if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
本作は原作最新刊(三年生編第四巻)までのネタバレを含みます。
あらかじめご了承ください。
第一話
人生の分水嶺はある日突然現れる。
備える間もなく眼前にそれを突きつけては、どうしようもないほど生活を一変させてしまう。そんな理不尽極まりない岐路に立たされたとき、人はどう向き合えばいいのだろうか。
何せ模範解答なんてない。あの白一色の部屋を飛び出して随分と経つが、未だ部分点をお情けでくれそうな答えしか持ち合わせていないのだ。
それに、どっちを選ぼうが手に入らないものは生まれる。
例えばあのとき、もう一つの道を選んでいたら。
あったかも知れない未来。
選ぶことができた未来。
振りほどいた手。彼女の悲しむ顔。
その選択をした
◇
二年生の三月、
やたらとテンションの高い様子にどこか引っかかりを覚えるが、来てしまったものは仕方がない。
スマホを片手に探してみるも、石崎の姿はおろか人っ子一人見当たらなかった。開店前のケヤキモールに来る者など普通いないからだ。彼がこの場所を指定したことから、内密の話であることはある程度予想がついていた。
指定の時間を五分過ぎても姿は見えない。一度連絡を取るか、いや大人しく待っているべきか、そう思案していると――。
「綾小路くん」
石崎と同じクラスの
「おはよう、ひより」
「おはようございます。偶然、ですね」
ひよりは偶然と言うがどうにも信じ難い。
所在なさげに組まれた指が、それを雄弁に物語っている。
「私も先ほど石崎くんから連絡を頂きまして……。彼からは何も教えられていないんです。もしかして、綾小路くんも同じだったりしますか?」
「ああ、この時間にケヤキモールで集合ということしか伝えられていない」
ひよりも概ねはオレと同じらしい。違うのは、この集まりの目的にある程度察しがついていることか。
聡い彼女のことだ、石崎から『は』何も言われていなくとも気づいているのだろう。
恐らくはクラスに関すること、具体的には直前に迫った特別試験についてと予想を立てる。
「なあ、もしかして――」
「おっ、おまえら、早いな〜」
ひよりと話していると、石崎が呑気な声を出しながら近づいてきた。
「そういう石崎は少し遅かったな。龍園の影響か?」
「龍園さんは計算づくでやってるんだ。ほら、どっかの国のお偉いさんもやってただろ? 自分の優位を示すためだとかって」
なぜか得意気になる石崎。
入学当初は龍園に反発していた、なんて噂がウソのような忠犬ぶりを見せる。
「俺は単にシャツ一枚じゃ寒かったから一度戻っただけだよ―― って、いいじゃんかそういう細かいのはよ。俺たちの仲だろ?」
そう言ってがさつに肩を組んでくる。これで悪い気にはならないのだから不思議なものだ。
「おはようございます、石崎くん」
オレたちの会話を見守っていたひよりは丁寧に挨拶をする。
「おう、おはよう椎名」
「それで、オレたちを呼び出した理由は?」
話を促すと石崎は待ってました、とばかりにニヤつく。そして大仰に拳を掲げてからビシッと人差し指を突きつけてきた。
「今こそ仲間になろうぜ‼」
早朝のケヤキモールに響き渡る大声。
あまりの大声に木に留まっていた鳥が一羽飛び去っていった。
「あー、すまん予想外の内容だったから少し混乱している。ちゃんと説明してくれないか」
「そこはこう、伝わるだろ! 前にも言ったクラス移籍だよ移籍」
「なるほど、てっきり特別試験に関する事だと思っていたんだがな」
「その特別試験だってお前と龍園さんが組めば敵なしだろ。Aクラスにだって止められるはずがねぇ」
そう言って胸を張る石崎。何気ない会話ではあるが、彼の不安が見え隠れしているようにも思える。
何せ相手はあの
そして何より、この試験では龍園と坂柳による自主退学をかけた一騎打ちが行われる。龍園のワンマンチームであるCクラスにとって、彼を失うことは致命傷だ。
だからこそオレは既に手を打っていた。
坂柳には自主的に負けてもらうように。
「悪いが無理だな。第一、龍園から承諾はもらっているのか」
「そこは俺がなんとかする! 龍園さんだってお前の実力を買ってるんだ。葛城を引き抜いたように実力のあるやつなら認めてくれるだろうよ」
そう気炎を吐く石崎に、ひよりは穏便に状況を伝える。
「石崎くんのお誘いはとても素敵だと思います。ですが、特別試験を間近に控えた今、移籍を行うことは綾小路くんのクラスからの反発は相当なものになるでしょう」
ひよりはクラス移籍には同調しつつ時期の悪さを指摘する。仮に今移籍を行えば堀北クラスは大混乱に陥り、万全のパフォーマンスを発揮できなくなる。そうなれば裏切り者であるオレへの風当たりは相当なものになるはずだ。ひよりはそれを危惧しているのだろう。
それに加えて二人には言えないことだが、今回の特別試験でオレは大将を務める予定だ。堀北クラスを一度Aへと押し上げること、一之瀬の『介錯』を完遂することも含め、降りるわけにはいかない。
「時期はもちろんだが、さっきも言った龍園らCクラスへの同意、ポイントの工面といった問題は山積みだ。誘いは嬉しいが安請け合いするわけにはいかないな」
「でもよ、お前が俺たちのクラスに来てくれればAクラス卒業は決まったも同然だろ。綾小路にとっても悪い話じゃないと思うぜ」
なおも食い下がる石崎にどうしたら引き下がってくれるかを考える。
「今回の特別試験は龍園の退学がかかっているんだ、お前が不安になるのも無理はない。でもお前がすべきことはあいつを信じてやることじゃないのか。それともこの勝負は龍園じゃ勝てないと思っているのか」
「そういうわけじゃねぇ……けどよ……」
「石崎くん、綾小路くんのクラスは現在Bクラス、次に一之瀬さんのクラスに勝てばAクラスにまで上がります。彼が今の地位を捨ててまで私たちのクラスへ移るメリットを提供できるのでしょうか」
最初は威勢良く振舞っていたが、次第に尻すぼみになっていく。
ひよりも彼を宥めつつ、穏便な着地点を探っているように見える。
「確かにそうかもしれねぇよ……でも理屈とか合理性とか、そんなんじゃ片づけられねぇ思いだってあるんだよ」
「龍園さんがいて、綾小路がいて、アルベルトがいて、椎名がいて……全員で仲間になってAクラスを目指して……で、そんな学校生活を送るのが俺が何よりもやりたいことなんだ。そのためだったら俺は龍園さんにぶん殴られたって構わねぇ!」
客観的にみて相当に無理のある勧誘であることは間違いない。だが、石崎のまっすぐな心中が伝わってくるのは、決して不快ではない。
「そこまで言ってくれるのは悪い気はしない。オレも石崎やひよりたちと過ごす時間は嫌いじゃないし、居心地で言えば今のクラスより良いかもしれないからな」
「だろ? な!」
途端に目を輝かせる石崎、しかしオレにはオレの目的がある。四クラスを拮抗させた状態で三年生最後の特別試験を迎えること、堀北学の言葉通り皆の記憶に残る生徒になること、そして龍園をこの学校に残し再戦を果たすこと。
彼の提案に乗ったとして、これらとの両立は不可能だろう。そもそもオレには一之瀬クラスに移籍し、テコ入れを図る予定がある。その上龍園とオレが同じクラスになればパワーバランスは完全に崩壊し、一強状態となることは避けられない。どう考えても無理な相談だ。
しかし、ふとオレがCクラスで入学していたらという仮定が頭を過る。入学当初望んでいた、平凡な学生生活が送れたのではないか。石崎やアルベルトと駄弁り、伊吹には「勝負だ!」とちょっかいをかけられ、龍園の活躍を片目にひよりと図書館で本について語らいあって……。
……いや、くだらないことはやめろ。何の生産性もない想像など、脳のリソースの無駄遣いにすぎない。
「お前だって悪い提案じゃないと思ってるんだろ?だったらよ、こうしようぜ!」
オレの
「ウチのクラスに来てくれたら、椎名と付き合っていいからよ! これならどうだ!」
いや、どうだ! じゃないが。あまりに突拍子もない発言を投げられ、さすがに面食らってしまう。
今まで静観していたひよりも、流石の不意打ちに動揺を隠せないようだ。
「一応オレは彼女持ちなんだが」
「んだよ、そんなの移籍の時に別れちまえばいいだけだろ!?」
「支離滅裂すぎないか」
「じゃあ椎名のこと嫌いなのかよ」
「嫌いじゃない。そういうことじゃないんだが」
誤解だけはされないようしっかり答えておく。
「椎名だって綾小路のことは好きだろ?」
「えっ……!?」
「あまりひよりを困らせないでくれ石崎」
「いやいや、そんなつもりじゃねぇっての。相思相愛なら何も問題はないだろ? ハッキリさせてしまえばお互いウィンウィンっていう簡単な話じゃんよ」
無遠慮に首を突っ込んでいくが、いくらなんでも無茶苦茶だ。
「……綾小路くんを困らせてしまうでしょう」
「綾小路だってひよりのことが好きなのは間違いないだろ?」
「でも……綾小路くんは軽井沢さんと交際しているじゃないですか……」
「なら、軽井沢と別れたらどうするんだよ」
「え……?」
彼女はびくりと肩を震わせた。
「彼女がいるからアタックしないってことだろ?重要なのは椎名がどうしたいかじゃないのか」
デリカシーのない発言の連続にたじたじになるひより。そろそろ助け舟を出してやることにするか。
「なあ、そろそろ――」
「俺はこいつにクラスに来てほしいって思ってるぜ、理屈とか抜きにしてな。じゃあよ、椎名が心からやりたいことはどっちなんだよ?」
石崎は冗談ではなく、真剣な眼差しでひよりを射貫いている。
対するひよりは目を見開き、石崎を凝視していた。明らかに毛色の違う反応を示した彼女に石崎は一度だけ大きく頷く。
その刹那、唐突にひよりはオレの手をとり、そして繋いできた。
「あの、一度だけで良いので、綾小路くんを困らせてしまってもいいですか……?」
「綾小路くんと……同じクラスで過ごせたらいいなと……私は心からそれを望んでいます」
確かに何も考えず学校生活を送るのであれば、龍園クラスが一番楽しそうだ。
クラスへの理解と言ったが、元々交友関係は広いタイプではない。彼らだけでも迎え入れてくれるのであれば、それで十分だ。
しかし、そのつもりはない。断り文句なら既に用意している。龍園が承諾しないから、ポイントの工面ができないから。
石崎の勧誘は今回が初めてじゃない。これまでと同じようにすれば良いだけのこと。
「ダメ……でしょうか……」
桜色に染められた彼女の頬、僅かに背けられた藤色の瞳を覗くと自分の裡が何かでひっかき回されるような感覚を覚える。
頭の冷静な部分がブレーキをかけた。
繋いだ手からひんやりとした人肌の温度と、僅かな震えが伝わってくる。それらに意識を向ける度、冷え切った思考回路が茹だっていく。卒なくこなせたはずの自己分析にノイズが混じって仕方がない。
早朝の風がひどく冷たい。いや、オレの顔が熱を帯びているのか。
寸刻の思考を経て、オレはあえてこの湧き出る衝動に従ってみることにした。
知りたかったのだ、言語化することのできない、情緒をかき乱すこの感覚の正体を。
オレ自身の内に、まだブラックボックスが存在したという事実。その未知への探求心が抑えられない。
「……わかった。そこまで言われたら無碍にはできないからな。是非前向きに検討させてくれ」
――いや、これは致命的なミスだ。今すぐ訂正しなければならない。
誘った側であっても予想だにしなかった返事だからか、一拍遅れて二人は反応を示す。
石崎は力強くガッツポーズをし、一目も憚らず歓声を上げながら飛び上がる。ひよりは信じられないものを見たようにこちらを凝視し、やがて目尻を下げて微笑んだ。柔らかく握られていただけの右手には、ひよりらしからぬ力強さが感じられる。
「おい! マジか! 後になってからやっぱなしとか言われても聞かないからな!」
「そこまで軽薄なことをするつもりはない。ただ、いくつか条件は出させてもらう」
「なんだなんだ、どんと来いよ。ポイントだろうが交渉だろうが、お前が来てくれるなら喜んで走り回ってやるぜ」
――まだ間に合う。即座に撤回し、謝罪を残してこの場を収めなければならない。
オレは訂正しようと口を開きかけ――やめた。
二人のあまりに嬉しそうな顔が、そうさせた。
「まず一つ、特別試験が終わるまでこの話は伏せておく。あいつがそんなたまじゃないとは思うが、無駄に気をもませる要素を持ち込みたくない」
「二つ目は龍園との交渉はオレ自身がやる。こちらは受け入れてもらう側である以上、石崎に任せっぱなしというのは道理でないからな」
クラス移籍を受けるにしろ、龍園との調整は必須だ。彼が勝利しこの学校に残ることになれば、実現は難しいだろう。残念ながらご破算となる。
試験内容にもよるが坂柳との力量差を鑑みて勝率は三割といったところか。決して勝ち目のない勝負とは言えない。
「おう! とりあえずお前が動くまで秘密にしておけばいいんだろ? お安い御用だ」
そう石崎は満足げに宣う。ひよりも小さく頷いて同意を示した。
「それはそうと、お前らいつまで手を繋いでるんだよ。これで好きじゃないなんて嘘にしか聞こえないぞ」
「もう……。石崎くんはこれ以上からかわないでください……」
石崎の発言に、ひよりは思い出したかのように手を放す。それを見てなお満足げに笑う石崎に、彼女は羞恥と不満をないまぜにした顔を向けた。
春の日差しが逆光となって彼女を包む。日もいよいよ高くなりはじめ、眩しさから目を背けてしまいそうになるが、オレは彼女から視線を動かせないでいる。
計画の修正を余儀なくされた。考えること、確認しなければならないことも山積みだし、橋本にも接触しておかなければならない。スケジュールを鑑みれば少しでも時間を有意義に使うべきだ。
「私はとても楽しみにしていますよ、綾小路くん」
それでも、今だけはこの感覚に浸っていたい。
◇
2年生の春休み、始業式を明日へ控えた今日、オレは正門前で人を待っていた。
去年はここで
――いや、この先オレがすることを考えれば良い顔はされないかもな。アレは存外、シスコンの気があるように見える。
振り返るとオレを取り巻く環境も、随分と様変わりしたようだ。オレの進退を賭けた一年生との戦い、ホワイトルームからの刺客、
だからこそオレの選択は正しかったのか、という考えが頭をよぎる。
計画をかなぐり捨てた暴挙。あの部屋の中に居たままのオレなら、愚かと吐き捨てるに違いない。
人は正しい選択だけをし続けることはできない。ミスは誰にだって起こりうるし、それはオレも例外ではない。故に、失敗にこそ成長の余地があるのだ。見通しが甘かった、情報が不足していた。そういった種々の要因を振り返り己の不足を自覚することで、より完成へと近づく。
では今回のオレはどうだ。一時の衝動に流されたこと自体が失敗か、いや、そもそもこれは失敗なのだろうか。止め処ない思考が空転する。
思索に耽っているといよいよ待ち人が現れた。
「よう、相変わらずシケたツラしてんな綾小路」
「そういうお前は随分平静としているんだな、龍園」
この噂は学校中に瞬く間に広まり波乱を呼んだ。特に彼が所属するDクラスの荒れ様は尋常ではなかったらしい。
当の本人が落ち着き払っていたことも異様さを際立たせていた。葛城らと数度話し合いの場を設けたのみで、後は図書館で本を読んでいたり、学食で食事をとったり、いつも通りの過ごし方しか見せていなかったのだ。
龍園クラスは終わりだ、これが二年生の間の共通認識になっていると言って良い。彼が最後にひと暴れするかと警戒していた者達も、今や目もくれず春休みを満喫している。
「ああ、俺は正面から戦って負けたんだよ、実力通りの結果が出たと納得している」
「坂柳は強かったか」
「お前が負けるとも思えねぇけどな」
眉間に寄せられていたシワも消え、憑き物が落ちたかのような姿がひどく印象的だ。
彼にとってこの敗北は貴重な経験となったのかもしれない。オレが介入して坂柳に負けさせていたらどうなっていただろう。勝ちは勝ちと受け止めるのか、それとも施されただけの勝利に、やりどころのない怒りを滾らせるのか。
「そういえば石崎たちは呼んでないのか」
「あいつらがいたらうるさくて仕方がねえ、伝えるべきことは既に伝えたからな。来るなと念押ししておいたのさ」
「おや、お早い到着でしたね。てっきり遅刻してくるものだと思っていました」
指定された時刻ぴったりに坂柳は現れた。例の従者は傍らにおらず、一人緩やかな足取りでこちらに向かってくる。
実は彼女は元々呼ばれていなかった。直前になってどういうわけか龍園の見送りに立ち会わせろと要求してきたのだ。念のため龍園に話を通すと、予想に反してあっさり承諾。らしくもない二人の行動に、一体どういう心境の変化なのかと困惑せざるを得ない。
「あれはわざとやってるんだ。理由もなく遅れたりしねえよ」
「でしょうね。えぇ、理解していますとも」
軽い冗談と、それに付き合う龍園。
会う度に敵意と挑発を投げ合っていた両者が、今は穏やかに会話を交わしている。
「そんなことよりもだ、綾小路お前手抜かりはねえだろうな」
「問題ない。ポイントはお前が貯めていた分があるしな」
「そうか。移籍の詳細は葛城と金田のやつだけにしか伝えてない。そのうち金田にはお前がリーダーをやれと言ってある。せいぜい自力で王座を奪ってみせるんだな」
そう言って挑発的に笑う龍園だったが、恐らくオレがリーダーを務めることを疑ってはいないだろう。実力においても、その意思についても。
特別試験の少し後、龍園に移籍の話を持ちかけたオレに対し、彼は一つだけ条件を突きつけた。それは必ずAクラスに押し上げて卒業しろというもの。暴君でありながらクラスメイトを捨て駒として使うことは一度もなかった、彼らしい要求とも言える。
オレに情報を流していた真鍋も、体制に異を唱え続けた
それに加え、己の利益だけではなくクラスを勝たせることに全力を注いでいたからこそ、クラスの大多数は彼について行ったのだろう。暴力だけでは説明がつかない、龍園のカリスマ性の一端が垣間見えた気がする。
「お前には感謝しておかないといけないな坂柳。正直300ポイントのマイナスだったら、オレも厳しい戦いを強いられていただろう」
今回の自主退学は本来300のクラスポイントが引かれるはずだった。完全な自己都合の退学に対し、学校側は連帯責任としてペナルティを課す方針をとっているためだ。
これに対し坂柳は自分と龍園による対等な契約の効果であって彼一人の要因によるものではない、故にそのペナルティは両者で按分すべきであると主張した。学校側は一度審議にかけたもののこれを認め、両クラスが150ポイントずつ引かれることで決着したのだ。
正直これがなければAクラスに上がるため、リスク承知で相当な無理をしなければならなかったわけで、まさに渡りに船と言える。何せ300も引かれればクラスポイント440と堀北や坂柳のクラスに800近く遅れをとってしまう。
「これは貸しにしておきます。150ポイントというのは決して無視できない損失ですからね。少なくとも、私との対決からのらりくらりと逃げることは許しませんよ」
「とはいえ、私にも利のある話だから受けたのです。だって、そうしなければ綾小路くんはあの手この手で私たちのクラスから自主退学者を出そうとしたでしょう? せっかく橋本くんとも和解できたのですから、お友達を失うのは私も避けたいのです」
以前の坂柳からは想像もできない言葉にオレは素直に感心を覚えた。かつてはクラスメイトを配下や駒のようにしか認識していなかったことを鑑みれば望外の成長といえる。この学校で最も完成に近いと思われていた彼女にもまだまだ伸びしろがあるのかもしれない。
友人という横並びの関係には、駒とはまた違う使い道も存在する。正しく扱えば今までの彼女では不可能な一手を打つことができるはずだ。
これが彼女の武器となるか弱点となるかは、今後の特別試験でわかることだろう。
「俺のことも忘れてくれるなよ。この学校を去った後も俺は牙を研ぎ続ける。いつかお前らの喉笛に食らいつくその時までな」
「それがお前の望みか龍園」
「ああ、今までと同じさ。お前だって良く知っているだろう?」
オレは龍園のあり方を良く知っている。一度完膚なきまでに叩きのめされ表舞台から降りようとも戻ってきたのだ。今回の敗北も糧にしてより成長するだろう。
だからこそオレは惜しいことをしてしまった。ここで終わっていい相手ではなかったはずだ。
じわりとコールタールのような心情が漏れ出した。取り返しのつかない時点になった今、最早たらればを考えることに価値はないとわかってる。それなのに思考の空転を止められない。
クラス移籍を決めたあの時からオレは小さなバグを抱えてしまったかのようだった。
「ふふ、リベンジをご所望なら次会うまでに学力を身に着けることをおすすめしますよ」
「ハッ、まあ考えといてやるよ」
オレはもう龍園と会うことはないのかもしれない。いやきっと不可能だろう。
ホワイトルームに戻ることは避けられない。オレが拒否しようが逃げ出そうが、結局は遅いか早いかの問題でしかないからだ。
「それでは、私はこの辺で失礼します。再び会うあなたがどのような成長を遂げているか、期待していますからね」
そう言い残すと来た時と同じ、緩やかな足取りで去っていった。一度も振り返ることもなく、ただ遠ざかっていく。
残された二人の間に、ふと桜風が吹き抜けた。これが別れだとは感じさせないような、そんな場違いな温度感。
「……そんで綾小路はまだ何かあるのか」
「いや、オレも用はない」
「そうは見えねえがな。今は気分が良い、一つぐらいなら聞いてやってもいいぜ」
どうやら龍園は、オレがここ最近悩んでいることに気づいてるようだった。いつも通りに振舞っているつもりだったはずだが、どうにも脇が甘かったらしい。
「……お前は後悔したことはあるか」
「なんだ、大層なご様子だったから聞いてみりゃ随分と女々しいじゃねえか」
「女々しくて悪かったな。それでどうなんだ」
オレは至って真面目に聞いているんだが。
「そんなもんあるに決まってんだろうが。断言しても良いぜ、後悔したことねえ奴なんか存在しない。仮にいるとすれば自分の芯を持たない、空っぽなカスだけだろうよ。そんなもん勘定に入れる価値すらねえ」
「欲しいもの、成し遂げたいものがあるからこそ悔いることは避けられない。それが譲れないものであるほど、失敗にビビるのは当然だ」
龍園は、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように語る。
「オレは誰よりもオレ自身のことを分析し理解している。オレの目的とこの感情が無関係であることは明らかだ」
「自分のことを理解しているだなんて、本当にそう言えるか? 例えばそうだな、自覚してねえかもしれないが、あいつと接しているときのお前は……」
彼は何かを言いだそうとして、途端に黙り込む。
「いいや、何でもない。いずれにせよ、人の望みなんてもんは自分じゃ案外わからねえもんだ。一意に捉えられるものでもないし、ある日突然ひっくり返ることも、気づかないうちに変化することもあり得る」
「それに目的と願望は似て非なるもんだぜ。易々と答えが出りゃあ誰も苦労はしねえよ」
「ならば、どうすればいいと」
思わず口をついた言葉は、オレらしくもない漠然とした問いだった。
「それはお前が考えることだ。だがそうだな、俺はいつだって勝利に答えを求めてきた。勝つことを望み、それだけを目指しているからな。過程や背景は関係ねえ、最後に勝ってさえいれば正解なのさ」
「それに、結果がどう転ぼうが思い残すことだってある。そんなもん蓋を開けてみないととわからねえもんだろ」
「だから、わからないならせめて勝ち続けろ、綾小路。お前の望みが何かは知らねえが、この学校では勝者こそが全てを手に入れる」
「俺がリベンジを果たすその時まで、決して負けるんじゃねえぞ」
実に彼らしい行動理念で好感が持てる。
そうだ、最後にオレが勝ってさえいれば良い、今までと何ら変わることはない。
まだ一年も残されている。勝利の果てに自らが望むものを見つけられるようにすれば良い。
「そう……だな、当面はお前の言う通りにしてみるか」
「ハッ、らしくもなくご高説を垂れてみたが、てめえの面食らったツラを拝めただけで良しとするか」
言うべきことは伝え終えたのだろう。龍園は背を向け正門へと歩き出した。外と内を隔てる境界線を跨げば、オレたちはもはや会うことはできなくなる。
そう思うとたまらず、オレは口を開いていた
「オレは、東大を目指す。堀北学も南雲も、そこにいるようだからな」
「なんだ、藪から棒に」
「お前がこれから先、どう過ごすのか気になったんだ」
「……そうだな」
「それなら、アイツの言う通りお勉強に精を出してみるさ」
事もなく言ってのける龍園に毒気が抜かれる。努力は嫌いだ、などと嘯いていただろうに。
手段も労力も厭わず、己が求めるものに忠実だった男。彼との今生の別れに、こんな春の陽気は相応しくない。
「……次に会うときを楽しみにしているぞ、ドラゴンボーイ」
「ハハッ!その呼び方をしたな、次会ったときは殺してやるよ、レッサーパンダ」
これでいい。
オレ達はもう会うことはないかもしれない。けど、それは重要なことではないのだ。
理屈も合理性もない、願望の吐露。石崎がたとえ望み薄であってもオレを勧誘してきたように、オレもまた再会を願う。
ありえない未来に思いを馳せた束の間、オレの中の一部、虚のような器がわずかに満たされたような感覚を覚える。
この瞬間だけは、本当の意味であの白い部屋を抜けだせたような気がした。
同時に漠然とした感情が形を成して表出する。
龍園、やはりお前とはこの場所でもう一度戦いたかった。
悔しさを飲み下し、敗北を乗り越えたお前なら、いつかきっとオレと対等に渡り合える。
……そうか、この感情の正体はきっと――
◇
龍園と別れた翌日、坂上と手続きを済ませたオレは教壇の上に立っている。
見慣れたはずの教室に、見慣れない顔ぶれ。
――オレの最後の一年間が始まる。
「本日付けでこのクラスに移籍することになった綾小路清隆です。自主退学した龍園の代わりにはなれませんが、クラスメイト全員に戦う意思がまだ残されているのなら、大きく後退した状況を打開するための手伝いはできると確信しています」
三年生の始業式の日、オレは『元』龍園クラスへと移籍した。
0巻を含めた特典ss、ようマジについては追えていないため、それらとの齟齬ございましたら、何卒ご容赦ください。
後書きでは本編では書ききれなかった設定や裏話を、原作での動向やOAAと共に載せていきます。
学力 B-(65)
身体能力 B(74)
機転思考力 B(72)
社会貢献性 E+(19)
総合 B-(63)
原作ヒロインの1人。
龍園クラスを束ねていたが、学年末試験で坂柳に敗れ、契約通り自主退学を選ぶ。彼が去ることで綾小路は後悔を経験し、そして自らの本当の望みとは何かを考えるようになった。
草案のプロットでは在学設定。橋本を切り捨ててより攻撃的になった魔王坂柳と、早くも『気づいて』しまった覚醒一之瀬からひよりを守るため、綾小路と一時的に手を組み、彼らが付き合い始めることを契機にクラス移籍を果たす展開だった。ヘイト役は作りたくなかったことと、龍園と絡みすぎて他ヒロインがあまりに霞んでしまうことから、あえなくお蔵入り。
退学後、偏差値60程度の高校に編入した彼は、東大合格を掲げ一心不乱に勉学に励む。慣れない形の努力に揺らぎそうになる時は、果たすべきリベンジを、そしていつしか目標となっていた後ろ姿を思い出している。