それから、僕とムラサキはセキチクシティを離れることにした。離れるって言っても引っ越しするわけじゃなくて、しばらく旅に出ることにしたんだ。
ムラサキは戦うのが苦手みたいだから、ポケモンバトルはできないけど……。大きな通りを使って、草むらに気をつけて、他のトレーナーと目を合わせないようにすれば、僕たちだってきっとレッドさんたちみたいな冒険が出来るはず。
父さんと母さんは、話したときにすごく驚いたみたいだった。でも、僕の決意が固いって分かったら全力で応援してくれた。
「父さん、じてんしゃありがとう。母さん、あんまり父さんのこと蹴らないであげてね。……行ってきます! いこう、ムラサキ!!」
「……! ……!!」
突貫工事で座席前につけてもらった、専用のバスケット。ムラサキにそこに入ってもらって、僕たちはアンズさんにも挨拶を済ませて街を出た。
サイクリングロードを北上して、最初に立ち寄ったのはタマムシシティ。何度か連れてきてもらったけど、改めて見上げたタマムシデパートは高くて大きい。
ムラサキは最初こそ僕に抱えられてたけど、まわりのポケモンたちがみんな自分で歩いているのを見て自分から床に下りていった。つなごうと伸ばされてきた片腕の先っぽにまた五本指が生えているのを見て、僕は思わず笑ってしまった。
「ほら、ムラサキ。これは自販機……えっと、自動販売機っていうんだよ。ボタンを押すと中のものが出てくるんだ。なにか飲む?」
フロアのあちこちを見て回った僕たちは、最後にデパートの屋上で休憩することにした。
ムラサキは僕がジュースを買うのを黙ってじっと見ていたけど、ボトルがゴトンと出てきたときにはビックリしちゃったのか大げさに飛び跳ねていたっけ。
手渡したら「モッ」っておかしな音をさせながらボトルごとモーモーミルクを口に押し込んで、僕が止めるより先に丸飲みしちゃってた。
僕はサイコソーダを飲んでいたんだけど、ムラサキが興味しんしんって感じで見上げてくるからカップに注いで分けてあげた。飲んでもないのになにか楽しかったのか、その場でくるっと回って片腕を空に突き上げてた。
味の感想を知りたかったのに、結局丸飲みにされちゃったなあ。
「――ほら、あれ見てムラサキ。港におっきい船……えっと、鉄でできてる塊が海に浮かんでるだろ? 海っていうのはこのしょっぱい水のことで……」
次に僕たちが訪れたのは、オレンジ色のレンガ屋根がずらっと並ぶ港町、クチバシティ。
ここはジムリーダーのマチスさんがでんきタイプのポケモンを使うこと、外国からたくさんの船がやってくることもあって、明るくて賑やかなところだった。
ポケモンたちと交流するのが大好きだっていう人たちもここに集まっていて、行き交う人たちからたくさん声をかけてもらえた。ムラサキも出来たての料理やサイコソーダを町の人に分けてもらったりして、なんだかんだで楽しめたみたいだ。
ただひとつ、この町の訪問で気がつけたことがある。
「ムラサキ……もしかして、きみ『水』が苦手なの?」
せっかく港町に来たんだから、って僕たちはちょっとした浜辺に寄ってみたことがあった。けど、ムラサキは海を見るなり僕にしがみついた。ほのおタイプのヒトカゲやヒノアラシならまだ分かるけど、顔がちょっと濡れただけでも必死に頭を振って、水気を飛ばそうと頑張っていたように見える。
ほらおいで、って僕がズボンをまくって浅瀬に入ったらしぶしぶついてきたけど、それでも全身が浸かるとパニックを起こしてた。
どうもムラサキは水が苦手みたいだ。
みずタイプのポケモンに「へんしん」できれば違ってくるかなぁ、って町で買ったぬいぐるみを見せてみたけど、やっぱりへんしんそのものも苦手みたい。目をきつくつぶって体をぐねぐねさせて……すごく苦労してるみたいだった。僕たちはしばらくの間、二人きりで特訓を続けていた。
「……! ……!!」
「頑張れ、ムラサキ! きみならきっと――!?」
「……!!」
日が傾き始めた頃、ぐったりしかけていたムラサキが、急に激しく背伸びしたり縮んだりしはじめた。どうしたんだろう、ってタオル片手に眺めてたら、ぐにゃりといつもみたいに紫色の体が変形して――気がつけば、彼の体は小さな子供の姿になっていた。
僕はビックリして、波打ち際に尻餅をついていた。だって、その子供の姿っていったら……まるで「僕の格好」にそっくりだったんだ!
「ムラサキ……ムラサキ!? そのへんしんって……」
「……! ……!!」
肌色の真ん中で、黒い丸がニパリと笑う。
白地に赤いプリントの帽子、赤色のトップスにジーンズ、紫色のスニーカー。二本足。ご丁寧に見覚えのある水色のリュックまで背負っていた。
くるっとその場で一回転すると、ムラサキはいつものように空に拳を突き上げる。あ、これって嬉しいときのサインなんだぁ、なんて僕は納得してしまった。
「……今日はもう遅いし、ポケモンセンターに泊まっていこっか。ムラサキ」
自分と同じポケモンにはへんしん出来ないのに、ムラサキはトレーナーである僕にはへんしんすることが出来た。
それってどうなんだろう、と思うと同時に、ちょっと嬉しいかも、とか、でも僕に変身したからって水が平気になるわけじゃないのに、とも思ってしまう。
……ポケセンの中にある仮眠室で、ムラサキは僕の姿に変身したまま仰向けになってぐっすり眠った。僕はそんな彼の寝顔を、夜通し黙って眺めてた。ほんとうに、ムラサキはどこからどうやって二十二番道路に行き着くことになったんだろう?
結局、僕たちは泳ぎの習得を諦めるしかなかった。クチバシティを出る頃には、ムラサキは元のメタモン姿に戻ってしまっていた。
「――ヤマブキシティだ! 僕、十一歳になったらポケギア買ってあげる、って母さんと約束してるんだ」
僕たちの旅は順調に続く。
クチバシティを北に抜けて、山吹色のコンクリートで建てられたビルが並ぶ大都市に出た。街の通りは街灯で照らされていて、行き交う人もみんなお洒落だ。ここからジョウト地方に行くこともできるんだけど、それはまた今度のお楽しみにしておく。
この街は結構前に、ポケモン相手にあくどいことをしていた奴らに占拠されたことがあったらしいんだけど、それを解決したのもレッドさんだったんだって。
改めて、レッドさんがカントー地方でどれだけ有名な人なのか、僕たちは知ることになってしまった。
……そうそう、このとき僕は買ったアイスで顔をベタベタにしちゃったムラサキを写真に撮ろうとしたことがあったんだけど、ムラサキったらおかしいんだ。
あの子、僕がカメラ機能を使おうとすると邪魔するんだ。何回か取り合いをして、ふと僕は彼にポケモン図鑑を預けてみることにした。最初こそ図鑑をくるくる回して首を傾げていたけど、そのうち使い方にコツがいることが分かったらしくて、僕に教えを請うように図鑑を差し出してきた。
「こっち向きにして、撮りたいものに合わせて……そうそう、このボタンを押すんだよ」
カシャッ、とシャッターが鳴ると写真が撮れることが分かったみたいで、しばらく僕のポケモン図鑑はムラサキの図鑑になっちゃってたなぁ。
「ムラサキ。そろそろ図鑑、返してくれない?」
「……!」
「そっかぁ。まだ駄目かぁ」
こいつには僕のおこづかいで買ったメタモンのステッカーが貼ってあって……気がついたムラサキに「これなに?」って見せられたときは困っちゃったな。
だって手持ちのポケモンなんて、相棒なんて、大好きになるに決まってるじゃないか。僕だってそれくらいの主張はしておきたかったんだ。
「ムラサキ。そろそろ次の街に行くよ? ほら、僕にも写真、撮らせてよ」
ステップでもしていそうな滑り方で道路を進むムラサキを、僕は「アスファルト熱くないのかなぁ」なんて思いながら見守った。
三日経ってようやくポケモン図鑑を返してもらってからは、僕はムラサキの写真を多く撮影してまわった。だって、図鑑に残された記録といったら真っ白だったりブレブレだったり寄せすぎだったりで、まともなのがほとんどなかったんだから!
それでも「ムラサキが撮った写真なんだから」って、僕はなんとなくデータを消すことができなかった。
それから僕たちは買い物したり、連勤が続いてちょっとくたびれてきた父さんとそっくりな会社員を見送ったりして、ヤマブキシティをあとにした。
「――ねえ、ムラサキ。ここを南に下ると、僕たちが出会ったところに出るんだよ。覚えてる? あのときのこと」
僕たちは、ほんとうに色んな街を見て回った。
ポケモンタワーがあるシオンタウンにも立ち寄ったし、イワヤマにも行こうとしたけど暗すぎて怖くてやめちゃったし、ハナダシティで海を眺めたりもした。自転車の前の方にムラサキを入れて、全速力でペダルを漕いで、坂道を一気に下って遊んだこともある。
前にスライムを見たニビシティ科学博物館にも寄ってみたし、ついでにって感じでニビジムに寄ってポケモンバトルを観戦したこともあった。どのトレーナーもポケモンもいきいきしていて、僕たちは白熱した試合になんとなしに手を握り合ったりした。
……ニビシティの建物の上からお月見山方面を見上げたときに浮かんでた、丸い月。あれだってすごく綺麗だったなぁ。ムラサキの丸い目にそっくりだった。
「……ねえ、ムラサキ。きみは、どうしてあの二十二番道路にいたの?」
文字通りのお月見をしながら、僕はいつかの僕の格好に変身したままでウトウトし始めていたムラサキに、そう声をかけていた。ムラサキははっとしたように目を覚まして、寝起きの僕がそうするみたいにぷるぷると激しく頭を振っていたっけ。
「考えていたんだ。きみは頭の悪い子じゃないだろ? なのにどうして、オニスズメの群れに追われることになっちゃったの」
ムラサキは、僕の言葉を黙って聞いていた。
目の形はいつも通りに黒色の丸二つ分だったけど、その日のあの子の目には、いつもよりちょっと沈んでいるような気配がにじんでいた。
ムラサキは僕の姿のまま立ち上がると、ふるふると緩やかに首を振る。まるで、それ以上は聞かれたくない、覚えてない、って泣き出してるみたいに見えた。
「そっか。ごめん、いやなこと聞いちゃったね」
このときの僕は、もしムラサキが望むならこの子を元のすみかに戻してあげるべきだ、なんてことを考え始めていたんだ。もちろん、ムラサキ自身がそれを望んでいるとは限らない。
でも、もし万が一この子の帰りを待つ仲間がいるのなら……僕のわがままにつきあわせてばかりじゃいけないんじゃないかって、そう思ったんだ。
そう思っただけなんだ。わざとじゃない、他意もない。
だから、あの日の僕は……。
「ねえ、ムラサキ。僕、セキチクシティに帰る前にどうしても行ってみたいところがあるんだ。明日、寄ってみてもいいかな?」
僕は、このときの決定ほどバカな選択なんてこの世にはないんじゃないか、って今でもずっと思ってる。
でも、このときの馬鹿げた意思決定がなかったら。「今」の僕なんて元から存在し得なかったんじゃないかって、そんな風にも思えているんだ。