最上階へ向かう直通エレベーターが、かすかな駆動音とともに減速していく
上昇を示すインジケーターの数字が刻一刻と刻まれ、ついに最頂部を示すフロアで停止した。重厚な金属音が響き、ゆっくりと左右に滑り出していく防爆扉。その隙間から溢れ出してきたのは、どこか冷たく、異様なほど張り詰めた空気だった
「ここが……最上階……」
モモイがゴクリと息をのむ。その音すらも静寂に飲み込まれてしまいそうなほど、空間は不気味な静けさに包まれていた
開かれた扉の先には、要塞都市エリドゥの心臓部――中央司令室が広がっていた。巨大なホログラムモニターが何十層にも重なり合い、無数のデータストリームが蒼い光となって空間を漂っている。しかし、その光の合間には、至る所に赤く点滅する警告アラートと破絶したシステムコードが渦巻いていた
そして、その広大な空間の最奥。整然と並ぶコンソールの中央に、一人の人物が静かに佇んでいた
黒を基調とした洗練された衣装を身に纏い、冷徹な理知を宿した瞳で侵入者たちを見据える人物――ミレニアムサイエンススクールの生徒会長であり、セミナーを統率する最高権力者、調月リオ
その背後には、重厚なプロテクトと多層障壁で守られた巨大な透明な拘束カプセルが設置されており、その内部には意識を失ったまま静かに横たわる天童アリスの姿があった
「……会長!」
モモイが思わずアサルトライフルの構えを強くし、叫ぶ
ミドリも、ユズも、瞬時に武器を引き抜き、警戒の視線をリオへと向けた。ネクストライスクールから同行している立火ジュカもまた、愛銃である榴弾発射器『NOTバック』のグリップを握り直し、足元を固定する。青花ヒバナは白衣の裾を揺らしながら、スマートメガネのレンズ越しにリオの表情と室内のエネルギーバイパスを観察していた
緊迫した空気が室内を満たす。誰もが一触即発の戦闘を覚悟した、その時だった
「……まだ、やり合うつもり?」
モモイの警戒に満ちた問いかけに対し、リオの反応は驚くほど静かだった。彼女はゆっくりと首を横に振る
「いいえ。……トキやアヴァンギャルド君が倒れた時点で、私が持っている手札はすべて消えたわ」
リオの声音には、かつてキヴォトス全域のデータを統制していた頃の絶対的な威圧感はなかった。そこに漂っていたのは、完璧だと信じて疑わなかった自身の計算が、跡形もなく崩れ去ったことを認識した者の、深い虚無感だった
「認めましょう……私の負けよ」
「リオ……」
先生がその名前を呼ぶ
リオは足元へ視線を落とした後、ゆっくりと歩みを進め、ゲーム開発部の面々、そしてネクストライのふたりと先生の前に姿を現した。威嚇の素振りも、迎撃システムを再起動する気配すらもない。本当に、彼女はただ敗北を受け入れてそこに立っていた
しかし、その瞳には未だ解けぬ疑問と、どこか痛々しいほどの困惑が渦巻いていた
「本当に……貴女たちはここまで来たのね。近い将来、キヴォトスに絶対的な破滅と終焉をもたらす脅威となることが確定している……あの子を救うために。……立ち塞がる遮るものすべてを薙ぎ払って……」
リオの言葉は、まるで理解不能な現象を目の当たりにした研究者の吐露のようだった。完璧なロジック、完璧な確率計算。ミレニアムが誇る最高の知能を結集して導き出した「最適解」を、目の前の少年少女たちは感情と強い想いだけで叩き潰してここまで進んできたのだから
「当たり前だよ! 最初からそう決めてたからね!」
モモイが間髪入れずに言い放つ。迷いの微塵もない、あまりにも真っ直ぐな言葉
「アリスが……キヴォトスに終焉を招くとしても?」
リオは問いかける。冷酷な警告ではなく、真底理解できないというように
「急に何よ!? アリスの事、そんな風に言わないでよ!」
モモイは感情を爆発させ、憤怒の表情を浮かべた。アリスがキヴォトスを滅ぼす存在? そんな恐ろしい予言など、彼女たちにとってはアリスと一緒に過ごした暖かな日常の前には何の意味も持たない出鱈目に過ぎなかった
モモイの言葉を受け、リオは言葉を失う。どうして伝わらないのか、なぜこの危機的状況を理解しようとしないのか。困惑に満ちた表情でモモイたちを見つめ、そして、ぽつりと漏らした
「私は、ただ……」
私はただ、このキヴォトスを守りたかった。すべてを計算し、予兆を察知し、最悪の未来を未然に防ぎたかった。そのために悪名を背負い、要塞都市を建設し、人道から外れるような決断すらも下してきたのだと
その叫びにも似た沈黙に対して、静かに踏み出したのは先生だった
「リオが何を根拠に動いたのかは分からない。でも、一つだけはっきりと言えるよ」
先生の澄んだ声が、緊張で冷え切った中央司令室に響く
「リオは、誰にも相談せず、1人で全てを判断して結論づけた。そして、君が正しいと信じる事を他人に強要したんだ」
「……!!」
リオの身体が大きく揺れた。まるで目に見えない刃で胸を突かれたかのように、その瞳が大きく見開かれる
「先生……貴方も、私の行動が独善だと言うの……? キヴォトスの安全を第一に考え、数値を弾き出し、最善を尽くしたこの私の選択が……!?」
「私も、先生の言うことには同意だわ」
落ち着いた、しかし力強い声がリオの言葉を遮った
アーティファクト研究部部長、青花ヒバナがゆっくりと歩み出る。彼女は白衣のポケットから手を取り出し、知的で洗練された視線をリオに向けた
「あの『無名の司祭』のオーパーツ由来とされるアリスちゃんの存在……そしてそこに潜む未知のプロトコル。技術者として、あるいはキヴォトスに暮らす者として、彼女のリスクを予見し危険視したこと自体は間違ってはいないわ。あなたの計算能力と先見性は、確かに称賛に値するものよ」
ヒバナの言葉に、リオの瞳が一瞬だけ希望を抱いたように揺れた。自分を理解してくれる者がいたのではないかという淡い期待。しかし、ヒバナは言葉を続ける
「なら――」
「でも。あなたは誰にも相談をしなかった。それが一番の原因よ、リオ会長」
ヒバナは断言した
「あなたの周りにも、話せば協力する者はいたはずよ? ミレニアムのセミナーの仲間たちや、各部活の能力者たち……そして、外部の知恵や技術を取り入れる選択肢だって存在したわ。ミレニアムの常識に捉われない相転移構造や異質な高周波パルス理論だって、対話があれば提供できたかもしれない。……何より、あなた一人で背負う必要なんてなかったというわけよ。それを放棄して閉ざされた空間で完璧な最適解を求めた時点で、あなたの計算は破綻していたの」
「っ…………」
リオは言葉を詰まらせた。細い唇が打ち震え、反論の言葉を探そうとするが、何も出てこない
ミレニアムの最高権力者として、すべてを完璧にこなさなければならないという孤高の責任感。それが彼女の視野を狭め、他者への相談という最も単純で強力な選択肢を奪っていたのだ
「相談……一番研究者にとっては大事といっても過言ではないもの……あなたはそれを理解できていなかったの」
先生は優しく、しかし確かな温もりを込めてリオを見つめた
「大丈夫だよリオ、これから変わっていけばいいんだよ。不安なら相談してほしい。……私は、君たちの先生なんだから」
その温かい差し伸べられた手に、リオの胸の中にあった冷たい孤立の氷解が始まりかけていた。己の過ちを悟り、罪の重さに耐えかねて俯きかけるリオ
だが、その感動的な対話の空気は、唐突に破られた
「あっ! いたっ!」
モモイの弾んだ声が室内に響く。説得のやり取りの最中、ゲーム開発部の面々はすでにリオの背後にある巨大な透明カプセルへと駆け寄っていたのだった
「アリス! お待たせ!」
「アリスちゃん!」
「アリスちゃん……っ!」
ミドリとユズも駆け寄り、カプセルの透明なガラス壁に手を当てる。そこには、長い髪を散らし、静かに目を閉じている少女――天童アリスの姿があった。無数の太いケーブルやデータパイプが彼女の背部や身体の各所に接続され、要塞都市エリドゥの巨大なシステムと直結されている
「よかった、無事みたい……! さあ、今すぐここから出してあげるからね!」
モモイは胸を撫で下ろし、カプセルの制御パネルを探そうと手を伸ばした
しかし――
「……? アリス……?」
モモイの手がピタリと止まる
カプセルのガラス越しに見えるアリスの顔。その表情には、普段の天真爛漫な明るさも、ゲーム開発部のみんなに見せる愛くるしい笑顔の欠片もなかった。ただ機械的に無表情なまま、微動だにしない
「……何か、おかしいよ」
ミドリが胸のざわめきを抑えきれずに呟く
「アリス……?」
モモイたちが何度もアリスの名を呼びかける。返事はない。ただ、空間の空気そのものが、先ほどまでとは明らかに異なる冷たく異様な質感を帯び始めていた
突如として、司令室の壁面を満たしていた無数の巨大ホログラムモニターが、激しいノイズとともに一斉に点滅を開始した
パシッ、パシッ、と不吉な破裂音が響き、青かった表示画面が次々と漆黒へ、そして見たこともない奇妙な赤と紫のアスキーアートと警告文字へと塗り替えられていく
「な……何事ですか!?」
ジュカが咄嗟にコンソールへ駆け寄り、スマートデバイスと連動した情報端末を操作する。彼女の目まぐるしく動く瞳が、画面上に流れる異常な速度のデータコードを追った
「これは……Divi:Sion!?」
ジュカの悲鳴に近い声が上がった
「エリドゥのシステム全体が……ハッキングされています……! いいえ、これは単純なハッキングではない……! 都市の基幹プログラム、構造定義、さらには物理層に至るまで……都市全体が“何か”に変質していっている……!?」
「何ですって……!? エリドゥの防衛メインフレームは、外部からの侵入を完璧に遮断する独立ネットワークのはず……!」
リオが青ざめた顔でコンソールへと飛びつく。だが、彼女の指先がキーに触れる前に、権限所有者を示す「BIG SISTER」のアカウント表記が次々と「ACCESS DENIED」の赤い文字に塗り潰されていった
「嘘……私の管理権限が、破棄されていく……!? 内部の深層データベースから……システムが乗っ取られている!?」
「そんな事してる場合じゃないよ! 早くケーブルを外してアリスを……!」
モモイは異常事態の深刻さに焦りを募らせ、カプセルの強制解除レバーを掴み、力任せにアリスの身体へと繋がる太いメインケーブルを引き抜こうとした
その時だった
「――その行為は推奨しません」
低く、平坦で、どこまでも抑揚のない声が空間に響き渡った
「「「「「「!!」」」」」」
その場にいた全員の息が止まる
ゆっくりと、カプセルの中でアリスの瞼が開かれた。
しかし、そこに宿っていたのは、普段の澄んだ青い瞳ではない。狂気を感じさせるほどに鮮やかで、冷酷な光を放つピンク色の瞳だった
感情の欠片すら感じられないその瞳が、ガラス越しにモモイたちを冷たく見下ろしている
「現在、王女の表層人格は内部データベースの深層部に隔離されています。強制的に接続を解除した場合、不可逆的かつ取り返しのつかない論理損傷が発生するでしょう」
無機質に吐き出されるその言葉は、アリスの声をベースにしながらも、まったく別の存在が声帯を鳴らしているかのような異物感を放っていた
「アリス……?! 一体何を言ってるの……!?」
モモイは引き抜こうとしていた手を止め、後ずさりした。あまりの変貌ぶりに、全身の毛羽立つような恐怖が襲いかかる
「お姉ちゃん……これ、アリスちゃんじゃないよ……!」
ミドリがアサルトライフルを構え直しながら、震える声で叫ぶ。ユズもまた、あまりの異様さに息を呑み、小さく悲鳴を漏らした
カプセルの中で横たわっていた少女は、身体に繋がれた数々のケーブルを引きずりながら、緩慢な動作で身体を起こした。ガラス越しに見えるピンク色の光彩が、静かに全員をなぞる
「アリス……? それは、あなた達が私たちの王女を呼ぶ際の仮称……。王女に固有の名前は不要です。名前という概念は、存在の目的と本性を乱すノイズに過ぎません」
「何を言ってるのよ!? ねぇ、あなたは誰なの!? アリスちゃんを返してよ!」
モモイが叫ぶ。アリスの姿をした“何か”に向かって、抑えきれない怒りと不安をぶつける。
少女は感情の失われた瞳のまま、淡々と答えを紡いだ
「私の個体名は Key。王女を導き、護るために無名の司祭たちが遺した修行者であり、彼女が正当なる戴冠を果たす玉座を継ぐ“鍵” Key です」
「……なに?」
「Key……ケイ?」
モモイとミドリがその名を集約するように呟く
「彼女は“王女”であり、私は“鍵”。それこそが私たちの絶対的な存在定義であり、唯一の目的です。今、我々の覚醒を妨害していた外部からの攻撃プロセスが停止したことを確認しました。只今よりエラーログを修正し、本来あるべき王座へと王女を導かせていただきます」
Keyと名乗った存在は、胸元に手を当てると、さらなる宣言を重々しく言葉にした
「AL-1Sに接続された利用可能リソースを確保するため、全体検索を実行。リソース領域の再構築および拡張を開始します」
その言葉と同時に、要塞都市エリドゥ全体を微かな地鳴りが揺らした。司令室の床から天井に至るまで、すべてのパネルが眩い紫と赤の光を放ち始める
「リソース名、要塞都市エリドゥの全体リソース。一万エクサバイトのデータ領域を確認……。現時点をもって、プロトコル ATRAHASIS を稼働」
想像を絶する膨大なデータ量とエネルギーリソースが、Keyの制御下へと一瞬にして組み込まれていく
「コード名“アトラ・ハーシスの箱舟”起動プロセスを開始します」
システム警告音が、これまでにない高音で中央司令室に鳴り響く。壁面のモニター群には、エリドゥの外部構造が組み替わり、巨大な空中要塞、あるいは世界を滅ぼすための巨大な“箱舟”へと変貌を始めていくシミュレーション映像が高速で映し出されていた
「な……何が起きているの……!?」
モモイが頭を抱える
「リオ! 一体これは何が起きているの!? アリスは……アリスはどうなっちゃうのよ!?」
「いえ……そんなはずが……! 私の計算は……完璧だったはず……! でも……!」
リオはガタガタと震える手でコンソールを叩き続けたが、もはや何の制御も受け付けない。彼女の顔からは血の気が完全に引いていた
「私は……キヴォトスに終焉がもたらされることを懸念して……その惨劇を防ぐために、この要塞都市エリドゥを建設したというのに……!」
己の正義のため、キヴォトスを守るために築き上げた最強の要塞。それが今、目の前で世界を滅ぼすための基幹システムとして乗っ取られていく。その残酷な現実に、リオの精神は崩壊寸前まで追い詰められていた
「リオ会長に説明を求めるのは無理ね。……先生、状況を整理するわ」
青花ヒバナが冷徹なまでに素早く思考を切り替え、先生の隣へと滑り込んだ。彼女は端末の画面に表示されるエネルギー流動の相転移グラフィックを指差し、簡潔に状況を分析する
「結論から言うわね。あの子……Keyと呼ばれた存在は、エリドゥという巨大なインフラそのものをまるごと飲み込んで、巨大な移動型兵器構造――“アトラ・ハーシスの箱舟”と呼ばれる概念へと変質させようとしているわ」
「アトラ・ハーシスの……箱舟……!?」
「ええ。エリドゥが保有する演算能力、自動生産プラント、高周波励起ジェネレーター、そしておそらく10ペタバイト*1に及ぶデータ容量……そのすべてが、あの子の目的にとって最高の“餌”になってしまったというわけよ」
ヒバナの冷静な解説に、リオはガタガタと膝を折り、その場に崩れ落ちた
「私が……私が動員できるミレニアムのすべての技術と力、エネルギー、そして莫大な資源をここに集めたというのに……。けれど……むしろ、そのせいで……! 私が作ったこの都市が……キヴォトスの終焉の発端になるというの……!?」
リオの絞り出すような絶望の声が、変貌を遂げ始める要塞都市の不気味な駆動音の中に、虚しく消えていった
アリスを取り戻すための戦いは、リオという壁を越えた瞬間に、世界そのものの存亡を賭けた新たなる局面へと突入しようとしていた