特別試験の会場として指定されていた第十九分館。その広大な体育館の内部は、静まり返った石造りの壁に冷たい空気だけが滞留していた
薄暗い館内の中央に集まっていたのは、シャーレの先生、補習授業部の阿慈谷ヒフミ、白洲アズサ、浦和ハナコ、下江コハル、そしてネクストライスクールから出向している佐藤アリカ、高橋ミナサ、天笠ネカの面々だった
「……ふふ、そういうわけですので。ナギサ様には少しの間、静かにお休みいただくことにしましたの」
ハナコはいつもの優雅で穏やかな笑みを浮かべながら、ナギサのセーフハウスで起きた一部始終を全員に報告した。ナギサのメンタルを完全に粉砕し、ショックで意識を失った彼女を人目のつかない場所へと隠してきたのだという
「ええっ!? は、ハナコちゃん……っ! なんてこと言ったんですか!?」
ヒフミは驚きのあまり声を裏返らせ、胸の前で両手をギュッと握りしめた
「『お友達ごっこ』だなんて……それに、ネクストライさんとの外交問題まで持ち出すなんて……! た、ただでさえ追いつめられていたナギサ様が、そんなこと言われたら……っ!」
心配とショックで慌てふためくヒフミの横で、1年生のネカは眼鏡の位置をそっと直しながら、心の中で苦笑いを漏らしていた
(……ハナコさん、やっぱり原作通りの『お友達ごっこ』のセリフでナギサ様の心を粉々に砕いたんだ……。苦笑しながら思い返してみても、相変わらず容赦なさすぎる……)
しかも、それだけでは終わらない
(……それにプラスして、レイカ先輩から聞いていた『アリカ先輩が罠で重傷になりかけ、ネクストライとの外交関係壊滅&エデン条約破綻の危機』っていう極悪なブラフまでナギサ様にぶちまけたんだから……そりゃナギサ様もキャパオーバーで倒れるよ……)
ネカがハナコの底知れない知略と容赦のなさに密かに戦慄していると、体育館の重厚な扉がガギギギ……と不気味な金属音を立てて開き始めた
冷たい夜風とともに、体育館の暗がりから無数の足音が滑り込んでくる
一歩、また一歩。整然と踏み鳴らされるブーツの音。それは一人や二人ではない。十、二十、五十――いや、それ以上。黒い防護服と異形のガスマスクに身を包んだ武装集団が、体育館の観客席や出入口をまたたく間に埋め尽くしていった
その胸に刻まれているのは、トリニティの紋章を打ち砕いた不吉なクラックマーク。
アリウス分校の生徒たちだった
「これは、数が多い、大隊規模だ、多分、アリウスの半数近くが……!」
アズサが絶望に息を呑み、愛銃を握る手を激しく震わせる
「こ、こんなに沢山の人が、平然とトリニティの敷地内に……!?」
ヒフミの顔から完全に血の気が引いた。異様な光景だった。名門トリニティ総合学園の最も奥深いエリアに、敵対勢力の過激派がこれほどの密度で侵入しているなど、本来であれば有り得ない事態だった
「あ、ありえません!! これだけの爆発、銃声が響いているのに、正義実現委員会は一体何をして――」
ヒフミが悲痛な叫びを上げたその時、アズサが何かを悟ったように唇を噛みしめた
「…いえ………そう言う…ことですか」
「ハナコちゃん……? つまり、どう言うことですか……!?」
縋るようなヒフミの問いかけに、答えたのはハナコではなく、静かにインナーイヤフォンに手を当てていたミナサだった
ミナサは黒髪を揺らし、深く、重い溜息を吐き出した
「正義実現委員会は動かない……ううん、動けないんだよ、ヒフミちゃん。最初から、彼女たちはこの異変に気づくことすら許されていなかったんだ」
「え……? 動けない……?」
「正義実現委員会というトリニティ最強の実行部隊に対し、この大規模な混乱の中で『完全待機』を強制できる存在……。そんな指示が出せるのは、この学園の頂点に立つティーパーティーだけよ。けれど、桐藤ナギサは今回の件で除外出来る。そしてもう一人のメンバーである百合園セイア様は……不在。なら、消去法で残る答えは一つしかない」
ミナサの静かな推論が体育館の冷気を凍りつかせる
その言葉を引き継ぐように、ハナコがいつもの軽やかな笑みを消し、冷徹な響きを帯びた声で本当の裏切り者の名前を告げた
「ティーパーティーのパテル派のリーダー。聖園ミカさん」
その名前が響いた瞬間、体育館の天井付近から、パチ、パチ、パチ、と軽やかな拍手の音が降り注いだ
「うーん……やっぱりハナコちゃんってすごいな〜……敵に回したくない人ランキング二位!」
アリウス生の背後から、ひらりと舞い降りてきた一人の少女
桃色の長髪をなびかせ、背中には天使のような翼を広げたトリニティの要人――聖園ミカだった。彼女はまるで放課後のカフェで友人に出会ったかのように、フワフワとした無邪気な笑顔を浮かべながら、先生に向かって小さく手を振った
「やっ、久しぶり先生! また逢えて嬉しいなぁ……って言っても、二週間位? あはは、久し振りって程でもないかな? でも、ずっと逢いたいな~って思っていたからさ!」
「やはり……あなたが」
先生が低く呟くと、ミカは「えっとね~」と歌うような口調で話を続けた
「ハナコちゃんやミナサちゃんの言う通り、正義実現委員会は動かないよ、私が改めて待機命令を出しておいたから、今日は学園が静かだったでしょう? 正義実現委員会以外にも、邪魔になりそうなものは事前に全部片づけておいたんだぁ……ティーパーティーの届く限り全てのところに、色んな理由をつけて……ね? だから幾ら待っても無駄だよ? 正義実現委員会が此処に辿り着く事はないし、他の生徒が気付く事はない、此処には正真正銘――私達と貴方達だけ」
「そ、そんな……!」
「て、ティーパーティーの……!?」
絶望に打ちひしがれる補習授業部の面々を前に、ミカは満足そうに口元をほころばせた
「ふふっ、そう、黒幕登場☆ってところかな?」
可愛らしい仕草でポーズを決めるミカだったが、その瞳の奥には底知れぬ狂気と冷徹さが揺らめいていた。彼女はふと視線をスライドさせ、補習授業部の傍らに立つアリカ、ミナサ、ネカの三人に留めた
「ねえ……ところでさ。なんでトリニティの生徒でもないネクストライの三人がそこにいるのかな? 外交の出向組だとしても、こんなトリニティのクーデターに首を突っ込む筋合いなんてないはずだけど?」
ミカの疑問に対し、一歩前へ躍り出たのはアリカだった
アリカは金髪のツインテールを揺らし、愛銃であるAA-12ベースの『ゴー! ジャンプ!』のグリップを力強く握りしめながら、持ち前の播州弁で言い放った
「ネクストライの学園としてやなくて、ウチら個人の意思でここに居るんや! 目の前で困っとる仲間を見捨てるような真似、できるわけないやろ!」
その言葉を裏付けるように、先生もまたミカをまっすぐに見据えて言った
「アリカたち出向組は、シャーレの依頼と僕の権限で、ここにいてもらっているんだ」
「ふーん……」
ミカは少しだけ眉をひそめ、つまらなさそうに息を吐いた
「シャーレだけでも相当厄介だと思ったのに、ネクストライも絡んでさらに厄介だなあ……」
だが、ミカの表情から余裕が消えることはなかった。彼女が引き連れてきたアリウス生の総数は100人を優に超えている。対するこちらは、先生、補習授業部、ネクストライ出向組を合わせても、たったの8名。圧倒的な戦力差が、この体育館という密室を支配していた
「まあとりあえずさ?……ナギちゃんを何処に隠したか教えてくれるかな? 私も、時間が無くってさ~」
パチリと首を傾げるミカ。補習授業部の生徒たちはゴクリと息を呑み、固唾を呑んで事態を見守る。
「……教えないよ」
先生の短く、揺るぎない拒絶
ミカは微笑みを崩さないまま、チッチッチと指を振った
「まぁ、此処に居る全員を消し飛ばしてから、ゆっくり探しても良いんだけれど…それは面倒でしょ? 無駄は省くに限るよね。だから、さっさと吐いてくれると嬉しいなぁって……まあ、そうさせてくれなさそうな人達が目の前にいるんだけどね?」
張り詰めた空気の中、先生が静かに問いかけた
「ミカ……どうしてこんな事を?」
「ん~? 聞きたい? まぁ、先生に聞かれちゃったら仕方ないなぁ」
仮面のように張り付いた不気味な笑顔を作り、ミカはコクリと首を傾けた
「理由はね、そんな難しい事じゃないんだよ? とっても簡単でシンプルなんだ、私はね、ゲヘナが――大っ嫌いだからだよ!!」
「げ、ゲヘナが……?」
「……き、嫌い?」
「うん、そう! 大っ嫌い!」
体育館中に響き渡るほど大きく、クーデターの主犯とは思えないほど快活な声で、ミカはあっけらかんと叫ぶ。ヒフミが目を瞬き、思わず呟いた
「うん、そう、私は本当に、心から、心の底からゲヘナが嫌いなの」
「……だから、エデン条約を阻止しようと? そのために、ナギサさんを――」
「まぁその通りだよ、だってナギちゃんがエデン条約だなんて変な事しようとするからさぁ……ゲヘナと同盟? 和平? あんな角が生えた奴らと平和条約だなんて、冗談にもほどがあると思わない? 考えるだけでゾッとしちゃうよ」
「絶対裏切られるに決まってるじゃん? 背中を見せたら、直ぐに刺されるよ、きっと……まぁ、そんな事をさせないために、私はここまで来たんだけどさ」
ゲヘナ嫌い。それはトリニティにおいて珍しい感情ではない。だが、ミカのそれは常軌を逸していた。角が生えた生徒と顔を合わせることも、言葉を交わすことも生理的な拒絶感を覚えるほどに嫌悪しているのだ
長きにわたる対立に終止符を打つための講和条約。ミカにとってそれは反吐が出るほどの悪夢であり、連邦生徒会長やナギサが推し進めるエデン条約は、ミカの目には「粗暴なゲヘナ生との見苦しい馴れ合い」にしか映っていなかった
「ナギちゃんもほんと、優しいっていうか、甘すぎるっていうか……創作の中の明るい学園物語じゃないんだしさぁ~、そんな都合の良い話、現実には存在しないって……私たちはこういう、もっとドロドロした世界の住人だって事、そろそろ分かってくれても良い頃なのにね? そう思わない?」
「――で、そういう訳だから! ナギちゃんの事、返してくれる? 大丈夫、痛い事はしないよ、まぁ、残りの学園生活は、卒業まで全部檻の中かもしれないけれど!」
その言葉に、先生は悲しそうに目を伏せた
「……全部嘘だったんだね」
「うん、あの時はごめんね…先生、あそこで語った内容は殆どが嘘。エデン条約は、本当の平和条約だよ。そもそも素直で優しくておバカなナギちゃんに、エデン条約を武力同盟として活用するなんて事、出来っこないからね――でも、あの時話した事、全部が全部、嘘って訳じゃないんだよ?」
「……アリウスのことですか」
静かに割り込んだネカの発言に、ミカは「そう!」と喰いつくように手を打った
ミカは背後の黒く渦巻くアリウスの群れを見せつけるように、ゆったりと歩を進めた
「私がアリウスと和解したかったっていうのは、本当の事」
「だってさ、アリウスの皆も同じゲヘナを憎む仲間だもん。アリウスだって、元々トリニティの一員だったんだから。先生には前も言ったと思うけど、ゲヘナに対するこの子たちの憎しみは凄いよ? 私達に勝るとも劣らない……寧ろ、この子達こそ、私達よりもっと純粋な憎しみを持っているといえるかもしれない」
「だから、手を差し伸べた……」ネカの言葉を受け、ミカは満面の笑みを浮かべる
「そう!『志を共にして、ゲヘナと平和条約を結ぼうとする悪党たちをやっつけない?』って具合にね!」
「ティーパーティーのホスト・桐藤ナギサに正義実現委員会がいるなら、次期ティーパーティーのホスト・聖園ミカにはアリウスが付く――これは、そういう取引なんだよ、先生」
「ま、待って……なら、アリウスは」
アズサが青ざめた顔で言葉を詰まらせる
「………アズサちゃんをここに呼んだのは、平和のためなんかじゃなくて、クーデターの犯人にするためですか?」
「うん? んー……確かにそうかな? これはクーデターなのかもね。最終的にナギちゃんを失脚させて、私がティーパーティーのホストになるんだから」
――その瞬間だった
それまでミカの独白を静かに聞いていた空間に、怒号のような怒りの声が叩きつけられた
「――自分勝手も大概に晒せや、このアホンダラがぁッ!!」
体育館の空気を激しく揺さぶったのは、先生でも、ヒフミでも、アズサでもなかった。
ネクストライの佐藤アリカだった
アリカは金髪のツインテールを逆立て、顔を真っ赤に染めてミカを鋭く指差し、怒りを全開にして怒鳴り散らした
「あんたな、さっきから黙って聞いてりゃ『ゲヘナが嫌い』だの『ナギサが甘い』だの、自分に都合のええ言い訳ばっかり並べおってからに! アホちゃうんかほんま!!」
ミカの笑顔がピキリと固まった。トリニティの要人であり、絶対的な力を誇る自分が、他学園の小柄な生徒から「アホ」と面と向かって罵倒されたのだ
「……え? あほ……? いま、私のことアホって言ったのかな……?」
ミカの瞳から温もりが消え、ドス黒い殺意が揺らめき始める
だが、アリカは一切怯まない。播州弁のイントネーションを炸裂させ、怒涛の勢いで畳みかけた
「アホって言ったんや! 何回でも言ったるわ! そこまで自分の考え通したいんやったら、もっと頭使って政治でやり返すなり、正々堂々議論するなり、他にやりようがいくらでもあったはずやろ! それを何や! 結局言葉で勝てへんからって外部の暴力引っ張り込んできて、友達騙して、力づくで全部踏みにじるしかできへんのか!? 自分のワガママ一つ通すために力に頼るなんてな、ほんまのほんまに『アホのやること』そのものやぞッ!!」
アリカの一刀両断の正論。それは、己の正義と憎しみを免罪符にして暴走していたミカの最も触れられたくない核心を、容赦なく突き刺した
ミカの額に青筋が浮かび上がる。彼女の怒りのボルテージが最高潮へと跳ね上がった
「ふーん……。他学園の子が……私の何を知ったような顔で言ってるのかな……?」
ミカの周りの空気が歪み、圧倒的な密度の神秘が重力のように体育館を押し潰す。だが、アリカは『ゴー! ジャンプ!』をガッチリと両手で構え直し、ギラギラとした鋭い眼光で言い返した
「部外者やからこそ客観的に分かるんや!! お前のやってることはな、青春でも正義でも何でもない! ただの駄々っ子のドタバタ劇や!! ウチらの大事な仲間を傷つけて、ドヤ顔してんじゃねえよッ!!」
「――ッ!!」
堪忍袋の緒が、音を立ててブチ切れた
ドォンッ!! と爆音のような踏み込みとともに、ミカの姿が視界から消えた
トリニティ最高峰の怪力と戦闘能力を誇る聖園ミカが、死角から音速を超える速度でアリカの頭上へと肉薄する。その右拳は、文字通り人間の頭脳を粉砕し、命を奪うための破壊孔と化していた
「アリカ先輩ッ!?」ネカの悲鳴が上がる
寸一毫の差
前世からの戦闘勘と、土壇場の野生的な直感がアリカの体を強引に横へと跳ばせた
ドガァァァァァァァンッッ!!!
アリカの頭をかすめたミカの拳が、体育館の強固な強化コンクリートの床へと叩きつけられた
爆風と劇的な衝撃波が体育館全体を揺らし、クレーター状に破砕された床の破片が弾丸のような勢いで四散する。地面には蜘蛛の巣状の巨大なヒビが走り、落雷でも落ちたかのような破壊痕が刻まれていた
「あは……逃げるんだ?」
クレーターの中心で煙を纏いながら立ち上がったミカは、冷酷な笑みを浮かべてアリカを見下ろした
「あともう少しだったのに。大人しく潰されてくれれば、痛くなかったのにさぁ……」
粉塵を浴びながら受け身を取り、滑るように着地したアリカは、冷や汗を流しながらも、その瞳に猛烈な闘志の炎を燃え上がらせた
「……ッハ! 勘違いすんなよバカ女!! ウチを本気で怒らせたらどないなるか、その身に刻み込ませたるわッ!!」
ガチャリッ!! と『ゴー! ジャンプ!』のフルオート装填音が響き渡る
我慢の限界を迎えたアリカが、ミカに向かってAA-12の銃口を突きつけた
「全員、下がっとれ!! このアホはウチがブチのめすッ!!」
ズドズドズドズドガァァァンッッ!!!
フルオートショットガンの凄まじい連射音が、体育館の静寂を粉砕した。弾丸の嵐がミカに向かって叩きつけられ、聖園ミカ対佐藤アリカ、そして補習授業部とアリウスの大群による、凄惨な銃撃戦の火ぶたが切って落とされたのだった