留め具を外し、カウンターに置かれたケースの蓋を開ける。
中に入っていたのは、弦を外した黒い長弓だった。中央に革を巻いただけの単純な形で、見える範囲に亀裂や剥がれはない。
弓の下には、何枚かの書類が挟まれていた。
「何が悪い?」
「強く魔力を通して射ると、矢が散る。方向も距離も一定しない」
弓をケースから取り出し、奥の作業台へ運ぶ。
壁際から作業灯を引き寄せ、白い光を斜めから当てた。
弓を両手で支えながら、光の下でゆっくり回す。
下半分だけ、周囲と光の返り方がわずかに違う。色は合わせてあるが、真新しい。
「修理済みか?」
「ああ」
弓を作業台へ置き、カウンターへ戻る。
ケースの底から書類を抜き取った。
「これは?」
「正規店の検査票と、製造元の修理報告書だ」
書類を持って作業台へ戻り、弓の横へ広げる。
報告書には、下半分の補強繊維と芯材を交換したこと、その後の曲げ試験、魔力を通した検査、試射で異常が出なかったことが記されていた。
「直しても変わらなかったのか?」
「ああ。工場では問題なかったようだが、俺が射つと狙いがそれる」
必要な切り分けは一通り済んでいる。
同じ検査を最初から繰り返す必要はなさそうだ。
書類を作業台の端へ寄せ、弓を持ち上げる。上下を順に軽くしならせ、手へ返る力を確かめた。
左右へねじれる感触はない。戻り方にも引っかかりはなく、修理された下半分にも目立った違和感はなかった。
「いつからだ?」
「ダンジョンで壁が崩れた時、石材を支えるのに使った。そのあとの戦闘からだ」
「弓をつっかえ棒にしたのか?」
「仲間の脚が下にあった」
「なら仕方ねぇな」
責められると思っていたのか、男がわずかに眉を上げた。
俺は返事を待たず、弓を作業灯の下へ戻す。
外から確認できる範囲では、工場が見落としたと断定できるものはない。
「正規店の保証は?」
「まだ残っている」
男の視線が、作業台の弓へ落ちた。
「……正規店でも直らなかった。もう一度送る前に、あんたの見立ても聞きたい」
「外から見て分かるのはここまでだ」
「開ければ分かるのか?」
「その可能性はある。ただ、俺が開けたら保証は切れるかもしれねぇぞ」
男は作業台の端に広げた書類を見た。
「工場からも、次は弓全体を開くと言われた」
「向こうへ戻すなら今だ」
しばらく返事はなかった。
男は黒い弓を見下ろし、やがて顔を上げた。
「いや。ここで頼む」
「あとで工場に戻すのは難しくなるぞ」
「承知している」
「なら、やるぞ」
作業台の上を空け、弓を横向きに置く。
修理報告書は、手を伸ばせる端へ残した。
まず確認するのは、工場が修理した下半分だ。
表面をまとめている樹脂の一部へ指を当てる。
黒い外側が音も熱もなく液体へ変わり、細い帯になって脇へ流れた。その下から、交換された補強繊維と芯材が現れる。
男が身を乗り出しかけた。
「触るなよ」
動きが止まった。
新しい芯材を指で押す。
硬さは周囲へ合わせてある。繊維も乱れなく通り、魔力導路も正しい位置に収まっている。素材の詰まり方にも不自然な偏りはない。
報告書に記された処置と、実物の状態も一致していた。
工場の修理に問題は見つからない。
液体にした樹脂を元の位置へ戻し、表面を閉じる。
次に、修理されていない上半分へ手を移した。
接着層を指先ほどの範囲だけ液体へ変える。
押さえを失った補強繊維が、わずかに横へ動いた。
「……動いたな」
「黙ってろ」
少し上を開く。
今度は、先ほどとは反対側へ動いた。
芯材の形は崩れていない。押しても、そこだけ極端に硬いわけでも柔らかいわけでもない。
ただ、断面の内側と外側で、素材の詰まり方にわずかな偏りがある。さらに先では、その偏りが反対側へ移っていた。
どれも、そこだけ見れば規定から外れるほどではない。
接着された状態なら周囲の層に押さえられ、形もしなりも正常な範囲に収まる。
接着層を外したことで、押さえを失った素材が偏りに引かれて動いている。
その向きが、場所ごとに違っていた。
石材を支えた場所には、症状の原因として十分な損傷があった。
工場はそこを直し、弓全体を検査し、試射まで行っている。
それで異常が出なかったなら、正常な上半分まで剥がす理由は薄い。
全体を開けば、元の素材を傷める可能性がある。費用も納期も大きく変わる。
この手の修理なら、まず明確な損傷を直して試験へ回す。そこで異常が出なければ、最初から全分解まで進めないのは不自然ではない。
「工場では、なぜ分からなかった?」
男が、作業台の弓を見たまま聞いた。
「分からなかったんじゃねぇ。最初は、ここまでやる理由が薄かったんだよ」
「だが、直っていなかった」
「だから次は、全部開くって言われたんだろ?」
「……ああ」
「なら判断は間違ってねぇよ。最初の修理で足りなかっただけだ」
普通に開くなら、接着された層を一枚ずつ剥がすことになる。元の繊維や芯材をどこまで残せるかは、実際に剥がすまで分からない。
俺なら魔法で接着層だけを液体にして、部材を傷めずに押さえだけを外せる。工場とできるアプローチが反則的に違うだけだ。
さらに中央へ向け、範囲を少しずつ移しながら接着層を外していく。
押さえを失った内部は、場所によってわずかに形を変えた。
これで原因は見えた。
一か所の破損ではない。
石材を支えた時の力は、挟んだ下半分だけで止まらず、弓全体へ伝わっていた。
明確に壊れた下半分は、工場が直している。
残っているのは、上半分に散った小さな偏りだ。
固定されている間は、どこも目立って形を崩さない。
だが、強い魔力を通して弓全体をしならせると、上半分に残った力の抜け方が射るたびに変わる。
その違いが、一本につながった弓全体の戻りを狂わせる。
だから、矢の方向も飛距離もそろわない。
開いた部分を順に閉じる。
表面が元どおりに固まったことを確かめてから、弓を持ち上げた。
「直した場所は直ってる」
「では、何が悪い?」
「修理されてない上半分に、力の偏りが残ってる」
「上半分だけで、ここまで散るのか?」
「弓は上下で一本だ。上がばらばらに戻れば、全体の戻りも毎回変わる」
男は黒い弓を見る。
外から見れば、一本の滑らかな弓だ。だが、中では素材ごとに力のかかり方が変わっている。
「直せるのか?」
「直せる。次に使うのは?」
「……理想を言えば、六日後には使いたい」
「なら、四日だ。試射もしたいだろ?」
「……できる、のか……?」
「できるから言ってんだよ」
弓を持ってカウンターへ戻り、開いたケースの横へ置く。
男は弓へ目を落とした。
表面は閉じている。持ち込まれた時と見た目は変わらない。
「……頼みたい」
「いくら出せる?」
「三十五なら」
「はっ、舐めんな。五十。新品買うより手間も何も安いだろ」
「ぐっ……」
男は言葉を詰まらせた。
作業台に残された修理報告書へ目を向け、それから弓を見る。
しばらく黙ったあと、小さく息を吐いた。
「……分かった。五十で頼む」
「まいど」
弓をケースへ戻し、受付票を出す。
男が書き終えたのを確認してから、配信同意書を渡した。受付票には柴崎とある。
柴崎が同意書へ目を落とす。
「報告書は映さねぇぞ。弓だけだ。弓も製造番号やら、特定できるものは映さねぇ」
「……なら、構わない」
柴崎は配信可へ丸をつけ、署名した。
「最後は試射してもらう。予定を空けとけ」
「分かった」
柴崎を見送り、書類を戻したケースを預かり品の棚へ収めた。