if√ 三年生綾小路が『元』龍園クラスに移籍した世界 作:鶏後
一章はもう少し続きます
※次回投稿は8/12を予定しています
特別試験開始前の昼休み、平田、王、幸村の三人は最後の話し合いを設けていた。
ペナルティ指定及び少数戦代表の指名は前日が締め切りのため、今は最終確認を行っている。
「平田、作戦の変更はせず、以前話していた通りの選出にしたんだよな」
幸村がそう問いかける。
やや不安そうな顔を隠せていない王とは対照的に、彼は至って平然としていた。
確かな努力に裏付けられた自信が、自分たちの勝利を確信させている。事実、彼の学力は学年でもトップクラスであり、敵う相手はDクラスには殆どいない。
「うん。Dクラス相手ならペナルティは上位層だけで十分。何せ、確実に少数戦で二勝をもぎ取るのが狙いだからね。綾小路くん、椎名さん、葛城くん、そして金田くんに大半を、残りはB-の小田くんと鈴木くんに割り振ったよ」
Aクラスが取った策はいたってシンプルな上位層の狙い撃ち。学力に秀でた四人を封じ込めれば、五人のうち最低二人には勝てるはず、と考えていた。仮に彼らが出てこなかった場合、その時は自分たちの代表の誰かが地力で上回ってくれるはずだと。
綾小路の移籍の余波が響くAクラスは、その立て直しのため勝利が何よりも求められている。完全勝利の50クラスポイントは諦めた、確実に勝ちに行くための安全策だった。
「こっちの代表は僕たち三人に須藤くん、そして高円寺くんだ」
「結局、堀北は出さないのか」
「彼女は今、精神的に不安定だ。ここで起用するのはリスクが高いと判断したんだよ」
平田にはもう一つ考えがあった。堀北は綾小路の移籍で誰よりも取り乱し、その求心力に僅かな翳りが見られる。ここで少数戦を落とせばさらに彼女への風当たりが強くなりかねない。この先一年を見据えての温存だった。
「高円寺くんも学力テストはきちんと受けてくれているし、須藤くんも今や僕たちのクラスでは学力上位層だ。何より彼らが出るって読まれるとは思えないからね」
「だろうな。高円寺を知っている綾小路だからこそ、あいつの選抜はまず見抜けない」
「私も、平田くんの作戦で大丈夫だと思います。高円寺くんも、きっと勝ってくれますから!」
そう言って、幸村と王は賛意を示した。そして、クラスメイト達の多くが戻ってきたのを見て、彼らは話し合いを切り上げる。最初は気もそぞろだった王も、現状を確認して落ち着きを取り戻していた。
茶柱は教室に入るや否や、前置きもなく特別試験について切り出す。
「早速だが、特別試験についての通達を行う。……このクラスの少数戦代表、二番手『幸村輝彦』及び三番手『王美雨』には25点、四番手『平田洋介』及び一番手『高円寺六助』には20点のペナルティが付与されている。逆にこちらは三番手『綾小路清隆』には25点、二番手『小田拓海』と四番手『鈴木英俊』には10点のペナルティ付与に成功している」
Dクラスが90点分ものペナルティ付与に成功した事実にAクラスは騒然とする。当てられていないのは五番手の須藤だけだった。
「おい! 四人も当てられてるじゃねえか! 一体どうなってんだ!」
「ていうか、綾小路くんに25点も使って大丈夫だったの?」
試験の対策は情報秘匿のためほんの一部だけで決めていたこともあってか、混乱は想像以上だ。情報が漏れていたのではないか、そんな疑念すら浮かべている者もいた。
そんな中、堀北は一人俯くしかできなかった。
「みんな、落ち着いてほしい。確かにペナルティは痛手だけど、相手は葛城くんみたいな優等生は一切出してこなかったんだ。Dクラス相手なら全然戦えるはずだよ」
ペナルティの攻防はこちらの負け、そう認めざるを得ないが、状況は依然として有利。そう平田は考えていた。
無意識に握りしめていた拳には爪が食い込んだ痕が残っている。それでも、不安を振り払うかのように、平田は声をあげる。
「おそらく、順当に坂柳さんたちも勝ってくると思う。せっかく掴んだAクラスの座を守るためにも、ここが正念場だ。みんな、頑張ろう!」
形だけでも動揺を押し殺し、団結の意を見せるクラスメイト達。
息つく間もなく、茶柱が特別試験の開始を告げようとしていた。
◇
担当の試験官がぴしゃりとドアを閉めて退出していったとほぼ同時に、授業終了のチャイムが鳴り響く。
特別試験の終了後、オレたちはDクラスの教室で待機を命じられていた。
採点は即座に行われ、試験直後のホームルームにて結果が発表されるためだ。
「葛城、気持ちはわかるが落ち着け。お前らしくもないぞ」
「ううむ……。わかってはいるんだが、どうにもな……」
葛城は時計をしきりに見やり、指を組み、肘を机についたり下ろしたりを繰り返している。
泰然自若としたいつもの振る舞いとはほど遠い彼の様子は、敗北の恐怖によるものではなく、むしろ勝利への期待の裏返しだろうか。
「小田や鈴木たちがこの一ヵ月頑張ってきたのは、お前が誰よりも知っているだろう。教師役だったお前が信じてやるのも必要じゃないか」
オレがこの試験で実行したのは、葛城らの最上位層を出さず、Dクラスで彼らに次ぐ者を起用する作戦だった。
この戦略は遡ること春休み、龍園クラスへの移籍が決まった段階で策定していた学力強化策を、そのまま流用したに過ぎない。
オレは葛城に接触してクラス移動の件、そして自分がリーダーの後釜に座ると伝えていた。龍園の協力もあって合意を得たオレは、合わせて彼らの面倒を見てもらうよう依頼していたのだ。当時はこのような試験があるとは想定しておらず、単にDクラスで勉強を教えられる生徒を増やし、全体の底上げ体制を作るのが目的だった。
というのも、このクラスはオレを含めた上位四人を除けば、次点は小田拓海、鈴木英俊、園田正志、時任裕也といった学力B-やC+の者しかいない。彼らを教師役とするにはやや心もとなかった。最低限彼らが学力B程度になってから全体の強化に着手する計画だ。
余談だが、時任を除く彼らは一年生の船上試験では竜グループにいた者たち。当時から龍園のワンマンチームであったため、影響力よりは単に学力で選ばれたのかもしれない。
「龍園の退学も奴らにはいい薬になったようだ。彼らだけでなく、クラスメイト全員がかつてない程意欲的だったからな。いかに暴君であっても、王位が空席であるよりかはマシなようだ」
「その龍園にはこんなに差がつけられる前に、勉強をやらせておいてほしかったんだけどな……」
「それは俺も何度も進言したが、突っぱねられてしまった。金田らの貴重なリソースを勉強会に費やすのは非効率とでも思っていたのだろう」
OAA査定によって佐倉が生贄に選ばれた後のように、退学というのはやはり影響が大きい。あの伊吹ですら、ひよりに勉強を教わりに行っていたのだから。この空気が一過性のものにならないよう、クラスには気を引き締めてもらわなければならない。
浮き足立つクラスメイト達を見やる。そこに諦めたような表情をしている者はいなかった。
「みなさん、静粛に。只今から特別試験の結果を発表します」
坂上が教室のドアを開けるなりそう告げた。几帳面で形式を重んじる彼にしては珍しい行動に、オレは結果を確信する。
「Aクラスとの対決は……四勝三敗で我々の勝利です。みなさん……本当によく頑張りましたね。詳しい戦績は端末上で確認できます。ホームルームは以上で終わりますが、是非、確認しておいてください」
坂上はそう言うとたっぷり時間をかけて教室を端から端まで見渡した。このクラスの学力を知っているからこそ、生徒たちの成長とその結果の勝利に喜びもひとしおだろう。
オレは端末で結果を確認する。
Aクラス対Dクラス
全体戦(2勝分)
◯Aクラス 2633点 Dクラス 2482点
少数戦
1番手 高円寺六助 72点(ペナルティ20)=52点 ◯園田正志 61点
2番手 幸村輝彦 84点(ペナルティ25)=59点 ◯小田拓海 70点(ペナルティ10)=60点
3番手 王美雨 82点(ペナルティ25)=57点 ◯綾小路清隆 100点(ペナルティ25)=75点
4番手 平田洋介 74点(ペナルティ20)=54点 ◯鈴木英俊 69点(ペナルティ10)=59点
5番手 ◯須藤健 66点 時任裕也 61点
「おい! 葛城見てくれよ! 俺たちマジでやってやったぞ!」
「ああ! お前たちの苦労はずっと見ていたぞ。本当によく頑張ったな!」
葛城らしくもなく喜びを露わにして、代表戦に勝った生徒たちを労う。彼らからすれば試験対策のみならず、一ヵ月前からの努力が報われた形だ。このはしゃぎ様は無理もない。
面倒見の良い葛城はまるで自分のことのように、いやそれ以上に嬉しいのだろう。何度も力強くガッツポーズを掲げていた。
その最中、金田が眼鏡をしきりに押し上げながら声を掛けてきた。今回の試験の目的の一つ、クラスの主導権を握るためにもオレは金田の下へ向かう。
「綾小路氏……あなたは一体どこまで読めていたのですか……?」
「相手の作戦の予測という意味であれば、須藤の選出を除いて全部だ。今回堀北は温存して平田が指揮を執り、自らも代表となって勝ちに行くこと。ペナルティを踏み倒してなお高得点が狙える幸村と王が志願してくること。そして奇策として高円寺を出してくることまでは想定内だった。もっとも、念のためペナルティを買い増して他にも割り振ったが、それで無駄になった分は『読めてなかった』と言えるか」
「そこを追及する者はいないでしょう。まさか我々が学力勝負で勝てるなんて思いもしなかったのですから」
今回の平田の作戦はあくまで正攻法。学力差を武器に正面からぶつかってくるだろうと予想できていた。Aクラスの様子も探ってみたが、特別な対策はしておらず、至っていつもの試験前の様子だったのもそれを裏付けている。
そして、Aクラスの作戦は決して悪いものではない。オレが春休みの段階で学力強化に着手していなければ、多分順当に負けていた。実際、25点ものペナルティを押し付けられた幸村と小田は接戦だったのだから。今回の勝負はかなり薄氷の勝利だった。
平田に誤算があるとすれば、それは許容量を超えたペナルティ付与、そしてDクラス代表の想定以上の伸び率だ。
前者については恐らく、クラス移籍直後でポイントは温存してくると考えたのだろう。オレ達が持ち前の100点をやりくりしてペナルティを分散させていれば、きっと押し切られていたに違いない。堀北は出てこない想定で一切割り振っていないのも功を奏した。
買い足したペナルティは松下と櫛田に割り当てている。彼女らの様子から可能性は高くなかったが、やはり保険は掛けておくに限る。買ったのは20点分であり決して安くはなかったが、100のクラスポイントとトレードであれば許容範囲とした。
今回の特別試験は、ひとえに情報戦の優劣が勝敗を分けたといえる。オレはAクラスの内情は知り尽くしていたし、自分でも探りを入れるようにしていた。
一方彼らはそういった手だてを打っていなかった。仮にそのような動きがあれば、勝負は厳しいものになっていたかもしれない――無論、諜報を逆手に取って攪乱する準備もあったが――。葛城らの勉強会は試験前までは特段隠していなかったし、不得手な諜報活動であっても十分に捕捉できる。
「ここまで見せられては、認めるほかありませんね。何より100点など、一体どうやったら取れるのか皆目見当もつきませんよ。……ペナルティ覚悟で自薦したのは、それだけの自信があったからなのですね」
「今まで、オレがこの学校で解けないと思った問題は存在しない。少なくない減点は予想していたが、100点を取れると確信していたからこそ出たんだ」
金田の点数は82点。彼の今までの成績を思えば、相当に対策してきたのだとわかる。しかし、悔しさなど微塵も見せず、むしろすっきりしたかのような顔をしていた。
「おう、お前ら何難しい話してるんだよ! 今からお預けだった綾小路の歓迎会と祝勝会をやるんだから、ぐずぐずしてないで行くぞ!!」
そう言うなり石崎はがばりとオレたちの肩を組んできた。言うまでもなく、彼は大笑いをし、喜びを全身で表していた。
「ええ、今回は私も参加させてもらいますよ。――ですが、綾小路氏は椎名氏と一緒に来てはどうでしょう」
「? なぜひよりが出てくるんだ」
「そこは、あなた自身が早く気付いてくださいね。クラスメイトの方々も、もどかしく思っているはずですから」
そう言うなり、金田はオレの肩にがっしりと組まれた石崎の手を解く。石崎も金田の言葉を受け、彼を伴って離れていった。
「……金田、お前の男気はマジで尊敬するぜ。俺、お前を見くびってたよ」
「まさか、心中はぐちゃぐちゃですよ……。今日は自棄っぱちです。もちろん、付き合っていただけますよね」
「おうよ! モテねえ野郎どもでパーっとやってやろうじゃねえの」
以前より親密な様子を見せる彼らに、オレは疑問符を浮かべるしかなかった。――男気って何だ……?
まあともかく、オレはひよりに声を掛けるとしよう。
「――綾小路くん」
彼女は自分の席で待ってくれていたようだ。
僅かに空けられた窓から柔らかな春風が吹き込む度に、彼女の流麗な長髪が靡いていた。無垢の美を体現するかのような雰囲気にどこか気後れしながらも、彼女を連れていこうと声をかける。
「今日ばかりは、浮かれてもいいんじゃないか」
「ええ。――私たちの、勝ちです」
「そうだな。オレ達の勝ちだ」
「はい。私たちの、です」
ひよりは一点の曇りもない笑みを浮かべる。つられて自分の口元まで弧を描いていたことには、あまりにも不慣れな表情だったから、すぐに自覚してしまった。
そして、オレは思わず彼女の白磁のような手をとっていた。
何か考えがあったわけじゃない。
ただ、そうしたいから、そうしたのだ。
◇
Cクラスのホームルームが終わった後、私は先日会話をしたベンチで坂柳さんを待っていた。彼女は私に会おうとするし、教室にいないと分かればきっとここに来るだろうから。
「……やってくれましたね、一之瀬さん」
「やっほ〜、遅かったね。ホームルームが長引いちゃったのかな?」
彼女は一人で来た。いつもの『彼女』を連れていないのは珍しい。
いつもより杖を突く音が大きい。やっぱり一杯食わされたのはそれなりに応えているのかも。
「立ったままじゃ疲れるでしょ」とあらかじめ一人分空けておいたスペースに彼女を促した。
「ええ。――まさか、最初から最後まであなたの手の平の上だったとは。素直に負けを認めざるを得ません」
「その言い方をするってことは、全部見抜いた上で『最後の罠』に引っかかったみたいだね。ほんと、坂柳さん達を信じて良かったよ」
迂遠な策を練り、情報を与え、その果てに『坂柳さんが橋本くんの情報を信用する』結果へと誘導するのが私の狙いだった。そうして私たちはクラスの上位五人を、ペナルティの大部分を回避した上で選出しての勝利。思い描いていた理想の結果に思わず頬が緩んでしまう。
今回の試験は本当に骨が折れた。坂柳さんに打った一芝居、見せかけだけの買収作戦に、わざと広めた橋本くんの裏切り疑惑と、あっちこっちで派手に動いたのだから。それでも、彼女は客観的に分かる情報には全て行きついてみせた。本当に見事な手腕としか言い様がないね。
「あの日、ここで見せた異様な言動も、全部演技だったのですね。綾小路くんへの執着を装い、あなたが合理性に欠ける判断をするかもと、私に誤解させるために」
『異様な言動』と言われて思わず顔に熱が集まってきちゃう。自分でも変なことをした覚えはあるから、あんまり触れないでほしかったな……。
「しかし、一点気になるところがあります。確かにあなたの発言を決断の材料の一つにしました。ですが、それだけで橋本くんを信じると決め打ちするのは早計だったのでは? 橋本くんと和解した、と綾小路くんには教えましたが、それを加味しても些か運頼りのようにも思えます」
「まさか、それだけじゃないよ。橋本くんと坂柳さんの関係が以前と比べて軟化していたり、あなたが人を思いやるように変わっていたりしたのを、私自身が確認したからね。それに、私のあの言動を見れば、今の坂柳さんなら止めようとするかもって計算もあったんだよ?」
「……橋本くんにしろ、あなたにしろ、今までと同じように接していたつもりだったんですけどね。いや、人の機微に敏感な一之瀬さんだからこそ気づけたのでしょうか」
綾小路くんも一目置く私の特技、それは人を見る目。未だに情報戦で勝ち切れる確信はなかったからこそ、最後は自分の得意分野に持ち込めるようにしていた。
信じるか信じないか、に中間択は存在しない。どっちを選ぶかを読めれば頭脳戦は勝ったも同然だからね。
「橋本くんはあなたを裏切らないし、同時にあなたが橋本くんを疑わない、いいや、疑えないって確信していたんだ。――だって、最近できたばかりの友達を疑うなんて、『お人好し初心者』の坂柳さんには難しいだろうから。意識してたかどうかはわからないけど、彼との関係性を悪化させたくない、って気持ちが入っていた可能性は十分にあると思うな」
「あなたがそういう戦略を取ってくると見抜けなかった私の落ち度ですか。不意打ちだった、などと言い訳を並べ立てるつもりもありません。どうぞ、好きなだけ勝ち誇っていただいて構いませんよ」
彼女は唇を噛みしめ、悔しさを隠そうともしない。けど、今回はあまり大手を振って勝利を喜べるわけじゃないんだよね。
私が狡い手を使えるようになったと初めて露わにした一撃、橋本くんというBクラス最大の弱点、そして綾小路くん個人との取引――しばらくの間、Cクラスが勉強を手伝う代わりにポイントを貰う――など、外的要因や今回ばかりの有利の恩恵に過ぎないから。
特に綾小路くんから貰った500万ポイントは本当に大きかった。彼女たちが学力Aを出してこない、と読み切った上でもペナルティはカツカツだったからね。
「にゃはは、あの日の演技はあまり真に受けてほしくないかも……。確かに私は綾小路くんから色々教わりはしたけど、彼に深く踏み込めている訳じゃないからね。今はまだ、『一之瀬帆波』という駒に上辺だけを見せているに過ぎないよ」
そう、綾小路くんは私に異性として興味を持っていない。彼が見ているのは私の実力とそのポテンシャルだけ。
何も思わないわけじゃないけど、今はそれで良いの。
――だって、推測が正しければ
「そこまで気付いていて……なお彼を想うというのですか?」
「まあね。私は見返りが欲しいわけじゃなくて、彼に与えてあげられれば十分だから。――それに、彼の出自が普通じゃないってことには何となく気付いているんだよ? 常人離れした実力に異様なほどの冷徹さは、並の環境で形成されるようなものじゃない」
もちろん、月城理事長代理のことや『ホワイトルーム』という不可解な単語も考慮した上での推測ではあるけどね。
坂柳さんは思わず、といった具合に杖を取り落としてしまった。私は立ち上がって、彼女の杖を拾ってあげる。
「本当にあなたは……。まあ、良いでしょう。『あなたが自滅する』との心配は杞憂のようでしたので」
「そんな風に思われてたんだ……」
演技が上手くいったと喜べばいいのかな……。ちょっと複雑な心境。
「――それにしても、今は随分とお優しいのですね。てっきり、嫌われたのかと思っていましたが」
「うーん、星之宮先生の言い方を借りると、『仕事とプライベートは分けるようにしている』からだよ。あれこれ考えながら友達と関わるのは、正直あまり好きじゃないんだ」
そう、堀北さんも坂柳さんも、私は友達だと思っている。譲れない『ふたつ』だけは徹底的に打算で動くけど、そうでない日常まで気を張り続けたくはないからね。
坂柳さんは毒気を抜かれたかのように呆けて、それから深々とため息を吐いた。
「……はあ。私も人を見る目はまだまだのようですね。『お人好し上級者』の一之瀬さんには敵いませんよ」
「もう! あれはそういう例えでしょ! あんまり揶揄わないでよ〜!」
やっぱり彼女はいじわるだ。ほら、今日で一番楽しそうな顔をしている。
それでも、「うふふふ」と鈴を転がすように笑う彼女は以前よりも、ずっとずっと魅力的だった。
「あんたら……一体どういう流れで和やかな談笑ムードになってるの」
「おや? もしかして心配して来てくださったのですか――
「今日は反省会やるって話でしょ。ほら、行くよ
坂柳さんの一番の友達、
つんけんとした態度を取る神室さんも、彼女のことは大事に思っているみたい。何だかんだ言いつつ、大体は彼女の傍で甲斐甲斐しく世話を焼いているからね。
「今は橋本くんを待っているところでもあります。……ふふふ、一之瀬さんもびっくりすると思いますよ」
「え、何々? 橋本くんがどうかしたの?」
「悪い、坂柳! 遅くなった」
私たちの背後から声を掛けられた。丁度、話題に上がっていた橋本くんだろう、と私は振り返っ――ッッ!?
「えええ~!! ウソでしょ!? どうしたのそれ!」
坊主だ。振り返った先には坊主がいた。
頭皮がわずかに透けるくらいに刈り上げられたそれを見て、私は口を押さえてなお大きな声を出してしまう。
しかも、左頬が真っ赤に腫れている。彼は氷嚢をあてがっているが、見るからに痛そうだ。
「ふふふ、あなたが橋本くんを使って盛大に引っ搔き回してくれましたからね。今回で諸々の問題は解消してしまおうと思ったのですよ。少数戦での貢献を手土産に、今までの行いを正直に白状して誠心誠意謝罪をする。それでも、私の顔に免じて首の皮一枚繋がっただけですが」
「もちろん、それだけじゃないさ。俺が貯めてたポイントは全部クラスの貯金に回したし、鬼頭にも一発殴られた。まあ、俺のしでかしたことを思えば当然だけどな」
そう、橋本くんが少数戦に出てきたのは本当に予想外だったんだから。星之宮先生にペナルティを告げられた時は、内心焦りを隠すのに必死だったよ。
「橋本くんの起用にはこんな狙いもあったんだね。さすが坂柳さん。転んでもただでは起きない訳かあ」
「本当は神崎を騙してクラスを勝たせようと思ったが、逆に嵌められてたのは俺だったってオチには凹んだぜ。少数戦でお前らに勝ててなきゃ立つ瀬がなかったな」
たはー、と言わんばかりに笑う橋本くんは、まるで憑き物が落ちたかのようだ。今までの飄々とした様子は見受けられず、普通の好青年みたい。
「あんた、森下の罰ゲームも残ってるんだからね。それだけは有栖も断っていいって言ってたのに。……こっちは助けてやらないから」
「……正直じわじわと後悔してる。あいつ『その時になってからのお楽しみです☆』とか抜かしてたが、絶対ロクなものじゃないだろ……」
森下藍さんね。確かに綾小路くんの変な噂を流して遊んでいたように、掴みどころのない娘だなあとは思うけど……。
それにしても、平然とクラスを裏切り続けていたあの橋本くんがこんな風に改心するなんて意外だ。坂柳さんに「一体何をしたの?」と尋ねてみる。
「特別なことは何も。ただ、お互いの弱さを曝け出し合ったのですよ。彼も私も、根本的な問題は似ていたのですから」
「人を信じるのは決して弱者の選択ではない。むしろ、人を信頼できる度量をお互い身につけなければ、と思い至ったのです。だから、第一歩として『お友達になりませんか』と歩み寄ろうとしたのですよ」
「……まあ、Aクラス卒業に固執して誰彼構わず疑ってかかってた俺に、この学校で初めて対等に手を差し伸べてくれたのが坂柳だったってわけだ。あんだけ迷惑かけたってのにな。正直、自分の惨めさに笑うしかなかったぜ」
過剰な程の自己保身に憑りつかれた橋本くんと、周囲と対等な関係を築けなかった坂柳さん。彼らの根底にあったのは『他者を信じることができない弱さ』なのかもしれない。
恐らく学年末試験の話だけど、こんな短期間で人は変わるものなんだ。いや、二年生の二学期以降、神室さんや山村さんと過ごした時間や関係性の上に彼女の進化はあるんだろう。
彼女はどこか懐かしむように、杖を撫でながら遠くを見つめる。その先端は細かい傷だらけで所々コーティングが剥げているようだった。才能や環境に恵まれながらも、決して楽ではなかった彼女の人生。その一端が現れているみたい。
「もっとも、今回で全てが帳消しになった訳ではありません。何せ鳥羽くんの退学は贖うことのできない罪。今後、橋本くん自身がクラスの信頼を勝ち取っていく必要があります」
そう言っているものの、心配なんてしていないように見える。彼女は以前より和やかなムードで雑談をする神室さんと橋本くんを眺め、目尻を下げていた。そこには『慈愛』と呼べる程の暖かさが垣間見える。
「そうよ。あたしが退学になってたらあんたも道連れにしてやるところだったもの」
「その節は……何卒ご容赦を……」
「山村なんて怯え切って……あーあ、本当に可哀想だったわね」
「ぐゥ……」
統制が取れている反面、どこか息苦しかった坂柳クラスは見る影もない。唯一の弱点を克服した彼女らは、今後一丸となって更なる強敵として立ちはだかってくるはず。
私は今一度結果を確認するため、端末を開いた。
Bクラス対Cクラス
全体戦(2勝分)
◯Bクラス 2868点 Cクラス 2701点
少数戦
1番手 ◯橋本正義 77点 初川舞峰 75点
2番手 神室真澄 72点(ペナルティ10)=62点 ◯津辺仁美 77点
3番手 山村美紀 73点(ペナルティ10)=63点 ◯二宮唯 76点
4番手 福山しのぶ 79点(ペナルティ15)=64点 ◯新浦久勝 81点(ペナルティ10)=71点
5番手 矢野小春 77点(ペナルティ15)=62点 ◯一之瀬帆波 82点(ペナルティ10)=72点
「人数差あったのに、全体戦は150点近く負けてるのね……。もっと勉強してもらわないとかなあ」
「私にやったように、一芝居打ってみてはいかがでしょう。次は『冷酷な鬼教師』なんて設定はどうです?」
「その場合、『女王の教室』でもお手本にしようかな。ちなみに、坂柳さんにやったのは『完璧超人のバリキャリなのに、実は略奪愛が趣味の人格破綻者』だよ。星之宮先生が好きな昼ドラを参考にしたんだ」
「……生徒に薦めて良いのですかそれ……?」
試験が終われば私たちは普通の高校生。すんなりと穏やかな日常に戻っていく。
残っているのは堀北さんとの接触だけ。今日はお互い時間が取れないだろうから、また今度お話しよう。
「それじゃあ、私はそろそろお暇しようかな。またお話しようね、みんな」
「ええ、お気をつけて。――次は負けませんからね」
坂柳さんは、最後にちょっぴし負けず嫌いを出してきたみたい。私はゆっくりと手を振って応える。
三年生最初の特別試験は何とか勝利を収めることができた。けど、あくまでまだ序章にすぎない。今後のクラス競争はAクラスの座を奪い合う、熾烈な蹴落とし合いになるから。
私は決意を新たにする。その瞬間、一陣の春疾風が吹きすさんでいった。
《特別試験結果》
A:堀北クラス 1233
B:坂柳クラス 1148
C:一之瀬クラス 814(+100)
D:綾小路クラス 690(+100)
学力 B+(76)
身体能力 A-(81)
機転思考力 C(51)
社会貢献性 C+(56)
総合 B(67)
原作では『生存と脱落の特別試験』にて退学となった坂柳クラスの生徒。
坂柳との関係は万引きを目撃され、弱みを握られたことがきっかけだった。彼女を振り回す坂柳に当初は辟易としていたが、別れ際の描写を見る限り彼女も憎からず思っていたようだ。
子供の万引き癖の要因のひとつに、周囲からの無関心が挙げられる。神室のそれも同様に、両親の過度な放任主義が招いた歪みだったと推測される。一方、坂柳は傍若無人であったものの体が弱く、かつ誰にでも頼れる性格をしていないこともあり、神室を強く必要としていた。そんな噛み合いが経緯はともあれ、両者を親密にさせたのだろう。
第一話の『例の従者』、第四話で坂柳をカラオケまで迎えにいった『彼女』、及び第六話で坂柳に勉強を教わっていた『彼女』とは神室のこと。
草案プロットでは退学設定だったが、坂柳なら実際に彼女が退学せずとも、綾小路の手助けも相まって自分の感情には気付くと判断して在学設定にした。『敗者はいつも、手遅れになってから自分の惨状を振り返って後悔する』とは綾小路の談だが、彼女程の才女なら、運命のくじ引きさえ乗り越えれば『敗者』にはならないだろう。
何より、坂柳に最も親しい神室を残した方が、本作のテーマの一つ『登場人物の正当進化』が見られると思ったのもある。
彼女自身も坂柳との関わり合いで成長しており、以前よりも多少は社交的になっている様子。怖くない判定をされ、森下にも変な絡み方をされるようになった。
口では照れ隠しばかりしているが、坂柳のことは大切に思っている模様。だからこそ、彼女がヤバそうな男に惚れていることにやきもきしている。綾小路がひよりに向ける異質な雰囲気を知っていることもあって、素直に応援していいのか悩んでいるらしい。
完全に余談だが、彼女の代わりに退学する生徒は、原作での露出が少ない杉尾大か鳥羽茂のどちらかの予定だった。決め手となったのは杉尾が森下の前の席から移動して喜んでいたシーン。森下のおかげで杉尾は退学を免れた。