セブンスミストでの連続虚空爆破《グラビトン》事件から数日明けた、7月21日の夜。
学生寮の自室で、俺はパソコンのモニターが放つ青白い光に照らされながら、ひたすらにキーボードを叩き続けていた。
「……おかしい。どう考えても、計算の辻褄が合わない……」
重い頭を指先で揉みほぐしながら、画面に表示されたデータを睨みつける。
俺は画面をスクロールさせ、ここ最近、学園都市の各所で発生している
介旅のシステム上の評価は、どこにでもある『レベル2(異能力者)』。
「レベル2の演算規模で、セブンスミストを揺るがすほどの重力子の高次膨張を維持できるわけがない。……他の直近の事件を見ても、犯人たちの出力と範囲の数式が、あいつら自身の『
学園都市の能力開発において、レベルはその人間の脳が扱えるエネルギーの総量と、その処理速度に直結する。レベル2の細いホースに、レベル4(大能力者)並みの濁流を流し込めば、本来なら脳がオーバーヒートを起こしてその場で廃人になるはずだ。
なのに、介旅をはじめとする最近の犯人たちは、何の苦悶もなく、自分の器以上の力を平然と行使していた。これは科学の法則そのものに対する、絶対的な『
「個人の演算領域を、外部から強制的に底上げ、あるいは拡張している『何か』が、この街の裏で動いている……?」
どういうことだと、俺はキーボードを叩く速度を上げた。学園都市の裏のネットワーク、学生たちの間で囁かれるネットの掲示板、裏掲示板のログ、SNSの書き込み
その膨大な情報の海をハッキングに近い精度でソートし、事件の裏に隠された共通の因果関係を炙り出していく。やがて、画面の真ん中にぽつりと浮かび上がったのは、あまりにも出来損ないな、けれど不気味に拡散している一つの都市伝説だった。
――『幻想御手《レベルアッパー》』。
「使うだけで、誰でも簡単に能力のレベルが上がる、正体不明のアイテム……、か」
画面を見つめる俺の瞳が、冷徹に細められる。レベルを上げたくて自分を実験台にし、死にかけたあの狂気。そんな血を吐くような絶望の果てに、俺は「強すぎる力は今の自分への戒めだ」と封印を選び、身の丈に合った『一瞬の無音(ハメ技)』を磨き上げてきた。そんな、人生を賭けた対価の重さをあざ笑うかのような、あまりにも都合の良すぎる、お節介な救済の噂。
「……ありえないな。楽に上限を突破した力の裏には、必ず脳を焼き切るほどの最悪の代償がある。一体どういう仕組みで……」
吐き捨てるように呟いたその時、デスクの上のスマホが、短いバイブ音を立てて震えた。画面に表示されたのは、佐天涙子の名前。なにかメールを送っていた。
『鳴海くん、夜遅くにゴメンなさい! 昨日は初春を助けてくれて、本当に、本当にありがとうございました……っ! 鳴海くんも怪我はなかったですか?』
「……昨日あんだけ心配してくれたもんな。」
画面の向こうで、顔を真っ赤にして指を震わせながらメッセージを打っているであろう彼女の姿が、容易に想像できた。昨日の事件を止めた後、約束通りみんな無事に帰ってきたとき彼女はケガ一つしていない俺を見るなりワンワンと泣き出して泣き終わるまで時間が掛かった。本当やさしい子だな。と思い少し気が緩んだが、モニターに映る『レベルアッパー』の文字と重なり、俺の胸の奥はなぜか不吉にざわつかせていた。
「……まぁ、元気そうで何よりだな」
タイピングを止め、俺は彼女に短い生存報告の返信を打ち込みながら、静かに息を吐き出した。学園都市を侵食し始めた、
◇
翌日、7月22日の昼下がり。昨夜調べたデータの違和感を頭の隅で転がしながら街を歩いていた俺は、ある公園の前で足を止めた。
「あ……鳴海くん!」ベンチの近くにいた佐天が、俺の姿を見つけてぱっと顔を輝かせる。驚いたのは、彼女の周囲の大気が、微かに見たこともない周波数で震えていたことだ。彼女がそっと手をかざすと、そよ風とも違う、確かな空気の塊がふわりと発生した。
「佐天、お前……能力が発現したのか?」
「へへ、そうなんです! ちょっとだけ、レベルが上がったみたいで!」
嬉しそうに胸を張る彼女を見て、俺は素直に口を開いた。
「そうか。良かったな、佐天。お前が裏でどれだけ努力していたか、俺は知っているからさ。レベルが上がったお祝いになにか奢るよ。」
「……っ」俺が本心から告げた『事実』に、佐天は一瞬だけ嬉しそうに頬を染め
――けれど次の瞬間、どこか罪悪感を孕んだ目で視線を落とした。彼女は俺に『レベルアッパー』を使っているという決定的な事実は告げぬまま、探るように、ぽつりと問いかけてきた。
「ねぇ、鳴海くん。もし、もしもだけどさ……自分の能力のレベルを、一気に、それこそ一瞬で上げられるような方法があったとしたら、鳴海くんはその方法を選ぶ?」
その問いに、俺の脳裏を過去の自分の姿がよぎる。俺は迷うことなく、冷徹に、けれどきっぱりと首を横に振った。
「いや、嫌だな。俺はいらない」
予想外の反応だったのか彼女は、驚いた顔をしていた。
「え……? 鳴海くんだって、いつもレベル1から脱却したいとか言っているのに?」
「確かに、俺はいつもレベルを成長させたい、自身を次のステージに進みたいっていう想いはもちろんあるよ。だけど、自分の身の丈に合わない、持て余すような強すぎる力は、いつか必ず自分自身の身を滅ぼす。……俺は、自分の器を無視した偽りの力で強くなるくらいなら、今のレベル1のまま、地道に数式を磨いている方が何倍もマシだ」
「――っ」
佐天さんの胸の奥で、何かが激しく跳ねた気配がした。無自覚に彼女の核心を突いてしまった俺の言葉に、佐天さんは目に見えて動揺し、顔を青くして視線を彷徨わせる。
「あ、あはは……そ、そうだよね。鳴海くんは、強いもんね……。ご、ごめん! 私、ちょっと用事思い出しちゃったから、もう行くね!」
あからさまに不自然な様子で、佐天さんは逃げるようにその場を走り去っていった。遠ざかる彼女の後ろ姿を見つめた。
(どうしてあんな悲しい顔をしていたんだろう。)
この時の俺は、彼女の事のあの表情を理解できていなかった。
――そこからの2日間は、俺にとって冷酷なまでの『現実』を突きつけられる時間となった。日付は飛び、7月24日。俺のパソコンのモニターには、またしても虚しく『アクセス拒否』の文字が並んでいた。初春たちジャッジメントは、その特権的な権限やネットワークを使ってレベルアッパーの確信へと確実に近づきつつあるようだった。
だが、俺は学園都市のシステムから見れば、ただの『一般人』であり、ただの『レベル1』に過ぎない。いくら脳内計算が優れていても、守られる側の一般学生という立場では、街の闇に隠されたレベルアッパーの供給源やデータをこれ以上深く探り出すのは、物理的に困難を極めていた。
(クソ、情報が足りない……。また、加害者の能力のレベルが事件の規模と重ならない……!)
自室で焦燥感に駆られ、拳をデスクに叩きつけた、その瞬間だった。
静まり返った部屋に、携帯のけたたましい着信音が鳴り響く。画面に表示されたのは、佐天涙子の名前。俺はあえて、昨夜からのシリアスな思考を切り替えるように、少し冗談めかした明るいトーンで通話ボタンを押した。
「おう、今日も元気な鳴海くんだぞ。どうした、佐天さん。何か用事か?」
いつものように、ちょっとからかうような笑いを含んだ俺の声。だが、受話器の向こうから返ってきたのは、いつもの明るい声などでは断じてなかった。今にも消え入りそうな、激しい後悔に震える彼女の細い吐息。いつもの彼女とは明らかに様子がおかしかった。
『……鳴海、くん……?』
「どうした、なんかあったのか?」
俺の脳内の温度は瞬時に凍りついた。明らかに異常な彼女の様子に、俺の顔からおふざけの笑みが一瞬で消え失せる。
『私、バカだね……。鳴海くんがあんなに言ってくれたのに……私、実はレベルアッパーを偶然見つけて、クラスのみんなと一緒に使っちゃったの……』
衝撃的な告白に俺は体が震えて、頭が混乱した。
「っ、お前……!」
『そしたら、一緒に使った友達が、急にバタッと倒れて、目を開けなくなっちゃって……。その時、やっと分かったの。鳴海くんの言ってた言葉の意味が……。身の丈に合わない力は、自分を滅ぼすんだって……。本当に、私……バカだよね……っ』
涙混じりの、激しい後悔の告白。それをすべて聞き終えた瞬間、俺の脳細胞が最悪の計算結果を弾き出し、背筋に冷たい戦慄が走った。いつもの冷静さも、作った日常のノリも、すべてが一瞬で吹き飛ぶ。
「佐天、もう喋るな! お前は今、どこにいるんだ!? 今すぐそこを動くな、俺が――」
『ごめんね、鳴海くん……。私、やっぱり、レベル0のまま、鳴海くんの隣で……笑って、いたかった、な……』
――ツ、ツ、ツ……。電話からなにも音が聞こえなくなった。彼女に何があったのかが、俺には分かってしまった。
「佐天!? おい、佐天!!」
応答はない。携帯の向こうから聞こえるのは、通話相手の携帯が床に滑り落ちた鈍い音と、かすかな静寂だけだった。
その後、俺の元に初春から
「佐天さんが倒れて、病院に運ばれた」という、泣き叫ぶような悲鳴の電話が入った。
俺は生身の足であることも忘れ、学生寮を飛び出して第七学区の病院へと文字通り全力で、死に物狂いで疾走した。
病院の集中治療室(。ガラスの向こうのベッドに横たわり、いくつものコードを繋がれながら、死んだように目を閉じている佐天涙子の姿がそこにあった。
「佐天……」
初春や看護師たちの制止を振り切り、俺はベッドの傍らに歩み寄る。彼女の手を取る。
数日前、俺の制服の袖を必死に、健気に掴んでくれていたあの温かい手は、今は何の反応も返してくれない。
「なんで止められなかった……。俺が、もっと強引にでもあの時奪い取っておけば……!」
押し寄せるのは、圧倒的な無力感。そして、激しい『怒り』。楽にレベルを上げる代償の恐ろしさを、誰よりも知っていたはずなのに。自分が味わったあの地獄を、なぜ大切な仲間にまで味あわせてしまったのか。眠り続ける彼女の顔を見つめながら、俺の脳裏に、かつて、力を求めて【狂気に囚われた】自分とそんな【俺が救われた】時のの記憶が、強烈なフラッシュバックとなって溢れ出してくる。
「……なぁ、佐天。お前は俺を強いなんて言ったけど、俺は……お前にそう言われる資格のない人間だよ……」
静かに、けれど魂の底から絞り出すような呟き。
「でも、そんな俺を強いって言ってくれたなら。お前に会う前の俺の話をするよ」
俺を孤独から救ってくれた親友のように、今度は、俺がこの手でお前を救い出す。俺の冷徹な瞳の奥に、かつてないほどの激しい業火が宿った。
「――まず、学園都市に来る前の俺の家族の話からしよう。」
過去の記憶の扉が、今、激しく抉り開けられる。
次回は、主人公の過去の話をします。