if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
※次回投稿は9/5を予定しています
幕間 第一話
《一隅の一ページ》
ぱらり。
ぱらり。ぱらり。
静まり返った図書室に、二人のページを捲る音が微かに響く。
ペースの違うそれらは、不思議と同期してオレの耳に届いていた。
「……ふわあぁ」
「珍しいな。その本は面白いと言っていたのに」
「面白過ぎて、つい夜更かししてしまったんですよね」
「すっかりその本の虜だな」
右隣の彼女、椎名ひよりが控え目な欠伸を漏らす。
寝不足と本人は言っていたが、今日は絵に描いたような春日和だ。眠気を覚えてしまうのも無理はない。
そよそよと揺れるカーテンに、柔らかな日差し。吹き込んでくる微かな東風が肌を撫でる度、こちらまで昼寝がしたくなってくるようだ。
「……ふわぁ」
「移ってしまいましたね」
「ああ、移ったな」
「うふふ」
どちらともなく本を閉じ、奥へとのける。いつの間にか決まっていた休憩の合図。
ひよりが座ったまま、椅子を少しこちらへと寄せた。オレの右肩とひよりの左肩は大体、拳一個分空いている。いつも通りの距離感だ。
ひよりの銀髪が数本、はらりと彼女の肩口へかかる。それを見ていると、なぜか気恥ずかしくなって、オレは視線を逸らした。
「とうとう、明日が始業式ですね」
「だな。身の回りが静かなのも、今日までかもしれない」
「その時は、図書室に逃げ込んじゃいましょうか。司書の方の前で騒ぐ人は、多分いませんから」
それもそうだな。
すっかり顔馴染みになっている職員の人たちは、オレたちに随分良くしてくれている。
今日もこのテーブルには本棚の仕切り板が置かれていて、オレたちが来たのを見た途端にどかしていた。多分、ほとんど毎日いるから気を遣ってくれたのだろうな。
「そう考えると、随分贅沢な時間の使い方をしているな」
「そうですね。こんな日々が、新学期以降も続いてくれれば良いのですが」
「すぐに特別試験が始まるとは考えにくい。また明日も来られるさ」
顔を見合わせて、ひよりは目尻を下げる。一方のオレは仏頂面のままだ。それがどこか彼女に悪い気もしてきた。
会話の合間に静寂が流れる。掛け時計の秒針が主張し始めた。だが、オレたちの間に気まずさはない。
あまりおしゃべりではない者同士は、これで良いのだ。
「そうだ、綾小路くん。一回本を開いてくれませんか?」
疑問符を浮かべながらもオレは言う通りにした。この本は彼女に薦められたものであり、内容は知っているはずなのに、何が気になるのだろうか。
「やっぱり。貸出票を栞代わりに使っているのですね」
「ああ、それか。使えれば何でもよかったからな」
そう、オレは自動貸出機から毎回吐き出されるレシート調の紙を、無造作に挟んでいた。斜めのシワが三つほどついているそれを、彼女は摘み上げている。
「少し、味気ないですね」
「確かに。ひよりの方は色んな種類の栞を使い分けているような」
「作品の雰囲気ごとに使い分けているんです」
ある時は涼やかなペールブルー、ある時はマジックアワーの夕焼けを模した茜色。彼女の繊細な感性が表れているかのような配色を見るのが、オレは好きだった。
「実はですね、綾小路くんに贈り物があるんです」
「贈り物?」
「はい。――これを開けてみてください」
マットな質感の袋から出てきたのは、押し花があしらわれた栞だった。
白とピンクのカスミソウにラミネート加工が施されたそれは、おそらくハンドメイドの品だろう。
「もしかして、ひよりが作ったのか?」
「はい。二年生の交流合宿、綾小路くんは押し花に興味があったようなので、作っちゃいました」
およそ三か月前のことだ。ひよりと練習する押し花が楽しくて、つい夢中になってしまった。
南雲雅との勝負もあって、それだけに没頭するわけにはいかなかったのが惜しい。あの時間は本当に充実していた。
「何度か作り直したりして、完成した後も渡す機会を窺っていたんです。……今更、かもしれませんが、せめて二年生の間には渡そうと思いまして……今日、持ってきました」
ひよりは経緯を説明しながら、語気が尻すぼみになっていく。やや紅潮した顔を誤魔化すため、机上の本で顔の下半分を隠した。
栞そのものも当然嬉しい。だが、一番は彼女が自分のために思案して、そして勇気を出してプレゼントしてくれたことだ。その事実にオレの胸は高鳴った。
「ありがとう、ひより。――大切にする」
「ええ、喜んでくれて嬉しいです」
そう言って花がほころぶような笑顔を見せる。
――お礼を言うべきは、こちらだというのに。
夕方、寮の自室へと戻ったオレが真っ先にしたことは、彼女から貰った栞を、できるだけ折れ曲がっていないクリアファイルに入れ、そして鍵付きの引き出しへと仕舞うことだった。
そこまで終えて、ふと手を止める。
(なぜ、こんな事をしている?)
冷静に考えてみれば、栞一つに大げさな気もしてきた。
だが疑問なのは、オレがほとんど無意識で栞を保管する選択をしたことだ。
何か意図を持って行動したわけではなく、理由も思い当たらない。
贈り物自体は軽井沢や平田から貰ったことがあり、それらはありがたく日常使いさせてもらった。
その際はここまで神経質になることもなかったはずだ。
一枚の栞にここまで固執する理由――色々思案してみたが、結局答えは見つからなかった。
(まあ、いいか)
オレは奇妙な据わりの悪さを覚えつつも、引き出しをそっと閉じた。
――今にして見れば、オレはこの時からひよりに対する感情が特別なものであると、気付き始めていたのだろう。
◇
「綾小路くん、お話があります」
「な、なんだひより」
彼女は不機嫌だった。
口元をへの字に曲げ、子供っぽくむくれている。なかなか見ない表情だ――などと言っている場合ではない。
新学期が始まって数日、朝のホームルーム前の時間。
特に彼女の気に障ることはしていないはずだが。
思考回路をフル回転させる。今のオレは特別試験のとき以上の出力を叩き出していた。
「先日の栞、あまりお気に召さなかったのですか?」
「そんなことは無いぞ、とても嬉しい」
「結局あれから一度も使ってくれていないので……。もしかしたら、余計なお世話だったのかもと思いまして……」
徐々に不安そうな表情へと変わっていく。
まずい、すぐに弁明しなくては。だが、なぜそうしたのか自分でも良くわかっていない。
「いや、それが、使っていつかダメになってしまうのが勿体なくて、結局傷つかないように保管してあるんだ」
「……え? 栞を、ですか?」
「ああ。もちろん、壊したり失くしたりもしていないぞ。引き出しの中にちゃんとある」
自分で口にしておきながら、その言葉に些か戸惑う。だが、嘘を吐いている感覚はない。
ひよりは一瞬呆けた後、耐えきれなくなったかのようにクスッと吹き出した。
「そこまで丁重に扱われるのも、少しこそばゆいですね」
「大切にすると言ったからな」
何となくだが、彼女に嘘や誤魔化しはしたくない、と思っている。
できる限り誠実であろうとした結果がこれなのかもしれない。それなら、随分と立ち回りが下手だなと我ながら苦笑してしまう。
「……ふふふ、だから仕舞っておこうと思ったのですね」
「――ほんとに、不器用なんですから」
少し呆れたような困り眉に、喜色を窺わせる口元が印象的だった。
春休み以降、彼女は以前にも増して様々な表情を見せるようになっている。新しい一面を見るたびに、オレは心を乱されているような気がしていた。
「使っていれば草臥れてしまいます。ですが、それでも良いんですよ。だって、その時は、また綾小路くんにプレゼントしてあげますから」
そう言って嬉しそうに笑う彼女は、とても綺麗だった。
オレは思わず見入ってしまう。今、目の前の彼女を記憶しておきたいと、そう思ったからだ。
――彼女がくれたプレゼントは、どうやら一つだけではなかったらしい。
その夜、オレは栞を引き出しの奥から取り出した。
新しいクラス、慣れない教室。ここ最近は柄にもなく、少しだけ気が張っている自分がいる。
それでも、この栞を挟んだ本を鞄に入れていれば、幾分か楽になるようだった。
◇
この栞をプレゼントされた日と、その後日談について思い出していた。手元には深いシワが刻まれたそれがある。
できるだけ伸ばしてから、あの日のようにクリアファイルへと入れた。
千切れかけたカスミソウを見るたび、先日、無意識に握りしめてしまったことへの後悔が滲み出るかのようだった。
(今度こそ、大事にしないとな)
机の上には新しい栞。鮮やかな黄色のミモザが美しく並べられている。
あの図書室の一幕から数日後、オレは彼女に栞をダメにしてしまったと白状した。自分の不手際で台無しにしたことを黙っておくのは不誠実な気がしたからだ。
『変わる』と決意した以上、最低限ひよりに対しては正直でありたかった。
ひよりは怒らなかった。
それだけでなく、その翌日には予め作ってあった新しい栞をくれたのだ。
好きな人からのプレゼント。
オレのために用意してくれた、ひよりの手作り。
あの日掴めなかった感情の正体が、やっと理解できた気がする。
(こんなにも……嬉しくなるのだな)
華やかだが優しい印象のミモザの花を一撫でする。花言葉には詳しくないが、確か『友情』だったか。
ひよりはオレのことをどう思っているのだろうな。
途端にじれったい気持ちがふつふつと浮き上がってくる。そんな心の機微すらも、オレにとっては満たされた日常の一ページだった。
カスミソウ
『幸福』『感謝』『切なる願い(ピンク)』『清らかな心(白)』
ミモザ
『優雅』『友情』『秘密の恋(黄色)』