子ウサギ公園での立てこもり事件が解決を迎え、RABBIT小隊の身柄がヴァルキューレから先生の手によって一時的に解放されたその数日後。キヴォトス全域の裏社会や各学園の間では、シャーレの動きやSRTの動向を巡って新たな波紋が広がりつつあった
原作の筋書き通りであれば、これからカルバノグの兎としての本格的な事件や、連邦生徒会内部の権力闘争が激化していく時期である。しかし、DUシラトリ地区に独自の拠点と一大勢力を築き上げた独立学園「ネクストライスクール」の内部は、そうした原作の嵐から絶妙に距離を置き、それぞれの日常と組織運営を着実に回し続けていた
ネクストライの心臓部であるDU管理ビルの高層執務室
その一角で、現場総責任者である赤坂レイカは、佐藤アリカと共に山のように積み上げられた書類の山と格闘していた
「なぁレイカ、これマジでいつになったら終わるんよ……! オデッセイア海運から譲渡されたあの船の登録書類、どんだけ枚数あんねん!」
アリカは金髪のツインテールを鬱陶しそうに揺らしながら、手元の分厚いバインダーを机にバサリと投げ出した。その表情には、普段の快活な彼女からは想像もつかないほどの疲労の色が浮かんでいる
レイカは愛銃『ゼロモーメントポイント』のメンテナンスオイルをしみこませた布を置き、やれやれといった面持ちでため息をついた
「文句を言うな、アリカ。オデッセイアから譲渡されたあの巨艦をネクストライの管理下で正式に運用するためには、法務担当の佐藤ナイトや行政担当の加藤レンスからも言われた通り、最低限クリアしなきゃいけない法的・政治的手続きが山ほどあるんだよ。これを怠ったら、後々連邦生徒会から面倒な言いがかりをつけられかねないからな」
「うっ……そうやけどさぁ。ウチ、机にじっと座って文字読むのとか一番向いてへんねん!」
アリカが机に突っ伏してジタバタと抗議するのを横目に、レイカは苦笑しながら再び書類へと目を落とした
だが、二人を襲う事務仕事の喧騒から少し離れた場所――DU管理ビルの地下に設けられた広大な屋内訓練室では、全く異なる意味で熱を帯びた空気が充満していた
そこでは、先日の事件をきっかけにネクストライ防衛部所属の「DU管理ビル専属派遣警備隊」として正式に契約を結んだ、元SRT特殊学園の『RAVEN小隊』と、ネクストライ防衛部の面々による合同模擬訓練が行われていた
「――左方、死角なし。制圧完了」
冷徹かつ洗練されたトーンで声を上げたのは、RAVEN小隊の隊長であり、元SRT副生徒会長である夜月サトネだった
彼女が手にするRAVEN-19式ハンドガンは、消音器を装着したままでも的確に標的の中央を穿ち、周囲を固めるルキやミセ、リネ、ハルといった隊員たちも、一糸乱れぬCQBの陣形を維持して次々と敵に見立てたダミーを無力化していく
純粋な戦闘技術、暗所潜入、そして戦術運動の練度だけで言えば、やはり百戦錬磨の元SRTであるRAVEN小隊が全体を圧倒的にリードしていた
しかし、戦闘が長引くにつれて、ネクストライ側の「物量と技術」を背景にした異質な戦術が、その優位性を少しずつ切り崩していく
「そこだぁっ!」
豪快な気合とともに、ネクストライ防衛部およびアーティファクト研究部の実戦テスターである志賀カエデが飛び出した
彼女の左手には、実体弾のエネルギーを相転移技術によって完全に拡散・無効化する重厚な『PSシールド』が構えられ、そして右手には、最新の自衛隊制式採用銃をベースに専用の銃剣を装着した近代改修型アサルトライフル――愛用の『タイプ20NT』が鋭い銃口を向けられていた
以前のカエデはパルスライフル改を使っていたが、今は新しく手に入れた銃を使っているようだった
RAVEN小隊の突撃担当である暁星ルキが鋭い踏み込みで間合いを詰めるが、カエデは微動だにせず、『PSシールド』で飛来する銃弾を完全に弾き返す。さらに、接近戦の構えから繰り出された『タイプ20NT』の銃剣による絶妙な威嚇と突き込みが、ルキの動きをわずかに制約した。たった一人で、ルキと夕凪リネの二人の猛攻をシールドと銃剣の巧みな連携で受け止め、逆に押し返していく
訓練室の隅で見学していたサトネは、その光景をアメジスト色の瞳で見つめながら、感心したように小さく呟いた
「……見事ですね。あのカエデさんという生徒……もしSRTがまだ健在だった頃なら、私が直接出向いてでも特別スカウトしていたことでしょうね」
戦闘の合間、息を整えながらカエデは汗を拭い、サトネに向けて淡々と笑ってみせた
「これでも日々、ヒバナの研究室で作られる試作品のデータ取りで死線をくぐり抜けてますからね。これくらい当然です」
高い実戦能力を持つ者同士が互いの実力を認め合い、緊密な信頼関係を築きつつあるその訓練の最中――
突如として、DUシラトリ地区の管理ビルのメインルームに、重々しい電子の着信音が鳴り響いた
その音色を聞いた瞬間、執務室で書類仕事に追われていたレイカの眉間がピクリと動く
アリカも手を止め、不審なものを見る目で通信端末の方を振り返った
「……このタイミングでの直通回線か。一般の業者や同盟学園からのものじゃないな」
レイカは椅子から立ち上がり、足早にメインの通信コンソールへと歩み寄ると、受話ボタンを押して回線を開いた
瞬時に空気が切り替わり、レイカの目の前の空間に、青白い光を放つホログラムの投影が立ち上がる
そこに映し出された人物の姿を見た瞬間、レイカの瞳がわずかに細められた
画面の向こうにいたのは、連邦生徒会防衛室長――不知火カヤだった
彼女はどこか底の知れない薄笑いをたたえながら、悠然とした態度でレイカに語りかけてくる
「やあ、赤坂レイカさん。お仕事中にお邪魔してすみませんね。ネクストライスクールの現場総責任者として、相変わらずお忙しそうじゃないですか」
レイカは内心の警戒心を完璧なまでのポーカーフェイスで覆い隠し、努めて冷静かつ淡々としたトーンで応じた
「……これは不知火防衛室長。連邦生徒会の重役が、うちのような新興の独立学園に何の用だ? 閑職の暇つぶしってわけじゃないだろ」
カヤはレイカの棘のある物言いにも動じず、ふっと軽く笑ってみせた
「いやぁ、そんなに警戒しないでくださいよ。少し確認したいことがあってね。――そちらのDUシラトリ地区の管理ビルに、先日ヴァルキューレとの間でゴタゴタを起こした『RAVEN小隊』の連中が身を寄せているという噂を耳にしたんですが……それは本当ですか?」
レイカは一瞬、背後に控えているサトネたちの存在を脳裏に浮かべたが、ここで隠立てしてもすぐにバレる情報だと判断し、包み隠さず肯定した
「ああ、そうだ。行き場を失っていた彼女たちを、うちの防衛部所属の専属派遣警備隊として正式に契約して迎え入れた。何か問題でもあったか?」
カヤは「やっぱりそうですか」と満足げに頷くと、さらに踏み込んだ口調で本題を切り出した。
「でしたら、話が早い。そのRAVEN小隊の面々を、私の直轄下――連邦生徒会の防衛室へと合流するように手配してくれませんか? 元SRTの特等戦力を野放しにしておくわけにはいませんのでね」
その要求を聞いた瞬間、レイカのなかに冷たい確信が走った
――やはり、表向きの理由は建前だ
レイカは冷ややかに鼻を鳴らし、一歩も引かない姿勢で言い放った
「お断りだね。彼女たちは正規の契約に基づいてうちの管理ビルの警備を担当している。それに、所属を移すかどうかなんて、俺が決めることじゃなく彼女たち自身の意志で決めることだ。どうしてもというなら、あんたが直接ここに足を運んで交渉したらどうだ?」
カヤの表情からわずかに余裕の笑みが消え、瞳の奥に冷たい光が宿った
「……そうですか。ネクストライさんは、相変わらず独立独歩を貫くお気に入りのようですね」
その時、レイカの背後にそっと近づいてきたアリカが、レイカの耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえないような小さな声で囁いた
「……なぁレイカ、あの女、なんか変やで。喋れば喋るほど、RAVEN小隊そのものよりも、別のものに執着してるような……そんな不気味な雰囲気を感じるねんけど……」
アリカの鋭い野生の勘とも言うべき直感が、レイカの脳裏に警鐘を鳴らす
その瞬間、レイカの頭の中で、数日前にサトネから極秘裏に共有されていた重大な機密情報が鮮やかに蘇った
――『不知火カヤは、すでにカイザーPMCと密約を交わし、軍事ルートを確立している。そして、行き場を失ったはずのFOX小隊が、彼女の手先・実動部隊として水面下で動き始めている……』
すべてのピースがカチリと噛み合った
カヤの真の目的は、RAVEN小隊の身柄などではない。彼女が本当に喉から手が出るほど欲しいのは、ネクストライスクールが有する「未知の圧倒的軍事技術」そのものなのだ
レイカは息を呑み、そして次の瞬間、一切の迷いを捨てて冷徹な言葉をカヤに叩きつけた
――「おい、不知火。……本当は、RAVEN小隊の身柄なんてどうでもいいんだろう?」
その言葉を投げかけられた瞬間、ホログラムの向こう側にいたカヤの肩が、わずかに、しかしはっきりとビクッと跳ねた
彼女の余裕のある仮面が、ほんの一瞬だけ崩れ去る
「っ……! な、何を言っているんですか、赤坂さん。私はただ、連邦生徒会の治安維持の観点から――」
「ぼかさなくていい」
レイカはカヤの弁解を遮り、さらに畳み掛けるように鋭く追撃した
「あんたの本当の狙いは、うちが保有している防衛技術だろ。連邦生徒会ですら全貌を把握しきれていない、我がアーティファクト研究部の『パルスライフル』や『PSシールド』の仕組み……それが欲しくてたまらないんじゃないのか?」
図星を突かれたカヤは、もはや先ほどまでの余裕ある笑みを維持できなくなっていた。彼女の額から、うっすらと冷や汗がにじみ出ているのがホログラム越しにもハッキリとわかる
カヤは焦りを隠すように顔を引きつらせ、挙動不審に視線を泳がせた
「なっ……! そんな、勝手な憶測を……!」
「さらに言えば、あんたが表向きの生徒会の立場を隠れ蓑にして、あの『カイザー・コーポレーション』の連中と裏でガッツリ手を組んでいるって噂も、こっちには耳に入ってきているんでね」
トアやサトネ、そしてレイカ自身が掴んだ情報を背景に叩きつけられたその言葉に、カヤは言葉を失い、完全に絶句した
これ以上この回線を繋ぎ続ければ、自分の隠し通すべき野望のすべてが丸裸にされてしまうと悟ったのか、カヤの顔色が一気に青ざめる
「……っ! 今日は、無駄口を叩きすぎましたね。……失礼させてもらいます!」
ガチャリ、と乱暴に通信を切る音が響き、目の前のホログラムは一瞬で消え去った
静まり返った執務室の中に、レイカの荒くない、しかし緊張感を孕んだ呼吸音だけが残される
通信が完全に途絶えたのを確認すると、アリカは腕を組み、やれやれといった表情でため息をついた
「まったく、面倒くさい女が嗅ぎ回ってきたもんやな……。レイカ、あいつ、このまま放っといて大丈夫なんか?」
レイカは冷ややかに通信端末を見据えたまま、首を横に振った
「あんな奴にこれ以上こちらの情報を落とす気はない。向こうから仕掛けてくるまでは、基本的には『無視』でいいさ。下手に刺激して表向きの抗争に持ち込まれても面倒だしな」
レイカはそこで一旦言葉を切り、鋭い眼光をアリカ、そして奥で控えているサトネたちのほうへと向けた
「だが、警戒を緩めるわけにはいかない。アリカ、裏でミナサ達に頼んでおいてくれ。『カイザー・コーポレーション』の各関連企業における資金の流れ、そして不知火カヤの個人的な裏口座や不審な動きを徹底的に洗い出させろ。あいつが次にどんな手札を切ってくるのか、先手を取るための材料はいくらあっても困らないからな」
「了解や! さっそく裏のネットワークにハッパかけて調べさせるわ!」
アリカが頼もしく親指を立てて笑い、執務室を軽快な足取りで飛び出していく
遠ざかる足音を聞きながら、レイカは窓の外に広がるDUシラトリ地区の空を静かに仰ぎ見た