トリニティ総合学園での激動の夜が明けてから数日後。キヴォトスの青く澄み渡った海空を背景に、一機の異質な航空機が安定した飛行音を響かせて空を駆けていた
ネクストライスクールの部活動の一つ、航空戦力や物流支援を担う『AIRFLY部』が誇る専用機――機体番号「ALS1-2」
現実世界であれば「オスプレイ」と称される、固定翼機のような長距離高速巡航能力と、ヘリコプターのような垂直離着陸・ホバリング性能を併せ持った特殊なハイブリッド機体である。キヴォトスにおいては大まかな分類として「ヘリコプター」の枠組みに扱われているものの、その独特な挙動と複雑な操縦システムゆえに難易度が高く、好んで日常的に運用する学園は少ない
どちらかといえばマイナーな扱いに甘んじている機体だったが、ネクストライの技術力によってエンジンや制御システムが極限までチューニングされており、その性能は本家をも凌駕する安定性を誇っていた
そんなALS1-2の広範な機内。窓際のシートに身を預けているのは、ネクストライ生徒会長の西条ハレカ、生徒会補佐の街肩カリネ、そして執務補佐の立火ジュカの3名であった
「……ふう。こうして空からキヴォトスの海を眺めると、昨日までのバタバタが嘘のように平和に見えますね」
ハレカが上品に微笑みながら、防音性の高い窓の外に広がる水平線を眺めて呟く。隣に座るカリネは、タブレット端末を軽くスワイプしながら冷静にうなずいた
「そうですね。地上での政治的交渉や書類の山に比べれば、雲の上はいくぶんか静かで快適です。もっとも、これから向かう先が『超豪華客船』である以上、別の意味で気は抜けませんけれど」
「先輩方、そろそろ目的地が見えてきますよ」
前方、機体のコックピットと客室を隔てるハッチの小窓から、真面目な顔つきをした1年生の立火ジュカが声をかけた。ジュカの言葉に促されてハレカたちが前方の窓を覗き込むと、紺碧の大海原のただ中に、まるで一つの巨大な人工島のようにそびえ立つ、圧倒的なスケールの影が飛び込んできた
――あれが、オデュッセイア海洋高等学校が管理・運営する超大型クルーズ船、『ゴールデンフリース号』
前方で機体を操縦しているのは、AIRFLY部の誇る腕利きパイロットたち――茅場リカと冬風ユウキの二人だった。コックピットの無線機から、リカの落ち着いたアナウンスと、ゴールデンフリース号側の管制塔との交信音声がクリアに響いてくる
『こちらネクストライ所属、ALS1-2。これよりゴールデンフリース号の指定ヘリポートへ着陸を許可されたし。どうぞ』
『――こちらゴールデンフリース号管制。ALS1-2の着陸を許可する。お気をつけてお越しください』
リカが手際よくレバーとスロットルを操作し、特徴的なローターの角度をスムーズに可変させる。機体は微動だにしない完璧な安定性を保ったまま、巨大な船体の最上部にあるヘリポートへと、ふわりと柔らかく着地を果たした
ガチャン、と重厚なロックが外れ、タラップが自動で展開される。機外に出た三人を迎えたのは、潮風を含んだ爽やかな海風と、船内から漂う優雅な音楽の調べだった
ヘリポートの脇では、オデュッセイア海洋高等学校の制服をきっちりと着込んだ案内係の生徒が、背筋を伸ばして待機していた。彼女はネクストライの一行を見つけると、礼儀正しく一礼し、そのまま船内的の奥へと案内を始めた
鉄製の重いハッチを抜け、船内に足を踏み入れた瞬間、カリネとジュカは思わず息を呑んだ。
そこは「船の一室」という常識を完全に置き去りにした、まるで最高級の高級ホテルそのものの空間が広がっていたからだ
「失礼します。こちらが、今回ご用意させていただきました『Aクラス宿泊ルーム』になります」
案内された部屋の扉が開いた瞬間、ジュカが小さく「おぉ……」と声を漏らし、カリネも珍しく目を丸くした
そこはクルーズ船の客室という枠を遥かに超えた広大さを誇り、部屋の中央にはふかふかのクイーンサイズベッドが鎮座している。海外から取り寄せたようなアンティーク調のソファセット、贅沢な素材を使ったインテリア、そして壁の一面をしめる巨大なパノラマウィンドウからは、煌めく大海原がどこまでも一望できた。極めつきには、プライベートな潮風を楽しめる広々とした専用テラスまで完備されている
「……すごいですね。船室というより、まるで中世の貴族の私室のようです」
ジュカが感嘆の声を漏らすと、オデュッセイアの案内係の生徒は誇らしげに微笑み、いくつかの重要な説明を始めた
「ありがとうございます。当船『ゴールデンフリース号』は、通常の豪華客船と同様に客室の等級が存在しますが……当船の最大の特徴は、乗船してからの『ランクアップシステム』にあります」
「ランクアップシステム、ですか?」とハレカが上品に眉を上げる
「はい。通常、より上位のクラスへランクアップしようとすれば、莫大な追加料金が必要となりますが……当船には、船内専用の娯楽施設である『プレイラウンジ』――いわゆるカジノエリアが設置されております。そこで得た財貨や、ゲームの勝利によって得られる特別な『引換券』を提示することで、乗船中であっても宿泊等級を自由に変動させることができるのです」
つまり、どれほど身分の低いクラスから乗船した者であっても、プレイスロットやカジノで一獲千金をつかみ取れば、一瞬にして最高峰のクラスや、それに匹敵する待遇を手に入れることが可能というわけだ。ちなみに、当船における最上位のクラスは「Sクラス」であり、今回ハレカ達に用意された「Aクラス」はその一つ下に位置する、極めて贅沢な上位客室であった
「なるほど……面白いシステムですね。ですが、私たちに割り当てられたこの部屋は、初めからSクラスのすぐ下である『Aクラス』のスタートとなっているのですよね?」
ハレカが確認すると、案内係は深くうなずいた
「はい。ネクストライのAIRFLY部様による海上物流の多大なご貢献に対する、学園からの特別な敬意です。Sクラスに手が届く位置でありながら、十分にすぎる極上の環境でおくつろぎください」
一通りの説明を終えると、案内係の生徒は一礼して部屋を辞去していった
広大で静かな部屋に取り残された三人は、それぞれの時間を過ごすことにした
ハレカは、ここまでオスプレイの移動や日頃の公務で溜まっていた疲労を癒すため、大きなソファに腰掛け、淹れたての紅茶をゆっくりと味わいながら休息をとることにする
一方、カリネとジュカの2人は、原作でも滅多に来ることのできない超巨大客船の構造や、船内で催されているイベントに強い興味を惹かれていた
「ハレカ先輩、僕たちは少し、船内の見学と状況把握を兼ねて外を見て回ってきますね」
「ええ、気をつけていってらっしゃい。くれぐれもトラブルに巻き込まれないようにね」
ハレカの許可を得て、カリネとジュカの2人はAクラスエリアを出て、賑やかな船内の中央廊下へと足を踏み出したのだった
その頃、Aクラスルームで休んでいたハレカのもとに、再びノックの音が響いた
「はい、どちら様でしょうか」
扉を開けると、先ほどとは別の、少し慌てた様子をしたオデュッセイアの生徒が立っていた。彼女は手元にバインダーを抱え、緊張した面持ちで頭を下げる
「あ、あの! 突然の訪問で申し訳ありません! ……実はですね、当船では最近、身分を偽って不正にAクラスルームに侵入しようとする不届き者が相次いでおりまして……。念のための厳重な身元確認と、乗客名簿への直筆サインをお願いしているんです!」
「なるほど、セキュリティの一環ですね。構いませんよ」
ハレカは特に疑うこともなく、微笑みながらバインダーを受け取り、自らの名前を丁寧に書き記した
「ご協力ありがとうございます! ……ちなみに、お客様のほかに、ご同行されているお連れ様はいらっしゃいますか?」
オデュッセイアの生徒がペンを準備しながら尋ねる
「ええ、私を含めて3名よ。あとの2人は今、船内の見学に出ていて部屋にはいませんけれど」
「3名様ですね……。かしこまりました。それでは、名簿の控えをお渡ししておきますね。お邪魔しました!」
生徒は慌ただしく礼を言うと、そのまま足早に別の部屋へと去っていっていった。ハレカは首をかしげつつも、再び静かな部屋へと戻り、優雅なティータイムの続きを楽しむのだった
その頃、華やかな装飾が施された船内の中央デッキ付近を歩いていたカリネとジュカは、あまりのスケールの大きさに目を奪われていた。高級感漂うブティック、あちこちから聞こえてくる笑い声、そして潮風に乗って流れる優雅な音楽
「すごい人ですね……。本当に、一つの街がそのまま海に浮いているみたいです」
ジュカが周囲を見回しながら、感心したように呟く
「ああ。だが、それだけに不審者やトラブルの温床になりやすい場所でもある。油断は禁物だね、ジュカ」
カリネが二丁拳銃の収納されているホルスターの位置を無意識に確かめながら、冷静に周囲を分析する
その時だった
――ザッ!! と、何者かが尋常ではないスピードで、周囲の乗客を掻き分けながら二人をかすめるように猛烈な勢いで駆け抜けていった
「きゃっ!?」
「っ……!?」
一瞬の出来事だったが、そのピンク色の長い髪と、見慣れたミレニアムサイエンススクールの特徴的な制服のシルエットが、カリネとジュカの視界に鮮烈に焼き付いていた
カリネとジュカは、反射的に足を止め、顔を見合わせた
今の――見間違いようがない
「……今のは」
「間違いありません……ミレニアムの問題児……セミナー所属の、黒崎コユキです……!」
なぜ、ミレニアムで大金を抱えて逃亡しているはずのコユキが、こんなオデュッセイアの豪華客船にいるのか。二人がそのあまりの偶然と不穏な予感に息を呑んだ、そのコンマ数秒後――
「――いたぞ!! 追いつけ、見失うなーーーッ!!!」
「そこをどけぇ! あのピンク髪の不審者を逃すな!!」
血相を変えたオデュッセイア海洋高等学校の警備スタッフや自警団の生徒たちが、大声で怒号を上げながら、先ほどの少女が走り去った通路をものすごい勢いで追いかけてきた。彼らは「ピンク髪の逃亡者」「不審者」と叫んでおり、その名前までは把握していないようだった
「なっ……!?」
突如として展開された追撃劇に、カリネとジュカが身構える間もなく、先頭を走っていた屈強な体格の警備生徒が、立ちすくんでいた二人を視認するやいなや、盛大な勘違いをやらかした
「おい、お前ら! さっきのピンク髪の不審者と一緒にいた仲間だな!! 共犯者め、観念しろ!」
「えっ、ちょっ、待ってください。私たちは――」
「問答無用! 連行する!!」
弁解の暇すら与えず、警備生徒たちは一斉に飛びかかり、訓練された手際でカリネとジュカの両腕をガッチリと掴み上げ、強引に拘束してしまったのだ
「待て! 僕たちはネクストライの――」
「身柄確保よし! おい、そこの二人、不審者として取り調べ室に連行するぞ!」
周囲の乗客たちが「きゃあ何事!?」「またトラブル?」とざわめく中、カリネとジュカはそのまま有無を言わさず、船内の薄暗い一室へと引きずり込まれていった
船内の尋問室
硬いパイプ椅子に座らされたカリネとジュカの前に、腕を組んだ険しい表情の警備主任が立ちはだかっていた
「……で、お前たちは本当にあのピンク髪の不審者――逃亡者の仲間ではないのだな?」
何度も同じ質問を繰り返す警備主任に対し、カリネは冷ややかな、しかし呆れを含んだトーンでため息をついた
「だから、何度も言っているだろう。僕たちはミレニアムの人間じゃない。隣の『ネクストライスクール』の生徒会役員だ。たまたま通路を歩いていたところを君たちが勝手に誤認して連行してきたんだ。早くその拘束を解きなさい」
ジュカも真面目な顔で頷き、身分を証明しようと制服のポケットを探った
「私たちの身分証データは通信端末に入っています。それを確認していただければ……って、あれ?」
ジュカの顔色がサーっと青ざめる
「どうしたジュカ?」
「……し、1年生の連絡用端末のデータが、先ほどの小競り合いの拍子に床に落ちて故障したのか……電源が入りません……!」
「なに……?」カリネが眉をひそめる
「ふふん、そんな言い訳が通用すると思うのか! 身分証もなく、あんな危険な逃亡者と直前まで同じ場所にいたんだ。お前たちが怪しいことに変わりはない!」
警備主任が鼻を鳴らす
「待ってください! 私たちにはちゃんとした『Aクラス』の宿泊チケットと、正規の乗客としての証明があるんです! 部屋に戻れば……!」
ジュカが必死に訴えるが、警備主任は冷たく一蹴した
「Aクラスだと? 笑わせるな。あんな上位の一等客室の乗客が、こんなところで警備に捕まるようなドジを踏むか! ましてや、さっき本部に確認したが、Aクラスの部屋にいるはずの西条ハレカという人物の名簿には、同行者はまだシステム上で正式な個人データまで同期登録されていない。『3名』と口頭では言われていたらしいが、お前たちのように勝手にうろついてトラブルを起こしている連中がその同行者だという証拠はない!」
(――あ……っ!)
その瞬間、カリネとジュカはハッと気づいた
先ほど、ハレカの部屋に身元確認のオデュッセイアの生徒が訪れた際、ハレカは口頭で「連れが二人いる」と答えただけで、まだオデュッセイア側のシステムや名簿にカリネとジュカの具体的な個人IDデータが完全に同期・登録されていなかったのだ。そのため、警備側から見れば「Aクラスルームにいるはずの、まだ名前が登録されていない不審な生徒たち」という最悪の構図になってしまっていた
「……ハレカ先輩のところにいけば、すべて証明できる。僕たちのチケットは先輩が管理しているんだ」
カリネが冷静にそう言おうとしたが、怒りで頭に血が上っている警備主任はその言葉をまったく聞き入れようとしない
「言い訳はそれまでだ!! 規則は規則だ! 身分を証明できず、逃亡者との関連を疑われる者たちを、そのままAクラスの客人として野放しにするわけにはいかん!」
警備主任は冷酷な宣告を下した
「よって、お前たちの『Aクラス乗客としての権利』は一時剥奪する! 今この瞬間から、お前たちの扱いは一気にランクダウンだ。最上位のAクラスから、下位の『Cクラス』の客室へと変更とする!! 一般区画へ連れていけ!」
「なっ……!? ちょっと待て、僕たちは被害者――!!」
「そんな、理不尽な……っ!」
もちろん、ゴールデンフリース号はあくまで一流のクルーズ船であり、Cクラスとはいえ「正規の乗客」であることに変わりはないため、強制労働や過酷な扱いに処されるわけではない。しかし、用意されていた極上のAクラスルームから、一気にランクの低いCクラスの区画へと放り出されてしまうのは、生徒会役員としてのプライドにかけても絶対に避けたい事態だった
抵抗する暇もなく、カリネとジュカの2人は屈強な警備員たちに両脇を抱えられ、華やかなAクラスエリアから、一気に喧騒と一般客の賑わいが漂うCクラスエリアへと強制移動させられてしまったのだった
豪華客船での優雅なバカンスを夢見て乗船したネクストライの二人は、こうして最悪のスタートを切ることになってしまった――