トリニティ総合学園の広大な敷地内、その中でも一際格式高いティーパーティーが管理する校舎の一室。白亜の回廊を抜けた先にある厳かな応接室に、赤坂レイカの姿があった
黒髪のウルフカット、毛先に鮮やかに映えるターコイズカラーが、トリニティの象徴である純白のインテリアの中で独特の存在感を放っている。ボーイッシュで引き締まった約165センチの体躯に身にまとった制服を身に着け
レイカの対面、優美なティーセットが置かれたアンティークのテーブルを挟んで腰掛けているのは、トリニティ・ティーパーティーの主である桐藤ナギサその人であった
室内に漂うアールグレイの香りをよそに、二人の間に流れる空気は冷ややかで、緊張感を孕んでいた。レイカがここへ足を運んだ最大の理由は、先日発生したゲヘナでの試験会場爆発という前代未聞の事件について直接問いただすためである
「――それで、ナギサ。単刀直入に聞くが、あのゲヘナでの試験会場爆発について、あんたたちはどこまで把握している?俺自身の疑問な箇所が多いからな」
レイカは自身の愛銃である『ゼロモーメントポイント』の重みをジャケット越しに感じつつ、低く落ち着いた声で切り出した。一人称の「俺」という砕けた響きは、このトリニティの神聖な空間においては異質だったが、レイカはそんな形式ばった作法を気にする余裕も、気詰まりを感じる義理も持ち合わせていなかった
ナギサは優雅な所作でティーカップをソーサーに戻すと、微塵も動揺の色を見せない涼やかな笑みを浮かべた。しかし、その赤色の瞳の奥底には、目の前に座る「第四の学園」の現場総責任者に対する警戒の色が鋭く宿っている
「赤坂レイカさん、そんなに険しい顔をなさらないでください。……ふふ、あなたことですから、何か耳寄りな情報でも掴んでいらっしゃるとは思いましたが、開口一番それがその話題とは驚きましたわね」
「冗談を言ってる暇はない。ゲヘナを試験会場に選定した時点で、何かしらの火種がくすぶることは分かりきっていたはずだ。だが、あんな大規模な爆発が起きた。あれは本当に、単なる偶然の事故か、それとも――」
レイカの言葉を遮るように、ナギサは小さく首を横に振った。その表情からは先ほどまでの柔らかな笑みが消え、ティーパーティーを束ねる者としての冷徹な気品が漂う
「ゲヘナを次の特別試験の会場に選定したこと自体は事実ですし、その責任の一端が私たちティーパーティーにあることも否定はしません。ですが、赤坂さん。あの爆破テロ、あるいはそれに類する事件について、私たちティーパーティーは一切関与していませんし、事前にそのような計画を察知していたわけでもありません」
ナギサの言葉には、嘘をついている者の焦りや動揺は感じられなかった。彼女自身も、あの爆発によって引き起こされた政治的な混乱とリスクを十分に計算し、頭を悩ませている側なのだ
レイカはナギサの瞳をじっと見据え、その言葉の真偽を測る。原作知識を持つレイカにとって、エデン条約を巡るこの時期のトリニティがどれほど複雑な権力闘争と悪意に満ちているかは痛いほど理解していた。だが、それと同時にナギサは補習授業部にいる裏切り者に警戒していた……
(……まあ、噓だろうな。確実に補習授業部を陥れるためのな)
レイカは心の中で小さく息をつくと、それ以上この件について追及するのをやめた。ここで深く突っ込みすぎても、ネクストライがトリニティの内部抗争に深入りしすぎていると警戒を強められるだけだ。現場の安全と実利を重んじるレイカにとって、今は無用な摩擦を避けるべきタイミングだった
「……分かった。ナギサがそこまで言うなら、これ以上はこの件について追及しない。こっちも余計な面倒はごめんだからな」
「ふふ、話が早くて助かりますわ。あなたとは、できれば無用な衝突は避けたいたいものですのよ」
ナギサはふたたび穏やかな笑みを取り戻すと、テーブルの端に置かれた書類の束に視線を落とした。レイカはそれに合わせて、本題へと切り替える
「次の試験日について確認しておきたい。……いつだ?」
「ええ、次の試験は5日後に行われます。それに伴い、各校との調整や警備体制の強化が急務となっているのです」
5日後。想定していたよりもスケジュールはタイトだった。レイカは鋭い眼光を崩さぬまま、持参していたブリーフケースから一通の書類を取り出し、ナギサの前に差し出した
「それならちょうどいい。こっちからも一つ、あんたたちに飲んでもらいたい話がある」
差し出された書類を見たナギサが、怪訝そうに眉をひそめる
「これは……?」
「エデン条約の修繕に関して、シスターフッド側からうちの工芸部や土建部にいくつかの修復機材や資材の搬入が依頼されていてな。その機材等を大型トラックでトリニティの敷地内に直接乗り入れさせるための許可書だ。それと、もう一つは、その輸送過程や作業中において、万が一トリニティ内部の過激派や外部の不審者が襲撃してきた際、うちのネクストライの生徒に正当防衛および武装の使用を全面的に許可する旨を記した特別契約書になる」
ナギサは書類の条文に目を通し、その内容を精読していく。ネクストライ側の生徒が無断で重武装を維持したままトリニティの区画に立ち入ることは、本来であればティーパーティーとしても絶対に認めたくない一線である
しかし、シスターフッドからの修繕要請という大義名分があり、さらにエデン条約の円滑な進行という政治的メリットを考慮すれば、拒絶する選択肢はナギサ側にも存在しない
何より、先日の爆破事件以降、トリニティ内部の治安維持能力に対する不信感が漂う中、ネクストライの圧倒的な実戦部隊と武装警備が同行することは、防衛上の観点からも非常に魅力的だった
ナギサは数分間、細部にわたって文面を確認すると、満足したように小さくうなずいた
「……シスターフッドの要請、そしてエデン条約の修繕という名目。さらに、私たちの警備の穴を実質的に補填する内容というわけですね。非常に抜け目がないですが、私たちにとっても悪い話ではありません」
そう言うと、ナギサは万年筆を手に取り、迷うことなくホスト権限の署名欄に流麗なサインを走らせた
「これでよろしいかしら? データのバックアップも含め、正門のセキュリティには私の方から事前に通達しておきますわ。トラックの通行許可と、武装解除の免除、および自衛権の行使を認めます」
レイカは差し出された署名入りの契約書を受け取り、手早く自身のコートの内ポケットにしまい込んだ
「話が早くて助かる。無用なトラブルを起こすつもりはないが、うちの生徒に変なちょっかいを出す奴がいたら、その時は容赦なく返り討ちにするからそのつもりでいてくれ」
「……物騒なことをおっしゃらないでくださいまし。ですが、あなたたちの実力については疑っていませんことよ」
用件を済ませたレイカは、これ以上長居する理由もないとばかりに席から立ち上がった
「それじゃあ、失礼する。5日後の搬入までには手際よく進めるさ」
レイカが背を向け、応接室の重厚な扉に向かって歩き出す。その後姿を見送りながら、ナギサは小さく呟いた
「――赤坂レイカさん……あなたは一体何を……」
彼女の呟きが室内の静寂に溶け込むのとほぼ同時ルに、レイカは扉を開け、トリニティの冷たい空気の中へと足を踏み出していた
ネクストライスクール、生徒会執務室
トリニティからの帰還を果たしたレイカは、持ち帰った承認済みの契約書をデスクの上に放り出すと、大きく息をついた。部屋の中には、学園全体の政治・行政・外交を一手に引き受ける生徒会長・西条ハレカが、山積みの書類を片手に優雅に紅茶を啜っていた
「おや、レイカ君。トリニティでの交渉は無事に済んだようですね。ナギサ君はすんなりサインしてくれましたか?」
上品で余裕のあるハレカの物言いに、レイカは苦笑交じりに椅子に腰掛けた
「ああ、文句なしの全権承認だ。シスターフッドからの修繕依頼っていう大義名分が効いたな。これで5日後、資材を積んだトラックを堂々とトリニティの校内に乗り入れられる。もちろん、途中で変な輩に襲われても、うちの連中の武装使用は合法だ」
「さすがはレイカ君だね。交渉のカードを切るタイミングが絶妙だよ。これでエデン条約の修繕関連のインフラ支援も、我がネクストライの主導権をしっかり握った状態で進められる」
ハレカは満足そうに微笑むと、手元のスケジュール表にペンを走らせた
ネクストライの政治・行政・外交をハレカが完璧に回し、レイカが現場の戦闘・警備・実働面を担うというこの分業体制は、学園が1300人を超える巨大組織へと成長した今や、絶対的な基盤となっていた
「それで、ハレカ。二日後の輸送と現地での警備・作業にあたる人員だが……そろそろ誰を連れて行くか決める必要があるな。トリニティの内部も今はピリピリしてるし、ただの荷物運びってわけにはいかない」
レイカの問いかけに、ハレカは少し思案顔を見せた後、穏やかに頷いた
「そうだね……トリニティの地理にもある程度慣れていて、なおかつ突発的なトラブルに対処できる機動力と技術力を持ったメンバーが良いだろう。……そうだね、霧状ヘルタと街肩カリネの二人を同行させるのはどういだい?」
「ヘルタとカリネか……。悪くないな。あいつらなら現場での対応力も高いし、何より頭の回転が早い。よし、今回のトリニティ行きの人材は、その二人で決定にしよう」
レイカがそう告げた瞬間、まるでタイミングを見計らっていたかのように、執務室の扉が勢いよく開けられた
「リーダー! ハレカ先輩、こんにちはっす!」
茶髪のロングヘアを揺らしながら元気いっぱいに飛び込んできたのは、生徒会補佐を務める2年生の霧状ヘルタだった。そのすぐ後ろから、銀髪ショートの落ち着いた雰囲気をまとった街肩カリネが静かについて入ってくる
「お、ちょうどいいところに現れたな、ヘルタ。今、お前たちの名前を出していたところだ」
レイカが苦笑すると、ヘルタは目を輝かせてピョンと飛び跳ねた
「おっ、自分たちの出番っすか? 何か面白そうな仕事っすか、リーダー!」
「面白いかどうかは知らんがな。5日後、トリニティへの機材輸送と現地警備の任務が入る。お前たち二人を同行させるから、準備をしておいてくれ」
「了解っす! トリニティの美味しいスイーツでも食べて帰ってこれるっすかね!」
「ヘルタ、仕事の前に任務の概要をちゃんと確認しなさい。トリニティは今、エデン条約を巡ってかなり複雑な状況なんだからね」
カリネが呆れたような、しかし的確なツッコミをヘルタに入れる。そのやり取りを眺めながら、レイカはフッと口元を緩ませた
「まあ、カリネの言う通り気を抜くなよ。だが、お前らなら心配してないさ。頼むぞ」
「任せてほしいっす、リーダーの期待には絶対に応えるっすよ!」
二人が部屋を出て行こうとしたその時、執務室のもう一つの扉が静かに開き、白衣を纏った黒髪の小柄な少女が足音もなく入ってきた
アーティファクト研究部部長、青花ヒバナだった
「――ここにいたわね、レイカ」
ヒバナは手元に小さな金属製のデバイスを載せたトレイを抱えながら、冷徹でありながらどこか探究心に満ちた瞳をレイカに向けた
「お、ヒバナか。どうした、そんな急に」
「どうしたもこうしたもないわよ。あなたが依頼していた『ミスティック・ナイトロシステム』の定期メンテナンスと、出力の微調整がようやく完了したから持ってきたのよ。ほら、受け取りなさい」
ヒバナはトレイの上から、洗練されたデザインの腕時計型デバイスを差し出した。それはレイカの絶対加速の神秘に伴う過剰な運動エネルギーを処理し、脳や肉体への負荷を劇的に軽減するための、ネクストライが誇る最先端のオーパーツ技術の結晶である
レイカは差し出されたデバイスを受け取り、自分の手首に巻き付けながら、ふと首をかしげた。
「ん……? おい、ヒバナ。これ、以前のものと比べて何か大きく変わったか? 見た目はほとんど一緒みたいだが……」
レイカの疑問に、ヒバナはフンと鼻を鳴らして眼鏡の位置を押し上げた
「見た目が大きく変わっていたら欠陥品よ。今回変更したのはね、外見のガワじゃないわ。内部の演算処理コアの材質を見直して、神秘起動時のレスポンスをコンマ数秒単位で短縮しているの。それに伴って、ウォッチストラップ――そう、時計のベルト部分の素材を高密度・高耐久の特殊ポリマー繊維に置き換えたのよ。これによって、超高速移動時の激しいGがかかっても、デバイス自体が手首からズレるリスクが完全に排除されているわ」
「なるほどな……処理性能の向上と、装着性の強化ってわけか。いつもながらいい仕事をするな、ヒバナ」
「当然よ。私の研究成果を舐めてもらっては困るわ。それとね……」
ヒバナは白衣のポケットから、先ほどのウォッチストラップを製作した際の余った端材で作られたという、色鮮やかなシリコン製のリストバンドを取り出した
「おまけよ。本体の調整をしている時に、予備の素材が少し余ったからね。ついでに加工して作っておいたわ。いらないなら捨てるけれど、どうするかしら?」
レイカはヒバナから手渡されたリストバンドを受け取った。鮮やかなターコイズブルーと深みのあるネイビーが混ざり合った、スタイリッシュなデザインだった
それをじっと眺めながら、レイカの脳裏にふと一人の少女の顔が浮かんだ
(――これ、佐藤アリカの奴に似合いそうな色だな……)
今頃は補習授業部に出向し、アズサの仕掛ける罠や勉強に悪戦苦闘しているであろう親友の姿を思い出し、レイカは思わず苦笑した。あいつのことだ、こんなおしゃれなリストバンドを渡したら、珍しく素直に喜ぶか、あるいは「なんやこれカッコええやん!」と播州弁で満面の笑みを浮かべるに違いない
「……いや、もらい受けておくよ。ちょうどいい使い道が思い浮かんだからな」
レイカがリストバンドを自分のポケットに丁寧にしまうと、ヒバナは満足げにふふんと鼻を鳴らした
「そう。まあ、あなたがどう使おうと勝手だけれど、壊したりしたらタダじゃ置かないから覚悟しなさい。それじゃあ、私は研究に戻るわ。次の実験のデータ解析が残っているものだからね」
ヒバナはそれだけ言い残すと、ひらひらと手を振りながら颯爽と研究室へと戻っていった
執務室には再び、レイカとハレカの二人が残された
窓の外を見上げると、キヴォトスの空はどこまでも高く、穏やかな夕暮れの色に染まりつつあった。しかし、その平和な景色の裏側では、トリニティのエデン条約、補習授業部を巡る暗雲、そして迫り来る原作の巨大なうねりが確実に近づきつつある
レイカはポケットの中のリストバンドの感触を確かめながら、静かに息を吸い込んだ
「さて……ハレカ。二日後のトリニティへの物資輸送、そしてその裏で動く連中への備えを万全にしておくぞ」
「ああ、頼んだよ、レイカ君。私たちネクストライの未来を切り拓くための戦いは、まだ始まったばかりなのだからね」
前世の記憶と原作の知識を武器に、自分たちの居場所と青春を守るため、レイカたちは変わりゆくキヴォトスの世界の中で、次の一歩を踏み出していくのだった