if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
※次回投稿は明日です
試験前日の放課後、Bクラスの一部はカラオケルームに集まっていた。本来であれば試験に向けて最後の追い込みをしたいところだったが、それ以上に無視できない事情があったためだ。
今回集まったのは坂柳、真田、島崎、森下、鬼頭の五名。坂柳がクラス戦略の詳細について情報共有をしているメンバーの一部だ。
時刻は17時。今日は特別試験に備えて午前授業のみのはずだったが、何故か坂柳が指定したのは夕方だった。
「坂柳、一体どうするつもりだ」
鬼頭が問い詰める。あくまで平静を装っているようだが、貧乏ゆすりを抑えきれていない。
重苦しい空気の室内に、僅かに漏れ聞こえてくる重低音が響く。
橋本の裏切り疑惑、それは二年生の段階から燻っている火種だった。時にクラスの情報が漏れているとしか思えない状況において、龍園との個人的なつながりや、本人の飄々とした振る舞いから彼が疑われていたのだ。
『生存と脱落の特別試験』における不審な他クラスの動向によって、その疑惑はますます強まっていった。遂にそれが噴出したのかと坂柳は状況を俯瞰する。
「本題を切り出す前に、鬼頭くんと島崎くんには謝罪をしておかなければなりませんね。不要な混乱を招いてしまいました」
まるで坂柳らがあらかじめ知っているかのような反応に、名指しされた二人は訝しむ。反対に真田、森下は何ら動揺を見せていない。
「疑問にお答えしましょう。橋本くんに買収の打診があったのは接触があった当日から知っていました。何せ橋本くん本人の口から、神崎くんに裏切りを持ち掛けられたと報告があったのです。神崎くんは独断と言っていたそうですが、報酬額から見てクラスの意思によるものなのは明らかでしょう」
「なぜそれを黙っていた? クラスにどれだけ混乱を招いたと思っている? そもそも最初から知っていたなら、前回の集まりには何の意味があったんだ」
島崎は不満を隠そうともせず、苦々しい表情で腕を組んだ。無駄にCクラスの前で喚き散らされた挙句、踊らされていたと知れば不快感を示すのも無理はない。
「真面目に試験対策をしていた私たちが、不意にもたらされた情報によってすっかり踊らされた様を、一之瀬さんに見せつけなければならなかったからです。これからお話する一之瀬さんの計略と、それへの対抗策のためには必要でした」
『勝つために必要』と言われてしまえば引き下がらざるを得なかった。島崎と鬼頭も不承不承ながら座り直す。
「まず、真田くんと森下さんにだけお話していたのは、一之瀬さんの観察眼をやり過ごすには腹芸ができる人でなければ無理だからです。しかし、その一方でクラスの方針を決める人も最低限必要でした。その両方を満たした人選が真田くんと森下さんだったのです」
「私は事前の許可なく独断専行はしない。この約束を反故にするわけにはいきませんからね」と坂柳は付け加える。
「では、なぜ全体に橋本くんの件を共有しなかったかと言うと、彼には二重スパイになってもらっているからです。相手の指示は、我々の代表生徒の情報を流すことと、Cクラスの偽の代表を信じ込ませることの二つ。このうち、前者については偽情報を掴ませており、後者については前回の集まりで述べた五人です。ちなみに、Cクラス代表の情報については買収への対抗策のため、あえてそのまま話させてもらいました」
「二重スパイの場合、相手に『買収は成功した』と確信させる必要があったからね。でも、中途半端な芝居は一之瀬さんに看破されるのが関の山。だから思い切って何も知らせないと決めたんだ。みんなには悪いことをしてしまったけど、おかげで彼らはすっかり信じ切っているはずだよ。何せ本当に裏切られたと思っていたんだから」
真田が補足する。実際、鬼頭と島崎をCクラスへ行かせたのは真田だ。
しかし、島崎はまた疑問を投げかけた。
「お前たちによってCクラスの工作がコントロールされていたのは十分理解した。だが、橋本が本当に裏切っていない保証はあるのか? それがなければ俺たちは情報の優位を得たように見えて、結局『橋本正義を信じられるか』という問題から抜け出せていない」
そう、神崎による買収の誘いが事実である以上、彼が裏切る余地は残されている。
橋本は坂柳に買収の事実を伝え、坂柳は彼を二重スパイへと仕立て上げたが、それこそがCクラスの本命の可能性も捨てきれないのだ。Bクラスからの信頼を得た彼が堂々とBクラスに偽情報を伝え、逆にCクラスへは正しいものを流す。裏切りを盤石にするための芝居ではないかとの疑念が拭えない以上、安易に彼を信用できない。
これが真田のような人物であれば問題はなかった。しかし橋本は以前から黒い噂のある人物であり、やはり手放しで信じるのは難しい相手と評するほかない。
「はい、そこはネックです。一之瀬帆波にしてみればこのような状況に陥ったとしても、私たちに橋本正義を信用するか否かの二択を押し付けられます。彼には元々裏切りの疑惑が付いて回ってますからね。仮に橋本正義が真実買収に乗っていなかったとしても、Cクラスは決定的に不利にならない。彼女らしからぬ巧妙な手口です」
森下が代わりに答える。橋本に不信感を抱いていた彼女らしい発言だが、坂柳は否定しない。
「ですから、どちらのケースであっても対応できるようにしなければなりません。状況はフィフティフィフティに逆戻り。ですが、それこそ私たちに望ましい状況でもあります」
「……学力の差だな」
合点がいったように頷いてから鬼頭が答える。
坂柳は満足げな顔をしながら説明を続けた。
「一応、橋本くんが本当に裏切っていて、代表生徒が筒抜けかつ敵の偽情報を流されている最悪の状況であっても、私たちは不利になりません。橋本くんには偽の選抜生徒を知らせていますので」
坂柳は
「では、このままお互いに出たとこ勝負の状態で試験に挑み、学力差で押し切るつもりか? 俺はそれでも問題ないとは思うが」
「それも一つの手です。しかし、相手が馬脚を現してくれたのです。これを利用しない手はありません」
坂柳は悪戯っぽく笑う。
それを見た真田は諦めたように苦笑を浮かべた。自分の頭脳を存分に活かしている時の彼女は、どこか楽しげですらあった。
「前提として、橋本くんを信用できるかの問題に直面しているのは何も私たちだけではありません。彼らもスパイの情報を裏付ける補強証拠を求めるのは必然。そして今回の噂、一之瀬さんが意図的に流したのは把握済みです。上手いこと隠蔽しているようですが、私には通用しませんでしたよ。まあ要するに、今回の騒動は情報の精査と私たちへの妨害を兼ねた一手、のように見えます」
「そこで私たちのクラスは一之瀬さんの思惑通り慌てふためく姿を見せた。彼女たちは買収は上手くいっていると確信するでしょう」
鬼頭と島崎は頷く。橋本が自分のクラスから信用されていない以上にCクラスから警戒されるのは自明だ。
「繰り返しますが、これが私たちの芝居であるとか、逆に罠にかけられているとか見抜かれていても、まったく問題はありません。既に私たちの『防御』は成功していますから。今はどうやって彼女らに仕掛けるかの『攻撃』の段階にいます。読みが外れていたところで、イーブンの状態にしかなりません」
坂柳はふっと息を吐き、一瞬の沈黙を作り出す。
「ですから、彼らが『策は成功した』と信じきっているとの前提で話を進めます。その際一之瀬さんは、橋本くんの偽情報通りBクラスの生徒にペナルティを付与し、かつ橋本くんに渡した誤情報の生徒、すなわち最上位層に一歩遅れを取る生徒を避けて少数戦に挑む。つまり素直に一之瀬さんや新浦くんを出してくる」
そして、彼女はやや前のめりになり、今まで膝の上に置いていた両手を机上へと置いた。わずかな振動によって、コップに結露した水滴が滑り落ちる。
「そのように私たちが考えるのが自然です」
意味深なセリフと共に坂柳は一息つく。複雑な話であり、いくら頭脳に優れたBクラスの者であっても、咀嚼には時間がかかると考えたのもあった。
それに、未だ彼女の策の核心部ではない。ここまでの情報は疑問なく頭に入れておいてもらいたかった。
「――? ……そうなると、俺たちは今言われた者たちを避けて代表とペナルティを選べばいい……のではないか?」
「ええ、そう思うでしょう。それが普通です」
「――故に、
ここで説明を代わった森下が真剣な面持ちで言う。
「今までの話に違和感を覚えませんでしたか? 買収工作、偽情報、裏切りの疑惑、複雑でありながらも完成されたように見えるこの計略には一つ、綻びがあるんですよ」
未だ全容が見えていない二人は思考を巡らせた。
数分程度黙り込んだ室内に、バタンとどこかでドアを閉めた音が響く。
瞬間、顎に手を当て俯いていた島崎がハッと顔を上げた。
「そうだ、俺たちがこうやって集まって対処法を考えていること自体がおかしいんだ。裏切りの噂なんて流せば、自分から橋本が怪しいとばらすようなものじゃないか」
「まさにその通りだよ島崎くん。こんなことをすれば僕たちが橋本くんを警戒するのは自明。その結果直前で戦術を変えるだろうと容易に想像できるよね」
真田はぱちぱちと島崎を賞賛する。クラスでも頭のキレる彼に褒められた島崎はどこか嬉しそうだ。
重苦しさが紛れたと同時に、天井から空調の唸り声が聞こえ始めた。
頃合いを見て坂柳が話を続ける。
「一之瀬さんはあえて自分から噂を流した。そして、その事実を我々に見抜かせ『目的は妨害と情報の精査』と思い込ませる。そうして本当の狙いを隠すつもりだったのでしょう。『真実にたどり着いた』と思った時ほど人は慢心しますからね。私たちの頭脳を信頼した上での妙手と言えます」
「一之瀬のうっかりや、お前たちの考えすぎの線はないのか?」
「彼女だけならそれも視野に入れていたでしょう。しかし
偽りの『真実』をあえて敵に見抜かせ、真の目的を隠し通す。
一年の船上試験、幸村と組んで『優待者』を偽装し、一之瀬に暴かせて本物の『優待者』である軽井沢を守り抜いた綾小路の作戦と奇しくも同じだ。
「長々と話しましたが、結局彼女たちがどう動くのか気になりますよね。ですから、単刀直入に答えましょう」
坂柳は指を組み、一同を見回してから断言する。
「――彼女は橋本くんの情報通りに動いてくる。これが私たちの出した結論です」
一度は得意げになった島崎も再度難しい顔をした。これが事実なら一之瀬は相当に迂遠な作戦を練ったものだ。今までの彼女の振る舞いを考えれば想像もつかない。これに乗るかどうかは慎重にならざるを得なかった。
「これは坂柳有栖、真田康生、そして頭脳派美少女の森下藍ちゃんが熟慮の末出したものです。私もお墨付きは出せますよ」
合わせてギャルピースを見せる森下に、空気がやや弛緩する。
しかし、彼らが切れ者揃いのBクラスの中でも、とりわけ頭の回る者たちなのは確かだ。否応なしに説得力が生まれる。
「……わかった。腹落ちしていない面も多いが、ひとまずは話の続きを聞こう。意見を出すのはそれからでも遅くない」
「……俺も同意見だ」
島崎と鬼頭の同意を受け、坂柳は話を進めようと指を二本立ててから口を開いた。
「なぜこのように考えたか、主な根拠は二つです。まず一つ目ですが、橋本くんの疑念については以前から周知の事実です。龍園くんとの繋がりなどもありましたからね。仮にお二方が指揮を執るとして、そんな彼を信用できますか?」
「俺ならまずしないな。……できるはずもない」
「同じく」
「おお、随分と嫌われていますね橋本正義は。藍ちゃんも鼻が高いですよ」
「今は真面目な話をしてるんだから……」
真田が窘めるも、森下は意に介する様子も見せない。他の面々はもはや諦めているようだった。
「そう。橋本くんに対する懐疑的な視線は、私たちのクラスも例外ではありません。背信の噂が流れる中、そんな彼を信じるわけがない、と考えるのが自然でしょう」
「そしてもう一つは、私の行動に対する予測です。――そうですね、皆さんは以前までの私にどのような印象を持っていましたか」
「え……?」
唐突な質問に彼らはきょろきょろと首を振り、互いに目を合わせるしかなかった。鬼頭は森下に「お前が答えろよ」と言わんばかりに目配せをするも、当然彼女はガン無視。
島崎は自分に水を向けられないよう、気配を断つように努めていた。
「仕方ありませんね、では、ここは森下さんにお任せしましょうか。忌憚なき意見をお願いしますよ」
「冷酷無比なサディストです。この前の特別試験では、背信者の裁判にかけられた橋本正義を跪かせ、号泣して許しを請う彼を足蹴にしては、悦に浸っていたそうではありませんか」
「そんなことはしていません! 誰が名誉毀損をしろと頼みましたか!」
坂柳は目を見開き、柄にもなく反論を捲し立てた。まるで猫の威嚇のような仕草に、真田たちは思わず気が緩んでしまう。
『橋本が泣いていたのは事実だし、その時の会話内容はあえて秘密にしていたが、こんな曲解のされ方はあんまりだ』と坂柳は憤慨を隠せない。
島崎らに宥めすかされ、不服そうにしつつも説明を続けようとした。
「まったく森下さんは……。とにかく、私が橋本くんを信用するわけがないと一之瀬さんは踏んでいるでしょう。普通に考えて、ここ最近ちょっと社交的になった程度の私が、特別試験のここ一番で人に勝敗を委ねるとは思いません」
興奮を落ち着かせるように水を口に含んだ。
ここまでの説明は完全ではなく、実際にはもう一つある。
それは一之瀬の綾小路に対する恋愛感情だ。彼女は綾小路を盲信し、執着している、と坂柳は考えている。
そこで、綾小路と同じ作戦――伏兵の起用――を用いて坂柳を倒し、マウントを取ろうとすると予測がついていた。先日の接触も相まってそれなりに信用できる材料だろう。もちろん、これ単体では根拠として弱いが、既出の情報を補強できると判断している。
あの日の、まるで取り憑かれたかのような彼女の豹変ぶりを思い返し、坂柳は身震いをした。
「俺たちが橋本を信用しないとの想定を基に、一之瀬が俺たちの裏をかくように動くとすれば、あえて橋本に本当の情報を流しているのか?」
「ええ、そもそも裏切り工作の目的とは敵の情報を得て、自分たちの情報を隠すこと。彼女は『疑心暗鬼』という武器を用いて私たちの思考を誘導し、間接的に情報戦で優位に立とうとしていたのですよ。それぐらいはしないと私たちを出し抜けないと踏んだのでしょうね。残念ながら看破されてしまいましたが」
フッ、と得意げに鼻を漏らす。彼女は机上で指を組んでいた両手を、再度膝上に置いた。
「一度小休止を挟みましょう。外の空気を吸うなり、皆さん自由にリフレッシュしてきてください」
坂柳の鶴の一声に動き出す面々。そんな中、彼女は今一度考えを整理する。
一之瀬の『表向きの戦略』は伏兵の起用という『守りの戦術』と、橋本の買収という『攻めの戦術』から成り立っている。
『守りの戦術』はCクラスがペナルティを回避し、かつできる限り高得点をとるためのもの。綾小路と同様に勉強会を隠れ蓑にして、最上位層を除いた生徒による奇襲を図る作戦だ。
『攻めの戦術』は『守りの戦術』を隠蔽し、かつ相手にペナルティを踏ませるためのもの。Bクラスの代表が分かれば、勝率はぐっと上がる。
この作戦のリスク、すなわち橋本が二重スパイとなればかえって窮地に立たされる点については、彼の信用のなさでカバーをする。仮に橋本の背信に思い至っても、そこからBクラスが決定的な有利を得ることはできない。
一見、二本立ての緻密な戦略に見える。しかし、この程度の作戦は坂柳たちに見抜かれてしまうだろう、と一之瀬は考えた。そこで、『攻めの戦術』をかなぐり捨て、これを本命を隠すための盛大な目眩しにしようと決めた。
それは、伏兵を出す『守りの戦術』の確実な隠匿。これこそが『裏の戦略』であり、彼女の真の狙いであると言える。
これだけの大立ち回りをして見破られないとは、さすがの彼女も思っていないはず。ならばせめてペナルティを外させ、自分たちの勝機を作る算段なのだろうと坂柳は考えていた。
思索にふけっていると、鬼頭たちが部屋に戻ってきた。ソファに腰掛けるなり、話の続きを促してくる。
「今までの話にわからない点はありますか? ここで解消しておいた方がよろしいかと」
「そうだな、議論の大枠自体には一応筋が通っていると思う。しかし腑に落ちないのは、とにかく一之瀬らしくない作戦だって点だ。堅実な彼女が不確定要素に立脚した作戦に頼ること、そして買収や裏切りの噂など、まるで龍園のような邪道に頼っていることだ」
そう、一之瀬の策略は結局、橋本を信じるかどうかの核心部分が坂柳の選択任せなのだ。相手を術中に嵌め、思い通りに動かすのが目的であるにも関わらず、詰めが甘いようにも思われた。
「その点は私も気になっていた部分ですし、三人との議論でも注目された点です。ですが、元々私たちが有利な勝負だと考えれば、無理もないでしょう」
「漫然と勉強するだけでは勝てない。かといって一年生無人島試験のように情報が漏れる隙はルール上ない。ペナルティと代表選出を当てずっぽうでやるくらいなら、不確実な策でも実行してくるだろうと僕たちは結論付けたんだ」
坂柳の説明に真田が補足をする。
クラスの機密情報は密室で話し合われる上、一部の生徒にだけしか開示されない。通常の諜報活動で掴むのはまず不可能。今回の試験で情報戦を仕掛けるのならば、かなり強引に動く必要がある。
「『一之瀬帆波がそんなことするだろうか』との疑問点については坂柳有栖、そして私が同意をしました。綾小路清隆と関わった彼女はもはや『毒蛇』と言って差し支えないでしょう。今まで通り御しやすい相手と侮っていては足をすくわれます」
毒蛇、その強い言葉に島崎はやや眉を顰める。誰にでも分け隔てなく優しかった彼女には似つかわしくない表現。彼自身も一之瀬には良くしてもらった経験があるため、俄には信じられなかった。
「みなさん知っていますか? 『生存と脱落の特別試験』において、一之瀬さんは堀北クラスへの攻撃ターン全てで軽井沢さんを指名しています。当時、彼女は綾小路くんの交際相手、そして一之瀬さんは綾小路くんに好意を寄せていた。これらの情報も含めれば、見えてくるものもありませんか?」
「は……? 冗談だろ? 嫉妬で軽井沢に粘着してたとでも言うのか? そうすればプロテクトをあてがうに決まってるだろ」
「その辺は私たちを負けさせるための戦略との一面もあったそうです。まあ、これ以上は脇道に逸れるので置いておきましょう。この話の肝は、一之瀬さんがやむにやまれぬ事情もなく軽井沢さんに執拗な攻撃を仕掛け、彼女を意図的に怖がらせるような真似をした、という点です。以前から片鱗は見せていたようですね」
今までの内容が霞むような逸話に思わず黙り込む面々。掛け値なしの善人と言われていた彼女の蛮行は、やはり信じ難いものがあった。
重苦しくなった室内にパン、と坂柳が手を叩いた音が響く。
「時間も有限ですし、私たちがどうすべきかの議題に移りましょう。既にちらっと話しましたが、一之瀬さんは本命の一手を橋本くんの情報に紛れさせている。だから、私たちは何も変えず、元々の作戦通り動くべきだと考えます」
「言ったでしょう? 相手が作戦を露呈させたのなら、そこを突かない選択肢はないと」
つまり、Cクラスへのペナルティは変わらず橋本の情報通りの生徒。それに加え森下の言う『保険』として学力Aにも最低限の割り当てを行う。
Bクラスの代表も変更しない。橋本には元々偽情報を掴ませているからだ。
「今回の反撃策を一貫させるなら、保険は必要ないのでは? 付与できるペナルティには限りがある。学力Aの二人に点数を割けば、一之瀬が橋本に流した『本命の五人』へのカバーが薄くなるぞ」
「私も当初はそう言いましたが、森下さんが頑迷に反対するもので……。まあ件の五人より私たちの代表の方が学力は上ですし、本当に万が一のために備えるべきとの意見には一考の余地があります。なにより、これで合意が買えるなら安いものと判断しました」
森下はバンバンと子供っぽく机を叩く。そんな仕草とは裏腹に、至って真剣な表情で全員を見回した。
「一之瀬帆波は想像以上にヤバいです。念のために保険をかけておき、最悪のケースにも備えておくべきでしょう。私は確実な勝利こそを求めます。坂柳有栖が言った通り元々勝算は十分にあるのですから、多少のペナルティを割り当てる価値はあるかと」
「なるほどな……」
自分たちの選抜はA-とB+の上澄み。こちらの少数戦を相手が読めない以上、相手のAにペナルティを付与さえすれば負けるリスクを更に減らせる。
あくまで堅実に勝ちを拾いにいく森下に、島崎は舌を巻くしかなかった。
「まあ、坂柳有栖がこれを飲めなければ、私は往来の中、地団駄を踏んで癇癪を起こすぞと脅すつもりでした。世間体に囚われた彼女はきっと折れてくれたでしょう」
「なんてことするつもりだったんだ……」
まさかのカミングアウトに呆れ返る一同。
森下の相手はそこそこに、話を進めようとする。
「作戦の全体像はそんなものか。ここはもう少し詰めていこう」
その後も彼らは疑念が解消されるまで、妥協なく議論を交わしていった。
すっかり日も落ちた頃合い、Bクラスの集まりは解散となる。
しかし、一方で森下、真田、坂柳の三人は残るよう示し合わせていた。
「ご協力感謝します、真田くん、森下さん。橋本くんを信じてくれて」
「僕も橋本くんをそう簡単に信じるつもりはありませんでした。ですが坂柳さんの話に加え、今日のあんな姿まで見せられれば、さすがに信じざるを得ませんからね」
「私はまだ疑っていますよ。あの男なら自己保身のため、あれぐらいはやるでしょう。今回橋本正義の肩を持ったのは、弁護ではなく吊し上げのためです。ここ一番で寝首を掻かれるくらいなら、一杯食わされてでも黒確定にしておいた方が良いと判断しました」
この三人は前回の会合より前から橋本と接触していた。そこで坂柳から買収について説明された上で学年末の特別試験での出来事を聞き、「橋本は信用できる」と言い含められていたのだ。
森下は納得していない様子だったが、今回は坂柳に従うことを決めた。以前の会合の後、坂柳と森下の会話で『この前の話』と言っていたのは、この集まりのことだ。
加えて、橋本の情報を信じる方向で議論を誘導し、一之瀬を欺く態勢を作って見せた。ここが破綻すれば、一之瀬は別の揺さぶりをかけてくるおそれがあったためだ。
「橋本くんの疑惑については試験後に時間をとって解消するつもりでした。ですが、その前に弱点を突かれるとは予想外でしたね。これなら多少、クラスが紛糾するリスクを承知で開示していても良かったかもしれません」
「時期を見る必要はありますから、無理もないことです。何の根拠もなしに『以前裏切ったのは本当だが、これからは裏切らない』なんて僕たちが言っても信じる者は限られるでしょう」
「橋本正義が本当にクラスのために働くのであれば、坂柳有栖の一手は悪いものじゃないと思いますよ。本当に彼が信用できるなら、の話ですが」
『橋本が信用できる』との情報をクラスメイトに開示していないのは、二重スパイの件もあったが、橋本の疑念を払拭し、Bクラスの弱点をなくすためでもあった。ただ信用してくれ、と呼びかけても効果は薄いだろう。何かしら説得できるだけの材料は必要だった。
「ありがとうございます。そう考えると、彼女の買収工作は渡りに船だったとも捉えられますね。何せ『
「進歩も上々です。元々彼は要領が良かったのでしょう。心を入れ替えて勉強するようになってから、めきめきと学力を伸ばしています。最初は学力Bの彼を選ぶのに不安はありましたが、今はB+とまったく遜色ない実力がありますよ」
真田には試験発表の当日から橋本の面倒を見るように頼んでいた。少数戦においてクラスに貢献し、贖罪とする絶好の機会だったからだ。
なお、本人には橋本を少数戦に登用する、とだけ伝え、そこだけはCクラスに隠すよう指示していた。そして、会議で言ったように五人分の偽代表を教えてある。
諜報活動も一時的に辞めてひたすら勉強に専念させており、今日は仮病を使ってまで最後の詰め込みをしている。
一方で坂柳自身は、少数戦に出る『
「謀はここで終わり。後は学力こそが物を言います。今はBクラスに甘んじていますが、私たちがAクラスに配属された所以を、一之瀬さんたちに思い知らせてあげようじゃありませんか」
得意げに笑う坂柳に二人は同調するように頷いた。
話し合いの後、三人は並んで帰路に就く予定だった。しかし真田は彼女と予定があるらしく、森下は突然クレープが食べたいと言って別れてしまう。
一人で歩く寮までの道はやけに長く感じる。それでも、転ばぬよう一歩一歩杖を突いて歩みを進める他なかった。
坂柳は他人を信用し、委ねるという選択に不安を隠せない。その上特別試験の場ともなれば、自分だけが痛い目を見れば済む話でもないからだ。
今まで人を利用してばかりだった彼女には見通しが立ちそうにない。それでも、この経験を乗り越えてこそ、以前までの欠点を克服したと言えるだろう。そう考えてのことだった。
今宵は快晴、視界は良好。東天に浮かぶ満月は、そんな一抹の不安さえ晴らしてくれるように、隈なく地上を照らしている。
――しかし、そこに一塊の積雲がかかり始めたのに、坂柳は終ぞ気づくことはなかった。
学力 B+(80)
身体能力 C(54)
機転思考力 B+(78)
社会貢献性 B-(61)
総合 B(69)
原作ヒロイン……かどうかは不明。原作綾小路クラスでは主要人物の一人であり、彼と近しい一方で、彼の正体や内面を探るような動きを見せている。
坂柳の独裁体制下では目立った動きを見せていなかったが、彼女の退学後は綾小路移籍の根回しに協力するなどの立ち回りを見せる。一応クラス間競争には積極的な様子。
特筆すべきはその洞察力。一人を好む自由人でありながら、機転思考力はなんと78のB+と櫛田桔梗と同値。思考力全振りでこの数値であり、彼女のポテンシャルの高さが伺える。綾小路の異質な人間性にも感付いているようで、彼のことを強く警戒しているようだ。
そして高円寺とは別ベクトルの変人でもある。綾小路に消しカスを投げつけたりとその奇行は枚挙に暇がない。一方でかなりのビビりであり、龍園クラスの腕自慢たちがいると普段の奇行も鳴りを潜め、途端に大人しくなる。
本作では激動のクラス情勢からAクラス卒業が危ぶまれるようになったこと、綾小路清隆という人間に興味を持ったこと、そして独裁体制を辞めた坂柳にその能力を買われたことから、クラスのため動くようになった。山村美紀をはじめとしたクラスメイトを振り回しつつ、確かな頭脳でクラスに貢献している。
一之瀬が独自のネットワークで情報収集を行っていることには気づいており、綾小路に関するカスの嘘を流すことでその規模と精度を測ろうとしていた。気づいた一之瀬が綾小路のため辞めさせようと圧をかけた結果、すっかりビビってしまった模様。彼女のことが苦手になった。
綾小路に対しては依然として興味を抱いている様子。傍にいる一之瀬の影に怯えながらも、何とか探れないかと思案している。