へ収めた。
◆
外套を預かって二日後の夜。
先に入っていた作業を終え、生地屋から送られた耐火布の包みを開いた。
暗い灰色の布には、外套の札と同じ規格番号がついている。
預かり品用の棚から外套を取り出し、焼けていない裾を新しい布へ重ねた。
色と織り目は同じ。
指で押した時の沈み方にも、ほとんど差はない。
二枚の端を一緒に曲げて離す。戻り方もそろっていた。
問題ない。
必要な分を切り分け、残りは包みへ戻した。
外套の装備番号へ覆いをつけ、作業台のカメラを選ぶ。
配信タイトルへ『焼けた外套』と入れ、開始を押した。
《切り抜きから》
《今日は服?》
《肩が焦げてる》
《これ直るのか》
外套を裏返す。
内張りの縫い目を、焼けていないところからほどいていく。襟元のフックと受け輪を外し、取り外した順に作業台の右へ並べた。
表地、金属糸の層、内張りを、焼けた部分を中心に分けて広げる。
外側の耐火布は、右肩から背中まで黒く焼けていた。中心は繊維が崩れ、その周りも熱で硬くなっている。
金属糸の網目が潰れた範囲は、それより狭い。
内張りの変色はさらに小さかった。
表地を検査台へ運び、映像を切り替える。
表面の煤を落とす。
黒く見えていた場所の外側まで、指に返る感触が硬い。
見えている穴だけを塞げば、その周りから裂ける。
傷んだ範囲へ指を添え、魔力を流した。
焦げた繊維が音も熱もなく形を失い、黒い液体に変わる。
弾力の残っている繊維は残したまま、熱で性質が変わったところだけを抜き取っていった。
《布が溶けた!?》
《!?》
《!?》
《穴広がってるけど!?》
《大丈夫なのかこれ……》
《焦げたところだけ取ってる?》
《何してるか分からん》
取り除いた繊維を容器へ移す。
表地には、最初の焼け跡より一回り大きな穴が空いた。
穴の周りに残った繊維は、切りそろえていない。糸の形を保ったまま、周囲へ向けてほどいてある。
届いた耐火布を検査台へ載せた。
穴より大きく切り分け、残った表地の下へ重ねる。
新しい布の端へ魔力を流す。
織られていた糸が一本ずつほどけ、元の表地から残した糸の間へ入っていく。
縦糸を先につなぎ、その間へ横糸を通す。
接合する場所が一本の線に並ばないよう、少しずつ位置をずらした。
新しい繊維だけが硬ければ、境目から裂ける。
柔らかすぎれば、肩を動かした時にそこだけ伸びる。
表面を指で押した。
周囲より沈みが浅い。
繊維の密度を少し落とし、もう一度押す。
今度は周りと同じだけ沈み、指を離すと同じ速さで戻った。
表面をなぞる。
わずかに盛り上がったところから繊維を動かし、厚みをそろえた。
《穴が消えてる》
《縫ってないよな?》
《横の布を使ったのか》
《境目どこ》
《お前おかしいよ》
表地を作業台の端へ移し、金属糸の層を検査台へ載せる。
炎を受けた中心では、網目が潰れ、糸同士が貼りついていた。
その周りにも、引き伸ばされて細くなった場所がある。
硬くなった部分を指で弾くと、鈍い音が返った。
《中も駄目になってる》
《この網みたいなの何?》
《熱を逃がすやつ?》
《これも直せるのか》
《交換じゃないんだ》
潰れた金属糸へ魔力を流す。
銀色の液体へ変わった金属が、無事な網目から離れて浮かんだ。
切れかけた糸も、傷のないところまでほどく。
棚から元のものと性質の近い細い金属線を取り出した。
必要な分だけ液体へ変え、残した網目の端へつなぐ。
交点は一つの塊にしない。
糸同士がわずかに動ける隙間を残し、外套が曲がった時に網全体で力を逃がせるよう組み直す。
固体へ戻し、両端を持って曲げた。
網目は手に合わせてたわみ、離すと元の形へ戻る。
強く引いても、つないだところだけが伸びることはなかった。
《網まで戻った》
《細かすぎて何してるか分からん》
《布もやばいけど、こっちもやばくね?》
内張りの損傷は軽い。
変色した繊維を取り除き、店に置いてある同じ種類の補修布を足す。肌へ触れる側だけが硬くならないよう、表地より柔らかく仕上げた。
三つの層を作業台へ並べる。
表地の裏へ金属糸を重ね、その上から内張りを戻した。
端を仮留めし、外套を持ち上げる。
肩に沿う形へ曲げても、修理したところだけが浮くことはない。
腕を前へ出す形に動かしても、背中側は引きつらなかった。
縫い目を閉じ、外していたフックと受け輪を元の位置へ戻す。
フックを受け輪へ掛け、襟元を左右へ引いた。
金具は外れず、縫いつけた場所にも浮きはない。
外套を試験用の人型へ着せた。
修理した場所の内側へ、熱の伝わり方を記録する試験片を挟む。
外側から試験用の熱源を当てた。
表地が熱を受け、その下の金属糸へ広がっていく。
一点に留まらず、周囲へ逃げていた。
熱源を止め、内側の試験片を引き抜く。
記録は規格の範囲に収まっている。
修理箇所から離れた、損傷のない部分にも、同じ距離から同じ時間だけ熱を当てた。
二枚の試験片を並べる。
大きな差はない。
外套の熱が引くのを待ってから人型から外し、修理した場所を曲げる。
表地に皺は残らない。
金属糸から異音もせず、内張りの縫い目にも浮きはなかった。
最後に全体を広げ、襟から裾まで確認する。
「終わり」
《焼け跡どこいった》
《修理した場所が分からん》
《服まで直せるのか》
《看板以外は直す店》
配信を停止した。
使った道具を元の場所へ戻し、検査台と作業台を順に拭く。
試験結果をまとめ、外套を畳んでケースへ収めた。
ケースを預かり品用の棚へ移し、受付票に書かれた連絡先へ修理が終わったことを送る。
返事はすぐに届いた。
◆
森下が来たのは翌日、店を開けてしばらくしてからだった。
預かり品用の棚からケースを取り出し、試験結果と一緒にカウンターへ置く。
「直った」
森下は両手でケースを引き寄せ、留め具を外した。
外套を取り出し、カウンターへ広げる。
焼けていた右肩から背中へ目を走らせ、表地を光へ向けた。裏返し、内張りにも目を近づける。
「……新品みたいです」
右肩の辺りを指で押し、表地を曲げる。
視線が何度も同じ場所を行き来した。
「前と同じくらい、火を防げますか?」
「前がどうだったかは知らねぇ。規格の性能は出てる」
「前と同じように使える、ということですか?」
「使える状態には戻した。現場で毎回同じになる保証まではしねぇぞ」
試験結果を森下の方へ押し出す。
森下は紙へ目を落とした。
並んだ数字を上から追っていた目が、途中で止まる。同じ欄を何度か往復した。
「あの……これは、どこを見ればいいんでしょうか?」
「こっちが直したとこ。こっちが無事だったとこ」
二つの欄を順に指で叩く。
「数字が近けりゃ、通った熱も同じくらいだ」
「……なるほど」
森下はもう一度数字を見比べた。
分かったようには見えなかったが、試験結果を丁寧に折り、ケースの中へしまった。
外套をもう一度広げ、右肩から背中を眺める。
最後まで焼け跡を見つけられなかったらしく、そのまま畳んでケースへ戻した。
代金を受け取り、領収書をカウンター越しに渡す。
森下は領収書もケースへしまい、蓋を閉じた。
「ありがとうございました」
「たまには点検に持ってこい」
「外套も点検が必要なんですか?」
「中の網は、切れてても外から分かりにくい。今回みたいに潰れてることもある」
「何も起きていなくてもですか?」
「何も起きてねぇと思ってる時に持ってくるのが点検だろ」
森下は少し考え、小さくうなずいた。
「……次から、そうします」
ケースを抱え、入口へ向かう。
ガラス戸へ手をかけたところで足を止め、店内から入口の上を見上げた。
「あの看板も、直した方がいいと思います」
「直してほしけりゃ料金払え」
「えっ」
森下が振り返る。
「ご自分のお店の看板ですよね?」
「俺は困ってねぇ」
「探す方が困るんですが……」
「依頼なら受けるぞ」
森下は何か言いかけ、口を閉じた。
しばらく俺を見たあと、諦めたようにガラス戸を開ける。
「……失礼しました」
戸口の外には、長い弓のケースを肩に掛け、端末を持った男が立っていた。
男は森下が出られるよう脇へ避け、端末の画面と入口の上の看板を見比べる。
森下が路地へ出ると、男は端末を上着のポケットへしまい、閉まりかけたガラス戸を押さえた。
そのまま店へ入り、俺を見る。
「あんたが、修理屋か?」
「物は?」
男は一度口を閉じた。
肩に掛けていた弓のケースを下ろし、カウンターへ載せる。
俺はケースを引き寄せ、留め具へ手をかけた。