「ひっ………!?な、何しやがったテメェ!!」
大柄な仲間が一瞬にして白目を剥いて床に崩れ落ちた光景に、残る三人の『スキルアウト』は完全なパニックに陥っていた。
だが、彼らは馬鹿であっても、路地裏の修羅場を潜ってきた不良だ。得体の知れない手を使い仲間を倒した俺を激しく警戒し、俺から約2メートル離れた場所から距離を詰めようとはせず、間合いを取って鉄パイプを構え直す。
(……チッ。少し相手を舐めてたな。予想以上に警戒していて、俺の
俺は心の中の愚痴が顔に出ないようポーカーフェイスを作り、冷徹に状況を再計算していた。
消音能力は、至近距離で耳元をミュートして三半規管をバグらせるハメ技だ。効果範囲が自身の身体の周囲、手を伸ばした先のパーソナルスペースが限界である以上、敵が近づいてこなければ1デジベルの音すら消せやしない。とこちらが考えていたら、
「おい……!アイツから間合いを保て!飛び道具だ、そこの椅子でもなんでもいいからアイツに投げつけろ!」
不良の一人が叫び、仲間がそれに応じて近くの丸椅子に手をかける。
(敵はうかつにこちらに近づかないし、このままだと人数も相まって後手に回る。……だったら)
「こちらから動く」
敵の行動を予測しつつ細身の身体をバネのようにしならせ、俺は床を蹴った。
向かうのは敵の方向ではない。すぐ横にある、ハンバーガーショップの重厚なプラスチック製のトレイ返却カートだ。
「おい、逃げる気ーー」「ちげーよ、お馬鹿さん!」
俺は頭脳で導き出した『カートの重心と車輪の摩擦係数』を利用し、カートの側面を思い切り蹴り飛ばした。
ガラガラガラッ!!!と凄まじい音を立てて、大量のトレイを載せた重いカートが、こちらに椅子を投げようとしていた不良の足元へと猛スピードで滑っていく。
「うおっ!?」
不意を突かれた不良が、滑ってきたカートを避けようとして体勢を大きく崩す。
その一瞬の隙を見逃さず、あっけに取られている二人の不良の間を強引にすり抜けるように全力疾走を掛けた。カートに足を取られて倒れかけている不良の、まさに『耳元』へと、俺の右手が完璧な軌道で滑り込んだ。
「ハメ技、二回目――『消音能力』最大出力!」
――ツン、と世界の音が消える感覚。完全な無音の深淵に叩き込まれた不良は、脳の平衡感覚を完全に破壊され、白目を剥いて床へ派手にひっくり返る。
「てめぇぇぇ!!」「よくもコラァ!!」
同時に、背後から残る二人の不良が鉄パイプを俺に当てようとこちらに迫る。
足は完全にもつれかけていたが、頭はしきかりと冴え渡っていた。床に落ちていた椅子の脚を、引っ掛けるように蹴り上げる。
ガキィィン! と不格好な金属音が響き、敵の鉄パイプの軌道が数センチだけ逸れて空を切った。
「よし、これで全員、俺の『音消し』の射程圏内だな……!」
体力の限界を迎え、ドサリと床に膝をつきながらも、俺は左右の手を残り二人の不良の顔面へと同時に突き出した。
完全な静寂の檻が、同時に二人の耳元で展開する。
「……あ、が……っ!?」 世界の音を奪われた最後の二人が、強烈な目眩のなかで、糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちていった。
「……は、ぁ。……ゲホッ、ゲホッ……! くそ、理論上は、スマートに勝てたはずなのに、俺の心肺機能が、計算に、追いついて、ねえ……っ」
ハンバーガーショップの床に、完全にノックダウンされた四人のスキルアウト。 その中心で、俺は細身の身体を激しく上下させ、真っ赤な顔で死にかけのトドのように肩で息をしていた。
頭脳は天才。格闘センスも上の下。しかし、元引きこもりの過去により、周期には四人連続で身体を動かすスタミナなど、コンマ一ミリも備わっていなかったのだ。
「な、鳴海くん!? 大丈夫!?」
佐天さんが慌てて駆け寄ろうとした、まさにその瞬間。店内の空間が、一瞬だけ奇妙に歪んだ。
「そこまで!! ――ジャッジメント(風紀委員)ですの!!」
空間移動《テレポート》の残響と共に、派手に店内に乱入してきたのは、常盤台中学の制服に腕章を巻いた少女――白井黒子であった。
黒子は即座に周囲を警戒するが、目に入ってきたのは、すでに完全にノックダウンされてピクリとも動かないスキルアウトの群れと、その中心で限界を迎えている俺の姿だった。
「お、遅いよ、ジャッジメントちゃん……。あと、五分早く来てくれないと、俺の肺胞が、二、三個、破裂する確率が、固定化される、ところ、だった……(ゼェゼェ)」
「な、なんですのこの失礼極まりない態度で息切れをしている殿方は……!」
黒子が顔に青筋を立てる。しかし、すぐに床の鉄パイプや、不良たちの奇妙な倒れ方に目を留め、鋭い視線を俺へと向けた。
「あなた、学生ですね。スキルアウトを無力化したのはあなたですの? ……事情は察しますが、一般学生の権限なき能力行使、およびこれだけの事案です。事件の参考人として、ジャッジメント支部までご同行願いますの」
「え、ちょっと待ってよ!? 俺、正当防衛! あと、対面の可愛い女の子をスマートに守ったヒーローなんだけど!? なんで連行!? 人生の計算式が完全にバグってるだろーが!!」
「問答無用ですの!!」
と事態が正常に収束をみせると思いきや周期はジャッジメントに連行されたいった。
◇
第七支部のジャッジメント案内所。パイプ椅子に腰掛けた俺は、差し出された紙コップの緑茶を左手ですすりながら、大きくため息をついた。
「いやー、人生の計算式が完全にバグってるわ。女の子をスマートに助けたヒーローが、なんで夜の警察《ジャッジメント》で事情聴取を受けてるわけ?」
「まだ言っていますの。あなたは確かに正当防衛とはいえ、能力の無届け行使は立派な規律違反ですのよ」
対面に座る白井黒子は、手元の端末に表示された俺の『個人プロフィール』に目を落とし、小さく眉をひそめた。
「……あなたは某高校の在学生の鳴海 周期さん。学科の成績は、体育を除けば全て学年首位。IQの数値も高い……。天は二物を与えずと言いますが、あなたに関しては、ただの嫌がらせレベルの天才ですのね」
「だろ? 黙ってれば常盤台のお嬢様が三度見するレベルのインテリイケメンだからね。ちなみに、さっきのファミレスのドリンクバーの音消しブレンド理論も完璧に計算したところだわ」
「顔はいいのに口を開けば台無しですの。」
黒子は画面をスクロールし、そのプロフィールの最下部――最も残酷な項目を指先でトントンと叩いた。
【鳴海 周期 / 能力名:消音能力《サウンドレス》 / レベル1(低能力者)】
「これだけの頭脳を持ちながら、あなたの能力格付けは『レベル1』。効果は……自身の周囲、最大でも半径一メートル以内の音波を逆位相で相殺し、日常の雑音を消し去るだけ。……さっきのスキルアウト四人は、全員が急激な完全無音による『三半規管のバグ』で自滅していましたわね。あなたでなければ、ただの便利な耳栓能力ですのよ? 半径五十センチの音消しなんて、あなたが戦った不良が遠距離攻撃の手段を持っていなかったことが幸いでしたわ。」
「耳栓って言うな。れっきとした世界の音声の引き算だわ。……まぁ、この街の不条理な能力のルールに、俺の脳の計算がまだ適応しきれてないってだけの話さ。俺にとっての、人生最初の挫折ってやつ」
俺は自嘲気味に笑いながら、緑茶を飲み干した。
親から離れられると期待してやってきた学園都市。しかし、外の世界の常識に脳が囚われているせいで、発現したのは地味なレベル1。その事実をのショックを俺は仮面の下に静かに隠し持っていた。
「……ま、お説教ならクラスの小萌先生で十分に間に合ってるからさ。規律違反の始末書くらいなら喜んで書くから、そろそろ帰らせてくれない? 冷めきったハンバーガーが俺を待ってるんだわ」
「はぁ。これだけ生意気な口が叩けるなら、三半規管をバグらせたスキルアウトの皆さんより、よっぽど元気そうですわね。……いいでしょう。初犯であることと、明確な正当防衛、および一般市民の保護が認められましたので、今回は厳重注意処分として釈放いたしますの。……ただし」
と黒子は手元の端末を閉じ、鋭い視線で、パイプ椅子から立ち上がろうとする俺を射抜いた。
「次に同じような真似をすれば、次は本当に書庫《バンク》の経歴に黒い数式を書き込むことになりますわよ。分かったらさっさと退出しなさいな」
「はいはい、了解ですよ。じゃあね、ジャッジメントちゃん。お仕事頑張ってね~」
俺はひらひらと左手を振り、いつもの不敵な、少し人を食ったような笑みを浮かべて取調室を後にした。
重い自動ドアが閉まる音を聞きながら、白井黒子はふぅ、と小さくため息を漏らす。
「……学科成績は学年首位で能力開発にも意欲的な生徒、なのに能力はレベル1の『音消し』。……本当に、この街の能力開発は残酷ですわ」
ジャッジメントの案内所を出た俺は、夕暮れに染まる学園都市のストリートで、心配そうに待っていた佐天涙子と合流した。
「あ、鳴海くん! 大丈夫だった!? 怒られたりしなかった!?」
「おー、佐天さん。バッチリ厳重注意だけで釈放されたわ。いやー、人生の計算式が一時的にバグったけど、美人のジャッジメントちゃんにお茶まで奢ってもらっちゃった。頭が良いイケメンはどこに行っても優遇されるから辛いわ(・∀・)ニヤニヤ」
「……っ、もう! 本当に大バカ!! 心配して損した!!」
顔を真っ赤にして怒る佐天さんに、俺はゲラゲラと笑い返す。そんな佐天さんとの時間を過ごし俺は男性寮へ帰宅した。
この時の俺はまだ気づいていなかった。俺が守った少女の佐天涙子との『縁』から始まり、これから学園都市の裏側で巻き起こる数々の大事件へと、引きずり込んでいくことに。ここから、俺の物語が、少しずつ、だけど確実に世界の歪みを震わせ始めるのだということを。