豪華客船「ゴールデンフリース号」を巡る狂騒劇は、予期せぬかたちで更なる混沌の渦へと叩き落とされていた
「ひぃぃぃっ!? な、なんでこんな目に遭うんですかぁぁぁーーっ!?」
ゼェゼェと荒い息を吐きながら、豪華なカーペットが敷き詰められた客船のメイン通路を必死の形相で疾走していたのは、ミレニアムサイエンススクール「セミナー」の元書記であり、今回のすべての元凶である黒崎コユキだった
コユキにとって、この船に乗った当初はまさに「夢のような時間」だったのだ。セミナーの金庫から持ち出した膨大な活動資金と極秘データを手に、豪華客船の贅沢な施設を満喫し、追っ手であるC&Cの目を盗んでは優雅に高笑いを決めるはずだった
しかし、その天国のようなバカンスは、一瞬にして地獄の鬼ごっこへと変貌を遂げていた
「待てぇーーっ! 黒崎コユキ!!」「生け捕りにすれば懸賞金山分けだぞ!!」「逃がすかぁぁっ!」
コユキの背後から迫ってくるのは、オデュッセイアの警備員……だけではない。なんと、この船に乗船していた一般の富裕層客やギャンブラー、果ては船内の給仕スタッフまでもが、血走りたった目で銃や鈍器、時にはシャンパンボトルを手に群れをなして追いかけてきていたのだ
「賞金首扱いってどういうことなんですか!? 私、ミレニアムの普通の可憐な女子生徒ですよ!? なんで船全体の乗客から指名手配されてるんですかぁっ!?」
――コユキが知る由もないその「惨状」を引き起こした原因
それは、街肩カリネと立火ジュカが、不当なランクダウンを跳ね返すためにカジノで自力で稼ぎ出した「莫大な資金」に起因していた
西条ハレカが奇跡的に手に入れた【SPECIALチケット】の特権により、オデュッセイア側の不正な不祥事と降格処分はすべて白紙撤回された。そのため、カリネとジュカがルーレットとブラックジャックなどで叩き出した数千万円相当の莫大なチップと権利は、そのまま浮いてしまうことになったのである
だが、広大な船内からたった一人の逃亡者を捜し出すのは時間がかかる。そこで先生とC&C、そしてネクストライの面々が知恵を絞り、一案を打ち出したのだった
『カリネとジュカが稼いだこの莫大な資金……「コユキを生け捕りにした者に賞金として全額授与する」と船内アナウンスで告知したらどうだろう?』
その提案は特大の効果を発揮した。不当な濡れ衣を着せられて怒り心頭のハレカの承認のもと、最高峰のSランク特権を使って全館にアナウンスが響き渡った瞬間、船内にいた欲望に忠実な乗客たちが一斉に「賞金稼ぎ」と化し、コユキ捜索へと動き出したのである
「……うわぁ。あそこまで行くと、流石にちょっと同情しちゃうね……」
一般デッキの上層バルコニーから、群衆に追われて悲鳴を上げながら逃げ惑うコユキの姿を遠目に見下ろし、角楯カリンがポツリと呟いた
隣でアサルトライフルに新しいマガジンを装填していた美甘ネルも、呆れたように鼻を鳴らす
「ふん、自業自得だろ。ミレニアムの金を持ち逃げした上に、他の学校の重要データまで盗み出して大騒ぎを起こしたんだ。これくらい目に遭わなきゃ薬になんねえよ」
「ですね……でも、私たちが稼いだお金がこんな形で使われるとは思いませんでした」
ジュカが愛用のグレネードランチャー「NOTバック」を肩に担ぎ直しつつ、引きつった苦笑いを浮かべる
カリネも不敵な笑みを浮かべ、二丁拳銃の「タッチ&ラン」を回しながら頷いた。
「まあ、僕たちが苦労して稼いだチップが、最も効率的な追跡網として機能しているんだから文句はないさね。……これで逃げ場は完全に失われた」
「それにしても……ハレカ会長はどこへ行ったんだ?」
先生が周囲を見回しながら尋ねると、カリネは遠くのアッパーデッキを指差した
「ハレカ先輩なら、『追跡は皆さんに任せます。私はネクストライの生徒会長として、優雅に“最後の詰み”を待つとしましょう』と言って、お茶を飲みに行かれましたよ」
「……流石というか、なんというか」
先生は思わず苦笑いを浮かべた
そう、すべての大混乱の渦中にありながら、当の西条ハレカは、船上の最上階デッキに設けられた開放感あふれるオープンカフェのテラス席にいた
海風に揺れる金髪を優雅に手で押さえながら、最高級のダージリンティーが入った磁器のカップを口元へと運ぶ。その立ち姿と佇まいは、先ほどまで銃撃戦の渦中にいたとは到底思えないほど気品に満ちあふれていた
ハレカは知っていたのだ。追い詰められたネズミが、最終的にどこへ向かうのかを
それから数十分後――
「ハぁ……ハぁ……! ぜ、全員撒いてやったぞ……! カンペキ! 私の完璧な頭脳とデコイ作戦の勝利です!!」
船内の非常階段を駆け上がり、最上階のヘリポート・格納用甲板へと飛び出してきたコユキは、手すりにしがみつきながら荒い息を吐いていた
コユキは逃走の途中で、船内ディスプレイの映像をジャッキングし、自身のホログラムデコイを複数方向へ走らせるという裏技を駆使して、群がる賞金稼ぎたちの目を力ずくで逸らしてきたのだ
「ふふふ…… こんな船、さっさと脱出して高飛びしてやります!」
コユキが狙いを定めて駆け寄ったのは、甲板の端に鎮座していた一機の大型航空機――ネクストライスクールがハレカたちの移動用として渡航に使用していたティルトローター機「オスプレイ(ALS1-2)」だった
「これです!これさえ奪ってしまえば、海の上から一気にキヴォトス本土へドロンできます!」
コユキはパッと顔を輝かせると、アクセスポートに自身の携帯端末を接続した
もちろん、ネクストライの重要搭乗機には超高度な電子暗号錠が施されている。普通であれば解読に何時間もかかる代物だが、そこは常軌を逸した演算能力を持つコユキ
「ふふん! この程度の暗号、私の計算力にかかれば赤子の手をひねるようなものです! はーい、ロック解除~♪」
ピピッ、ポーン! という軽やかな電子音が響き、オスプレイの後部ハッチのロックが機械音とともに解除された
「よっしゃー! バカンス大成功――」
コユキが嬉々としてハッチの取っ手を引き、勢いよくドアを開け放った――その瞬間
「…………え?」
コユキの表情が、凍りついた
開いたハッチの奥――薄暗いオスプレイのキャビン内に広範囲に広がっていたのは、信じられない光景だった
正面の特等席には、折りたたみ式のテーブルを置き、優雅に紅茶のカップを傾けているネクストライ生徒会長・西条ハレカ
その左右を固めるのは、腕を組んで冷たい視線を送る美甘ネル、角楯カリン、一之瀬アスナ、室笠アカネらC&Cの面々
さらに、二丁拳銃を構えた街肩カリネと、NOTバックを抱えた立火ジュカ
そして何より――一番奥で頭を抱えながら「やれやれ」と溜息をついている「先生」の姿があった
「……あ」
コユキの口から、掠れた声が漏れる
「やあ、コユキ。……探したよ」
先生がゆっくりと立ち上がり、苦笑いを浮かべながら声をかける
「ひ、ひえぇぇぇーーーっ!? ななな、なんで皆さんがここに乗ってるんですかぁぁぁっ!?」
脱兎のごとく踵を返し、再び甲板の通路へ逃げ出そうとするコユキ。しかし――
「逃がすわけねえだろ、この地ビがぁっ!」
ガシッ! と、背後から飛び出してきた美甘ネルと一之瀬アスナによって、両脇をがっちりと抱え込まれ、退路を完全に遮断された
「放してくださいー! 暴力反対! 人権侵害ですー!」
暴れるコユキだったが、反対側の通路の先には、カリネとジュカがすっと立ちふさがり、完璧な包囲陣を完成させていた
ハレカは手に持ったティーカップを静かにトレイへ置くと、氷のように冷ややかな、しかし極上の笑みを浮かべてコユキを見下ろした
「お初にお目にかかります、黒崎コユキさん。……ネクストライスクール生徒会長の西条ハレカと申します」
「ひっ……! な、なんですかそのゾッとする笑顔は……! 私はただ、ちょっとしたバカンスを楽しんでいただけで――」
「ちょっとしたバカンス、ですか?」
ハレカはスッと目を細め、威厳に満ちた静かな声で問い詰めた
「ミレニアムの活動資金を膨大に持ち逃げし、この豪華客船の警備システムを混乱させ、挙句の果てに我が学園の部下たちを不当な濡れ衣に巻き込んでくれたことは……まあ、百歩譲って『事故』として処理してあげても大丈夫――」
「え、本当ですか!? さすが他校の生徒会長さん、太っ腹――」
「――ですが」
ハレカの声のトーンが、一オクターブ低くなった。周囲の空気が、まるで冬の吹雪のように凍りつく
「セミナーの金庫からあなたが持ち出したデータファイルの中に……我がネクストライのアーティファクト研究部とミレニアムの新素材究部が、裏で極秘裏に共同開発を進めていた『新規格特殊弾薬』の初期設計データが含まれていたのは……一体どういう風に弁明されるつもりで?」
その言葉が出た瞬間、後ろに控えていたC&Cのネルやカリン、そして先生が「えっ……!?」と驚愕の表情を浮かべた
「おいおい……! なんでハレカ会長にバレてるんだ!?」
ネルが眉をひそめて叫ぶ
コユキは顔を青くして、必死に手を振った
「し、しし、知りません! 私はただ、金庫にあったUSBを適当にかき集めて持ってきただけで、そんな共同開発のデータなんて見てないですし、入ってないですよぉ! 濡れ衣です!」
「嘘をおつきになっては困りますね」
ハレカはポケットから自身のスマートフォンを取り出し、画面をコユキに突き付けた。そこには、ゴールデンフリース号の船内図面の上に、小さな赤く点滅する光が表示されていた。その光の座標は、まさに今コユキが抱え込んでいるバッグの位置と完全に一致していた
「なっ……何ですかこれ!?」
「ネクストライの最新技術の一つに、『パルスデータトラッキング』というシステムがあります」
ハレカは淡々と説明を始めた
「我が学園が関与する機密データには、外部流出や盗難に備えて、記憶媒体そのものに微弱な相転移追跡信号を刻み込む技術が採用されています。たとえオフラインのUSBであろうと、この信号は発信され続ける。……ミレニアムとの共同開発の際にも、当然このセキュリティは組み込まれていました」
「あ……」
「そして、運が良いのか悪いのか……あなたが逃げ込んだこの『ゴールデンフリース号』には、私やカリネ君たちが乗船していた。電波の届きにくい海上であっても、同じ船内に本機の追跡端末が存在していれば、位置情報はコンマ一秒の誤差もなく筒抜けになるのですよ」
ハレカはスマホをポケットに収めると、うっとりするほど美しい、しかし絶望的な笑みを浮かべて一歩近づいた
「言い逃れは不可能です、黒崎コユキさん。我が学園の技術と名誉を脅かし、私のバカンスと部下たちの平穏を台無しにした罪……しっかりと償っていただきます」
「ひぃぃぃぃーーーっ!! ごめんなさぁぁぁいっ!!」
コユキはどうにか逃げ出そうとジタバタと暴れたが、ネルの鉄腕とアスナの抱擁からは逃れられない
「へっ……ハレカ会長の怒りもごもっともだ。おいコユキ、ミレニアムに帰ったらタチカ副会長とユウカから地獄のお説教が待ってるが……その前に、あたしたちC&Cとネクストライからの『特別指導』を受けてもらうぜ!」
ネルがポキポキと拳を鳴らす
「ま、待ってください! 暴力はダメです! 相談しましょう! ね、先生ぇぇぇー助けてぇぇぇー!!」
コユキが涙目で先生に助けを求めるが、先生は静かに目を逸らし、十字を切った
「……コユキ。今回ばかりは、自業自得だよ」
「そんなぁぁぁーーーっ!?」
数十分後――
夕闇が迫るゴールデンフリース号の最上階デッキには、完全に泣き崩れ、頭に大きなタンコブを作り、正座させられてヒックヒックと鼻を鳴らすコユキの姿があった
その横には、カリネとネルによるお仕置きによって完全に没収されたUSBメモリと莫大な活動資金のケースが綺麗に並べられている
「……ふう。これで、全てのトラブルは解決しましたね」
ハレカはすっきりと清々しい表情で、再びダージリンティーを一口すすった。
その隣で、カリネとジュカも満足げに頷く
「ハレカ先輩、お見事でした。データの回収も完璧です」
「これで、一件落着ですね!」
「ああ、本当に助かったよ、みんな」
先生も胸を撫でおろし、疲れ切った様子で笑った
「これでミレニアムの件も、ネクストライの件も一件落着だ。……まあ、タチカ副会長への報告が一番胃が痛そうだけどね」
「ふふっ、タチカさんへはC&Cの皆様が報告なされたあとに連絡を入れておきます」
ハレカは悪戯っぽく微笑んだ
青い海と夕陽が織りなす絶景の中、大騒動を巻き起こした豪華客船「ゴールデンフリース号」は、ようやく穏やかな本来の静けさを取り戻していた
学園の垣根を越えた少女たちのドタバタなバカンスと決戦は、幕引きを迎えたのだった――