(――あの日。俺がまだ、学園都市に来る前の話をしよう)
俺の生まれ育った実家は、一言で表すなら「異常なほど普通に固執する家」だった。平均値《アベレージ》こそが絶対の正義であり、そこから1ミリでも逸脱した個性を「不気味な異常」として恐怖する、歪んだ平穏。
皮肉なことに、そんな家に生まれてきた俺は、誰の目にも明らかなほど整った容姿と、周囲の大人たちの嘘や欺瞞を瞬時に見抜いてしまう並外れた頭脳を持って生まれてきてしまった。
まだ、親からの我慢や抑制を強いられる前。幼い俺の目に映る世界には、鮮やかな『色』があった。空は青く、花は赤く、自分の知性もただ純粋に世界を広げるための光だった。
だが、俺が何かを計算したり、大人びた正論を口にするたび、父親と母親の瞳に宿ったのは、我が子を愛おしむ光などでは断じてなかった。
それは、自分たちの理解を超えた化け物を前にした時のような、剥き出しの『恐怖』と『嫌悪』。たとえるならそれは、天動説こそが絶対の真実だと信じ込まれている狂信の時代に、一人だけ冷徹に『地動説』の真理を唱えてしまった異端者を、世界の敵として見つめる裁判官たちの目に酷似していた。
「お父さん、お母さん、どうしてそんな目で俺を見るの?」
大好きな両親に笑ってほしかった。抱きしめてほしかった。愛されたかった。
その一心で、俺は自分の卓越した知性を徹底的に隠す『普通の子供への擬態』を始めた。学校のテストでは、わざと間違えて常に平均点ぴったりを取った。普通の子供が喜ぶ流行りのおもちゃを強請り、子供らしく無邪気に笑ってみせる練習を自室の鏡の前で何度も繰り返した。脳の演算領域のすべてを、「普通の子供のプログラム」を完璧に演じるためだけに使い果たした。
自分を殺し、我慢を重ね、仮面を被り続ける日々。気がつけば、俺の目に映る世界からは鮮やかな色彩が消え失せ、すべてが退屈で冷たい『灰色の世界』へと変わっていた。けれど、どれだけ完璧に擬態しても、計算し尽くされたその『普通』は、両親にとってますます不気味なものに映るだけだった。母親から会話すらされない無関心の日々。いくら『普通の子供』を完璧に演じ、愛を乞うために脳を酷使しても、目の前の両親は俺を見てくれない。
そんな状況が続いていた中学3年生になったある日、3年生というのは進路という明確な未来の為の選択の思考は、冷徹極まりない一つの『計算結果』を俺は弾き出してしまった。
(あぁ、駄目だ。このまま高校へ進学しても、俺は俺のことなんて見ない、一生愛されない。我慢と抑圧を強いられ続け、俺の世界は――このままじゃ、光すら届かない『真っ暗な世界』へ落ちていく)
心が内側からポッキリと折れる音がした。エネルギーの完全に底を突いた俺は、そのまま学校へ行けなくなった。自室のベッドの上で、ただ天井を見つめるだけの死人のような日々。不登校の子供なんて世の中にありふれている「普通」だからと、両親は安心したような目で、俺を完全に無視した。
◇
そんな暗闇に引きこもる日々の中で、俺は偶然、ネットの隅から『学園都市』という存在を知ることになる。
本来ならどの家庭でも当たり前に知れる情報のはずだった。けれど我が家では、両親が「能力者なんて普通じゃない化け物だ」と、情報を徹底的に隠蔽していたのだ。
何より、俺自身も無意識のうちにその異質な街の存在を脳の検索から避けていた。だが、一度見つけてしまえば、もう目は離せなかった。
『超能力』。科学によって自らの『自分だけの現実《パーソナルリアリティ》』を構築し、何者かになれる世界。実家という狭い檻で個性を全否定され、黒い世界に溺れていた俺にとって、その最先端の街は、真っ暗な闇の中に一筋だけ差し込んだ、眩すぎるほどの『希望』であり『憧れ』だった。
「――俺、学園都市に行きたい」
久しぶりにリビングに降り、両親の元にその進学パンフレットを突き出した瞬間、両親からは予想通りの大反対を喰らった。
「普通の高校へ行け」「あんな異常者の集まりに身を落とすな」と、ヒステリーに叫ぶ母親。いつもなら、ここで俺は静かに引き下がっていただろう。けれど、この日だけは違った。俺の胸の奥で、何年も溜め込んできたドロドロとした感情が、初めて言葉となって両親に牙を剥いた。
「今まで、俺は二人に愛してもらいたくて、必死に『普通』になる努力をしてきた! わざと解ける問題を間違えたり、俺の顔の印象を弱める為に目が悪いわけでもないのに眼鏡を掛けたり沢山の努力と我慢をしてきたのに、それでも二人は俺を愛してくれない! ……なぁ、なんでそこまで普通にこだわるんだよ!? 昔、父さんと母さんは何かされて異常という概念がトラウマになったのかよ!?」魂の叫び。俺の人生14年分の心からの本音だった。
しかし、返ってきた母親の答えは、俺の叫びを嘲笑うかのようになんの躊躇いもなく話してきた。
「……は? 何を言っているの。何かあるわけないでしょう。ただ単に、『気持ち悪い』からよ」
「……え?」
その言葉に俺は完全に硬直させるものだった。
「害虫《ゴキブリ》を見ると、何かされたわけでもないのに嫌な気持ちになるでしょう? あれと同じよ。近づくだけで虫酸が走るの。あいつらに近づかれるだけで嫌なのに、過去に何かあったら私、生きていけないわ」
母親は、心底不快そうに顔を歪めてそう吐き捨てた。俺の思考が、完全に停止した。悲しい過去のトラウマがあったわけじゃない。ただの、純粋で理不尽な、100%の嫌悪。
「母さんの言う通りだ。あんな奴らが生きて、動いて、喋って、同じ世界に存在することが間違いなんだ。唯でさえ奴らは異常者同士で集まるのに、この学園都市というゴミはそんな害虫を増やす場所なんだ。」
普段はこちらに対して何も言ってこない父も母と同じ狂言を口にした。
(あぁ、そうか。計算が合わないんじゃない。――この人たちの頭の構造であり前提そのものが、最初から狂っていたんだ)
両親の言葉を聞いた後、俺はもはやこいつらの顔が正面から見ることができなくなっていた。俺の中にあった両親へのある種の執着が恐怖に変わった。
「……あんたら、普通じゃない。あんな異常なことを普通のように言ってくる。おかしいのは、俺じゃなくて、あんたたちの方だったんだ」
「――っ、この生意気なクソガキがぁッ!!」次の瞬間、激昂した父親の拳が、俺の頬を派手に殴り飛ばした。床に倒れ込んだ俺の髪を母親が掴み、狂ったような罵声を浴びせる。
「異常者が!」「今すぐこの家から出ていけ!」殴られ、蹴られ、冷たい床の上で血の味を感じながら、俺はけれど、生まれて初めて『強烈な解放感』を感じていた。あぁ、もう、この人たちの人形のフリをしなくていいんだ、と。
数日後、必要最低限の荷物だけを鞄に詰め、俺は実家の玄関に立った。二度と戻らない、永遠の決別。そんな俺の背中に向けて、ドアの隙間から、母親の冷え切った、人生の全てを全否定するような残酷な言葉が突き刺さる。
「……私の人生で一番の汚点は、あんたみたいな不気味な奴を産んだことよ。あんたは私たちに愛されたかったみたいだけど、あんたみたいなものを化け物なんて言うのね。もう二度と、その顔を見せないで。害虫は害虫らしく、ゴミが溢れている場所にでも行けばいい。」
バタン、と重い音を立ててドアが閉まる。
「……ああ、二度と見せないさ」
一人、誰もいない冬の青空の下へ踏み出す。親に全否定され、人生の汚点と呼ばれた俺。けれど、俺の脳内はすでに、新天地である学園都市への期待と、そこで「何者かになれる」という眩しい希望の数式で満たされていた。
この先に、『レベル1』という絶望と、それを救ってくれる『人生最高の親友』が待っているとも知らずに、俺は確かな一歩を、未来へと歩き出すのだった。
回想編はあと2話続けるつもりです。