矢は的を外れ、その右上にある土壁へ突き刺さった。柴崎は弓を下ろさず、壁に残った矢を見た。狙ったのは的の中央だ。弦を放す瞬間まで、弓の傾きも手首の位置も崩していない。
「右か」
「ああ」
背後で見ていた仲間が腕を組み直す。
柴崎は矢筒から次の一本を抜いた。矢柄を指先で回し、曲がりがないことを確かめる。矢羽にも浮きはない。
黒い長弓へ矢をつがえ、魔力を通す。淡い光が革巻きの握りから上下へ伸びた。
耳元まで弦を引き、放つ。
矢は的へ届かなかった。半ばを過ぎたところで急に軌道を落とし、地面へ突き立つ。
「今度は手前か」
柴崎は返事をせず、三本目をつがえた。
立ち位置も、引く長さも、込める魔力も変えない。
放たれた矢は的の左を通り抜け、奥の土壁へ深く刺さった。
右上。手前。左奥。
同じ条件で射った三本が、まるでまとまっていない。
「ここまででいい」
「もう十分か?」
「続けても矢を無駄にするだけだ」
弓へ流していた魔力を止める。
中央に革を巻いただけの黒い長弓は、上から下まで滑らかな曲線を描いていた。表面に亀裂も剥がれもない。弦にも、見て分かる傷みはなかった。
「昨日も、あんな外れ方だったのか?」
「壁が崩れてからだ。そのあとは、まともに当たった方が少ない」
「……すまない」
「謝るな。あれが最善だった」
前日の探索で、通路脇の石壁が突然崩れた。
落ちてきた石材に仲間の脚が挟まり、柴崎は手にしていた長弓を床との隙間へ差し込んだ。横から押し潰されれば、弓が無事では済まないことは分かっていた。
それでも、ほかの道具を探している時間はなかった。
弓が石材を支えた数秒の間に、仲間は脚を引き抜いた。
直後に外側と弦を確かめ、軽く引いてもみた。異常は見つからず、そのまま使えると判断した。
矢が散り始めたのは、次の戦闘からだった。
「最初は俺が外したと思った。二射目は右へ抜けた。三射目は左手前に落ちた」
「それで予備へ替えたのか?」
「ああ。威力は足りなかったが、狙った方には飛んだ」
相手は硬い外皮を持つ魔物だった。仕留めるには、弓と矢へ魔力を通して威力を上げる必要がある。
一射だけなら、射手の失敗で済む。
同じ方向へ外れるなら、狙いをずらして補うこともできる。
だが、方向も飛距離も射るたびに変わるのでは、腕ではどうにもならない。
柴崎は新しい矢を三本取り、的の正面へ戻った。
「次は?」
「魔力を通さない」
一射目は中央からわずかに左へ刺さった。二射目はそのすぐ上。三射目も、先の二本から大きく離れない。
普段より少し広い。それでも、土壁へ散った三本とは比べるまでもなかった。
弦を予備へ替えても結果は同じだった。魔力を通さなければまとまり、強く通した途端に矢が散る。
柴崎は黒い長弓を置き、ケースから短い予備弓を取り出した。主武器が使えなくなった時、撤退までをしのぐためのものだ。柔らかく、握りも細い。手には馴染まないが、比較には使える。
耐えられる範囲まで魔力を通し、三本射る。
中央からは外れたものの、矢は同じ範囲へ集まった。
「弓だな」
「ああ」
矢でも、弦でも、射ち方でもない。
黒い長弓だけが、強い魔力を通した時に同じ射撃を返さなくなる。
表面には何も出ていない。
自分で確かめられるのは、ここまでだった。
◆
購入した正規店で、柴崎は黒い長弓と二本の弦をカウンターへ載せた。
「強く魔力を通して射ると、矢が散る。方向も距離も一定しない」
「使用する矢は替えましたか?」
「替えた。弦も予備へ替えた。魔力を通さなければまとまる。予備弓では、魔力を通しても散らなかった」
「症状が出たのは、いつからですか?」
「昨日の探索中だ」
「それまでは問題なく使えていた?」
「ああ」
「では、症状が出るまでの状況を順に教えてください」
柴崎は石壁が崩れたところから説明した。
「仲間の脚が石材に挟まれた。ほかの道具を探す時間がなかったから、弓を隙間へ差し込んで支えた」
「どの辺りを使いましたか?」
「握りより下だ。数秒だけだった」
柴崎が示した場所を、技術員は端末へ記録した。
「分かりました。そこを含めて、弓側の異常として検査します」
技術員は弦を外し、弓を光へ向けた。中央の革巻きから両端まで表面を調べ、柴崎が示した場所は指で押し、角度を変えながら念入りに確認する。二本の弦も端から順に確かめていく。
次に店の検査用の弦を張り、弓を検査台へ固定した。装置が一定の幅まで弦を引き、しなり方と戻り方を測る。引く幅と負荷を変え、魔力も規定の上限まで流された。
何度か測定を繰り返したあと、技術員が表示された数値を見直す。
「何か見つかったか?」
「現時点では、異常は確認できません」
弓のしなり方も戻り方も規定の範囲内だった。石材を支えた箇所にも、表面から確認できる亀裂や剥がれはない。魔力の流れにも、検査で拾えるほどの乱れは出ていなかった。
「試射では、はっきり散った」
「こちらでも、伺った箇所を含めて負荷を変えながら調べました。ただ、検査台で弦を戻す場合と、実際に矢を放つ場合では、弓へかかる力の動きが違います」
「実射しないと出ない可能性があるのか?」
「あります。今の検査では、症状を再現できていません」
技術員は結果を見ながら、しばらく黙っていた。やがて検査票を印刷し、カウンターへ置く。
「衝撃を受けた以上、このまま使うことはお勧めできません。ただ、症状を確認できていない状態では、修理する箇所を決められません」
「どうすればいい?」
「症状が出る条件を記録してください。使用した矢、込めた魔力量、着弾位置。可能なら射撃時の映像もお願いします」
弓は直らなかった。
だが、症状を再現できていない相手へ、見つからない箇所を直せと言っても仕方がない。
柴崎は検査票を受け取り、店を出た。
◆
翌日、柴崎は仲間に頼み、試射の様子を撮影させた。
矢へ番号を振り、魔力量と着弾位置を一射ごとに記録する。
魔力を通さなければ、矢はまとまった。少量を流しても変わらない。実戦で使う量へ近づいた途端、一射目は右上、二射目は左、三射目は的へ届く前に落ちた。
射撃位置を変えても、散り方に規則はない。
必要な記録が取れたところで、柴崎は弦を外した。
「これで店も確認できるか?」
「できなければ、向こうで俺が射つ」
柴崎は着弾位置の記録と撮影した映像をまとめた。
◆
再び正規店を訪れると、前回と同じ技術員が検査票と映像を順に確認した。
通常射撃と魔力を抑えた射撃では矢がまとまり、それ以上では不規則に散っている。
「店の試射場でも確認させてください」
「ああ」
技術員に案内され、柴崎は店内の試射場へ移った。
矢も弦も店のものを使う。
通常射撃ではまとまった。少量の魔力でも変わらない。
実戦で使う量まで上げると、一射目は的の上を越え、二射目は右下へ外れ、三射目は途中で地面へ落ちた。
「もう一度射つか?」
「いえ。十分です」
技術員は着弾位置を記録し、柴崎へ頭を下げた。
「症状を確認しました。前回、確認できないままお返ししたことをお詫びします」
「検査台では出なかったんだろ」
「はい。実射時だけ、内部の状態が変わっている可能性があります」
外から調べられる範囲では、これ以上は難しい。
製造元の工場で外側を剥がし、芯材や補強繊維、魔力導路を順に確認する必要があるという。
「どれくらいかかる?」
「少なくとも三週間です。内部の状態によっては、さらにかかります」
「それで直るのか?」
「原因を特定し、損傷箇所をすべて修理できれば。ただ、開けるまでは断言できません」
確実とは言わなかった。
それでも、このままでは使えない。魔力を抑えれば射てるが、それでは黒い長弓を使う意味がなかった。
「頼む」
「お預かりします」
柴崎は受付票へ記入し、長弓を工場修理へ預けた。
◆
正規店から連絡が来たのは、三週間を少し過ぎた頃だった。
カウンターへ運ばれた細長いケースの横には、数枚の修理報告書が置かれていた。
「石材を支えた辺りで、内部の芯材が一部潰れていました。補強用の繊維にもずれがあり、魔力導路の一本が本来の位置から外れていました」
工場では弓の下側を広く剥がし、潰れた芯材と傷んだ繊維を交換していた。ずれた魔力導路も新しいものへ通し直し、内部の層を積み直している。
曲げ試験、復元試験、魔力負荷試験。どの結果も規定内だった。
「確認できた損傷は、すべて修理しています。工場での試射でも異常はありませんでした」
「誰が射った?」
「試験担当者です。規定上限まで確認していますが、お客様とまったく同じ射ち方を再現できたわけではありません」
必要な工程を省いた形跡はなかった。
柴崎はその場で試射を求めた。
自分の弦を張り、店の矢を受け取る。
通常射撃はまとまった。少量の魔力を通した三本も、同じ範囲へ収まる。
ここまでは修理前と変わらない。
「次から実戦で使う量まで上げる」
「お願いします」
弓へ流す魔力を増やす。淡い光が両端まで届いた。
引き始めの重さも、手へ返る感触もおかしくない。
柴崎は中央を狙い、放った。
矢は的の左を大きく外れ、奥の壁へ刺さった。
二射目は的へ届く前に落ちる。
三射目は右上を通り過ぎた。
左奥。手前。右上。
方向も飛距離も、修理前と同じように散っている。
「直っていないな」
技術員は端末に残った着弾位置を見た。
「……はい。同じ症状が残っています」
「工場で直した場所が、また壊れたのか?」
「現時点では分かりません。見つけた損傷は原因の一部だったと思います。ただ、それだけではなかったということになります」
技術員は責任を否定しなかった。
再び工場へ送るなら、今度は前回剥がさなかった部分も含め、弓全体を調べることになる。元の素材をどこまで残せるかは保証できないという。
「今日は持ち帰る」
「よろしいのですか?」
「次を決めてから連絡する」
柴崎は弓と、二度分の検査票、工場の修理報告書を受け取った。
見つかった損傷をすべて直しても、弓は直らなかった。
◆
その夜、柴崎は机へ修理報告書を広げた。
交換された芯材、補強繊維、魔力導路。工場で行われた試験。どの欄を見ても、工程に抜けはない。
もう一度送れば、次は弓全体を開くことになる。原因が見つかる保証はなく、元の素材を残せない可能性もある。
同じ仕様で作り直すにしても、今の弓と同じようには使えない。握りも、引き切る位置も、魔力を通した時の返りも、一から合わせ直す必要がある。
予備弓でも戦えないわけではない。
だが、硬い魔物を相手にするには威力が足りなかった。
机の端に置いた端末が震えた。
試射に付き合った仲間から、短い動画へのリンクが送られている。
『これ、見たか?』
前半では、作業台の上で折れた剣が直されていた。
後半へ切り替わると、同じものらしい剣が鉄殻蜥蜴の角を受け止めている。
装備番号も持ち主を示す印も隠されていた。攻略配信に映った剣の持ち主も、自分のものだとは言い切っていない。
同じ剣だと断定できる材料はなかった。
『確証がない』
『俺もそう思う。ただ、登録店らしい。元の配信も送る』
続けて届いたのは、剣の修理を最初から記録した配信だった。
作業者はほとんど喋らない。
折れた刀身を分解し、傷んだ部分を除き、失われた素材を補う。途切れた魔力導路を先につなぎ、その周囲へ刀身を戻していた。
作業後には魔力を通し、曲げ、硬い試験材へ打ちつけている。
折れた場所を接合しただけではない。
柴崎は配信履歴を開いた。
金属製の腕甲。焼けた外套。
外套では、焦げた布と内側の金属糸を分けて修理し、人型へ着せて熱を当て、傷んでいない側と比べている。
設備の整った工場には見えなかった。作業者も修理内容を説明しようとはしていない。
それでも、壊れた場所を探し、直し、試してから作業を終えている。
最初の動画を開き直す。
攻略配信では、剣の持ち主が修理店について話していた。ダンジョン前の脇道にあり、看板は擦れてほとんど読めなかったという。
柴崎は登録修理店の一覧を開き、周辺の住所を調べた。
該当する店は一軒だけだった。
装備修理 なおし屋。
配信に映った修理が本物でも、自分の弓を直せるとは限らない。
正規店と工場が三週間かけ、見つけた損傷をすべて修理しても直らなかった弓だ。
それでも、もう一度工場へ送る前に見せることはできる。
柴崎は黒い長弓をケースへ収めた。二度分の検査票と修理報告書も重ねて入れる。
直るとは思っていない。
翌朝、柴崎は登録住所を端末へ表示させ、弓のケースを肩へ掛けた。