if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
A:堀北クラス 1233
B:坂柳クラス 1148
C:一之瀬クラス 714
D:綾小路クラス 590
始業式の後に行われるホームルーム。担任の
突如として告げられた綾小路清隆のクラス移動。青白い顔を繕うこともできない彼女の様子は、事の重大さを物語っていた。
「綾小路くんがクラス移動……しかもDクラスだなんて……やっぱり納得ができません先生!」
「堀北……お前もOAAの画面は見ただろう。これはミスでも勘違いでもないことは確かだ」
「……けど、そんなのって……」
「すまない、私も何が何だかわからないんだ……。手続が行われたのは始業式の直後で、私に知らされたのもつい先ほどだからな……」
今までクラスを引っ張ってきた
「もしかして俺たちを裏切ったのか?」
「けどよ、やっとAクラスに上がったんだぜ? しかも綾小路にとっちゃ大将やってまで掴んだ結果だろ。マジで何考えてるんだよ」
「しかもよりにもよってDクラスでしょ? 私たちを裏切るにしたって坂柳さんのクラスに行くのが普通じゃないの」
喧々諤々と言葉を交わすクラスメイトたち。憶測に憶測を重ねただけのそれは何か答えを探しているように見えて、その実動揺を紛らわせているだけにすぎない。
「とりあえず言えることは、このクラス移籍は正式な手続きを経て受理されたものだ。それぞれ思うところがあるかもしれないが、綾小路本人を責めるような真似は慎んでほしい」
そう言い含めると茶柱は足早に教室を去っていく。
始業式の後、ジョーカーはもう居ないと
「みんな一度落ち着いて聞いてほしい。ここで推測を重ねても仕方がないと思う」
クラスのまとめ役、
綾小路と親しかった堀北は誰よりもショックを受けている、自分がこの場を収めるしかないと彼女を慮った平田の行動だった。
「随分と落ち着いているようだね平田くん。らしくもないんじゃない」
「僕だって驚いているさ、けど彼は退学になったわけじゃないからね」
「そうとも思えないけどなあ。もしかして平田くんは知っていたりして」
「まさか、僕にとっても寝耳に水だよ。櫛田さんも気が動転しているのはわかるけど、一旦冷静になってほしいな」
満場一致試験以降、目立つ素振りを見せなかった彼女らしからぬ行動に、平田は疑問を覚えるも、今優先すべきことではないと判断した。
「とにかく、今日は解散としよう。このことについて話し合うのはまた後日にすべきだ」
「あと、Dクラスの人たちと接触するのはできる限り避けてほしい。龍園くんはもういないとはいえ彼らの性格からすれば、トラブルに発展する可能性も十分あり得るからね」
話は終わりとばかりに平田は手を二回叩き、場を切り上げる。これを皮切りにひとまずの平静を取り戻したクラスメイト達は三々五々に教室を出ていく。
残ったのは彼と近しかった堀北や須藤たち、そして彼の実力に気づいていた松下や櫛田といった生徒らだった。
重苦しい空気だけが沈殿した教室に、突如堀北が椅子を跳ね除けるようにして立ち上がった音が響く。
平田は間髪入れずに待ったをかけた。
「止めないでちょうだい平田くん。私は、彼に直接会って確かめないといけないの」
「俺も行くぜ鈴音。あいつの行動は意味わかんねえことも多かったが、今回ばっかしは度が過ぎてるだろ」
「私も一緒に行かせて。まだ、納得できていないから」
平田を睨め付けんばかりに見つめる堀北に、
「止められないことは僕もわかってる。けど、茶柱先生も言っていたように彼は正当な権利を行使したにすぎない。万一にも感情的になって問題を起こすわけにはいかないんだ。だから、僕も行くよ。代わりに須藤くんはここで待っていてもらえるかな」
「けどよ! いや……もし万が一だけどよ、あいつが本当に俺たちを裏切っていたってんなら、俺は冷静でいられないかもしれないかもしれねえ……。客観的に見て俺が行くべきじゃないことはわかってる……」
須藤は不満を隠しきれていないが、平田の言葉通りに引き下がる。
腰を浮かしかけていた
「俺たちはここで待っているから、清隆に会えたら戻って報告してくれないか。正直なぜあいつが移籍したのか、皆目見当もつかないんだ」
「Dクラス相手なら脅して移籍を迫ったって可能性も捨てきれない。龍園が落ち着き払っていたのも、それで納得がいく。もしそうなら俺は実力行使も辞さないつもりだ。友達のためなら、また殴り合いをすることになったって構わない」
綾小路は意思に反して移籍を強要された。彼らはそんな言葉を強調する。
そうでなければ、彼が自分の意思でクラスを裏切っていたとすれば、どうしていいかわからなくなってしまうから。
一抹の不安を振り払うように、堀北は教室のドアを開け放った。
「それじゃあ……行ってくるわ」
◇
始業式の後、手続きを済ませたオレは正式にDクラス配属となった。
しかし、自己紹介を終えたオレに向けられたのは三者三様の視線。総じてあまり良い印象は持たれていないようだ。担任の坂上ですら困惑の表情を隠せていない。
何せこのクラスでオレの移籍の詳細を知っていたのは石崎とひより、後は
元々はクラス全員からポイントを集め費用を賄おうとしていた。しかし龍園は想像以上のポイントを貯めこんでおり、それだけで事足りてしまったのだ。説得の手間は省けたが、かえって不信感を持たれてしまった。
「おう綾小路! お前がうちに来てくれる日が来るとはマジで夢みたいだぜ」
そんなクラスの様子など意に介さず、石崎は大声で歓迎の意を示す。重苦しい空気を払拭するためか、それとも単純に空気が読めないだけなのか。ひより相手にデリカシーに欠けた発言を投げまくっていたことを考えれば、きっと後者に違いない。
石崎から視線を外し、オレはクラスの面々を見渡す。一番後ろの席に座るアルベルトと目が合うと一度だけ頷き、サムズアップを送ってきた。彼なりの歓迎のサインだろう。どことなく嬉しそうなのは……気のせいではないと信じたい。
廊下側前列に位置する
そんな益体のないことを考えつつ反対側に目を向けると、窓側最後列でひよりが控え目に手を振っていた。美しいセレストブルーの後れ毛が左右一対、手の動きに合わせて揺れている。窓枠から望む碧空にも劣らない輝きが、その一本一本に宿っているようだった。
彼女の右隣、一年時の堀北の席は空席のままだ。本来であればそこに龍園が座っていたのだろうか。
「では綾小路君の席……」
「オレはそこの空いている場所で大丈夫です。」
余計なことを言われる前に先手を打つ。兵は神速を尊ぶとはまさにこのこと――いや少し違うな……。
「ふふ、さすがの綾小路くんもクラス移動ともなれば浮足立ってしまうのですね。珍しいものが見れました」
「そうか? いや……そうかもしれないな」
確かに今日はどことなく浮ついてしまっている。自分の置かれた状況を考えればそんな余裕はないはずだ。
何せ現在このクラス――Dクラスのポイントはたったの590。一方Aの堀北クラスは1233であることから、一度の敗北が命取りとなる。
できる限り早くクラスの主導権を取って次の特別試験に備えなければならない。そのためには……
思案に暮れていると坂上の話も終わった。今日は始業式とホームルームのみで昼前には解散となっている。
「そんじゃあよ、綾小路の移籍を祝してパーッと歓迎会でも開こうぜ!ケヤキモールの良い店知ってんだ」
坂上が退出するなり立ち上がって呼びかける石崎だったが、周囲の反応は鈍い。しかし、龍園の側近をしていたこともあって、彼の提案を無視することはできないようだ。前の女子生徒は荷物をまとめ肩紐を掴んだまま、居心地悪そうにしている。
「歓迎会はまた今度でいいでしょう。今日はクラスの方針を決めるため一度集まりたいと思っています。そうですよね、葛城氏」
「ああ、俺もそのつもりだ」
「感謝します葛城氏。それでは椎名氏、それと綾小路氏も少々お時間を頂きますよ」
金田による鶴の一声でクラスの各々は動き出した。自分の影響力を理解した上での行動に、オレは金田の評価を上方修正する。
「わりいな綾小路、龍園さんがいなくなってクラスの奴らも余裕がないんだよ。今まであの人に頼りっぱなしだったからな」
「それは理解できる。現状を鑑みれば当然の反応だ」
龍園の従ってきただけのワンマンチームだった弊害が露呈している。誰もが今後のクラスに不安を抱き、その裏返しとしてピリピリとした緊張感が漂っているのだ。早急に対処しなければ空中分解もあり得る。
「私も協力しますよ。次の特別試験まで、それほど猶予はないでしょうから」
オレの思考を汲んだかのようにひよりが助力を申し出てくれた。一年生の混合合宿では女子のまとめ役を買っていたことからわかるように、彼女の影響力は高い。あとは金田の支持を得れば、十分にクラスをまとめ上げることができるだろう。
「それはありがたい。オレも最善を尽くすさ」
◇
葛城たちと共にカラオケルームへ向かっている途中、息を切らした堀北から声をかけられた。
「綾小路くん……待って!」
彼女らしからぬ情けない声色。
櫛田の裏切りや佐倉を退学させた時も、ここまで動揺はしていなかったはずだ。
彼女に帯同していたであろう松下と平田も、駆け寄ってくる。
「なんだ、堀北」
「少し、時間をくれないかしら綾小路くん。私たちのクラス内だけで話がしたいの」
「クラス内?おかしなことを言うんだな。オレが既にAクラス所属でないことは、もう知っているはずだが」
あえて突き放すと、彼女はみるみる顔を青くさせていく。
やがてふらりとよろめいた堀北を、松下が支えた。彼女らをかばうかのように前に出た平田も、剣呑な顔つきを隠そうともしない。
ふと後ろを見やると、随分と気まずそうな顔をする金田と葛城に、そして俯いたままのひよりがいた。
「綾小路くん……」
普段の穏やかな声をさらに細め、ひよりは呼びかけてきた。
オレは自分の無神経さに思い至る。こんな茶番に彼女を付き合わせるべきじゃない。
「お前たちは先に行っててくれないか。そう長話するつもりはない」
金田と葛城はうんうんと頷くと、早足で去っていく。ひよりもやや迷うような姿勢を見せたが、彼らに追従していった。
彼らを見送ったのち、再度向き直って堀北らの言葉を促す。未だ目を泳がせる堀北に代わって鋭い目つきの松下が口火を切った。
「綾小路くん、これだけは聞かせて欲しい。君は自分の意思で移籍を決めたの?」
「ああ、これはオレが自分の意思で決めたことだ。外的要因、脅迫などやむにやまれぬ事情があったわけじゃない」
「私たちはやっとの思いでAクラスに上がったんだよ!? その地位を放棄してDクラスに下るのはどう考えてもおかしいでしょ!」
「まあ客観的に見ればそうだろうな。だがオレは元々Aクラスの地位にも特典にも価値を感じていない」
「そんなことって……」
オレの移籍に関する経緯を話す必要はない。ただ淡々と事実のみを突きつければ良い。
それが、オレの目的に最も効果的な手段だからだ。
「もう行ってもいいか?オレにも予定があるんだ」
それだけを言い残し、オレは足早に立ち去る。
三人は呼び止める声も出せないようだ。一先ず策は奏功したと言えるか。
そのままの足でケヤキモールまでの道を右折し、堀北たちが見えなくなったところでオレは立ち止まった。
「ひより、出てきてくれないか」
そう言って大体三秒ほど経ってから、彼女はおずおずと姿を表した。
「やっぱりお見通しだったんですね……」
「そういう気配には敏感なんだ。それで、姿を消してからわざわざ戻ってきた理由はなんだ?」
あくまで責めるつもりはなかったし、そう気を遣ったはずだ。にも関わらず彼女は俯いて沈黙を返すのみ。
「……私のせい、なんですよね。堀北さんたちが傷ついているのも、綾小路くんが謂れのない非難に晒されてしまうのも」
「言っただろう、オレはあくまで自分の意思でクラス移動をしたと。それに伴うあれこれはオレ自身が発端であって、ひよりが責任を負うようなことは一つもない」
そう宥めるも彼女は沈痛な面持ちのままだ。ひよりにそんな表情は似合わない、オレの不手際で彼女が傷つくようなことは、あってはならない。
「ひよりは、オレを誘ったことを後悔しているのか?」
「そんなことはありません! 綾小路くんとクラスの隔たりなく過ごすことができたら良いなと、ずっと思っていたことですから……」
「オレだって同じだ。ひよりと、石崎たちと、このクラスに居たい。そう望んだから決心した。オレはこの選択をしなければ、きっと後悔していただろうから」
「だから、悲しまないで欲しい。ひよりがそんな表情をしているのを、オレは見たくない」
ひよりは堀北たちを傷つけたこと、オレが中傷されることに心を痛めているのだと予想できる。クラス移動は正当な権利であり、後ろ指を指されるようなことじゃない、オレは有象無象の評価など気にしない。それを伝えてやればいい。
そんな思考とは関係なく言葉が出てしまう。何だその、聞くに堪えない稚拙な慰めは。
矢継ぎ早にオレは言葉を繋げようとした。だが、顔を上げた彼女を前に、二の句が継げなくなる。
「やっぱり綾小路くんは優しいのですね……。だから、そんなあなただからこそ、私は一緒にいたいと思ったんですよ」
そう言って柔らかな笑みを浮かべるひよりに、オレの脳はエラーを吐いた。かき乱される思考を制御できない。この感覚はそう、彼女が手を握ってきたあの時の……
この感情を分析する必要がある。なんとか再起動を果たしたCPUにむち打ち、思考を回そうとした。
……いや、後回しだ、喫緊に対処しなければならない問題がある。素人の気配すら感知できないとは、気を抜きすぎだ。
「オレもすぐ合流する、先に行っててくれないか」
「ええ、待っていますよ」
優雅に一礼してから立ち去るひよりに手を振って答える。
そうして建物の中へと入っていく彼女を確認してから、口を開いた。
「おい平田、なんのつもりだ」
「……気づいていたんだね、上手いこと隠れたつもりだったんだけど」
悪びれもせず姿を表した平田に疑問をぶつける。
「さっきは黙っていたというのに、一体どういう了見だ」
「確かめたいことがあったんだ。と言っても、その疑問は解消されてしまったけどね」
平田は平然とした様子だった。彼ならクラスを裏切った俺に詰め寄るぐらいはしてきそうだが、どうにもひっかかる。
移籍の情報が漏れていたのか、そんな考えすら浮かんだ。
「椎名さん、だよね。君が移籍を決めたのは」
「言っている意味がわからないな。オレは自分の意思でDクラスへと移ったんだ。まだ同じ説明をご所望か?」
「らしくないね、清隆くん。君が苛立っているところを見るのは初めてかもしれない」
『清隆くん』と、彼はそう呼んだ。平田は堀北とは違い、オレの裏切りを確信しているだろうに。
それに苛立っているとはどういうことだ。
「まずは謝らせてほしい。君たちの会話を盗み聞きするつもりはなかったんだ。さっきも言ったけど、確かめたいことがあったからね」
「……僕はね、君は僕たちが思っているよりずっと恐ろしい人なんじゃないかと、そう疑っていたんだ。だから堀北さんたちに同行した。もしかしたら、君が隠していた本性を露わにするんじゃないかって」
「友達の佐倉さんを切り捨て、前園さんを平然と追い込むなんて普通じゃない。最悪、君は自分以外の人間を路傍の石ころのように捉えているとすら想定していた」
その認識は間違っていない。堀北クラスの人間の大半、いやこの学校の大多数は関心を向ける価値すらないと思っている。
事実、最早記憶容量の無駄遣いとなった先輩の顔など、ノイズがかかったように塗りつぶされており、思い出すことすらままならない。
「だとしたらなんだ。前園を退学させたオレに復讐でもしたいのか」
「それに対して言いたいことは山ほどある。けどその話は今度にしないと逃げられてしまいそうだからね。本筋の結論から言うと、僕の考えは正しくなかったとわかったんだよ」
「話が見えてこないな」
「君の様子を見る限り人情を持たないわけじゃなくて、単に前園さんが君にとって重要な存在じゃなかった、ということだろう? 是非はともかく、人に優先順位をつけるのは仕方のないことだと理解しているよ」
だからって、前園さんの退学を許せるわけじゃないけどね、と彼は付け加える。
「それに、さっきDクラスの人たちを遠ざけたのも、冷淡な姿を見られたくなかったからじゃないかな? 君はどうしてか、あえて僕たちの敵意を煽るような言葉選びをしているようだから」
指摘は一部当たっている。別にオレは彼女たちを嫌っているわけではない。むしろ堀北に対してはAクラスの指導者として、大いに期待を寄せている。オレの言動はあくまで、今後の勝負を有利に進めるための揺さぶりであり、そして堀北がオレの裏切りを乗り越え、より成長するための促進剤にすぎない。
しかし、疑問なのは、彼があまり非難するような口ぶりをしていないことだ。
オレは黙ったまま続きを促す。しかし平田は答えることはせず、ただいつも通り人のいい笑みを浮かべるだけ。
「悪いけど、これ以上教えるつもりはないよ。だって僕らは敵同士なのだろう?」
一人合点をしたまま平田は背を向けた。
「じゃあね綾小路くん。僕たちはもはや争うしか道はない。けれど最後の最後で、君を決定的に嫌うことにならなくて良かったよ」
二年間苦楽を共にしてきた友人との決別。きっと普通の人間なら心を痛めるのだろう。
しかし、オレの心は何も変わらない。
オレが冷酷な人間と言っているのなら、まさにその通りだ。感情を、他人を操るための変数としか思っていないのだから。
一応、龍園との別れなど、心動かされることは無かったわけじゃない。しかし、標準的な人として著しく機能不全を起こしているそれが、本当に感情であるかは定かではない。
オレにとって感情とは観測対象でしかなかった。他者という信頼できない語り手、あるいは活字、あるいは液晶画面。これらを介してしか知覚できない存在を、いつか自分のものとして享受することはできるだろうか。
オレの人情とは何だ。やはりそれらしきものを感じた覚えはない。
唯一思い当たる節があるとすれば……そう。堀北とカフェで会話した一幕だ。オレは彼女との会話で笑っていたらしい。
意図して感情を演出させたことはあるが、完全に無意識だったのは堀北だけ。
もしかしたら、彼女こそがオレの感情の鍵を握っているのかもしれない。そんな淡い期待が胸中を満たした。
◇
「悪い、遅くなった」
「構わないぞ綾小路、丁度石崎と伊吹の話も終わったところだ」
カラオケルームに着くと予定にない三人が座っていた。石崎と伊吹とアルベルトだ。尋ねると、どうやらひよりが呼んでいたらしい。
よく伊吹が従ったな、と尋ねると彼女はあからさまに不服そうな顔をした。これはひよりに無理やり連れてこられたやつだな……。
「この3人というと屋上の一件だな?」
「そうだ! お前が龍園さんも一目置くすげえやつだって知れば、金田も葛城も納得してくれると思ってな」
「あたしは反対! やっっと龍園にこき使われなくて済むと思ったら、次はこんな奴の下に付くなんて御免よ」
そう、この会合の目的は誰がDクラスを率いていくか、それを決めることだ。
候補はオレ、金田、ひより、そして一応葛城か。
現状最有力なのは実績のある金田だろう。クラスの貴重な頭脳派であり、ひよりと比べて積極性も持ち合わせている。そしてオレや葛城と違って外様でもない。
「俺は龍園から話を聞いている。お前が卓越した頭脳を持つことも、余人では並び立てない身体能力を備えていることもな。春休みの一件でも伝えたが、お前がリーダーになることに異論はない」
「私も綾小路くんを支持します。この先クラスで勝ち上がっていくためには、堀北さんのクラスを0ポイントからAクラスまで導いた、彼の手腕に委ねるのが最善です」
「I totally agree」
葛城、ひより、アルベルトも賛意を表明する。
残す一人、金田は目を閉じ、腕を組んでいた。三秒ほど経ってゆっくりと目を開けると、唇を舐めてから少しかすれた声で話し始めた。
「……綾小路氏を引き入れたのは、確か石崎氏と椎名氏でしたね」
金田はひよりと石崎に目を向けた。
「はい。彼が実力を隠していることには気づいていましたから」
真面目な雰囲気を察して、ひよりが石崎に代わって答える。
「純粋に戦力が目的だったのですか?」
「綾小路くんと同じクラスになれたらいい、そういう私情があったことは否定しません」
「お二人は随分と仲が良いのですね。他クラス同士とは思えない関係性があったことに少々驚いています」
「図書館で意気投合してな。読書仲間として良く一緒に過ごしていた」
水を向けられたのでそう返した。正直、展開が読めない。金田はこのやり取りに何を求めている?
「確か一年生の十二月ごろでしたね。ミステリーの話で盛り上がったのがきっかけです」
そう、確か堀北に貸出図書の『さらば愛しい女』の返却を頼まれて、ついでに他の本を借りようとしたら『嵐が丘』を取ろうとしていたひよりに会った。
オレたちはお互いに顔を見合わせた。ひよりも出会った頃を思い出したようで、どこか懐かしむように柔らかな笑みを浮かべる。
一方の金田は再び目をぎゅっと閉じ、耳を掻いた。腕を組み直すと再び話を切り出す。
「……少し脱線してしまいましたね。リーダーの話に戻りましょう。結論から言うと私は反対です」
「なんでだよ金田! 綾小路の実力がまだ信じられねえっていうのか」
「そうではありませんよ。集まった情報から、彼が非凡な生徒であることは疑っていません」
「えぇ、認めますとも。業腹ですが、彼は私より優れているのでしょう。龍園氏すら手玉に取って見せた頭脳に加え、身体能力は言わずもがな。私の得意分野である勉強さえも、全力を出した彼には及ばないのかもしれません。」
恐らくペア筆記試験のことを言っているのだろう。幸村と同じく勉強のできる金田だからこそ、満点の異質さには気がついていた。
「ですがね、そう易々と受け入れられるものじゃないんですよ」
そう言って金田は顔を上げ、オレの顔を見やる。
「私は二年間このクラスにいたんです。クラスの勝利のため身を粉にして働き、不振にあえぐ時も支え続けました。」
肚の底から漏れ出したかのような声音が耳朶に響く。
継げようとした言葉が一度途切れ、彼はぐっと歯噛みをした。
「優秀な人が来たから、今日からお前はさっさと身を引け、なんて……認められるわけないでしょう……」
彼の反応は正しい。
たとえ能力があるからといって、突然やってきた外様に舵取りを委ねることは受け入れ難い。クラスのリーダーは特別試験の趨勢を大きく左右し、時にはクラスメイトの生殺与奪の権利すら行使し得るからだ。石崎のように最初から信頼しきっている者の方が異端ともいえる。
第一、この状況は龍園が仕組んだもの。彼は金田にリーダーを任せたと言っていたからな。あくまで推測だが金田が大人しく引き下がり、面従腹背になることを恐れたのかもしれない。彼はクラス内で大きな影響力を持つ生徒の一人。他のクラスメイトも追随して内部分裂が起こることもあり得るからだ。
とはいえ予想以上に頑なな反発を見せる。金田という人物について、分析が足りていなかったようだ。
「……すみません取り乱しました」
「お見苦しい所をお見せして面目ありません……。やはり私はリーダーにふさわしくないのかもしれませんね。ですから、やはり綾小路氏にーー」
「金田、すこし待ってくれ」
突然口を挟む葛城。
「前言撤回だ。俺も綾小路に異を唱えさせてもらう」
「どうしてだよ葛城! お前龍園さんからも話聞いてたんじゃねぇのかよ!」
「そうだな、一つ解消していない問題があったのを思い出した。そう、前園の退学についてだ。綾小路、説明してくれ」
なるほど。意図的にクラスメイトを退学に追いやったことは確かに気がかりだろう。
特に葛城は坂柳によって腹心の
オレは出来る限り詳しく、誤解を生まないように説明をする。
「まず、前園は交際相手の橋本にクラスの情報を流していた。クラス内に裏切者がいれば、特別試験において著しいハンデを背負うことになる。坂柳だけが堀北クラスに対し、一方的なアドバンテージを有している状況は看過できなかった」
「だから初犯で、警告もなしに死刑を下したと?」
葛城が鋭く質問を投げる。
「対価がプライベートポイントであれば、そのつもりはなかった。2000万という個人の勝ち筋がある以上、それは戦略として想定しておくべきだからな」
「だが前園の行動原理は恋愛感情だった。無形かつ数値化できない利益をコントロールすることは現実的ではない。説得しようが強引に別れさせようが、裏切っているのではという疑念は拭えないからな。だから退学という形で処断するしかなかった」
前園はクラス間競争に恋愛を持ち込むべきじゃなかったんだ。オレはそう付け加える。
葛城は一瞬だけ金田の様子を伺った。彼が口を挟まないことを確認すると再度話し始める。
「お前の言い分はわかった。筋も通っているしその点について俺に異論はない。だが、全員が腹落ちできるわけじゃないだろう。金田だってその一人だ」
「だろうな。オレの実力についても、そのやり方においても最初から信用されないことは百も承知だ」
「だから、金田にチャンスをやってくれないか」
「チャンスだと?」
「次の特別試験、綾小路に指揮をとってほしい。その成果を金田が認めたのなら、お前をリーダーとして支持する、というものだ。これならクラス運営を停滞させることなく、この問題を解決できる」
既にオレをリーダーと認めている葛城が出てきたのはこのためか。推測だが、感情的に納得できない金田の代わりに、自分が矢面に立って折衷案を飲ませるつもりだったのだろう。龍園の補佐を務めてきた経験の賜物か、サブリーダーとしての適性はやはり高い。
「しかし葛城氏……」
「金田、お前の気持ちはわかるとは言えん。その感情はお前だけのものだからだ。しかし、クラスを支えてきた者として、そして一人の男として、身を引くことがどれだけ難しいのか、想像に難くない」
「だからこそ、お前が心から納得できる落としどころを見つけるべきだ。何も負い目を感じることはない。どんな結論を出そうとも、俺はお前の思いを尊重しよう。」
迷いを見せる金田に対し、葛城は正面から向き合い、深く頷くことで答える。
「……ありがとうございます。戸塚氏があなたに心酔していたのが、今なら理解できますとも」
「嬉しいことを言ってくれる」
そう言うと彼らは笑顔を見せた。
葛城も、今やDクラスにとって欠かせない存在となっているようだ。
「綾小路氏、先ほどの提案受けていただけませんか」
「ああ、異論はない。今までクラスを支えてきたお前が不満を覚えるのも当然だ。オレなりに貢献して、認めてもらえるよう努力するさ」
クラスをまとめあげる絶好の機会。ここを逃せば再起は難しいだろう。
次の特別試験、必ずクラスを勝利へと導く。
「ねぇ、あたし来る必要あった?」
ポテトを食い終わり、手持ち無沙汰となった伊吹がそうぼやいた。
学力 A-(83)
身体能力 D(27)
機転思考力 B(69)
社会貢献性 A-(81)
総合 B-(63)
かつての龍園の側近にして頭脳担当。
一年生無人島試験では一之瀬クラスへのスパイをこなし、また龍園が一線を退いていた時期は代わりにまとめ役を買って出るなど、時には体を張ることさえ厭わずクラスに貢献してきた。クラス内投票では大多数の賞賛票を得ていたことから、その献身は認められている様子。
原作でも椎名ひよりへ密かに思いを寄せており、綾小路の来なくなった図書室へ通うようになるなど、不器用ながら距離を詰めようとしていた。彼らが両想いであることを察して身を引いたものの、無人島試験では彼女を綾小路の人質にした龍園に怒りを向けるなど熱い一面も見せる。
本作では彼の移籍に最も衝撃を受けたうちの一人。彼女が綾小路に対して特別な感情を向けていることは知っていた。しかし、彼には交際相手がいること、そしてクラスという隔たりがあったことから自分にもチャンスがあると思っていた、思っていたのに。
龍園から後釜を任されており、彼の最後の指令を守るため綾小路と対立。しかし、そこに私情が混ざっていることは否定できない。彼が意図的に退学者を出したことに対する警戒心、ぽっと出のよそ者がクラスを牛耳ることへの反発、そして椎名ひよりに好かれており、容姿にも能力にも恵まれた彼への嫉妬。そんな自分の身勝手さに一度は降りようとするも、葛城に発破をかけられ、彼に挑むことを決めた。なお、葛城は金田の恋心には気づいていたらしい。