放課後の柔らかな光が差し込むトリニティ総合学園の旧校舎。その一室――補習授業部の教室では、今日も今日とて静かな、しかし賑やかな時間が流れていた
アリカとミナサ、そしてネカの3人は、ネクストライから出向という形でこの部活に加わっている。机に向かい、配られたプリントを前に頭を悩ませているのはアリカだ
「うう……ウチ、こういう机に向かっての勉強とかマジで苦手なんやけど……! なんでこんなん解かなあかんねん……!」
隣の席で同じようにペンを止めて唸るコハルを一瞥し、アリカは盛大に頭を抱える。そんな彼女を見かねて、先生が優しく声をかけながら的確なアドバイスを差し出した
一方、別の机ではアズサが一人、誰にも頼らずに一心不乱に参考書と向き合っていた。しかし、少しペンが止まったその隙を逃さず、ミナサがスッと音もなく歩み寄る
「……アズサさん。そこ、こうやって解くとスムーズにいけますよ」
「……! うん、ありがとう、ミナサ……助かる」
ミナサの穏やかで分かりやすい教え方に、アズサは小さく頷き、再びペンを走らせる
その様子を少し離れた席から丸眼鏡の位置を直しながら眺めながら思いを馳せていた
(スマホの画面や原作の知識越しに見ていた世界……こうして実際に暮らしていると、想像していたよりもずっとのんびりしていて、どこか温かい雰囲気が流れているんですね……)
画面の向こう側の世界にただ浸るのとは違う、生身の空気がそこにはあった。心地よい静けさと、生徒たちの日常が織りなす和やかな空間に、ネカは密かに胸をなでおおろすのだった
それから、翌日
予習していたネカのタブレットが、突如として電子音を鳴らした。レイカからのホログラム通話の着信だった
ネカが素早く接続すると、青みがかった髪のウルフカットを揺らし、引き締まった表情をしたレイカのホログラムが空間に投影される
『――ネカ、聞こえているか』
「はい、レイカ先輩。お疲れ様です」
『あぁ。そっちはどうだ? 補習授業部での生活は問題なくやれてるか?』
レイカの問いかけに、アリカやミナサも近づいてくる
「順調やで! まあ、勉強は相変わらず頭いてぇけどな!」
アリカが不満げに頬を膨らませれば、ミナサがすかさず落ち着いた声で割って入る
「レイカ、問題ないよ。先生からの手厚いアドバイスや指導もあって、何とかやれているよ」
「はい、自分もミナサ先輩たちと一緒に、今のところ大きなトラブルもなくこなせています」
ネカもそれに続く。画面の向こうでレイカは、ふっと満足そうに息を吐いた
『そうか、大きな問題がないなら何よりだ。……で、次の試験はいつだ? スケジュールはしっかり把握してあるだろうな』
「そこはもうバッチリや! えっとな、日程は――」
アリカとミナサが滞りなく直近のスケジュールを答えると、レイカは「よし」と頷き、キリッとした視線を画面の向こうの彼女たちに向ける
『お前ら、いらぬところでボロを出すなよ。しっかりやれよ? くぎは刺したからな』
「分かってるって!」
「……心得ています、レイカ」
そうして、通信の端でいくつかの連絡事項を確認していると、教室の扉が開き、先生に呼ばれたアリカとミナサの姿があった
「おっと、先生に呼ばれたわ。ほな、ウチら行ってくるわ!」
「失礼します、レイカ」
アリカとミナサの2人が通話から離れ、退出していく
それを静かに見計らった瞬間、レイカの表情が一段と引き締まり、通信の接続先をネカの個人端末へと完全に絞り込んだ
『――よし、他の奴らが外れたな。ネカ、お前にとある指示を出す』
レイカの真剣なトーンに、ネカは背筋をピンと伸ばす
「はい、何でしょうか、レイカ先輩」
『簡単に言えば、白洲アズサの動向調査だ。あいつが、アリウスとの連絡を図るタイミング――その兆候や機会を見つけてほしい』
その指示を聞いた瞬間、ネカの脳裏には、原作やこれまでの経緯で得ていた記憶、そして何よりも先日共有されたばかりの重大な機密が鮮やかに蘇っていた
――あのネクストライ地下の旧防空壕から見つかった「神秘が詰まったタンク」と、古関ウイの手によって完璧に復元された古文書に記されていた「パレスト学園」の歴史、そしてアリウスに関する記述。原作のエデン条約の裏で何が起きようとしているのか、その対策としてレイカがなぜこの調査を求めているのか、ネカにはその意図が痛いほどよく分かっていた
「……分かりました。アリウスとの接触の動きですね。しっかりと監視し、タイミングを捉えてみせます」
「頼む。くれぐれも警戒を怠るなよ」
ネカが力強く了承し、通信を切ろうとした、その時――
「――あっ、レイカとネカまだ喋ってたんだ」
通信の向こうから、先ほど先生に呼ばれたはずのミナサが、部屋へと戻ってきた
『お、ミナサか。ちょうどいいお前にも話しておかないといけない話がある』
「え?なんのこと?」
『お前たち2人にだけ共有しておくべき事項がある。――アリカのことだ』
レイカのトーンがさらに低くなり、ホログラムの向こうで表情が険しくなる。ネカは思わずごくりと唾を飲み込み、ミナサもただならぬ気配を察して真剣な表情へと切り替えた
「アリカに……何かあったの?」
ミナサが不安げに尋ねると、レイカは少し間を置いてから、重い口を開いた
その内容はミナサとネカにとっては衝撃的なことだった……
『ああ。今はまだ本人は自覚していないし、下手に伝えて動揺させるのは悪手だ。だが、いつその兆候が表面化するか分からん。……だから、お前たち2人に彼女の側から目を離さないでほしい』
レイカの言葉に、ミナサはしっかりと頷きを返す
「わかった。アリカのことは私もしっかり見ておく。あの子が一人で抱え込んだり、突然暴走したりしないように気をつけるよ」
「自分もです。アリウスの動向調査と合わせて、アリカ先輩のことも注意深く見守ります」
2人の力強い返事を聞き、レイカはわずかに表情を緩ませた
『頼んだぞ。……くれぐれも、他の奴らや本人に余計な波風を立てぬようにな。通信を切る』
プツリ、と電子音を残してレイカのホログラムが消え、教室の中には再び静寂が戻ってきた
ミナサは小さく息を吐き出すと、心配そうな、しかし決意を宿した目をネカに向ける
「……ねえ、ネカ。レイカの言う通り、私たちでアリカをしっかり支えてあげないとね」
「はい。アリカ先輩のこと私たちで支えましょう!」
ネカがそこまで言いかけた時、廊下の方からドタバタと聞き慣れた足音が近づいてきた
「あー、お前ら二人とも、こんなところで何サボってんねん! 先生にめっちゃ怒られるで!」
ガラッと勢いよく扉を開けて飛び込んできたのは、当のアリカだった。いつもと変わらない、少しお調子者で元気なアリカの笑顔がそこにある
その姿を見て、ネカとミナサは顔を見合わせ、同時に小さく息を整えた
「……そうだね。行こっか、ネカ」
「はい!」
水面下でうねる運命の歯車と、目の前にある温かな日常。その両方を守るため、ネカとミナサは静かに覚悟を決め、笑顔を作ってアリカのもとへと歩み寄るのだった