限界を超えて悲鳴を上げる生身の足をもつれさせながら、俺は黒煙が渦巻く高架橋の戦場へと滑り込んだ。
だが、視界が開けた瞬間に目に飛び込んできたのは、最悪の光景だった。炎と氷、擬似重力の爪痕が無惨に刻まれたコンクリートの上で、学園都市第3位のレベル5――御坂美琴が、力なく地面に倒れ伏していたのだ。
「御坂……ッ!?」
能力の発動距離までどうやって近づこうか、俺の脳細胞が超高速で数式を組み立てる。だが、その刹那、俺の観察眼が、倒れている美琴の微細な違和感を捉えた。呼吸のフェイク。外見とは裏腹に、彼女の指先が周囲のコンクリートから微弱な磁力を吸い上げ、極限まで溜め込んでいる。
(あいつ……気絶したふりをして、木山の警戒を解かせるための『賭け』に出たな?)
だったら、俺がここで組み立てるべき数式は一つだけだ。あいつの賭けを成立させるための、完璧な『
俺は近くに横転していたアンチスキルが持ってきたのであろう、超硬質ジュラルミン製の大型シールドを拾い上げた。
「クソ……インドア派を舐めるなよ。重すぎて計算が狂う……!」
悪態を吐きながらも、俺はその重い盾を前方に構え、木山春生の正面へと大胆に躍り出た。あえて大声を上げ、木山の意識を100%自分へと引きつける。
「おい、そこの脱ぎ魔! 1万人の演算をハッキングしたくらいで、調子に乗ってんじゃねぇよ!」
木山は冷酷な視線を俺に向け、眠そうな目をわずかに細めた。
「まだ動けるネズミがいたのね、大人しく……。消えなさい」
木山が手をかざした瞬間、周囲に転がっていたコンクリートの瓦礫や鉄筋が、複数の異能の複合演算によって弾丸のような速度で一斉に俺へと掃射された。
――ドドドドドォンッ!!!!
凄まじい質量兵器の嵐が、俺の構える盾へと直撃する。腕の骨が引き千切れそうなほどの強烈な衝撃波。防ぎきったと同時に、粉砕されたコンクリートの粉塵が、周囲の視界を一瞬でゼロにするほどの濃い『砂煙』となって爆発的に広がった。
勝負が決したと、木山が確信したであろうその刹那。俺は盾をその場にドサリと投げ捨て、砂煙の暗闇の中で自らの能力を稼働させた。
自らの足音、衣擦れの音、呼吸音――俺の肉体から発せられるすべての音の周波数をピンポイントで受信し、完全に
目の前にいたはずの盾を構えていたはずのの少年がいない。それどころか、いつの間にか、自分のわずか数メートル手前の至近距離に、その少年が1ミリの音もなく肉薄していたのだ。
(――何? この少年、能力の正体もレベルも不明だけど……!)
木山春生の天才的な脳細胞が、この異常な盤面を冷徹に分析する。身を守るための重い盾をわざわざその場に置いて(捨てて)まで、不自然に、かつ超高速で自分との距離を詰めてきたという事実。
(わざわざ防御を捨てて接近してきたということは――近づかなければ発動できないが、使えれば私を倒せる程の能力を持っている!)
それは、数多の修羅場をくぐり抜けてきた科学者としての、極めて冷静で、極めて正しいリスク回避の判断だった。木山は鳴海の間合いから逃れるため、自らの演算回路をフル駆動させ、後ろへと大きくバックステップを踏んだ。近づかせない。それが、木山春生の導き出した『正解』だった。
だが――その冷静な正解こそが、俺と美琴が仕掛けた最悪の『チェックメイト』の終着点だった。
「――かかったわね、この脱ぎ魔ァッ!!!」
「なっ……!?」
木山が全速力で下がった先。そこは、完全に気配を殺して寝たふりをしていた、御坂美琴が立っていた。地面から弾けるように跳ね起きた美琴が、木山の背中に、背後からガシッと力強く抱きつく。
いくら1万人のネットワークを持ってしても、背後のゼロ距離、それも肉体で直接拘束されてしまえば、あらゆるベクトル防御の演算は物理的に退路を断たれて機能しない。
「鳴海、初春を助けてくれてありがと! ――これであんたの歪んだ実験もおしまいよッ!!」
「しまっ――」
木山が息を呑んだ瞬間、美琴の身体から、天を割るようなレベル5の最大出力の青白い雷撃が爆ぜた。
――ガガガガガガガッ!!!!!
「がああああああああああッ!!!」
ゼロ距離からの数億ボルトの電撃が、木山春生の肉体を完全に包み込み、高架橋の空間を真っ白に染め上げる。電撃が収まり、黒煙が晴れていく戦場。
木山は力なく膝を突き、その場に崩れ落ちた。これだけの電撃を喰らえば、もう立ち上がる余力など残されていないはずだった。だが、美琴の様子がおかしい。電撃を放った直後から、彼女はまるで何か恐ろしい悪夢でも見たかのように青ざめ、ガタガシと身体を震わせてその場に立ち尽くしている。
「おい、御坂……? どうしたんだ」
俺が怪訝に思い、美琴の元へ近づこうとした、その時だった。
「……気づいたのね、御坂美琴」
血を吐きながら、木山春生がゆらりと顔を上げた。その目は、美琴に『自分の記憶』を覗かれたことを完全に察知していた。
「そうよ……私の教え子たち、身寄りのない
木山の口から語られる、この街の底知れない、おぞましい『真実』。
「あの子たちは、ただ先生に褒められたくて、必死に笑って能力開発の実験を頑張っていただけなのに! なのに、この街の上層部はあの子たちをゴミのように捨てて、実験の事実さえ隠蔽した! ……私はあの子たちの未来を取り戻すまで、この街の全てを呪ってでも、絶対に諦めるわけにはいかないのよ……っ!!」
血を吐きながら叫ぶ、木山の悲痛な怨み節。実家から絶縁状態で出ていき、学園都市のシステムに裏切られてきた俺の胸の奥に、彼女の叫びが冷たい戦慄となって突き刺さる。だが、余韻に浸る時間は、この最悪な都市のルールによって強制的に奪い取られた。
「が、ぁ……あ、つ、頭が……熱い……っ!?」
怨嗟の声を上げた直後、木山春生が突然、自分の頭を抱えて激しく苦しみ出した。俺の耳の拡張ピントが、空間の異常を捉える。木山を中心とした『幻想御手ネットワーク』――1万人以上の脳を繋ぐAIM拡散力場の周波数が、制御を失って一箇所へと急速に圧縮され、歪んだ不協和音を上げて臨界突破していく。
「おい、離れろ御坂!! 何かが来るぞ!!」
俺の叫びと同時に、木山の身体から、ドロドロとした不気味な陽炎のような光が噴き出した。1万人の能力者の『
――キシャァァァァァァァァァッ!!!!!
黒煙を引き裂いて現れたのは、胎児のような形をした、巨大で醜悪な、この世の生物ではない異形のバケモノだった。
「なんだ……あれは……っ!?」
俺の脳内計算が、その存在の不条理さに強烈なエラーを叩き出す。音の波形がない。命の鼓動の周波数もない。あるのは、1万人分の異能の残滓が凝縮された、文字通りの『バグの塊』。木山春生という最悪の頭脳戦を制した直後に現れた、学園都市の闇が産み落とした真の化物。その巨大な影を見上げながら、俺と美琴は、本当の地獄の幕開けに息を呑むのだった。