トリニティ総合学園を揺るがした激動のエデン条約を巡る一連の騒動、聖園ミカの暴走と隕石の迎撃、そして百合園セイアの生存が明かされてから数日が経過していた
キヴォトスの中心地であるDUシラトリ地区。その一角にそびえ立つ、ネクストライスクールの管理ビルの一室では、いつもとは少し異なる静けさと、しかし相変わらずの忙しさが同居していた
広々とした執務室のデスクに座り、山のように積み上げられた行政書類や各部活動からの報告書に目を通しているのは、ネクストライの現場総責任者を務める赤坂レイカである。その向かい側の席では、金髪のツインテールを揺らしながら、佐藤アリカが額にうっすらと汗を浮かべて必死にペンを走らせていた
「うう……っ! なんやこの書類の量は……! 現場でドンパチやっとる方が、よっぽど気楽で身体を動かせるわこんなん!」
アリカはガサリと一枚の用紙をめくり、播州弁の混じった不満の声を零しながらも、懸命に手を動かしている。トリニティでの一件を終え、ネクストライへと戻ってきた彼女だったが、学園の規模が全校生徒1300人を超える大組織へと成長している 以上、生徒会や中枢メンバーにかかる事務負担も決して少なくはなかった
レイカは自身の書類からわずかに視線を上げ、どこか呆れたような、しかしどこか面白がるような笑みを浮かべてアリカに声をかけた
「おいおい、文句言うなよアリカ。お前が補習授業部から戻ってきた途端に溜まっていた事務仕事のしわ寄せが全部お前にいってるんだ。しっかり片付けないと、今度の装備改修予算の査定を後回しにするぞ」
「ちょっ、それは話が違うやろレイカ! 分かった、やるから! やるから今のナシにしてくれ!」
アリカは慌てて顔をぶんぶんと横に振り、再び目の前の書類へと猛烈な勢いで向き直った。その姿を見て、レイカはふっと小さく息を吐き、再び手元の資料へと視線を戻す
しかし、ペンの音が再び静かに部屋へ響き始めたその時、アリカはふと手を止め、何かを思い出したように視線を宙に彷徨わせた。その表情には、先ほどまでの明るい愚痴とは違う、どこか割り切れない複雑な影が落ちていた。
「なぁ、レイカ……」ん、とレイカが応じる。アリカは少し言いにくそうに、しかし気になって仕方がなかった疑問を口にした
「あの時に暴れとった……聖園ミカの処遇って、結局どうなったんや? ニュースとかでも色々言われとるけど、ウチらにはイマイチはっきり入ってこんくてさ」
アリカの問いに、レイカは静かに手を止め、ペンをデスクの上に置いた
「ミカの件か……。ティーパーティーや正義実現委員会の正式な決定としては、今後予定されているエデン条約の正式調印式、およびそれに伴う一連の傍聴会がすべて終了するまで、厳重な管理下のもとで拘留することが決まっている」
「……拘留、か」
アリカは少し目を伏せ、複雑そうに唇を噛みしめた
「あんなめちゃくちゃな真似して、隕石まで落としてきて……結果的にセイアちゃんも生きておって、みんな助かったから良かったようなものの……なんか、こう……スッキリせんというか、拍子抜けしたというか……」
アリカは原作の展開やキヴォトスの裏側に張り巡らされた政治的な事情を知らない。だからこそ、あの激闘の果てにミカがただ「拘留」という形で処理されることに、どこか割り切れない思いを抱いていたのだ
レイカはそんなアリカの心情を痛いほどよく理解していた。転生者として『ブルーアーカイブ』の未来や背景知識を最初から持っている自分とは違い、アリカは目の前で起きる現実の出来事のすべてを、一人の血の通った生徒として真っ直ぐに受け止め、戦ってきたのだから
「そうだな……。お前から見れば、納得がいかないのも無理はないさ。だがな、アリカ。あいつはあいつなりに、自分の背負った十字架の重さに押し潰されかけていたんだ。そして、トリニティという巨大な学園の政治バランスを考えれば、今すぐ表立って処刑だのなんだのと言い出せる状況じゃないのさ。政治ってのは、泥臭い妥協の積み重ねで動いてるんだよ」
「うーん……難しいことは分からんけどさ。でも、ミカも、補習授業部のみんなも……これ以上変な方向に行かんかったらええんやけどな」
そういったレイカもあの時、セイアから聞かれたあの質問を今でも考えてしまっている……
『――君は、『楽園』について、どのように考えている?』
(あの時……自分でもあっさりと答えは出なかった……自分が考える『楽園』の考えを……)
レイカはその質問をまた別の機会に答えるといって保留にした……その答えがまとまるまでと考えながら
レイカが小さくため息をついた、その瞬間だった
オフィスの静寂を切り裂くように、レイカの私用端末の着信音が軽快に鳴り響いた。レイカが画面を確認すると、そこには「夢見チト」の名前が表示されていた
「おっ、噂をすれば……いや、別の件か」
レイカはすぐに通話ボタンを押し、端末を耳にあてた
「もしれ、レイカだ。どうしたチト」
『――あら、レイカさん、お仕事中にお邪魔して申し訳ありませんね。ふふ、少し気になったことがあって、連絡させてもらったんですよ』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、相変わらず穏やかで、どこか人を食ったような夢見チトの柔らかい丁寧語だった
「俺に連絡してくるってことは、またトリニティの内部で何か面倒事が起きたのか?」
『いいえ、面倒事と言うほどではありませんが……実はですね、補習授業部のことについてなんですよ』
その言葉を聞いた瞬間、隣で書類仕事をしていたアリカがピクンと反応し、レイカの顔を鋭く覗き込んできた。無言のまま「何や何や?」と目で訴えてくるアリカを片手で軽く制しつつ、レイカは話を促す
「補習授業部がどうかしたのか? あいつらはあの後、全員揃って追試の特別試験に合格したはずだが」
『ええ、試験には無事に合格しましたよ。……ですがね、どうやら彼女たち、またしても別の科目で赤点を叩き出してしまいまして……。懲りずにまた、補習授業部が再発足させられてしまったんです』
「は……? また赤点取ったのかあいつら……!」
思わずレイカが呆れた声を漏らすと、電話の向こうでチトがクスクスと上品な笑声を立てた
『本当に手がかかる可愛い生徒たちですね。ですが、ご安心ください。前のような危険な空気や、誰も彼もが疑心暗鬼になるような陰惨な雰囲気はありませんよ。何せ、あの騒動の直後ですからね』
チトは少しトーンを落とし、裏側の事情を静かに語り始めた
『ナギサさんも、前回の件ですっかり懲りていますし、何より――あなた方の学園の生徒会長である西条ハレカさんが、わざわざトリニティの本部まで単身で乗り込んできましたからね』
「――ハレカが?」
『ええ。ハレカさんはティーパーティーの面々の前に涼しい顔で現れ、「我がネクストライの生徒がそちらの活動に参加している以上、これ以上無用な政治的謀略や危険な管理体制を敷くことは一切認めない。万が一、不誠実な対応が見られた場合は、ネクストライとしての本格的な外交的・経済的制裁措置を検討させてもらう」と、それはそれは優雅に、しかし完璧なまでの脅しをかけていったのです』
そのエピソードを聞いて、レイカは思わず苦笑いを浮かべ、額に手を当てた
政治・行政・外交を完璧にこなす生徒会長ハレカの、ブレない実務能力と容赦のないプレッシャーのかけ方が目に浮かぶようだった
『そのおかげで、今回の補習授業部の再発足は、表向きこそ「お勉強の補習」という名目ですが、トリニティ側もこれ以上問題を起こしてネクストライやシャーレを刺激しないよう、原作の時系列なんかよりもはるかに手厚く、そして慎重に扱われています。あの子たちは今、比較的のんびりとした日常を送っていますよ』
「そうか……。それを聞いて安心したわ。ハレカの奴、いいタイミングで良い仕事をしてくれたな」
『ふふ、本当に頼もしい「第四の学園」のトップですね。……それでは、私はこれで。また何か動きがあれば連絡します』
チトが軽やかにそう告げると、そのまま通信はプツリと途切れた
端末をデスクに置いたレイカを見て、アリカがそわそわとした様子で身を乗り出してきた
「どうやったレイカ!? 補習授業部のみんな、また危ない目に遭うてないやろな!?」
「安心しろアリカ。ハレカがトリニティ側に直接釘を刺しに行ったおかげで、向こうの対応は今までよりずっと慎重になってる。今回はガチの『お勉強の補習』だけで済んでるらしいぞ」
「ほんまか……! よかったぁ……! あいつら、ほんま勉強苦手やから心配やったんや」
アリカは胸に手を当て、心の底からホッとしたように大きく息を吐き出した。その表情には、あの戦いを共に乗り越えた仲間たちを心から気遣う温かな優しさが満ちていた
だが、安堵の余韻に浸っていたのも束の間――
コンコン、とオフィスの頑丈な木製ドアがノックされた
「入れ」
レイカが声を向けると、ドアが静かに開き、ネクストライビルの受付を担当している後輩が、少し青ざめたような、しかし戸惑いを隠せない顔で足を踏み入れてきた
「失礼します、レイカ先輩、アリカ先輩。……受付の方から、緊急の来訪者件についての内線が入りました」
「緊急の来訪者? 先生か、それとも連邦生徒会の連中か?」
レイカが眉をひそめると、受付の生徒はごくりと生唾を飲み込み、信じられないといった様子で言葉を紡いだ
「い、いえ……それがですね。……『SRT特殊学園』の生徒を名乗る4名が、ビルの一階に現れて、ネクストライに自分たちを雇ってくれないか、と直談判に来ているそうです……!」
「――は……?」
あまりにも予想外すぎる組織の名前に、レイカは思わず持っていたペンをポロリと落とし、椅子から立ち上がりかけた。アリカも「エスアールティー……!? え、どこそれ!?」と目を丸くして固まっている
しかし、受付の生徒の言葉はそこで終わらなかった。彼女はさらに震える声で、レイカの最も度肝を抜く一言を放った
「そ、そして……さらに驚いたことに……その求職のためにやってきた部隊を率いているのは……なんと、SRTの『元・副生徒会長』のいる部隊だそうです……ッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、レイカの脳裏に『ブルーアーカイブ』における最も危険で、そして最も数奇な運命を辿った少女たちの存在が鮮烈にフラッシュバックした
――RABBIT小隊を中心としたカルバノグの兎編
原作の歴史の裏側で、連邦生徒会の失脚とSRTの廃校に伴い、行き場を失った最強の特異戦力たちが、いま自分たちの拠点に現れたのだ
ネクストライという「第四の学園」の静かな日常は、こうしてまた新たな巨大なうねりへと巻き込まれていくのだった
あとがき
はい、これで第3章 表と裏の探り合い、エデン条約前編が終了です!
次回は以前アンケートにあったオリジナルイベントストーリー、 船上のドリームバケーションを投稿します!