「え……? 次の試験会場、今どこって?」
深夜の一件が終わり、ようやく息をつく間もなく、宿舎に戻った先生の口から告げられた言葉に、補習授業部の面々は一様に絶句し
静まり返った部屋の中で、その地名はあまりにも不穏で、そしてどこか現実味のない響きを持っていた
「ゲヘナ……やって?」
アリカはパタパタとあおぎながら、信じられないといった様子で眉をひそめた。その口調には、いつもの威勢の良さの中に隠しきれない戸惑いが混じっている
「ちょ、ちょっと待ってや先生! よりによってあのヤバい連中がうようよおるゲヘナが試験会場って、正気かお前!? あそこはうちらネクストライはまだいいとして、トリニティの人間にとってアウェイどころか、一歩間違えたら即お陀仏のデンジャラスゾーンやぞ!」
「アリカ先輩の言う通りです。トリニティの生徒がゲヘナの自治区に足を踏み入れるだけでも大問題だというのに、そこで補習の試験を受けるなんて……しかも今回の試験範囲は通常の3倍、合格点も90点以上に引き上げられていると聞きます。一体、何を考えて……」
ハナコはその涼しげな瞳の奥に鋭い思索の色を浮かべながら呟いた。ただの補習にしては、あまりにもキナ臭い政治的意図が匂い立っている
「ゲヘナだとしても、私たちがやることは変わりません。試験範囲が3倍になろうとも、合格点が90点になろうとも、全員合格を目指すことは何も変わってないからね」
「そうですね……ゲヘナに行くなんて私たちもびっくりですけど、でも、先生が一緒ですし、きっと何か理由があるはずです……!」
「ヒフミの言う通りだ。それに、私たちには乗り越えなきゃいけない理由がありますから」
アズサは自分の銃のストックを軽く叩き、静かに、しかし揺るぎない決意を込めてそう言った
そんな部員たちのやり取りを少し離れた場所から眺めながら、ネカは内心で頭を抱えていた
(――本当に原作通りの展開になっちゃってますよレイカ先輩!?私、そのまま爆破に巻き込まれないといけないんですか!?)
ネカの脳裏によぎるのは、彼女が知る原作のシナリオだ
補習授業部が辿る運命の歯車は、恐ろしいほどの正確さで、彼女たちをあの不気味なスポットへと引きずり込んでいく。どれだけ抗おうとも、まるで巨大な脚本に縛られているかのように、物語は容赦なく進行していた
試験日 深夜3時
冷たい夜風が吹き抜けるゲヘナのスラム街
街灯の光もまばらなその一角に、補習授業部の面々と先生の姿があった
「うう……なんやこのへんぴなところは……。空気がすでに治安悪そうなんやけど……」
アリカは周囲を警戒しながら、コートの襟をギュッと寄せた
「ほんとにですね……。なんだか暗くて、物陰から誰かに見られているような気さえしてきます……」
ヒフミは不安そうに周囲を見渡し、ぴょこぴょこと小刻みに足音を立てながら先生の衣類の裾をそっと掴んだ。暗がりの中から、何者かの野次馬のような視線や、不敵な笑みを浮かべる不良グループの影がちらほらと見える。しかし、今の彼女たちにそれを相手にしている余裕はなかった
「みんな、あまり離れないでね。治安が悪い場所だから、何が起きてもすぐに対応できるようにしておこう」
ネカは周囲の様子を冷静に観察しながら、他のメンバーに声をかけた。いつトラブルが起きてもおかしくない空気感に、ネカ自身も背筋が少し冷えるのを感じていた
やがて、目的地の古びた建物にたどり着いた一同は、重苦しい扉を押し開けて中へと足を踏み入れた
「失礼しまーす……って、うわ、ボロボロやんここ」
アリカが懐中電灯で照らし出した室内は、お世辞にも「試験会場」とは呼べない代物だった。部屋の中央には古びた机と教卓、そして端の方には使い古されたホワイトボードが一応は揃っているものの、天井からは剥き出しの配線が垂れ下がり、床には埃と瓦礫が積もっている。とてもではないが、落ち着いてペーパーテストを受けられる環境ではなかった
「試験を行う場所として適切かと言われると……全力で首を縦に振るのを拒否したくなる惨状だな」
アズサが眉をひそめ、銃をいつでも抜ける位置に構え直す
「ふふ、でも、こういう場所を選んだこと自体に意味があるのでしょうね」
ハナコはスタスタと部屋の中央へ歩み寄り、薄暗い一角に置かれた奇妙なオブジェに目を留めた。
そこには、一本の心なしか異様な雰囲気を放つ物体が鎮座していた
「……これ、なんですっけ?」
ヒフミが小首をかしげながら近づき、その巨大な鉄の塊をじっと見つめる
「……これって、もしかして」
ミナサがさらに一歩踏み込み、その形状を冷静に観察する
「L118……イギリス製の牽引式榴弾砲の弾頭ですね」
ハナコは淡々と言った。その声には微塵の動揺もなく、むしろ面白がるような響きすら含まれている
「りゅうだんほう……? ちょっと待て、なんでそんな物騒なもんがこんなとこに転がっとるんや!?」
アリカが思わず大声を上げると、ハナコはクスリと笑った
「こういう物騒なチョイスをするお方といえば、あのティーパーティーの主しか思い当たりませんわね。つまり……ナギサさんからのメッセージ、あるいは嫌がらせの可能性が非常に高いですね」
「相変わらず回りくどくて悪趣味やなぁ、あのティーパーティーのお嬢様は……」
アリカは頭を抱えたが、ハナコはすでにその弾頭の構造に目を付けていた
「ですが、ご安心を。パッと見たところ、雷管は外されているようです。……よいしょ」
ハナコが器用に弾頭のロックを外し、ガシャリと重々しい金属音を立ててその内部を開く。中から出てきたのは、綺麗に折りたたまれた一枚の試験用紙と、小型のホログラム投影機だった
「やっぱり……試験の続きはここでするみたいですね」
アズサがホログラム投影機を受け取り、スイッチを入れる
すると、青白い光の粒子が宙に広がり、ふわりと立体的な映像が浮かび上がった
そこに現れたのは、優雅でありながらもどこか冷徹な気品を漂わせる、茶髪の少女――桐藤ナギサの姿だった
『これを見ているということは、無事に到着したようですね』
「ナギサ様……!」
ホログラムのナギサは、優雅に微笑みながら語りかける。その録音された声が、ガレージのような空間に静かに響き渡った
『約束の時間までに試験を終えて、戻ってきてください。引き続き、皆さんの様子はこちらでもモニタリングしています』
そして、彼女は最後に、妙に力強い、そして何かを確信しているような言葉を残した
『――どうか、お気をつけて』
その言葉を最後に、ホログラムの映像はパッと音もなく消え去り、暗い室内には再び現実の静寂が戻ってきた
「……なんか、最後の言い方めっちゃ引っかかるんやけど気のせいか?」
アリカが不審そうに首をかしげる
「いや……あの感じなにかあるよ……」
ミナサも腕を組み、怪訝な表情を隠さない
「うう……ナギサさん、いったい何を考えていらっしゃるんでしょう……。なんだか嫌な予感がします……」
ヒフミは両手をぎゅっと握りしめ、不安そうにぶるぶると身震いした
「ふふ、本当に、私たちの反応をどこかで見物しているような徹底ぶりですわね」
ハナコはやれやれといった風に肩をすくめた
「あの……みんな、深読みしすぎても仕方ないですし、ひとまず落ち着きましょう?」
ネカは不安がるヒフミに優しく微笑みかけながら、その場をなだめるように手をひらひらと振った
「……ネカの言う通りです。文句を言っていても始まりません。ナギサの意図がどうあれ、試験を受けなければ終わらないのは事実です」
先生は静かに周囲を見渡し、全員に向かってハッキリとした口調で指示を出した
「みんな、席に着いてくれ。試験を始めるよ」
先生のその落ち着いた、しかし有無を言わせぬ声に、補習授業部の面々は顔を見合わせた。やがて、それぞれが近くにあったボロボロの椅子に腰を下ろしていく
アリカも不満そうに頬を膨らませつつ、『ゴー!ジャンプ!』を机の横に置き、指定された机の前に行儀よく座った。ヒフミも「はい……頑張ります……!」と小さく返事をして、おずおずと席に着く
全員が着席したのを確認すると、先生は小さくうなずき、試験開始を宣言した
「――それでは、これより試験を開始する」
その言葉が部屋の空気をピリッと引き締めた、まさにその瞬間だった
「――っ!?」
ミナサの耳が、常人には捉えられない微かな高周波の音を拾い上げた。彼女の拡張された聴覚は、壁の向こう側から這い寄る、致命的な「何か」の音を正確に聞き取っていた
「危ないっ……!!」
ミナサの叫び声は、ほとんど反射的なものだった
「全員、伏せろーーっ!!」
その大声に反応する間もなく、佐藤アリカ、高橋ミナサ、天笠ネカ、そして先生を含む全員が、本能的に机の下へと飛び込み、頭を抱えて身をかがめた
次の瞬間――
ドカァァンッ!!!
世界が引き裂かれるような凄まじい爆発が、試験会場の壁を内側から粉々に吹き飛ばした
凄まじい衝撃波が部屋中を駆け抜け、コンクリートの破片と舞い上がった土煙が、一瞬にして周囲を真っ白に染め上げる。建物全体が大きく揺れ動き、天井からパラパラと瓦礫の雨が降ってきた
「きゃああっ!?」
「ひゃっ……!? なに、なにが起きたんですかぁ!?」
コハルとヒフミが頭を抱えて小さく悲鳴を上げる
「な、なんやねんこれぇ!! 耳がキーンとするわ……!」
アリカは耳を塞ぎながら、頭上に降り注ぐ破片を必死で避けた。すさまじい爆風が通り過ぎた後、あたりにはもう、「試験会場」の壁の形跡すら残っていなかった。そこにあったのは、ただ無残に崩れ落ちた瓦礫の山だけだった
「っ……みんな、怪我はない!?」
先生が真っ先に起き上がり、大声で部員たちの安否を確認する
「な、なんとか……」
「うう……びっくりしたぁ……。みんな、怪我はないですか……?」
コハルとヒフミはガタガタと震えながらも、周りのみんなの顔を必死で見渡して声をかけた。ネカも「はい、なんとか無事です……」と答えながら、自分の服についた埃をパタパタと払い落とす
「大丈夫……かすり傷程度。それより、一体何が……」
アズサも銃を構え直しながら瓦礫の隙間から立ち上がる
ハナコとミナサもそれぞれ無事を確認して顔を上げた。しかし、目の前に広がった光景を見て、全員が言葉を失った
壁が綺麗になぎ払われたその向こう側――本来ならゲヘナの殺伐とした路地裏が広がっているはずの場所に、なぜか見慣れたピンク色の重機や、奇妙な意匠を凝らした温泉掘削用のマシーンが堂々と鎮座していた
そこには、ヘルメットを目深にかぶり、手にはツルハシやダイナマイトを持った集団がワイワイと騒いでいる
「ひゃっはー! 今日もいい湯加減を求めて大爆破だぁ!」
「おいおい、あそこの壁、思ったより脆かったな!」
「次はこの地下を掘り進めるぞー! 温泉掘り当ててやるんだから!」
それは、ゲヘナ学園のトラブルメーカーとして名高い『温泉開発部』の面々だった
彼女たちは、目の前で命拾いした人間がポカンと突っ立っていることなど露ほども知らず、自分たちの世界に入り込んで勝手に温泉開発の準備を始めている
「……って、待て待て待て!!」
アリカは手元の瓦礫の山から、さっき受け取るはずだった試験用紙を引っ張り出した。しかし、爆風と熱風に晒されたそれは、見る影もなく真っ黒に炭化しており、文字どころか紙の原型すら留めていなかった
「試験用紙が……!?」
「跡形もなく吹き飛ばされた……」
「これじゃあテスト受けられへんどころか、そもそも会場すらなくなったやんけ!!」
アリカの絶叫が、ゲヘナの夜空に虚しく響き渡るのだった
――7人が必死にたどり着いた試験会場は、一瞬で破壊されてしまった
――そして、試験用紙そのものが紛失したことで、4人は答案を書くことすらできなかった
――結果は「試験用紙紛失による不合格」
「……なるほど、ここまでやるということですか」
――こうして、第2次特別学力試験は7人全員が不合格となる
――「勉強が足りなかったから落ちた」のではない
――試験範囲は3倍、合格点は90点、会場はゲヘナ、試験時間は深夜3時
――それでも7人は試験会場までたどり着いた
――しかし、最後には試験用紙そのものを吹き飛ばされ、試験を受けることができなかった
ネカはその惨状を遠い目で見つめながら、「やっぱり、この世界は容赦のない原作のレールに支配されてるんだなぁ……」と、改めて深く溜息をつくのであった