「――というわけで、DUシラトリ地区にあるオフィスビルを2棟、我がネクストライスクールの不動産資産として買い取りました」
生徒会室の執務机で、書類の山を綺麗に整えながら西条ハレカは事もなげにそう告げた
その隣で、提出された売買契約書と権利書の束をパラパラとめくっていた赤坂レイカは、開いた口が塞がらないといった様子で額を押さえた
「ちょっと待て、ハレカ……。DUシラトリ地区って、キヴォトスの中心地だぞ? 連邦生徒会のお膝元で、土地の坪単価だって他の自治区とは桁が二つは違うはずだ。ビルを1棟借りるだけでも相当な賃料が飛ぶってのに、それを『2棟買い取った』だと?」
「ええ。ですが心配はいりませんよ、レイカ君。購入資金はすべて、我が校の正規の予算枠から健全に捻出されたものですから」
ハレカは上品な微笑みを浮かべ、手元のタブレットに直近の財務レポートを表示させてレイカに見せた。そこに踊っていたのは、新興校とは思えないほど膨大な黒字の数値だった
ネクストライスクールが現在、圧倒的な資金力を誇っているのには明確な理由がある
一つは、木村ミヤカ率いる『土建部』の存在だ。前世で現場のプロだったミヤカたちが指揮する土建部は、キヴォトス各地の壊れたインフラの復旧作業や防壁工事、さらには他学園からの大規模な建築受注を次々とこなし、莫大な工事請負代金を学園に持ち込んでいた
そしてもう一つが、元美術部や職人肌の転生者たちが集う『工芸部』の手掛けるガラス細工や精密工芸品だ。ネクストライ特有の高度な素材加工技術で作られた美しいガラス製品は、一般市民の間でも空前の高級ブランドとして定着し、飛ぶように売れていた
「ミヤカさんの土建部が稼ぎ出すインフラ受注費と、工芸部が他学園に輸出している高級ガラス細工の販売料……これらが現在、我が校に極めて潤沢な外貨をもたらしています。学園の金庫には、ただ眠らせておくには惜しいほどの余剰資金があるのです」
「だからって、いきなりシラトリ地区のビルを2棟丸ごと買い叩くか普通……?」
「ふふ、まあまあ。我が校も生徒数が1000名を超え、各学園との外交や交易が活発化していますからね。連邦生徒会のあるDUシラトリ地区に、ネクストライスクールの『シラトリ拠点』を設置することは以前から検討されていた課題です。それに……何よりあの物件、驚くほど安く売られていたのですよ」
「安く売られてた……?」
レイカは嫌な予感を覚えた。ハレカのような抜け目のない政治家タイプが「思っていたより安かった」と評するほどの土地。そこには間違いなく、何らかの理由があるはずだった
「はい。前所有者の都合か、あるいは連邦生徒会の管轄変更に伴う投げ売りだったのか……不動産業者も持て余していたようでしてね。非常に良い買い物ができました。レイカ君、もしお時間があるなら、実際に現地に行って物件の状態を検分してきてくれませんか?」
「……はぁ。分かったよ。どうせ今日はお前の代わりに外交書類をチェックする予定しかなかったんだ。現場を見るついでに風通しでもしてくるさ」
レイカはため息をつきながら立ち上がった
ネクストライスクールからDUシラトリ地区へと向かう電車の中
レイカは、自分の左右に座る二人の後輩生徒を見やった
「で……なんでお前らまでついてきてるんだ?」
「いやー、リーダーがシラトリ地区に視察に行くって聞いて、黙っていられるわけないじゃないすか!」
茶髪のロングヘアをなびかせ、気だるげながらもどこかワクワクした表情を浮かべているのは、1年生の霧状ヘルタだった
そしてその隣で、銀髪のショートカットを揺らしながら小さく笑っているのも、同じく1年生の街肩カリネだ
「そうですよ、リーダー。僕たち生徒会補佐としても、学園の新しい拠点をいち早くチェックしておくのは大事な仕事ですからね」
「お前らがついてくると、ろくなことにならない気がするんだが……。この前のアビドス遠征の時のことを忘れたか? 『原作の柴関ラーメンを食べに行く』とか言って、堂々と迷子になったろ」
「うぐっ……あれはアビドスの砂漠が広すぎて地理感が狂っただけっすよ!」
「そうっすそうっす! 今回は都会のDUシラトリ地区ですから、迷子になる要素なんてゼロっす!」
手足をバタつかせて反論するヘルタとカリネを見ながら、レイカは苦笑した
ネクストライスクールが開校して月日が流れた。現在、学園設立時の中心メンバーであるレイカたちは2年生となり、後からやってきたヘルタやカリネといった1年生たちが生徒会や各部活で活発に動き回っている
ヘルタもカリネも、レイカと同じように前世の記憶と「ブルーアーカイブ」の原作知識を持った転生者だった。それだけに、原作のイベントやロケーションに対する好奇心は人一倍強い
「まあいいさ。現地に着いたら無駄行動はするなよ。……それにしても、原作開始まであと半年か」
レイカが窓の外を流れるシラトリ地区の高層ビル群を見つめながら呟くと、ヘルタとカリネも表情を引き締めた
「……っすね。原作本編の開始まで、もうあと半年……。総生徒会長が失踪して、キヴォトス全土で混乱が起き始める『あの瞬間』が、刻一刻と近づいてるってことっす」
「連邦生徒会本部の周りも、心なしか雰囲気がピリついてる感じがしますね……。まだ表立った大事件は起きてないっすけど、嵐の前の静けさというか」
キヴォトスに転生してから数年。レイカたちは前世の知識と大人としての経験を駆使し、ネクストライスクールという自前のアジールを作り上げ、ゲヘナやトリニティ、ミレニアムといった巨大学園とも渡り合えるだけの勢力を築いてきた
だが、どれほどネクストライが巨大化しようとも、原作の運命の歯車――『先生』の着任と、それに伴うキヴォトスの危機というメインシナリオの開幕は確実に迫ってきているのだ
「俺たちがどれだけ事前準備を進めておけるかが、今後の鍵になるのは間違いないな……」
そんな会話を交わしているうちに、電車はDUシラトリ地区の中央駅へと到着した
駅から徒歩数分。高層ビルが立ち並ぶビジネス街の一角に、ハレカが買い取ったという問題の物件はあった
「へえ……思った以上に立派なビルじゃないか」
見上げた先には、グレーを基調としたモダンなデザインの8階建てオフィスビルが2棟、並んで建っていた。外観に目立った傷や劣化はなく、ガラス窓も綺麗に保たれている
「築浅ですし、セキュリティ設備も最新型が入ってるっすね。これが格安で投げ売りされてたなんて、ハレカ会長、本当に買い物上手っすね……」
カリネが感心したように見上げる中、ヘルタは手元のタブレットで建物の配置図を確認しながら首をひねった
「うーん……でも、なんでこんな条件の良いビルが安く買い叩かれてたんだろ? 事故物件にしては新しすぎるし……ん?」
ヘルタの声が途切れた
レイカもまた、違和感を覚えて視線を巡らせていた
2棟のビルの敷地から、すぐ隣、目と鼻の先――そこに、異彩を放つ巨大な建築物がそびえ立っていたからだ
それは、広大な敷地を有し、上層部には巨大な通信アンテナとガラス張りの特殊な構造を備えた、重厚かつどこか浮世離れしたデザインの大型オフィスビルだった。現在は稼働していないのか、周囲には人通りがなく、どこか冷ややかで静まり返った雰囲気を漂わせている
その建物の姿を目にした瞬間、レイカの脳裏に電撃が走った
(待て……。あの特徴的なガラス張りの外観、屋上の大型アンテナ、そして連邦生徒会本部に隣接するこの立地……)
レイカの背筋に、冷や汗がつつっと伝う
前世で見た「ブルーアーカイブ」のグラフィックや設定画が、目の前の光景と完璧に合致した
「おい……嘘だろ……?」
レイカの呟きに、隣にいたヘルタとカリネもその建物を二度見し、それから文字通り鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった
「り、リーダー……あれって……まさか……」
カリネが震える指でその建物を指さす
ヘルタは開いた口が塞がらないまま、タブレットと目の前のビルを交互に見比べ、青ざめた顔で叫んだ
「マジっすか!? あそこ、原作本編で『先生』が着任する【連邦捜査部S.C.H.A.L.E】のオフィスビルじゃないすかぁぁぁーーっ!?」
「やっぱりそうだよな!?」
レイカは頭を抱えた
間違いなかった。ハレカが「思っていたより安かったから」という理由で買い取った2棟のビルは、あろうことか半年後にキヴォトスの中心となる組織『シャーレ』の、目と鼻の先――文字通りの「お隣さん」だったのだ
「ちょっと待て! ハレカのやつ、原作知識もないのに何でこんなピンポイントで一番ヤバい場所の隣の物件を引き当ててんだよ!?」
「いやいや、知識がないからこそっすよ!」
ヘルタが頭を掻きむしりながら叫ぶ
「シャーレのビルって、総生徒会長の直轄で管理されてたけど、彼女が失踪した後は連邦生徒会でも扱いに困って、周辺の区画ごと事実上の『管理放棄区域』みたいになってたはずっす! だから不動産業者も投げ売りするしかなかったんすよ!」
「なるほど……。理由を知らないハレカ会長にしてみれば、『連邦生徒会本部の近くで、なぜか投機価値の暴落している掘り出し物の超優良物件』にしか見えなかったわけですね……」
カリネが納得したように深くうなずく
理由が分かったところで、レイカの胃の痛みが和らぐわけではなかった
レイカはポケットから通信端末を取り出すと、すぐさまハレカへと回線を繋いだ
『はい、レイカ君。現地には無事に到着しましたか?』
スピーカーから聞こえてくるハレカの優雅で落ち着いた声に対し、レイカは半ば半狂乱気味に問いかけた
「ハレカ! お前、自分が買い取ったビルの隣に何があるか分かって買ってんのか!?」
『え? 隣……ですか? ええ、連邦生徒会の管轄下にある旧行政関連の防衛施設ですね。現在は稼働停止中で、連邦生徒会側も維持費の面から持て余していると聞きましたが……それが何か問題でも?』
「大問題だよ! ここ、半年後にキヴォトスで一番の激震地になる場所だぞ! 連邦生徒会長が消えた後、ここに新しい独立部局ができるんだよ!」
『あら……』
電話の向こうで、ハレカが一瞬だけ息を呑む気配がした。だが、そこはさすが元政治家であり、ネクストライの現・生徒会長だった。わずか数秒の沈黙の後、ハレカの声はいつもの冷静で合理的なトーンへと戻っていた
『……なるほど。レイカ君たちの持つ「原作の知識」で言えば、そこが今後のキヴォトスの中心となる重要拠点になるわけですね?』
「そうだ! よりにもよってその真隣のビルを2棟も買い叩くなんて、渦中の栗を拾うどころか、火種の中に自分から突撃するようなもんだぞ!」
『ふふ……ですがレイカ君、それはむしろ『最高の結果』ではありませんか?」
「は……?」
ハレカは穏やかに、しかし絶対的な確信を込めて言葉を続けた
『半年後、キヴォトスに大きな変革が起き、その『シャーレ』という組織が中心となるのであれば……我がネクストライスクールがその真隣に拠点を持っていることは、極めて強力な外交的・軍事的・政治的アドバンテージになります。連邦生徒会とのパイプ作りはもちろん、新組織との連携も即座に行える位置なのですから』
「それは……まあ、そうかもしれないけどよ……」
『それに、工芸部と土建部が頑張ってくれたおかげで、我が校には改修工事の資金も資材も潤沢にあります。その2棟のビルを、我が校の『シラトリ駐在防衛拠点』兼『外交大使館』として完ぺきにリフォームしておきましょう。……事前準備としては、これ以上の舞台整いはありませんよ』
ハレカの理路整然とした主張に、レイカはぐうの音も出なかった
政治的・戦略的な観点から見れば、ハレカの判断は100点満点中200点だった。ただ、原作の危険度を知るレイカとしては、胃が千切れそうなほどのスリルを感じているだけに過ぎないのだ
『ではレイカ君、現地の視察と防衛線の策定、よろしくお願いしますね。工芸部と土建部にも、すぐに改修資材の手配をさせますから』
「……分かったよ。はぁ……本当に、お前には敵わないな」
レイカは電話を切り、力なくため息をついた
「リーダー、顔色が土色っすよ?」
ヘルタが心配そうに(しかしどこか面白そうに)顔を覗き込んでくる
「うるさい……。ハレカの言う通り、ここがシャーレの隣だって分かった以上、生半可な拠点作りはできないな。半年後に『先生』がここに来た時、巻き込まれて爆散しましたじゃ笑えない」
レイカは黒髪のウルフカットをガリガリと掻きむしり、視線を隣のシャーレ・オフィスビルへと向けた
「ヘルタ、カリネ。土建部のミヤカと、防衛部のツヨシさんに連絡を入れろ。この2棟のビル……外観は普通のオフィスビルを装いつつ、内部は耐爆装甲と相転移シールドの発生装置を埋め込んだ『絶対防衛要塞』に改修するぞ」
「うはっ! シャーレの隣にネクストライの絶対要塞を作る気っすか! 超楽しそうっす!」
「工芸部にお願いして、窓ガラスも全部強化ガラス細工の防弾仕様に差し替えましょう!」
はしゃぐ1年生二人を横目に、レイカは愛銃のグリップを無意識に握りしめた
あと半年
連邦生徒会長の失踪、サンクトゥス遺跡の浮上、そして『先生』の着任
キヴォトスの運命が大きく動き出すその日に向けて、ネクストライスクールの「事前準備」は、こうして誰も予想しなかった形で一歩先へと進み始めるのだった