if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
一之瀬さん大暴れ回
こんな役回りは一章だけの予定なんです......今度はちゃんとヒロインするので......
※次回投稿は8/5を予定しています
俺は、
必要とあらばクラスのために汗水垂らすことはもちろん、他クラスのリーダーにも唾をつけ、自クラスの情報を龍園に流すことだって厭わなかった。
全てはAクラス卒業を盤石にするため。俺を見下した奴らを見返すためなら、なんだってすると決めていた。
俺のそんな性分を知ってる奴は知っている。だから、真面目一徹な神崎でさえ、こうやって接触してきているのかもな。
試験が発表された翌日、勝つためにはこれしかないと踏ん切りがついたのだろうか。
「橋本、取引だ。お前のクラスの情報を流して欲しい。その代わり俺たちはポイントを支払う」
俺はにへらと笑みを作る。利益に対する期待と、下手に出るヤツの卑屈さがちょっと混ざったようなやつを。
俺は声を作る。軽薄でバカっぽそうな声音は、人の警戒心を解くのに役立つからな。信頼を得るより、取るに足らない愚者であると思わせる方が楽に懐へ潜り込める。
「それは報酬と仕事内容次第だな。リスクに見合った額を出せるんだろうな?」
「Bクラスの少数戦代表を教えてくれ。成功報酬は1人当たり100万、最大で500万プライベートポイントだ」
500万という数字に俺は驚愕を隠せない。
「良いのか? Cクラスは大分金を溜め込んでいるようだが、それでも手痛い額だろうよ」
「ペナルティ100点分だろう。闇雲に買い漁るより建設的な使い方だ」
なるほどな。確かに100点分のペナルティを買い増しても、Bクラスの優秀層をカバーしきることはできない。それならポイントを一手に集め、買収工作に走る方が効果的と考えるのも無理はないだろう。
「加えて今度の少数戦、Cクラスの誰にペナルティを付与するかも教えて欲しい。こっちの成功報酬は空振りさせたペナルティ一点あたり五万ポイントで、最大500万まで出せる」
「トータルで1000万かよ。マジで太っ腹だな。Cクラスもなりふり構っていられないわけか」
「こちらには後がない。クラスポイントを増やす機会を逃せないからな」
「なるほどねえ」
神崎はどこか不安を隠せていない様子だった。この手の裏工作は不慣れなのか。
だが、それだけに安心できる。龍園のようなキレ者や綾小路みたいなポーカーフェイスの化け物相手じゃこうは運ばない。
「良いぜ、乗ってやるよ。あと契約書は不要だ。こんな後ろ暗いことに証拠を残したくはないからな」
「ああ、それは同意だ。俺も一之瀬に無断で動いている。尻尾を掴まれるリスクは極力排除したい」
その代わり二人で固い握手を交わす。
合わせて、今度は人の良い笑みを浮かべてみせる。こういう作戦には信用が大事だからな。
今まで日和見主義に徹してきた俺は利益をぶら下げればついてくる。そんな風に思わせればいい。
そう、今の俺は自分のために動いている。
◇
試験が発表され、綾小路くんと打ち合わせをした二日後、第一回のC・Dクラス合同勉強会を開くこととなった。場所は図書室の一角。私たちは先んじて席を確保して待機中。
80人が一挙に集まって勉強するわけにはいかないので、それぞれ三人前後の生徒を出して小グループを作り、リーダーの私たちでそれを統括している。仮に問題が起これば、その中の講師役が相談しに来る体制だ。
でも、グループの調整は本当に大変だった。何せ学力はもちろん人間関係にも気を遣わなければならない。同じクラスの仲良しだけで固まったり、逆に険悪な人同士を組ませて分断状態となったらなんの意味もないからね。一年生で合同合宿の経験があって助かったよ。
「結局、グループ割については一之瀬にほぼ丸投げか……」
「あはは、まあ得意不得意があるから仕方ないと思うよ」
「そうは言ってもな……。お前の方がDクラスの人となりに詳しいのはさすがに立つ瀬がない」
綾小路くんは男子はともかく、女子とはまだ全然話せていないらしい。確かまともに会話したのは椎名さんと伊吹さんの二人だけ、って言ってた。
クラスのリーダーとしてはちょっと問題だけど、私としては安心できるかな。
正直、これ以上マークしなきゃいけない娘が増えるのは面倒だから。
「そんなことより、大変なのはここからだよ。何事もなく終わってくれたら良いけど……」
「トラブルがあるとすれば、十中八九うちの連中が発端だろうな。まったく。目を離せないとは随分と骨が折れる」
私と綾小路くんの担当は一言で言うと問題児グループ。Dクラスからは石崎くん、山田アルベルトくん、小宮くん、近藤くん。うちのクラスからは柴田くん、千尋ちゃん、麻子ちゃん、渡辺くんとなっている。
何と言ってもDクラスの面子が問題。龍園くんの指示とはいえ、私たちに妨害や嫌がらせをしてきた張本人たち。クラスメイトのほとんどは敵意を抱いていると言っていい。
そして、このグループのCクラスはその傾向が特に強い。逆に彼らを宥めすかすことさえできれば、同盟に異を唱える人はぐっと減るはず。
別に仲良しになる必要まではないけれど、背中を預けられる程度には関係値を作らなきゃね。
「この勉強会の成否はオレたちにかかっていると言っていい。この四人と上手く折り合いをつけることができれば、自ずと目標は達成できるだろう」
「だね。この先一年の戦略を左右する重要な一歩。なんとしてでも成功させなきゃ」
私たちは一等気合を入れて臨んだ――
□
「……疲れた」
勉強会も終わり、綾小路くんと別れて帰路に就いていた。本当は一緒に帰りたかったんだけど、やるべき事を済ませるのが先だ。
一回目の勉強会は甘めに見積もって『ギリギリ失敗じゃない』レベルだった。
どっちのメンバーもリーダーに言い含められていたおかげか表立って挑発してくることはなかったけど、些細なことから皮肉や当てこすりをして、それに反発しての応酬で……。
たった二時間でも息苦しくてしょうがなかった。立ち上がりそうになるDクラスの人たちを、綾小路くんが宥めてくれてなかったらどうなっていたことやら。
特に千尋ちゃんは相当御冠みたい。使うはずのないコンパスがペンケースの中に入っていたのは、多分そういうことなんだろうなあ……。
幸い、他のグループから問題報告は受けていない。念のため確認する必要はあるけど、内部で処理できない程の衝突が起こっていないのであれば、それで十分。自分が受け持ったメンバーに注力できるのはありがたい限りだ。
今の時刻は18時ごろ。思わず目を細めてしまうような西日も、いよいよ落ち着きを見せていた。
今みたいな時間を『黄昏時』と言うんだっけ。古文の先生が言うには『誰ぞ彼』が変化して『黄昏』らしいけど、別に近くの人の顔がわからない程暗くはないよね。
昔の人はこういう時間帯に魔物が出る、と恐れていたと聞く。でも、そういうのって真夜中の方が出そうじゃない?
だから私は暗さというより思い込みによるものだと思ってる。何も見えないより、輪郭だけ捉えられる存在の方が怖いもんね。
そんな取り留めのない事を考えながら、歩みを進めていった。
「坂柳さん? 偶然だね」
彼女はカフェのテラス席でクラスメイトと共にいた。
「おや、一之瀬さんではありませんか。勉強会とは精が出ますね」
さすが耳が早い。三年生を前にBクラスへ降格したものの、その才腕は変わらないみたい。綾小路くんを欠いたAクラスが追い抜かれるのも時間の問題かもね。
彼女は一度、クラスメイトに合図をしてから席を立つ。
「一之瀬さん、少しだけ場所を変えましょうか」
◇
一之瀬は坂柳を促し、街灯と街路樹の間に置かれたベンチに座らせる。
ゆっくりと腰かけた彼女は、同様に一人分空けたスペースを右手で示すも、一之瀬は左手を上げて断り、そのまま話を切り出した。
「もしかしてお邪魔しちゃったかな」
「いいえ、構いませんよ。ただの世間話ですから」
二年生最後の特別試験を終えて以降、坂柳はクラスメイトとの交流を意図的に増やしていた。クラスの方針を決める際も意見を募るようになり、クラス間競争に関係ない雑談をするようにさえなったという。
不器用ながら他人への配慮や親切を見せるようになった彼女を、クラスメイトたちは好意的に見ていた。
「以前の坂柳さんは益体もない世間話なんてしなかったと思うけど?」
「多少は人付き合いも大事だと思うようになっただけです。そういう一之瀬さんこそ、随分と様変わりされたようで」
「綾小路くんのおかげかな。優しさと甘さを履き違えただけの、どうしようもなかった私に手を差し伸べてくれたんだ」
「彼に出会って救われて、すべてが変わった! 私はもう、昔の情けない私じゃないの」
目を見開き、心底嬉しそうに語る一之瀬。
相対する坂柳は対照的な渋面を浮かべる。
「純粋に親切として申し上げます。綾小路くんに懸想するのは止めません。ですが、彼の外面だけを見て盲信することはやめるべきです」
「あなたは優秀な生徒。しかし、それだけでしかない。彼を模倣し、身の丈に合わない振舞いを続ければ、その先に待つのは破滅だけ」
「あなたと彼は違う。境遇も、才能も、価値観も、全てが。一つ言えることは、綾小路くんがDクラスに配属されたのには相応の理由がある、ということです」
坂柳はまるで子供に聞かせるように言い含める。そこに嘲りのような感情は含まれていなかった。
「……ふぅん。綾小路くんのことはお見通し、って言い草だね」
「私は彼の――」
「幼馴染、でしょ? でもそれって本当なの? 綾小路くんは、坂柳さんとは高育で初めて会ったって言ってたよ」
「一方的に知ってて、一方的に意識してただけの関係性。そんな人が本当に、私よりも綾小路くんを知ってるって言うの?」
傲慢。隠そうともしないその気色に坂柳はため息をつくしかない。
彼女の言うことは間違いではない。一之瀬が坂柳より彼と多くの時間を過ごしているのは確かだ。そして、自分が彼を知った気になっていたことも彼女の指摘通り。
しかし、彼の生い立ちを知らずして語れないのも、また事実だ。
『ホワイトルーム』という常軌を逸した非人道的な施設。感情を捨て、能力のみを希求させられた子供たち。その上面の成果だけを誉めそやす彼女こそ、綾小路について何も知らないのではないか、と坂柳は思う。
この学校の誰一人として、綾小路清隆という人物の核心に近づけていない。橋本の伝言を受け取ったあの日以来、彼女はますますそれを感じるようになっていた。
――だからこそ、一之瀬を憐れまずにはいられない。
「……ええ、良いでしょう。あなたがその道を選ぶというのなら、もはやかける言葉もありません。精々、大怪我をしない転び方をするよう、お祈り申し上げますよ」
「坂柳さんこそ、今のうちに失恋のショックに備えておいた方が良いよ? 私の方が綾小路くんのことを理解してるって、思い知らせてあげるから……!」
宣戦布告をする両者。
坂柳はそれだけ言い残すと、一之瀬を一顧だにすることなく立ち去った。
□
「すみません、お待たせしてしまって」
「大丈夫ですよ。丁度、森下さんとの話し合いもひと段落ついたところです」
真田は椅子を引いて促す。彼女は右手でそれを制し、「そろそろ帰りましょう」と提案した。
「坂柳有栖、何かありましたか? 目出し帽を被った私に絡まれた時の
「彼女になんてことしてるんですか……。大したことはありませんよ。少し、世間話をしただけです」
飲み切ったカップを片づけてくれる森下に礼をし、三人で寮へと向かうことにした。
夕日はすっかり落ち切り、厚紙程度の茜色がその名残を見せる。
どうやら直上の街灯が故障していたようで、一之瀬と坂柳が話していたベンチはもはやシルエットだけになっていた。
「知っていますか真田くん、森下さん。今のような時間を『逢魔が時』と言うらしいですよ」
◇
坂柳が一之瀬と会話をした翌日、カラオケで作戦会議をすることになっていた。集められたのは坂柳、真田、島崎、森下といったクラスの頭脳に加え、貴重な武闘派の鬼頭、そして男子のまとめ役でもある司城の六人だ。
「皆さん、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
「前置きは不要ですよ坂柳有栖。それより、まだ揃っていないようですが待たなくて良いんですか」
慇懃に頭を下げた坂柳をぶった切る森下。
今までクラスメイト同士であっても積極的に関わってこなかった彼女だが、三年生に入りなぜかこういった集まりに顔を出すようになっていた。
「彼女には今、Cクラスの偵察をしてもらっています。ここでの話し合いは後々共有しますから心配ありませんよ」
自分で聞いたくせに、興味なさげにドリンクを飲む森下。坂柳は怒りもせず微笑みを向けるだけだった。
彼女が視線を外した途端、森下はその様子をじっと見つめる。
「さっそく本題に入りましょう。今回の特別試験についてですが、まず誰を選抜するかはそこまで重要ではないと考えています」
「それはどうしてだ? 自クラスの選出こそ鍵を握ると思っていたのだが」
疑問を投げかける
「層の厚さですよ。私たちは全クラスの中で最も学力に秀でています。B+以上の生徒だけで全体の三割を占めていて、学力Bの生徒も含めれば約半数。彼らはこれだけの人数の中から選抜された生徒を見抜き、ペナルティを付与しなければなりません」
「なるほど。マークしきれないだけの手札があるからこそ、その中の誰が出ても勝率は高いと見込んでいるのか」
「しかし、相手もそれはわかっているはず。プライベートポイントを使ってくる可能性は高いんじゃないか」
「ええ、そこは無視できません。そして、Cクラスがなりふり構わずポイントを吐き出せば、私たちの敗北もあり得るでしょう」
「なら、こちらもある程度は付き合うつもりと?」
「いいえ。持ち前の100点をやりくりする方が賢明です。理由は主にニつ、順を追ってお話しますね」
坂柳は一度区切って喉を潤す。重要な部分になると思った銘々も真似たようにドリンクを口にした。一度落ち着いた室内に、森下がガリガリと氷をかじる音が響く。
「一つ目は資金力というアドバンテージを捨てる程の勝負ではない、ということです。Dクラスは綾小路くんの移籍で2000万を消費し、堀北さんのクラスは組織立ってポイントを管理するようになって日が浅い。仮に一之瀬さんが大量のポイントを使えば、今後の特別試験、マネーゲームで私たちが負けることはまずあり得ません。これは100のクラスポイントにも勝る状況と言えるでしょう」
「二つ目は今回負けたとしても形勢に変化は生じない。Cクラスがここぞとばかりにスタミナを消耗したところで、リードは揺らがないんですよ」
「待ってください。確かにCクラスとは400以上差がありますが、私たちが睨むのはAクラスのはずです。今回の試験で彼女らが勝てば、一回の試験では覆せない差が生まれることになるでしょう」
森下が待ったをかけた。全員がその発言に同意を示し、頷いている。
「確かにAクラスが勝てば問題でしょうね。ですが、私は彼女らが負けると予想、いや確信しています」
「その根拠は何だ」
「綾小路くんならその程度の不利、難なくひっくり返せるからです。Aクラスの戦略は彼にはお見通しであり、逆にAクラスは彼の作戦を何一つ読めていない。恐らくペナルティの攻防では完敗するでしょうね。今指揮を執っている平田くんでは相手になりません」
「堀北さんが立ち直ればあるいは、とも思いますが、それを許す綾小路くんでもないでしょう。兆候が見えれば早急に手を打ちますよ」
加えて、堀北クラスも平均学力は向上したが上位層には決して恵まれておらず、学力Aが三人にB+が三人。一方の綾小路クラスはAが三人、A-が一人だ。ペナルティの振り方次第で十分にひっくり返せるだろう。
無論ペナルティについては、綾小路が攻守どちらにおいても堀北クラスを出し抜いた場合に限られるが。
「坂柳さんは口ぶりからして、Dクラスの作戦を知っているみたいですね」
「諜報活動の副産物ですよ。春休みの段階では堂々とやっていたのに、試験が発表された途端隠すようになったのでは、彼らが出ると言っているようなものです」
坂柳は、「もちろん、堀北さんたちに教えてあげる義理はありませんけどね」と付け加える。
移籍が発表されて以降、彼女は綾小路の周囲には特に諜報網を張り巡らせており、その際たまたまキャッチした情報に過ぎない。もっとも、堀北クラスは今まで情報戦を綾小路に頼りきりだったため、まず掴めていないだろうと予想していた。
「しかし、綾小路清隆とはそれほどの逸材なのでしょうか。確かに底知れぬ何かを感じることはありましたが、彼は以前木に手を当てて『森の声を聴いている』とか抜かしていた変人ですよ」
「うふふ、そんな一幕があったのですね。私も是非居合わせたかったです」
冤罪をかけられる綾小路。実際は森下が自分の真似をさせたのだが、現場を見ていた者がいない以上、疑いを晴らせるわけもない。
「今まで散々手を抜いていましたが、一年生の体育祭リレー、選抜科目試験、ペア試験の満点、そして二年生最後の特別試験とその片鱗は何度も見せています。ちなみに、本来選抜科目のチェスで負けていたのは私なんですよ」
彼らは衝撃の情報に顔を見合わせた。確かに今までも瞬間的に脚光を浴びることはあった。しかし、覇気のない出立ちや存在感のなさというイメージだけが先行して長続きしなかったのだ。
「彼の脅威については試験後、改めてお話します。その方がみなさん納得して下さりますから。今言うべきことがあるとすれば、今後私たちの最大の敵として相対することになる、ということです」
「話を戻しましょう。下位二クラスが勝ったとしても勢力図に変化はありません。私たちはCDクラスに十分なリードを保ったまま、Aクラスを射程圏内に捉えている。再度強調しますが、数十、数百万単位のプライベートポイントを投下してまで勝ちにこだわる必要はないのですよ」
坂柳の説明に、彼らは各々納得した表情を見せた。それを確認した坂柳は更に話を続けていく。
「では、Cクラスが誰を代表に据えるか、こちらは重要になってきます。お互いにペナルティを外した勝負となれば、選抜された生徒とそのマッチング次第になりますし、平均の高さはあまり関係ありませんからね」
「学力の高い順に上からペナルティを乗せるだけで良いのではないか」
「鬼頭くんの言う通りではあります。素直に考えればそうでしょうね。ですが、既に橋本くんがCクラスの情報を仕入れてくれているのですよ」
橋本の名前が出た途端、顔をしかめる森下と鬼頭。
森下に至っては鼻をつまみ平手で臭いを払いながら、ぺっぺと唾を吐く仕草を見せる。それはどれか一つでいいだろ、と島崎にツッコミを入れられていた。
「……橋本のことは信用できん」
「みなさんが彼に不信感を抱いているのは存じています。彼を重用している者として面目ない限りです。しかし、今回は私自身も接触した結果、その情報が正しいと判断しました」
夕暮れ時の邂逅で坂柳は確信していた。彼女が綾小路を盲信していること、そして
自分の方が綾小路に近い、自分が一番彼を理解している、そうひけらかしたくて堪らない。同じように彼を思い慕う坂柳だからこそ、一之瀬の剥き出しの独占欲にも一応の理解を示すことができた。
「Dクラスとの勉強会はカモフラージュ。彼女は、謂わば伏兵を起用してきます」
「伏兵……ですか。言い得て妙ですね」
「真田という苗字のくせに伏兵も知らないのですか。ご先祖様が草葉の陰で泣いていますよ。シクシク」
「そういう意味じゃないです……。それに僕はあの真田の子孫ではないですし、そもそも泣いてるのはあなたじゃないですか」
真面目にも答える真田だったが、森下には梨の礫のようだ。そっぽを向いてしゃくしゃくと氷を噛み砕き始めた。
島崎が彼の肩に手を乗せると、坂柳に先を促す。
「彼の情報によるとここ毎日、夜に新浦くんの部屋に男子三名が、一之瀬さんの部屋には女子が二名集まっているそうです。彼らはOAAの学力でCクラスの最上位には一歩劣る者たち。つまり、私たちが素直に上から順番にマークすると読んでペナルティを回避する。その上で彼らを集中的に鍛え上げる作戦に勝機を見出したのでしょう。あまりペナルティを分散させてしまうと、おのずと無駄になる点数も増えてしまいますからね」
自身の提案が敵の術中にあったことを知って鬼頭は気色ばむ。
「仮にペナルティを付与せずとも、私たちなら互角以上に戦うことができます。しかし、彼らは学力B以上の生徒であり、負ける可能性があるのもまた事実。そこで彼らに割り振るか、もしくは素直に一之瀬さんら最上位層に付与するかが問題になるわけです」
そう言って坂柳は各々に意見を求めた。
考える時間をとれるように、ドリンクバーのおかわりを注ぐよう促す。真田は彼女の分のコップも持って部屋を出ていった。
□
「では、みなさんの考えをお聞きしましょう」
戻ってきた面々に彼女は問いかける。
「私は坂柳有栖の話に乗るべきだと考えます。裏切者の橋本正義はともかく、あなたの洞察力には信用が置けますし、隠し玉を等閑視して無策に突っ込むことが最善手とも思えません。彼らが選抜されることを念頭に置いた上で、学力Aの生徒にだけ保険のペナルティを付与することを提案します。これなら本命を当てれば勝ちは揺るがず、たとえ外してもイーブンの勝負には持ち込めます」
至極真面目に答える森下に、坂柳ですらどこか呆けた顔を見せる。
神妙な顔をしていた彼女も、視線に気づくや否やドヤ顔を見せびらかした。
「……概ね彼女の言った通りだろうな。もとより俺たち有利の試験なのだから、保険をかけるやり口には賛成だ」
司城も続けて同意する。大勢は定まったようだ。
「ありがとうございます。ではついでですし、選抜生徒も決めてしまいますか。あてずっぽうに大量のペナルティを付与されたことによる負けを避けるため、学力Aを候補から外した上でA-及びB+から見繕う形が良いと思うのですが、みなさんが宜しければ私に一任していただけませんか」
「構わないさ。俺たちが避けるべきはペナルティを当てられること。俺たちを除外するのも、情報を外部に漏らさないように少数で決めるのも理にかなっている」
「僕も異論はありません。もし教師役が必要なら声をかけてください」
学力Aの島崎と真田が頷き、皆もそれに同調した。
それを合図に坂柳は話し合いを切り上げ、解散を促すと、各々立ち上がって退室していった。
「坂柳有栖、念のため確認しておきますが、選抜生徒の全権委任を求めたのは『
唯一部屋に残っていた森下が口を開く。
無表情でありながら、その瞳だけは坂柳を訝しげに捉えていた。
「気づいた上で黙っててくれたのですね。お礼も兼ねてお答えしますが、私利私欲のためではありませんよ」
「このままでは一之瀬帆波は自滅します。それも周囲を巻き込んで盛大に」
物騒な言葉に、整った形の眉を顰める森下。
「彼女は綾小路くんの手解きを受けてその才能を開花させました。しかし、まだスタートラインに立ったに過ぎないにも関わらず、まるで自分だけが綾小路くんに並んだと思い込んでいる。要するに力に溺れているのですよ。その結果が『この前の話』でお伝えした、彼女らしからぬ行動です」
「彼女の鼻っ面を叩いておかなければ、その力を無遠慮に振るい、想像もしない結果をもたらすおそれがあります。彼女の持つ影響力を鑑みれば無視できません」
「だから、一之瀬帆波と同じ選出策をとって彼女に勝ってみせる。お前の考えなどお見通しだった、と示すかのように。そうして驕った彼女を正さなければ、いつか前園杏のような『仕組まれた退学者』が出かねないと考えているのですね」
続く坂柳の言葉を見事言い当てて見せる森下に、彼女はただ賞賛を向けた。
「さすがですね、その通りです。蛇の道は蛇と言うでしょう。堀北さんでは荷が勝ちすぎますし、綾小路くん本人では意味がない。私が彼女を止めることが最善と判断しました」
「理屈はわかりました。しかし動機は腑に落ちないですね。ここ最近の振る舞いもそうですが、あなたは元々他人など顧みない性分だったはずです」
「たまには善行を働いてみても良いではないですか。痛い思いをして初めてわかることもあります。ですから、今回は一之瀬さんを安全に転ばせてあげよう、という私なりの親切ですよ」
「それに私だって成長するのですよ。あなただって、そう判断したからこそ三年生に入ってから協力してくれているのではないですか?」
森下を正面から見据えて疑問に答える。自身の今までを考えれば怪しまれるのも当然であり、だからこそ真摯に向き合わなければならない。そう思った彼女なりの誠意だった。
「ぐぬぬ。今回は論破されてしまいましたが、次は負けません」
「ええ、またお話しましょうね」
残ったジンジャーエールを一息に呷り、森下はそそくさと退散する。
彼女の聡明さは想像以上だった。真田と同じく一之瀬の脅威と豹変ぶりは信じきってくれないだろう、と思っていたが、彼女は当然のように受け止めていた。
「影でこそこそ動いているようですが、残念なことに相手が悪かったですね。――あなたの暴走は私が止めてみせましょう。私の周囲へと矛先が向く前に」
思い出すのは『生存と脱落の特別試験』。全てが終わってから押し寄せてきた、あのじっとりとした冷や汗と、いつまでもへばり付く口渇感は二度と御免だ。そう坂柳は改めて決意を固める。
ふと時計を確認した途端、彼女は慌てて立ち上がった。約束の時間を少し過ぎてしまっていたからだ。
ドアを開けようとした瞬間に『彼女』からのメッセージが届く。自分がカラオケに向かうから待ってて欲しいとのこと。
「さて、どうお話してあげましょうか」
坂柳は頬を緩ませると、再びソファへと腰掛けた。
椎名ひより(一章時点)
学力 A(86)
身体能力 D(28)
機転思考力 C(47)
社会貢献性 B+(76)
総合 C+(57)
原作ヒロインの一人にして綾小路の『特別な存在』。
争いを嫌う性格で、元々はクラス間競争からは距離を取っていたが、その一方で龍園相手にも毅然として意見をぶつけることができる芯の強い一面を持つ。次第にクラスにも協力するようになるが、同時に思い人とクラスとの葛藤に苛まれるようになった。無人島試験、二人だけの夕焼けシーンは必見。
綾小路の感情を呼び起こした数少ない人物であり、彼女もまた、彼だけにはよく純粋な笑顔を見せるとのこと。今後の進展が期待される。
本作でもヒロインを務める。綾小路の移籍を一番喜んだ人物であり、承諾の返事を貰った日は伊吹に連絡して喜びを露わにしていた。内容自体は伏せていたものの、そのせいで彼女には移籍がバレていたそうだ。
三年生に入ってからクラスでの様子があからさまに変わり、かつ綾小路と話す時の様子が見るからに楽しそうなことから、結構な数のクラスメイトに好意がバレている。一応本人たちは付き合っていない、と否定しているものの、未だ半数弱はその言葉を信じていない。
綾小路のクラス移動と軽井沢恵との破局、そして彼の側にいる一之瀬帆波の影を見て一念発起。レシピ本が部屋に置かれるようになったり、珍しくファッション雑誌を借りたり、西野から化粧を教わったりと、以前にも増して積極的になった。倹約生活の綾小路を見かねて、現在は弁当作りを練習中。
一話の日以降、綾小路とはほぼ毎日奥まった定位置で過ごし、半ば図書室の名物カップルと囁かれている。職員たちも微笑ましく見守っており、利用者をそれとなく離れた席へ誘導しているらしい。なお、彼が来ない日は、彼の席の前に本を置いて一人で読書をしている様子。
『彼女』の耳に入るまで、あと少し。