第十九分館の広大な体育館は、かつての厳かな石造りの面影を完全に失い、幾重にも走った亀裂と舞い散るコンクリートの粉塵によって、まるで荒れ果てた戦場の様相を呈していた
圧倒的な熱量とエネルギーが渦巻く中、佐藤アリカと聖園ミカの激突は、なおも衰えるどころか一層激しさを増していった。両者の間から放たれる神秘の余波が、空間そのものを震わせている
だが、その激闘の最中であっても、ミカの瞳はアリカの身体に起きている異変――そして、周囲を取り巻く決定的な空気の変化をしっかりと捉えていた
アリカ自身もまた、己の肉体を支配する底知れないエネルギーの奔流を自覚していた。右腕に巻かれたターコイズブルーとネイビーのシリコン製リストバンドが、熱を帯びた皮膚の上で脈打つように鼓動している。自身の神秘が共鳴し、感情を力へと変換する極限のバランス――その高みへとアリカは到達していた
緊迫した空気が張り詰める中、戦線を見守る先生が一歩前へ踏み出し、痛切な響きを帯びた声でミカの名を呼んだ
「ミカ……。一つ、確かめさせてくれ。百合園セイアを襲撃した事件……あれは、君の指示だったのか?」
その問いに、ミカはぴくりと肩を揺らした。だが、隠す様子は微塵もない。彼女はふっと力を抜き、どこか投げやりで、それでいて無邪気な残酷さを孕んだ笑みを浮かべて首をかしげた
「うん? セイアちゃん? あぁ……あはは、そうだよ? あれも私の指示。だってセイアちゃんってば、いっつもへんな事ばっかり言って、楽園だの何だのって……難しい事ばっかり並べ立てて、私のこと馬鹿にしてくるからさぁ」
軽快な口調で紡がれる言葉に、補習授業部の面々が息を呑む。だが、ミカの表情の奥底には、ひりつくような歪んだ感情が渦巻いていた
「――なら、『…けど勘違いしないでね?』」
ミカのトーンが、わずかに、しかし鋭く変わる。彼女は両手を軽く広げ、自己弁護をするように早口でまくし立てた
「――でも、ヘイローを破壊しろとはいっていないの。私は、人殺しなんか指示していない」
「ただ卒業するまで檻の中に閉じ込められて、ちょっとだけ窮屈な思いをさせてやろうって、そう思っただけなんだよ? でも……何でか、あぁなっちゃった」
その言葉の裏にある焦燥と矛盾。引き攣った笑みを貼り付けたまま、ミカは視線をスライドさせ、その場に立ちすくむ一人の少女をとらえた。白洲アズサだった
「それ以上は当事者に聞いた方が早いんじゃないかなぁ? ねぇ――白洲アズサ」
「ッ……!」
アズサが息を詰まらせる。ミカは冷酷な笑みを深め、容赦なく言葉を突き刺した
「何だか一部誤解があるみたいだし、私の代わりに説明してくれない?」
「………」
「セイアちゃんがさぁ、あんな事になっちゃったのが、ここまで事が大きくなった原因なんだよ?――あの時からもう、色々な事がどうしようもなくなっちゃったわけだし……その辺、どう思う?」
アズサは言葉を完全に失い、痛ましげに唇を噛みしめながら視線を足元へと落とした。その小さな手が、震えを抑えるように愛銃を強く、痛いほどに握り締める
そのアズサの震える手の上に、そっと温かい手が重ねられた。他ならぬ、親友である阿慈谷ヒフミの手だった
「ひ、ヒフミ……」
「大丈夫、大丈夫です……信じるって、決めましたから」
ヒフミの瞳には、迷いや恐れではなく、底抜けの優しさと強い覚悟が宿っていた。アズサはその温もりに救われるように、小さく息を吐き出す
だが、そのやり取りを見たミカの表情が、一瞬で歪んだ
「――いいなぁ、アズサちゃんは……私と同じ裏切り者なのに……いいなぁ」
その声には、どうしようもないほどの孤独と、歪んだ羨望が滲んでいた
「ミカ、今からでも遅くない……引き返そう……」
先生が、痛みを分かち合うような優しい目でミカに歩み寄る。しかし、聖園ミカは首を横に振った。その瞳に、もはや引き返すための選択肢など残されていなかった
「それは無理な相談かな……先生」
「……どうしても?」
「そりゃそうじゃん――友達を裏切って、挙句殺しちゃって……自分について来てくれた人たちや、信頼してくれていた人を裏切って……今更、どうやって――!」
ミカの声が、体育館の冷たい空気を引き裂くように跳ね上がった。それは、誰を責めることもできない絶望的な叫びだった
「今更どんな顔して戻ればいいのさ!?」
「っ……!」
叫んだ瞬間、ミカはハッとしたように目を見張り、自らの頭を両手で押さえた
「――ぁ…ご、ごめん、こんなこと、先生に言うことじゃないよね……うん、八つ当たりは、よくない」
そのあまりにも脆く、崩れそうな姿に、その場にいる全員が確信した
――ミカはもう、自分を止められない。彼女は、取り返しのつかない一線を越えた恐怖と孤独の中で、引き際を完全に完全を見失ってしまったのだ。
「……さーて、そろそろ続きやろっか☆ そしてここからはね………――本気だよ」
「…!」
突如として、それまでどこか掴みどころがなく、狂気と無邪気さが入り交じっていたミカの気配が、一変した
空気が凍りつく。纏うオーラが重力を増し、周囲の空間そのものを押し潰すような圧倒的な殺気へと変わる
そういうと、ミカはそれまで手元にあった銃器を放り捨て――いや、そもそも初めから、彼女の本質は銃弾の撃ち合いなどではなかった
ミカは再びアリカと対峙する。だが、先ほどまでの距離を取った戦闘スタイルとは違い、正面から一歩も引かない『拳主体の近接戦闘(CQC)』へと完全に持ち込んだ
「上等や……! 来いやゴリラ女ッ!」
アリカもまた、愛銃『ゴー! ジャンプ!』を地面へと滑らせ、両手を固く握りしめた。彼女の全身を巡る『エモーショナル・パルス・ブースター』のエネルギーが、筋肉と神経を極限まで活性化させる。アリカもまた、銃を捨て、拳による完全な肉弾戦へとシフトした
ここから始まった「第三ラウンド」は、これまでの銃撃戦を遥かに超越する凄まじいものだった
ドゴォォォンッ!!
二人の拳が正面から激突した瞬間、衝撃波が球体状に広がり、第十九分館の頑強な石造りの壁や天井に、蜘蛛の巣状の巨大なひび割れが走る
ミカの放つ一撃は、大地を砕き、空間の気圧を無理やり引き裂くほどの規格外の怪力だった。対するアリカは、あふれ出る感情と神秘のエネルギーを全身のバネに乗せ、ミカの重い拳を紙一重でいなしながら、カウンターの鋭いフックを叩き込む
「はぁっ……!」
「甘いよ!」
ゴスッ! という鈍い肉音が体育館内に響き渡る
ミカの平手打ちがアリカの肩を捉え、その衝撃でアリカの身体が宙を舞いかけたが、アリカは凄まじい執念で空中で体勢を立て直し、着地と同時に強烈なミドルキックをミカの脇腹へと叩きつけた
「ぐっ……! やるね……!」
ミカがわずかに眉をひそめ、すぐさまその細腕でアリカの足首を掴み、そのまま床へと投げ飛ばそうとする。しかし、アリカはそれを予測していたかのように腕をクロスさせ、ミカの腕をガッチリと掴み返して投げ技を封じた
互いの額がぶつかり合い、火花が散るかのような殺気と気迫が交錯する
接近戦における一瞬の隙が命取りになる距離で、二人は一歩も引かず、凄まじい速度で拳を交え続けた
ダダダダッ! と連続して繰り出される手刀と正拳の嵐
ミカの圧倒的なフィジカルの重みに対し、アリカは『エモーショナル・パルス・ブースター』の共鳴による爆発的な機動力と、仲間を想うエモーションで完全に互角以上に渡り合っていた。どちらか一方が少しでも気を抜けば、致命的な一撃を受けて戦闘不能に陥る、極限の肉弾戦
「楽しいね、アリカちゃん……! 私とここまで拳で語り合えるなんて思わなかったよ!」
ミカの瞳に、狂気と純粋な戦闘狂の輝きが宿る
「笑わせんな! ウチはな、こんな不条理な暴力で全部踏み潰そうとする奴のやり方が、一番虫唾が走るんや――!!」
アリカの叫びと共に、右腕のターコイズブルーとネイビーのシリコンバンドが眩い光を放ったかのように熱を帯びる。感情のピークに達したアリカの神秘が最大出力で爆発し、その拳に込められた物理エネルギーが文字通り何倍にも跳ね上がった
ズガァァァンッ!!
渾身のストレートがミカのガードを正面から粉砕し、ミカの身体を数メートル後方へと盛大に吹き飛ばした。ミカの足が床を削り、かろうじて踏みとどまる
「はぁ……はぁ……すごい……!」
ミカは唇の端から流れたわずかな血を拭い、嬉しそうに笑った
だが、その激闘の代償として、第十九分館の建物そのものが限界を迎えていた。二人の拳が生み出す衝撃波と神秘の余波が、構造体の耐荷重を完全に超えさせてしまったのだ
「すごい……! 二人の戦闘力が、さっきよりさらに跳ね上がってる……!」
ネカが丸眼鏡を支えながら絶叫し、ミナサは拡張された聴覚で周囲の建物の崩壊音を正確に捉えて青ざめた
「レイカ!これ以上ここで戦わせたら危ない! 体育館全体の構造耐性が限界を超えてる!」
ミナサの警告を受け、現場総責任者である赤坂レイカは瞬時に判断を下した
「全員、今すぐ外へ退避しろ! 逃げ遅れるなよ!」
「了解! 全員、正面扉と裏口から急ぎ外へ脱出せよ!」
レイカの号令のもと、先生、補習授業部、ミナサ、ネカ、レイカ、ヘルタ、カリネ、そして防衛部の面々が、崩落を始めた体育館の瓦礫をかき分けながら次々と外へと駆け出していく
アリウス生たちも危険だと察知し、慌てて体育館の外へと雪崩れ込んでいくように逃げていった
周囲の人間が全員避難を完了し、ガレキの山と化した巨大な空間には、もはや赤坂レイカたちが遠くから見守る中、ミカとアリカの二人のみが残されていた
いや、正確には――二人は周囲が避難したことすら気に留めていなかった
崩壊寸前の天井からコンクリートの塊が雨あられと降り注ぎ、床がガリガリと音を立てて沈み込んでいくその中心で、アリカとミカはなおも互いの拳を突き出し、泥まみれになりながらも「第三ラウンド」の続きを繰り広げようとしていたのだ
「まだやれるよな、ゴリラ女ぁッ!」
「望むところだよ、アリカちゃんっ!」
再び激突する両者の拳。その余波で周囲の瓦礫がさらに細かく砕け散る
建物の躯体が完全に悲鳴を上げ、天井の巨大な鉄骨がいよいよ支えきれずに折れ曲がり、頭上から盛大に崩れ落ちようとした、その瞬間だった
ガレキの山と化した巨大な出入口から、静かに、しかし圧倒的な存在感を放つ一団が、砂煙を切り裂くように踏み込んできた
「……歌住、サクラコ」
崩壊の霧の中、凄まじい気迫で拳を構えていたミカが、その名前を聞いてわずかに動きを止めた
──夜分遅くに、随分と騒がしいではありませんか、ミカさん?
凛とした佇まい。身体を包む厳粛な修道服。そして頭上には、幾重もの聖なる十字架に酷似したヘイローが神々しく輝いている。
彼女達の姿を見た瞬間、逃げ遅れたアリウス生たちの間に動揺が走った
トリニティ総合学園、大聖堂に本部を置く一大派閥――シスターフッド
これまで政治的な表舞台から距離を置き、動くことのなかった彼女たちが、いま明確な意志を持って、アリウスの前に立ちはだかったのだ
シスターフッドの首長である歌住サクラコは、冷徹で、しかしどこか慈愛を帯びた瞳でミカを見据え、毅然とした声を響かせた
「ティーパーティー・ホスト、聖園ミカさん。他のティーパーティー・ホストへの傷害教唆及び傷害未遂で、貴女の身柄を拘束いたします……」
サクラコの凛とした宣告に、ミカは荒い息を整えながらも、乾いた笑みをこぼした
「……あはっ、流石にシスターフッドと戦うのは初めてだなぁ。今までずっと知らん顔を決め込んでいたのに、今更動くとか、どんな風の吹き回しかな?」
ミカが皮肉を投げかけたその時、サクラコの後方から、ひょっこりと一人の少女が姿を現した。
ベージュ色の柔らかい髪、上品でミステリアスな微笑みをたたえたトリニティの少女
――夢見チトだった
ミカはその人物の姿を認めて、わずかに目を丸くした
「チトちゃん……?」
チトは優雅に微笑み、瓦礫の外で見守るレイカたちの側を見やりながら、柔らかい丁寧語で状況を告げた
「ふふ、おやつの時間には少し遅いですが……お邪魔していますよ、ミカさん。――ちなみに、正義実現委員会への待機命令はすでに解除させていただきました。彼女たちも、もう少しでこの場に到着しますよ」
シスターフッドの介入、そしてティーパーティー内部からの予期せぬ番狂わせ
崩壊寸前の第十九分館の瓦礫の中で、物語はさらに激しい局面へと突入しようとしていた