「お兄ちゃん、あっち……あっちのお店に連れてって……っ」
第七学区にある巨大デパート『セブンスミスト』の入り口付近で、俺は小さな女の子に制服の裾をぎゅっと引っ張られていた。泣きべそをかく少女に手を引かれるがまま、俺はお洒落なレディースファッションのコーナーへと強制連行される羽目になってしまう。
当然、一緒に入り口にいたはずの親友・上条当麻とは、人混みの向こうで完全にはぐれてしまった。女の子に付き合って、可愛い服が並ぶフロアの真ん中で男一人、困り果てて佇んでいると――。
「――あれ? 鳴海、くん……?」背後から、聞き覚えのある少し弾んだ声が聞こえた。振り返ると、そこにはあの日以来の、顔を真っ赤にして大慌てで視線を彷徨わせている佐天涙子の姿があった。その後ろには初春飾利、そして常盤台中学の制服を着た御坂美琴の二人が付き添っている。
「やっぱり鳴海くんだ! ど、どうしてここにいるの? もしかして……私を待ってた、とか……あ、いや、なんでもないです!」
自分で言っておいて勝手に自爆するように顔を伏せる佐天に俺は困惑する。
数日前、彼女を守った直後に俺が言った『学園都市のレベルなんかじゃ測れない価値がある』という言葉の後から、彼女の様子が少しおかしい。事実を伝えただけだの俺にとって彼女の過剰なリアクションの理由はさっぱり分からず、どうしたんだという気持ちだ。そんな気持ちを心に押し殺して
「いや、迷子に捕まってな」と、いつも通り至って冷静に返事をした。
ふと彼女たちの周囲を見渡し、いつもなら美琴にべったり引っ付いているはずの、あの赤髪の少女がいないことに気づく。
「そういえば、今日は黒子はいないのか?」「あ、はい! 白井さんはちょっとした事件の調査で忙しくて、今日は別行動なんです」
同じジャッジメントである初春が申し訳なさそうに教えてくれた。なるほど、風紀委員も色々と大変なんだな、と納得していると――突局として、初春の携帯からけたたましい着信音が鳴り響いた。
「あれ、白井さんから? はい、初春ですが……えっ!? 爆弾、ですか!?」
初春の悲鳴に近い声に、その場の空気が一変する。携帯のスピーカーから、焦燥しきった黒子の声が漏れ聞こえてきた。
『そうですの!
黒子の言葉を裏付けるように、館内に冷機を孕んだ緊急アナウンスが響き渡る。
『――お客様にお知らせいたします。現在、館内で不審物が発見されました。係員の指示に従い、速やかに避難を――』アナウンスの途中で、激しい地鳴りのような振動がビルを揺らし、周囲がパニックになり避難を急ぐ人混みがドッと押し寄せる。その警告を聞き、ジャッジメントである初春は避難誘導をすることを告げ、俺たちもその指示に従い、セブンスミストから避難した。
◇
避難した外では人だかりが出来ていた。その波の向こうから、「おい鳴海ぃーっ!」と叫びながら血相を変えて走ってくる見慣れたトゲトゲ頭の男がこちらに飛び出してきた。
「当麻! 無事だったか」「鳴海! 探したぞ、大ピンチだぁ! ……って、あれ? なんでお前がそのビリビリと一緒にいるわけ!?」
目を丸くする当麻に、美琴もまた驚愕の表情で指を突きつける。
「ちょっと! アンタ、その馬鹿と知り合いだったの!?」「あ、ああ、こいつは俺のクラスメイトで親友だ。御坂こそ、当麻と知り合いだったのか?」
思わぬ関係性の開示に二人が「げぇっ」と嫌そうな顔を浮かべるが、周囲を見渡していた俺は、手元に重大な違和感を覚えた。さっきまで俺の服の裾を掴んでいたはずの、あの迷子の女の子の感触がない。外への避難のドサクサで、完全に見失ってしまったのだ。
(……しまって、あの少女《コ》がいない……!)大混雑の最中、俺の意識が一刻も早く避難するという事に夢中になっていた事により、俺はいつの間にか少女を見失わされていたのだ。
「なぁ誰か俺と一緒にいた女の子を見なかったか!?」
と少し冷静ではない俺が一緒に避難した御坂と佐天、合流した当麻に聞く。
「女の子がどうしたんだ」と焦る俺の声を聞いた当麻が聞き返す。
「お前とはぐれた後に、迷子の女の子と一緒に居たんだ。避難するのに集中するあまりに……」
と事情を知らない上条に返す。
「本当だわ、いつの間にかいない」と御坂も少女がいない事に気づく
「まさか、まだセブンスミストの中にいるんじゃ?」と佐天が最悪の事態を考えたのかそう言った。
(ありえるぞ。まだあんなに小さい子の場合、今の状況をわかっていない可能性がある。その場合はまだ中に取り残されているかもしれない。)
俺は中に少女がいるかもしれない可能性とそれが高い確率である事を理解し覚悟を決めた。
「すまん。……まだ、あの子は中にいるかもしれない。心配だから、俺もは中に行く。みんなはここにいてくれ」
俺はきっぱりと告げ、ビルの入り口へと一歩を踏み出した。だが、その肩を当麻がガシッと力強く掴んで引き留める。「おいおい鳴海、何一人で格好つけてんだよ! 危険なところに親友を一人で行かせられるかってんだ。だったら俺も連れてけ!」「当麻……」ニッと不敵に笑うトゲトゲ頭。その親友の熱い意地に俺が目を見張っていると、今度は後ろからパチパチと青白い火花を前髪から散らせながら、美琴があきれたように歩み出てきた。
「ちょっと、私を置いてけぼりにして何男同士で盛り上がってんのよ。レベル1とレベル0が突っ込んで私だけ逃げるなんて、常盤台の名が廃るわ。……その子なら、私だって付き合ってあげるわよ! 行くわよ!」
と御坂も俺たちに同行すると言った。
「……フッ、レベル5が一緒に行ってくれるなら頼もしいぜ。」
「だったら私も……」と言いかける佐天に俺が待ったをかける。
「佐天さんはここに残ってくれ。俺たちが探している間に少女が外に出てきたりする場合に連絡をくれる役割が必要なんだ」と言った。
佐天は「でも……」と小さい声で呟いて納得してくれない。
「ちゃんと無事に佐天さんのところに戻ってくる。約束する」と俺は佐天に約束をすると伝えた。
俺の言葉を聞き一瞬口を閉じ、少し悩んだ末、佐天が口を開く。
「わかった。だったらケガしないで戻ってきてね。約束だよ」
と佐天はここに残ると決断してくれた。
「ああ。約束を破ったらどんな事でもするよ」
と言うと佐天が少し顔が赤くなり「なんでも……!」と誰にも聞えない声で言った。
当麻の『幻想殺し』、そして学園都市第3位の御坂美琴という絶対的な安心感。二人がついてきてくれるというこれ以上ない精神的余裕になって俺の思考もクリアになる。、
「よし…行こう、あの子を絶対に見つけるぞ!」
こうして、俺たちは爆発の危機が迫るセブンスミストの深部へと、猛スピードで逆行し始めた。
◇
辺りを探索し、どんどん奥に進んでいると視界の先に、探していた少女とその少女と一緒に居る初春の姿があった。息を切らせて現れた俺たちに気づき、初春は目を丸くして驚きの声を上げる。
「えっ、鳴海先輩!? 御坂さんまで……どうしてここにいるんですか!?」
俺たちが女の子を探してここまで逆行してきたことを、初春は知る由もない。ただ避難誘導の途中で見つけた少女を保護しただけの彼女は、俺たちの登場に純粋に困惑していた。
俺は二人の無事を確認できた喜びから、初春たちの方へと歩み寄ろうと足を踏み出す。俺の少し後ろには、息を整えながら追いついてきた当麻と御坂が並んでいた。
――だが、その一歩を踏み出した直後。俺の耳が、聞いたことのない『奇妙な音』を捉えた。俺は自身の能力を行使する際、脳の演算領域の拡大に伴い、周囲の空気の振動や周波数――つまり『音』に対して少しだけ敏感になる性質がある。
初春が女の子を抱きしめた安堵の静寂の裏で、その子が抱えるぬいぐるみから、空間そのものが軋み、引き千切られるような、微小で不気味な高周波が鼓膜へと刺さった。爆発が始まる直前の、歪んだ大気の物理的な予兆。
「待て……初春、その子が抱えているぬいぐるみから離れろ!!」
「え……?」「おかしい。周囲の空間の重力子が、そのぬいぐるみを起点に異常な高次演算で膨張している……! 爆発が始まる時の音が聞こえる、爆弾はそれだ!」
俺の看破と同時に、ぬいぐるみに仕込まれた重力子の膨張演算は『100%』に達し、眩い光の奔流となって今まさに弾け飛ぼうとした。
「っ……!!」俺がぬいぐるみに対して指摘を直後に、前方のぬいぐるみが発した異様な光。
それを見た初春は、ジャッジメントとしての訓練の賜物か、あるいは本能的な機転か、驚異的な反応速度で動いた。彼女は少女の腕からぬいぐるみを力一杯ひったくると、俺や、その後ろにいる当麻たちのいる方向とは『真逆の方向』――誰もいない吹き抜けの空間へと、ありったけの力でそれを放り投げたのだ!
出来るだけ爆発の被害を周囲に及ぼさないための、初春の咄嗟の決死のファインプレー。放り投げられたぬいぐるみが宙を舞い、光の膨張をさらに強めていく。
「っ、危ない……っ!!」
後ろにいた御坂が、咄嗟にポケットからコインを取り出そうとしたが、全力走の直後だったせいか、指先がわずかに滑り、大切なコインを床に落としてしまう。
「あ、しまっ――」
美琴の顔が絶望に染まる。今から拾って、電磁誘導の演算を組み上げて撃ち抜くのでは間に合わない。
(いや、待て。もし御坂のレールガンが間に合っていたとしても、あの初春が投げて宙に浮いた位置で撃てば、爆風と電磁衝撃波でビルの天井が崩落する。女の子も初春もタダじゃ済まない!)
俺の脳内計算は、美琴の能力による相殺を『下策』だと弾き出していた。なら、この最悪の状況を完全にコントロールできる最適解は、世界にただ一つしかない。
「当麻、行けーーーー!!」
俺は美琴を追い抜き、すぐ後ろにいた親友の背中を、ありったけの力で前方へと突き飛ばした。初春が俺たちの逆方向へと投げてくれたおかげで、爆弾までの直線ルートは完全に開けている。
「お前の右手なら、周囲の被害を完全に『ゼロ』に抑えられる! 迷わず突っ込め!!」
「うおおおおお間に合えぇぇぇ!!」俺の叫びに応え、当麻が弾かれたように初春たちが投げた逆方向へと猛ダッシュし、スライディングで滑り込む。爆発のエネルギーが四方に撒き散らされるその刹那、当麻の右手が、宙から落ちてきたぬいぐるみの中心へと叩きつけられた。
――シュイン……っ!!
轟音は鳴らなかった。莫大に膨れ上がっていた重力子の演算数式が、当麻の右手に触れた刹那、まるで最初から存在しなかったかのように空間から完全に消滅(ゼロ)したのだ。
「……はぁ、はぁ……! ぶ、無事か、お前ら!?」床にへたり込んだ姿勢のまま、右手を突き出して荒い息を吐く当麻。
「……相変わらず、物理法則を無視したとんでもない演算破壊だな、お前の右手は」
俺は膝をつき、肩の力を抜いてニッと笑った。
「ば…… 爆発が、完全に消えた……?」床に落ちたコインを拾うこともれ、忘呆然と上条の右手を見つめる御坂美琴。
だが、彼女の視線はすぐに、遠くの野次馬の中で不気味にニヤけている一人の男――犯人の姿を捉えた。男は自分が仕掛けた爆破が不発に終わったことに舌を打ち、慌てて逃走し始める。
「――待ちなさいよ、アンタ!!」
美琴の瞳に、激しい怒りの火花が散る。パチパチと青白い火花を全身に纏わせながら、美琴は犯人の後を追って猛スピードで駆け出していった。その圧倒的な電磁気の演算規模は、やはり学園都市第3位の名に恥じない、凄まじいものだった。
「……おい鳴海、あのお嬢様、マジで怒ってないか? カミジョウさん、巻き込まれたら死ぬ自信があるんだけど……」
と無事に爆発を防げた事実を実感した上条がそう零す。
「そうだな。俺もああならないように注意しとこ」
床にへたり込んだまま情けない声を出す当麻に、俺は呆れたように苦笑いを返した。
すると当麻は、急に思い出したように自分の腹の虫を鳴らし、ガックリと項垂れた。
「あ~あ、結局補習明けに美味いトースト食おうと思ってわざわざここまで来たのに、店に入る前にこれだよ。おまけにバーゲンのタイムセールも逃したし……。はぁ、やっぱりカミジョウさんの人生、どこまでも不幸だぁぁぁ……っ!」
いつものように頭を抱えて、自分の不運を嘆く親友。だが、俺はそんな彼のトゲトゲ頭を軽く小突きながら、フッと小さく笑って見せた。
「何が不幸だ、馬鹿。――でも、お前のおかげで、最悪の不幸は阻止されたよ」
「え……?」当麻が呆然と顔を上げる。俺は彼の、世界中のあらゆる異能を消し去る傷だらけの右手を真っ直ぐに見つめ、言葉を続けた。
「もしお前があそこにいなかったら、あの女の子も、初春も、ビルにいた大勢の人間もタダじゃ済まなかった。御坂の手札じゃ周囲を巻き込みすぎてたんだ。爆発そのものを、誰も傷つけずに完全に『ゼロ』にできたのは、世界中で当麻、お前の右手だけだ。お前は今日、間違いなく最高のヒーローだったよ」「……鳴海……」面食らったように目を丸くした当麻は、それから気恥ずかしそうに顔を背け、人差し指で鼻の頭をこすった。
「もー、お前はたまにそういう恥ずかしいセリフを平然と言うよなぁ……! 全然カミジョウさんらしくないじゃんか。……まぁ、誰も怪我しなかったのは、本当に良かったけどさ」
照れ隠しにブツブツと言う親友の肩を借りて、俺は立ち上がる。犯人を追っていった第3位の電撃が、遠くの通路を青白くフラッシュさせているのを眺めながら、俺たちはいつものように、互いの無事を喜び合うのだった。