if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
問題のある人間性と惚れた相手への実直さを両立しているところとか、それでもちゃんと性根が歪んでて、『本当は良い人』とは絶対に言えないところとかが似ている気がします。
もっとも、原作綾小路がひよりへの恋愛感情すら観察対象にしてる点は不穏ですけど……。
※次回投稿は9/12を予定しています
《大人たちのそれぞれ》
夜更けの商業区は、案外人で賑わっている。
華金ということもあり、羽を伸ばした職員たちが思い思いに休日前夜を楽しんでいるためだ。
三年生担任の茶柱佐枝もそのうちの一人。オーセンティックバーで日々のストレスを洗い流していた。
マスターはロマンスグレーをオールバックにセットしたミドルエイジの男性であり、落ち着いた所作が映える。ステアに一切の雑音を立てない熟練度は見事なものだ。
店内は薄暗く、ミドルテンポのジャズが流れており、非日常でありながらも心地よくリラックスできるよう取り計らわれているようだ。そして、肘を置いた一枚板のバーカウンターは、素人が触っても上質なものであるとわかる。
まさに店内は上品な大人の憩いの場といった具合だ。
――隣に座るこれを除いては。
「うは~お酒ってやっぱサイコーよねえ」
同僚の星之宮知恵が、すっかり出来上がった状態で管を巻いている。向こう見ずなペースのまま三軒目に突入したせいで、へべれけに片足突っ込んでいるようだ。
「なぁんで真島くんは来なかったのよ~」
「仕方ないだろう。仕事が残っているのに呼べるか」
この愚痴は四回目だ。相手してられるか、と茶柱はため息をつくしかなかった。
今夜も星之宮を介抱する羽目になるのは目に見えていたので、そろそろ自制させようと口を開きかける。
「そういえば、今回の試験は綾小路くんのクラスが勝ったんだよね? あのクラスが学力で堀北ちゃんを出し抜くなんて、やっぱ彼がいない穴は大きいのかなぁ~?」
今まで出なかった綾小路の名前が出た途端、茶柱の顔が強張る。
今まで彼女のクラスを牽引してきた影の立役者。そんな彼が離反したことに、茶柱は今でも複雑な感情を抱いている。
しかし、彼女が思い出したのはつい先日の出来事だった。堀北鈴音と綾小路が密会していた日、茶柱は偶然にも居合わせてしまったのだ。
目撃したのは彼らが別れる前のほんの数分。だが、最も衝撃的な場面。あの堀北が綾小路を好いていると知ったときは、思わず大声を出しかけたほど驚いたものだ。
茶柱は咄嗟に身を隠したが、堀北にはバレてしまった。あの時はお互い錯乱して目も当てられない状態だった、と茶柱は自嘲する。
「お前には関係ないだろう。クラス移籍は個人の自由だ」
「もう、私が聞いてるのは一般論じゃなくて、佐枝ちゃんの本音なのに」
本音を言うなら、焦燥感でいっぱいと言う他ない。
綾小路清隆という怪物が敵になったことが、どれだけ恐ろしいか。
星之宮は彼を『ジョーカー』と言い表したが、それは正確ではない。何せ綾小路にはルール上の制約も回数制限もないのだ。
盤面を丸ごとひっくり返せる理不尽が、今や坂上の手札で存在を主張している。幾度となくその鬼札に頼ってきた茶柱にとって、内心穏やかでいられないのは当然だろう。
不安を飲み下すように、茶柱はジントニックのグラスを傾けた。
星之宮の言葉を受けて何度も同じことをしたせいか、すっかりグラスは空になってしまったようだ。
今日だけは酒で忘れたい。そう思った茶柱はモスコミュールをオーダーした。
今日のペースでは翌日が怖いが、二日酔いは敗北の味よりましだろう、と言い聞かせる。
「え〜、佐枝ちゃん今日は飲むねぇ。それじゃあ私も〜」
そう言って彼女が選んだのはアイラモルトのカスクストレングス。
柔和な外見からは想像できない苛烈な一面を持つ彼女らしいと、茶柱は一人感心してしまう。
クリスタルのグラスに注がれたウイスキーとカットアイスをカラリと回す彼女は、やはり大人の雰囲気を醸し出していた。
「実際、綾小路くんに勝つのは可能なのかな〜。今は味方だけど、いつかは倒さなきゃいけないのよね」
C、Dクラスの同盟関係は今や周知の事実だ。三年生になって途端に急成長を果たした一之瀬と綾小路のペアは、もはや堀北一人で太刀打ちできる相手ではないだろう。
あの『不良品』の集まりが団結してAクラスを目指すようになった奇跡がこんな形で潰えるのか、と茶柱を悲観的な考えが支配する。
だが、そう易々と諦められるものではない。
もちろん、茶柱本人の悲願でもあったが、今はそれと同じくらい受け持ったクラスに対する情が湧いていることもある。
(何か、手が必要だ。それも綾小路を出し抜けるだけの奇策が)
無重力となった脳に鞭打ち、思考を巡らせる。
だが、どんな場面を想像しようと、彼を上回る未来は見えない。
学力、身体能力、頭脳戦、統率力、どれをとっても隙が無さすぎる。
現実逃避を始めようとした刹那、彼女の脳裏をよぎったのは、先日の堀北と綾小路のシーンだった。
(……ん? 待てよ)
茶柱の脳内に、ある画期的なアイデアが浮かぶ。
――堀北と綾小路が付き合えば、彼は戻ってきてくれるのでは??
堀北は綾小路のことが好き。そして綾小路も堀北とは二年の付き合いであり、それなりに親しい間柄ではあるはず。
何より、堀北鈴音は見目麗しい少女。
大和撫子を体現するような艶やかな黒髪に、凛として涼やかな顔立ち。それに、武道の経験によって引き締まったスタイルは、運動不足が気になる茶柱が羨んでしまう程だ。
綾小路とて年頃の男子。これだけの美少女に言い寄られれば無碍にはできないはず。
アルコールを燃料に、茶柱の脳はシミュレーションを始める。
――夕暮れを背景に、抱き合う一組の男女
「あなたがいないと寂しいの……綾小路くん、戻ってきて……」
玉のような涙を目尻に湛え、堀北は綾小路にしなだれかかる。
「ああ、鈴音。もちろんだ」
綾小路は甘く囁きながら、堀北の頬を伝う涙を長い指で優しく拭い去る。
そして壊れ物を扱うかのような、慈しみの表情を浮かべ、彼女をひしと抱きしめた。
「――これからはずっと一緒だ。オレがお前を、Aクラスに連れて行く」
「清隆くん……好きよ!」
「鈴音、オレもだ」
そうして二人は幸せなキスを――
――これだ! これしかない。
未来が見えた。そして機会は来た。後は勝つだけだ。カエサルもそう言っていた。
今一度、飲酒で正常に判断する。
銅のマグカップに入ったモスコミュールにも聞いてみる。
……頷いているようだ。そうに違いない。
……教師として不適切だって? 自分はただ、可愛い生徒の恋を応援してあげるだけ。何を世間に謗られる謂れがあるだろうか。
具体的な戦術は後で決めればいい。
今はただ、この芸術的な勝ち筋を導き出したことを祝おうではないか。
にやけそうになる口元を噛み殺して勝利の美酒を堪能していると、それ以上にだらしない相貌の星之宮が話しかけてくる。
「うちの一之瀬ちゃんってばね~綾小路くんにぞっこんなのよ」
それは茶柱も耳に挟んだことのある話だ。教員というのは、存外に生徒の恋愛事情を知っている。他の学校のようにクラス分けに使うわけでもないが、人の口に戸は立てられないものだ。
だが、あまりにも無視できない発言だ。あの一之瀬がライバルとなると、話は変わってくる。
見た目良し性格良しな学校のマドンナ。
こんなところで計画が破綻するなんて、聞いていないぞ。と茶柱は内心焦りを隠せない。
「だからね、一之瀬ちゃんが綾小路くんをオトしちゃえば、ウチのAクラス卒業は確実でしょ〜って! 彼女を応援してあげてるの!」
本人はケラケラと笑っているが、細められた双眸の奥には仄暗い光が宿っていた。
彼女が綾小路に見せる執着、いや異様なまでの警戒心は、単に彼女がAクラスを狙っているからだけではないのだろう、と茶柱は見立てていた。
しかし、一杯調子でだらしなく顔を溶けさせている様子を見ていると、単なる酔っ払いの戯言のようにも思えてくる。
いや、多分そうだ。
少なくとも、自分の生徒にハニートラップを薦めるなど、常軌を逸している。
「あんな子に迫られたら、高校生男子なんてイチコロよね。最近ほんっとうに大人っぽくなったし、あんな色気振りまかれちゃ、いくら綾小路くんでもメロメロよ!」
「……教師として不適切じゃないか?」
「んもう! 私はね、佐枝ちゃん。可愛い可愛い生徒の恋路を応援してあげてるだけでしょ? むしろ善行じゃないの!」
「……」
――現実が、見えてきた。
目の前で愚かなことを口走っている珍獣と、同レベルの妄想をしていたという事実。
一気に酒が抜けていくかのような気恥ずかしさが、茶柱に襲いかかってきた。
というか、なんださっきの妄想は。誰だよ、と内心で悪態をつく。
暫く尾を引きそうな黒歴史ができてしまった。幸いなのは、自分以外は知らないということだけだろう。
一刻も早く忘れたい。
そうだ、酒しかない。
「マスター、ブッカーズをストレートで」
「……かしこまりました」
「え、佐枝ちゃん大丈夫? 普段飲まないのに珍しいね」
「たまには良いだろう。……酒で忘れたいこともある」
そうして、提供されたバーボンを、茶柱は一気に呷る。
六十度を超えるアルコールが喉を焼き、暫くして脳にも回ってくるが、今日はそれが殊更心地よかった。
「おのれ、綾小路ぃ……!」
翌日、案の定茶柱は二日酔いに苦しむことになった。
茶柱佐枝
堀北クラスの担任教師。冷淡で生徒に無関心な教師に見えるが、実際は学生時代の出来事からAクラスに歪んだ執着を抱えていた。それは綾小路を脅し、彼に協力を迫るほど。その後彼は彼女の軛から逃れるが、紆余曲折あって現在は一応、和解しているようだ。
彼女自身少しずつ心境に変化が生じており、以前より生徒に関心を向け、単に自分の宿願を叶える手段ではなくなったように見える。だからこそ、綾小路の移籍には珍しく狼狽する姿を見せる程の衝撃を受けていた。
なお、初期Dクラスと並んで綾小路を変えた原因の一つと見られることもあるが、綾小路は『変わらないことが本質』であると原作者に明言されていたことから、茶柱の行動によって綾小路が変質したわけではない。綾小路にとって、茶柱は取るに足らない存在でしかなかったのだろう。
彼の豹変は本性を隠さなくなった結果であり、そして設定上綾小路の根幹は入学時点で確立しているため、彼女らが何もしなくても、いずれ彼の破綻した人間性は露呈していたと思われる。
本作でも綾小路の移籍に衝撃を受けていたが、彼と直接対決の末敗北を喫したことから、より悲観的な考えに陥っている。ストレスによりタバコの本数が増えたようだ。
自分の生徒たちがAクラスの地位を守り抜いてくれることを願っているが、かといって星之宮のように汚い手に頼ることは、もうしないと決めている。
今後も彼女の胃痛は続く……。