要塞都市エリドゥを巡る激闘から数日
キヴォトスの空を覆っていた赤黒い異常力場は完全に消え去り、静けさが戻っていた。しかし、その裏で巻き起こった波紋は、ミレニアムサイエンススクール、そしてネクストライスクールに新たな影を落としていた
ネクストライスクール本校舎の最上階に位置する生徒会室
午後の柔らかな光が差し込む室内で、現場総責任者の赤坂レイカは、デスクを挟んで向かい合う生徒会長の西条ハレカへ詳細な最終報告を終えたところだった
「――以上が、現場指揮およびアリス救出作戦の顛末だ」
レイカは黒髪のウルフカットを軽く揺らし、毛先のターコイズブルーを指先で弄りながら溜息を吐いた
「ご苦労様、レイカ君」
ハレカは洗練された動作で書類を整える
「全校生徒千三百名を抱える学園の現場総責任者として、文句のない成果だよ。それで……事件後のミレニアム側の動向はどうなっているのかね?」
「ああ。まず、あの要塞都市エリドゥだが……超現象特務部部長のヒマリの手によって、完全に閉鎖・凍結されたよ」
「完全閉鎖、ね……」
ハレカは納得したように頷いた
「エンジニア部あたりからは『巨大な自動生産プラットフォームや演算器を研究用に回収したい』という声が出ただろうに」
「当然出たさ。だが、不正利用のリスクと、無名の司祭による二次汚染の危険性を重く見たヒマリが突っぱねた。あんな物騒な代物を残しておけば、第二、第三の事故が起きかねないからな。賢明な判断だよ」
「なるほどね……問題は、その責任をすべて背負い込む形になったミレニアムのトップ……調月リオ君の動向か」
レイカは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた
「リオは……辞任宣言すら出すことなく、そのまま完全に姿を消した」
「辞任もせず、失踪……か」
ハレカは思案するように顎に手を当てた
「セミナーの最高責任者という立場を保持したまま姿を消したとなれば、組織の意思決定ラインは完全に麻痺する。辞任してくれれば繰り上げや臨時選挙も立てられるが、不在のままでは書類上の手続きすら滞る……実に困った状況ね」
「まあ、本人は『自分は世界を壊しかけた罪人だ』という激しい罪悪感と、己の合理主義の敗北に打ちのめされて、誰にも合わせる顔がないんだろうよ。……だがな」
レイカは周囲の気配を伺うように少し声を潜めた
「実は……リオの潜伏先と連絡先を把握している奴が一人だけいる」
「ほう?」ハレカが少し眉を上げた
「聞いた話だとミレニアムのヴェリタスすら追跡できていないはずが……一体誰が?」
「ヒバナだよ」
「ヒバナ君が……? どうやって?」
「あいつの『機械遠隔操作』の神秘と、前世で培った最先端の理工学知識の賜物さ。エリドゥのネットワークに介入した際、リオのプライベートプロトコルに誰にもバレないバックドアを仕込んでおいたらしい。だから今も、ヒバナだけはリオがどこで息を潜めているのかリアルタイムで把握している」
「それなら、なぜミレニアム側にその情報を渡さないのですか? 保護させるべきでは?」
「ヒバナ曰く、『今の彼女に必要なのは追及や保護ではなく、一人で己の過ちと向き合い、思考を整理するための時間だわ』だそうだ。今追い詰めれば余計にこじれると見て、あえて言及せず放置しているのさ」
「……なるほど。一見冷徹に見えて、研究者らしい観察眼と彼女なりの配慮というわけですか」
ハレカはクスクスと笑い、すぐに哀愁を帯びた顔になった
「だが……その結果、一番被害を被っている人物がいるのではないかね?」
「言わないでくれ……八金タチカのことだろ」
レイカは心底と同情しきった顔で頭を抱えた
ミレニアムサイエンススクール・セミナー副会長である八金タチカ。彼女はネクストライ外部の協力者であり、原作知識を持つ転生者の一人だ
「ここ数日、タチカから飛んでくる暗号通信の第一声が全部『助けてくださいレイカさん!!』なんだよ。リオが居なくなったせいで、会長権限の保留書類、エリドゥ後始末の予算組み、各部活の予算申請の承認……すべての決裁業務が副会長であるタチカのデスクに雪崩れ込んできている」
『リオ会長のバカー! こんなに書類置いてどっかいかないで下さいよ!! ノアちゃんは笑顔でハンコを求めてくるし、コユキは反省室で紙飛行機飛ばしてるし、私もう三日徹夜です!!』というタチカの絶叫を思い出し、レイカは遠い目をした
「公の場では洗練された格式高い副会長を演じているタチカが、裏では完全に白目を剥いている。うちの執務補佐のジュカに頼んで、ミレニアムとの合同防衛事務の書類だけでも肩代わりしてやるよう手配したところだ」
「ふふ、重労働の副会長殿には、あとでうちのサレが作ったカットガラスの美しい紅茶カップでも贈って慰めてあげるとしましょう」
ハレカが紅茶を口に含み、和やかな空気が流れた――その時だった
バタンッ!! と音を立てて生徒会室のドアが開かれた
「レイカ! ハレカ! すぐに来て頂戴!!」
白衣の裾をたなびかせ、走ってきたのはアーティファクト研究部部長の青花ヒバナだった
普段は知的で落ち着いた研究者口調を崩さない彼女が、眼鏡を押し上げるのも忘れて肩で息をしている
「どうしたヒバナ、そんなに慌てて?」
「第一研究所よ! ネクストライの開発区画から、土建部のミヤカたちがインフラ工事中に信じられないオーパーツを発掘したの!」
「シラトリ地区の地下から……?」
レイカとハレカは顔を見合わせた
「言葉で説明するより見てもらった方が早いわ。解析ドックへ急ぐわよ!」
ネクストライスクール地下、第一アーティファクト研究所。
厳重なPSシールドと防護障壁に囲まれたクリーンルームに到着すると、そこにはすでに実戦テスターの志賀カエデと、生徒会執務補佐の立火ジュカが待機していた。
「レイカ先輩! ヒバナ部長!」
短く切り揃えた赤い髪の1年生、立火ジュカが真剣な表情で敬礼する。その横では、外骨格装置『X098』のメンテナンスの手を止めた3年生の志賀カエデが重々しく頷いた。
「レイカ、カエデから聞いてるよ。地下からヤバいモノが出たって……」
「ええ。二人とも、防護障壁越しに見て頂戴」
ヒバナがコンソールを操作し、中央の磁気浮上台座を照射する
そこに浮遊していたのは、一見すると何の変哲もない鈍い銀色の容器だった
直径約12センチメートル、長さ約40センチメートル
工業用の小型ガスタンク、あるいは高圧ガスボンベのような形状だ。だが、継ぎ目が一切存在しない完璧なシームレス構造と、光を吸い込むような異質な質感を放っていた
「……ガスタンク?」レイカが眉をひそめる
「ただのタンクじゃないわ」
ヒバナはホログラムの解析データを展開した
「内部に充填されているのは……物理的に極限まで圧縮された、高密度の『神秘』そのものよ」
「神秘を……物理的に圧縮充填……!?」レイカは息を呑んだ
「そうよ。ミレニアムの科学力や我が校の相転移技術をもってしても、神秘をこのようなガス状エネルギーとして物理容器に封印する技術は存在しない。……何らかの古代技術、あなたが言った事がある『無名の司祭』と同等以上のテクノロジー体系よ」
「危険度は?」カエデが元特殊部隊らしい鋭い目つきで尋ねる
「極めて高いわ。内部の圧力がギリギリの均衡を保っているの。万が一不完全な解析で内圧が破綻すれば、概念爆発を起こして本校舎の敷地半分が吹き飛ぶわね」
ヒバナの冷徹な分析に、ジュカとカエデの緊張が高まる
「だが……本当の異常事態は、このタンクと共に発掘された古代の石版資料の解読結果よ」
ヒバナが別のウィンドウを開いた。そこには、古代の幾何学刻印を言語解析したテキストが表示されていた
「ここには、このタンクの用途と、特定の組織・概念を示す名称が明確に刻まれていたの」
画面に浮かび上がったのは、四つの単語だった
『Filius(フィリウス)』
『Pater(パテル)』
『Sanctus(サンクトゥス)』
そして――
『Arius(アリウス)』
「……ッ!?」
その文字を目にした瞬間、赤坂レイカと、隣にいた立火ジュカの身体が同時に跳ね上がった
(フィリウス……パテル……サンクトゥス……! そして……『アリウス』……!!)
レイカの脳裏に、前世でプレイした『ブルーアーカイブ』の膨大な記憶が津波のように押し寄せる
エデン条約編。トリニティ総合学園とゲヘナ学園の和平条約の裏で蠢く、捨てられた分校『アリウス』。そしてキヴォトス全体を絶望に陥れる惨劇の数々
ふと隣を見ると、1年生のジュカが顔面を蒼白にし、唇を震わせてガスタンクと画面を交互に見つめていた
二人は視線を交わした
言葉を発せずとも、お互いが「この四つの単語が意味する地獄」を完璧に理解したことを悟る
ヒバナは純粋な科学者としての知性と警戒心から、画面を指差した
「フィリウス、パテル、サンクトゥス……これらは古代トリニティの教義における概念名称よ。そして『アリウス』は、歴史の闇に消えたとされる異端の派閥……。つまりこの高密度神秘ガスタンクは、古代トリニティの異端勢力が遺した……極めて危険な『概念兵器の触媒』または『爆薬』ということになるわ」
「トリニティの異端……」カエデが腕を組み、唸る。「そんな代物が、ネクストライの地下なんかに……?」
「解明にはさらなる解析が必要よ。だが、間違いなく言えるのは……これが現代のトリニティや他学園の手に渡れば、キヴォトスの勢力均衡が崩壊するということね」
ヒバナの論理的な考察は完璧だった。原作知識が無くとも、持ち前の超高度な頭脳だけで事態の危険性を正確に見抜いている
レイカはぐっと息を呑み、動揺を抑え込んで現場総責任者としての顔を作った
「……ヒバナ、カエデ。素晴らしい解析だ」
レイカは落ち着いた声を意識しながら言葉を紡ぐ。「ジュカ、お前もこの資料のコピーを生徒会の機密ファイルに格納してくれ」
「は、はい……! レイカ先輩……!」
ジュカは声を震わせながらも、即座に実務的な動作で端末を操作した。その瞳には「これがエデン条約の引き金になるのではないか」という強い恐れと緊張が宿っている
レイカはジュカに向かって、小さく、だが力強く頷いてみせた
『大丈夫だ、俺たちがいる』という無言のメッセージを込めて
「ヒバナ。このガスタンクの解析はアーティファクト研究部の最優先事項として継続してくれ。ただし、相転移シールドで二重に遮蔽し、絶対に外部へ情報を漏らすな。ミレニアムのタチカ副会長にも、余計な混乱を避けるため現段階では伏せておく」
「了解よ。私と研究部の精鋭だけで極秘に解明を進めるわ」ヒバナが頷く
「カエデは防衛部と連携して、第一研究所周辺の警備プロトコルをレベル4に引き上げてくれ」
「了解しました、警戒度を上げます」カエデが頼もしく答える
指示を出し終えると、レイカはジュカへ視線を向けた
「ジュカ。お前は俺と一緒に生徒会室へ戻るぞ。ハレカへ報告し……『トリニティ総合学園』に関する調査を開始する」
「……! 了解しました、レイカ先輩!」
研究所を後にし、静かな通路を歩くレイカとジュカ
背後のドアが閉まり、二人の足音だけが響く空間になると、ジュカが小さく声を漏らした
「レイカ先輩……さっきの……『アリウス』って……」
レイカは足を止め、周囲に誰もいないことを確認すると、ジュカに向き直った
「ジュカ。……お前、原作知識はあるよな?」
ジュカは息を呑み、まっすぐにレイカの目を見て頷いた
「……はい。知っています。アリウス分校……そして、これから起きる『エデン条約』の惨劇を……」
「やっぱりか」レイカはふっと口元を緩め、ジュカの肩をぽんと叩いた
「怖かったろ。あのガスタンクと単語を見た瞬間」
「……正直、心臓が止まるかと思いました。あの高密度神秘のタンクが、もしエデン条約などに関係するものだとしたら……」
「ああ。間違いない。原作のシナリオは、俺たちがエリドゥを解決した裏で、確実に次の惨劇へと動き出している」
レイカの瞳に、不屈の輝きが宿る
「だけどな、ジュカ。俺たちは前世の知識に怯えるためにここにいるんじゃない。自分たちの足で立ち、ネクストライという居場所を作り上げてきたんだ。ヒバナやカエデたち……原作知識を知らない仲間だって、その技術と力で俺たちを支えてくれている」
ジュカの表情から少しずつ怯えが消え、1年生らしい真面目で強い光が戻ってくる
「……はい! 私も、備品管理や防衛部との連携窓口として、できる限りのサポートをします! ネクストライの力で、悲劇の未来を変えてみせます!」
「よし、いい顔だ」
レイカは愛銃『ゼロモーメントポイント』のグリップを軽く叩くと、前を見据えた
そして、ネクストライの地下から掘り出された、高密度神秘を秘めた謎のガスタンク
ネクストライスクールは新たなストーリー――『エデン条約』を巡る巨大な渦中へと、静かに、そして力強く足を踏み出していくのだった